表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
前文

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/42

両者の合意により結ばれるものとする。 3

 今日はもう下がっていいと言われ、シャルリアはおとなしく自室に戻った。

 昼に来たというレオンヴァルト・ランサスは、結婚式に関する軽い打ち合わせをフェルストとしたのち隣町に取ったという宿に帰っていったという。この村には宿泊できるような場所など一つもないし、レティラ邸では都会の資産家を満足にもてなすことも難しい。双方にとって賢明な判断と言えるだろう。

 レオンヴァルトは明日また来るそうだ。だが、彼の仕事の関係で、それ以上の滞在も再びの来訪も難しいらしい。ここから王都までは馬か馬車ぐらいしか交通手段がなく、回り道の街道を通っていくため四日ほどかかる。レオンヴァルトも無理に時間を作ったのだろう。わざわざレオンヴァルトが一泊したのは、シャルリアに会うためだったそうだ。

 シャルリアがこの縁談を拒むようなら今回の話はなかったことに、ただしもし拒まないならすぐにでも結婚したい。そんな申し出がレオンヴァルトからあったという。それを政略結婚する相手に言えるなど、普通なら十分な誠意を感じられてしかるべきだろう。

 だが、シャルリアに拒否権がないのをわかっていながらそう言ってくる男に、安心感など抱けるはずもなかった。用意された妻の座がお飾りのものだと見え透いているのだからなおさらだ。

 婚約期間がないのは珍しいことではない。もとより政略結婚とはそういうものだ。男の側と、女の親の同意があれば女の意思などたやすく無視される。印象が最悪だろうと、相性が悪かろうと、それを見極める時間など与えられないまま結婚式が執り行われるのだ。

 それで男が損をすればさっさと離縁を切り出せばいいのだから、泣くはめになるのは大抵女だった。レオンヴァルトにはすでに二度の離婚歴がある。彼の意にそぐわない妻になってしまえば、レオンヴァルトはこれまでと同じようにシャルリアをあっさり捨てるのだろう。


(それは困るわ。どうあっても、レオンヴァルトと離縁するわけにはいかない。彼に買われた借金を返済するあてもないし、わたくしが戻る場所もないもの)


 実家にはいられない。どこにも嫁げない娘をずっと置いておけるほど、レティラ家は裕福ではないのだから。わざわざ好き好んでシャルリアを娶ろうとするなど、それこそレオンヴァルトのような奇特な男ぐらいなものだ。選べる立場にないのはわかっているが、どうせ変人なら若い資産家のほうがいいに決まっている。

 修道院には戻れない。少なくとも聖シュテアーネ修道院にシャルリアの居場所はなかった。他の修道院を探すにしても、寄付もろくにできないシャルリアを邪険に扱わない場所があるとは思えない。条件を選ばないなら誰でも受け入れてくれる修道院も見つかるだろうが、レティラの名は腐っても貴族のそれだ。貴族としての責務はどこに行ってもついて回る。平民しかいない修道院では、互いに気まずい思いをするのが関の山だろう。

 街に出て、住み込みの仕事を探す。それは最後の手段だった。レオンヴァルトに離縁を切り出されるなら、いよいよ一人で生活しなければいけない。

 行儀見習いでも手習いでもなく、生きるための仕事。それは貴族令嬢がするものではなく、けれどいつかそんな日が来るのかもしれないとは思っていた。幸い、聖書の写本をしていたおかげで文字の読み書きはできるし、簡単な家事も身についている。力仕事はさすがに難しいが、こまごまとした作業ならできるだろう。


(そうね……。居場所がないなら、作ってしまえばいいだけだわ。一番いいのは、離縁されないことだけど)


 侍女でも家庭教師でも、コンパニオンでも。怖くはあるが、やってやれないことはない。

 いざというときの逃げ場ができて、少し緊張が解けた。覚悟が決まればあとは早い。これからの結婚生活に不安は尽きないが、なるようになると信じるほかないだろう。


*


「お初にお目にかかります、レオンヴァルト様。シャルリアと申します」

「初めまして、シャルリア嬢。どうか楽にしてくれたまえ」


 銀縁のモノクルをかけた細身の青年を前に、シャルリアはなるべく優雅に見えるよう一礼した。

 修道女としての所作ならともかく貴族としては王都の令嬢達には見劣りしてしまうだろうが、これがシャルリアの精いっぱいだ。及第点だったのか、優しい茶髪の紳士は特に不快そうにはしていなかった。


「そうだ、よければ私のことはレオンと呼んでくれないか? レオンヴァルトというのは、仰々しくてあまり好きじゃないんだ」


 そう言って、レオンヴァルトは茶目っ気のある笑みを見せた。猫目が細められ、わずかに覗いた八重歯が目を引く。明るく人懐っこそうな青年だ。

 レオンヴァルトは身なりがよく顔立ちも整っていて、悪印象を抱くほうが難しいとさえ思えた。シャルリアより六つ年上の二十五歳だと聞いているが、童顔なのかまだ二十歳程度に見える。

 だが、人は見た目ではわからない。そもそも、幼女趣味なんて噂が立つような男だ。外見の印象だけで好評価を下すわけにもいかないだろう。


「では、わたくしのことはただのシャルリアと。短い名前ですから、愛称などはないのです」

「ああ、よろしく頼むよ。……早速だけどシャルリア、君は今回の話についてどう思う?」


 挨拶もそこそこに本題へと踏み切られる。

 今、応接室にはシャルリアとフェルスト、そしてレオンヴァルトと彼の従者らしい青年の四人しかいない。応接室と言っても小さなソファがあるだけの狭い部屋だ。大の大人が四人も集まっていると、少し窮屈に感じる。従者の青年はレオンヴァルトの後ろの壁際に立っているが、長身なこともあって余計に部屋を圧迫しているような気さえした。しかしレオンヴァルトはまるで気にしていないようで、深い知性を感じる紫色の瞳はシャルリアだけを見つめていた。


「わたくしには過ぎたお話かと。……レオン様は本当に、わたくしでよろしいのですか?」

「そうだね、君は私の妻にふさわしい女性だと思う。むしろ君のような素敵な女性が相手では、こちらが初婚でなくて申し訳ないぐらいだ」


 ちらり、はじめてレオンヴァルトの視線がフェルストに向かう。フェルストがぎこちなく居住まいを正すと、レオンヴァルトは言いにくそうに頬を掻いた。


「フェルスト殿からすでに聞いているだろうが……私が妻に求めることは、世間一般の男が重視するそれとは違う。私にはすでに養女(むすめ)がいるからね。私は、あの子に多くのものを継がせたいと思っている。……だからあの子以外の子供はいらないし、あの子を受け入れてくれない妻も困るんだ。とはいえ、見知らぬ子供を我が子のように慈しめ、などとは言わない。あの子の面倒は使用人達が見てくれる。君が嫌なら、あの子と極力かかわらないようにしたっていい。悪い意味での干渉さえしなければそれでいいんだ」

「ええ、心得ております」

「夫婦の子供は望まないでくれ。娘を害すことを……あの子が持つ当然の権利を侵害し、いたずらに苦しめるような真似は絶対にしないでくれ。それさえ守ってくれるなら、シャルリア、私は君を生涯大切にしよう。金も自由も約束する。君はただ、私の妻と名乗ってくれるだけでいい」

「……お任せください、レオン様。必ずや、貴方のご期待に沿える女となりましょう」


 真摯な声音に、シャルリアは理解する――――彼の前妻達は、この契約を反故にしたから捨てられたのだ。

 夫婦の子供は望まない、その条件を破ることはない。だってシャルリアは子供を産めない身体なのだから。どれだけ神に願っても、シャルリアの腕が我が子を抱ける日は来ない。

 養女を害さない、その条件を遵守できると断言はできない。だってシャルリアはその子の人となりを知らないのだから。けれど、無関心を装うのは得意だ。


「ですが、一つだけお聞かせください。貴方の養女である子は、一体どういう子なのでしょう」

「名はクリスフィア。今年で七歳になる。少し怖がりだが、とても優しい子だよ。五年前に他界した姉夫婦の娘で、それからは私がずっとあの子の面倒を見ている。私達の両親に幼い子供の相手をするほどの余裕はなかったし、義兄(あに)は天涯孤独な人だったからね。……叔父と姪とはいえ、あの子は父親似だから私とはあまり似ていないんだ。それに、あの子を引き取ったときの私は独り身だった。そのせいで、あらぬ噂が立ってしまっている。訂正してもきりがなくてね。人の足を引っ張りたくて、少しのあらを大げさに吹聴する輩にはどこにでもいるものだ」

「そうでしたか……」

「姉も義兄も素晴らしい人だった。私は、あの二人の忘れ形見を守りたいだけなんだが……」


 悲しみを湛えたレオンヴァルトの姿に良心が痛む。相手が姪で使用人達もついているとはいえ、独身の青年が父親役を演じるのは途方もない苦労がついて回っただろう。

 だが、“親戚の子供”という言い訳が不埒な理由で引き取った子供を説明する常套句であることもシャルリアは知っていた。さすがに聖シュテアーネ修道院で運営している孤児院にそんな目的をもってやってきた里親希望者が来たことはない。だが、他の場所を知る老修道女達はまことしやかにそんな輩の話をしていたのだ。「遠い親戚だ」「他に身寄りのない子だ」と言っておけば、手元に置いておいても不自然ではなくなるから、と。


(でも、そうね。彼が本当に小さな女の子しか愛せない男だったとしても、わたくしには何の関係もないじゃない。気持ち悪いし、できるならその子は助けてあげたいけれど……そうしたら、わたくしはどうすればいいのかしら)


 レオンヴァルトの話が嘘か本当かなんて、今のシャルリアに判断する術はない。

 孤独な少女を養育する優しい叔父か、それとも何もわからない無垢な少女を蹂躙する悪魔か。前者ならシャルリアは根も葉もない噂に踊らされる道化だし、後者なら良心と金を天秤にかける苦しい立場に立たされる。レオンヴァルトの話が本当であってほしいし、そうだと信じていたほうがましだった。

 結局、他人と自分や実家を天秤にかけてしまえば、どちらに傾くかなんてわかりきっていたのだから。ただ、そういう醜い選択を、決断を、下さなければいけないときが来るのが嫌なだけだ。


「だから私とフィアの関係について、君が案じるようなことは一切ない。心ない連中が好きに言っているようだが、そんなものには惑わされないでくれ。私はあの子を娘として愛しているし、あの子は私を父として慕ってくれている。そこに親子以上の情はない。君との白い結婚を望むのは、それとは別の理由からだ。……それに、このほうが君にも都合がいいだろう?」

「……ッ!」


 心を見透かすような、冷たい紫の目に息が詰まった。レオンヴァルトの表情には何の感情もない。人懐っこい好青年だなんて、そんな見た目だけで抱いた印象が崩れる。この男の根底にあるのは優しさではない。性的倒錯者ではないかもしれないけれど、性格は破綻している……そこまで言うのは言い過ぎだろうか。

 レオンヴァルトの豹変はほんの一瞬のことで、次の瞬間にはまた先ほどのような人のいい笑みを浮かべていた。フェルストは何も気づかなかったようだ。父はそわそわしているが、それはあくまでも緊張しているからのようだった。


「シャルリア、君がいい返事をくれて嬉しく思う。……急な話になってすまないね。後日迎えの者をよこすから、彼らとともに王都まで来てくれ。家具やらドレスやら、必要なものは君が王都に着いたら揃えよう。君が持ってくるのは、手放せない大切なものだけで構わない」


 レオンヴァルトとしては、それ以上シャルリアと話すことなどないのだろう。話を切り上げて立ち去ろうとする彼に、慌ててシャルリアは立ち上がった。


「あ、あの、レオン様。至らぬところもございますが、これからよろしくお願いいたします」

「……ああ。こちらこそよろしく、シャルリア。この結婚が両家に大きな幸せをもたらすことを、心から願っているよ」


 フェルストに挨拶したレオンヴァルトは、従者を従えて応接室から出ていく。見送りのためにその後を追うフェルストを横目に、脱力したシャルリアはソファに音を立てて座り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ