第三者にそれを悟られてはならない。 2
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――――かつて世界のお姫様は、エマリーだった。
歴史ある裕福な伯爵家に生を受け、蝶よ花よと育てられ。ドレスだろうとおもちゃだろうと、望む物はなんだって与えられた。その可憐な容姿は誰からも愛され、言うことを聞かない者なんて一人としていなかった。
貴族の姫君として、いつか素敵な王子様と祝福された結婚する。それは当然のことだった。けれど王子様に見つけてもらうためには、いつだって綺麗でいなければいけない。だから、母や姉達と共に服飾品を見繕う時間が一番好きだった。
行儀見習いのために辺境の修道院に行かされるのは気が進まなかったが、理想の結婚のためだ。それに、どこに行ってもエマリーがお姫様であることに変わりはない。その修道院に行くことになったのは三姉妹の中ではエマリーだけで、それだけ両親がエマリーに期待している証だった。姉妹の中ではエマリーが一番美人なので、それも当然だろう。
果たしてエマリーは多額の寄付金と共にその修道院に行き、手厚い歓迎を受けた。同室だと紹介されたのは、少し年上の女だった。自分ほどではないが、まあまあな美人だ。聞けば彼女も伯爵家の出らしい。見栄えで選んだ使用人は必要だと両親は言っていたし、乞われれば仲良くしてやってもいいと思った。
「シスター・エマリー。ここは貴方のお屋敷じゃないのよ。自分のことは自分でおやりなさい」
「ここでの貴方は修道女の一人なの。まずは務めを果たしなさい」
「朝の礼拝は嫌、食事の支度も掃除も嫌、孤児の面倒を見るのも嫌……貴方は一体、何ならできるの?」
前言撤回。なんてうるさい女だ。聞けばこのシャルリアという女は、貴族と名乗るのもおこがましいほど落ちぶれた家の娘らしい。若い修道女の中ではもっとも長くここにいる、行き遅れの石女。そんな女に偉そうに指図されるなんて我慢ならない。
けれど、持たざる者に恵みを分け与えてあげるのは貴族の義務だ。だから可哀想なシャルリアのことを色々と気にかけてやったが、返ってきたのは冷たい眼差しだけだった。哀れに思って施しをしてやっているのに、なんて傲慢な女なのだろう。
羨ましいと言わせたい。頭を下げてすり寄ってくるところを見たい。強情なこの女に、自分の立場をわからせてやりたい。エマリーこそお姫様なのだと、認めさせたい。
両親に頼んで、珍しいものやきらびやかなものをたくさん贈ってもらった。友人に下げ渡し、余ったものは寄付に回すことで、修道院もまた自分の世界になった。お姫様のエマリーに誰もが傅く――――シャルリア・レティラを除いては。
その目障りな女がどこぞの男の元に嫁ぐと知って、最初に抱いたのは喜びだ。これで、エマリーにたてつく無礼者はいなくなる。
次に感じたのは、哀れみだった。エマリーは素敵な貴公子と結婚できるが、シャルリアはそうではない。きっと毎日泣き暮らすような、不幸な結婚をするのだろう。あるいは、早々に離縁されるのかもしれない。どんな顔をして修道院に戻ってくるか見ものだった。
ほどなくして実家から、エマリーに帰ってくるよう連絡が届いた。きっと、本腰を入れて縁談を探すからだろう。これで二度とシャルリアに会うことはない。もし彼女が修道院に帰ってきたらどんな様子だったか教えてほしいと友人に頼み、エマリーは惜しまれながら王都に戻った。
出入りの商人が減っている気がしたが、両親曰く「商品の質が下がったから切った」というので疑問には思っていなかった。よりよいものを選ぶのは当然だ。代わりに新しい商会と付き合いを始めたらしいので、気に留める必要もなかった。
ターチス商会というその新しい商会の外商担当は、リーンストという男だ。商会自体はなんでも手広く扱っているが、リーンストの専門は特に宝飾品だという。彼は毎回きらびやかなものを持ってくるし、会話も上手なのですぐに気に入った。爽やかな美男子の笑みには母も夢中になっているらしい。
一番上の姉は嫁いで家を出ていたので、二番目の姉と共に結婚相手探しが始まった。両親が用意した釣書の男は、年が離れすぎていたり見た目がおぞましすぎたり、あるいは平民だったりと論外ばかりだ。だから着飾って様々な夜会に出て、色々な男性と語らい、踊った。だが、中々ぴんとくる出会いが訪れない。
ドレスをもっと流行のデザインにして、よく目立つよう派手な宝石で飾れば、きっと人々の目を引くだろう。そうすれば、いずれ運命の人に見つけてもらえるはずだ。エマリーはそう訴えた。母は賛成して、さっそく服飾品を新調しようとしてくれた。しかし姉は同意するどころか、姉妹で服飾品を共有しようだとか、古いドレスを仕立て直そうとか、そんなみっともないことを提案してきた。信じられなかった。
結局姉は何も新しくせず、それどころかどんどん地味な装いをしている。セラーデ家の人間として恥ずかしい。母に注意されても、姉は聞こうとしなかった。
「どうしてお母様もエマリーも浪費ばかりするの? お父様も何かおっしゃってよ!」
「やめなさい、イデリザ。金の心配など、はしたないことをするな。まさかよそで吹聴してはいないだろうな」
「お父様のおっしゃる通りよ。みっともない恰好もおやめなさい。次に仕立て屋を呼ぶときは、必ず貴方にも来てもらいますからね」
「イデリザ姉様は最近変ですわ。お姉様だって、前は着飾ることが好きだったじゃありませんか」
姉も相応に美人だったが、これでは嫁ぎ先も見つからないだろう。エマリーの憐憫の眼差しに気づいたのか、姉はそれ以上何も言わなくなった。次第に姉妹は同じ催しに出席することはなくなり、姉が何をしているかもわからなくなった。
その日エマリーは両親に連れられて、さる裕福な伯爵家が主催する夜会に向かった。リーンストもついてきたが、招待客の中から顧客を開拓したいのだろう。平民というのも大変だ、いつでも仕事をしないといけないなんて。
そのパーティーで懐かしい顔を見た。もう二度と見ないと思った、シャルリアの顔だ。せっかくのパーティーなのに一人で突っ立っている。夫らしい男性の姿は見えない。シャルリアと結婚した見る目のない男のことも気になったので、ちょっとからかってやろうと思って声をかけると、シャルリアは驚いた顔をした。安っぽいオニキスのブローチなんかを大切そうにつけている。まあ、彼女の生家を思えば、あれでも十分すぎるほどの贅沢品なのだろう。
わざわざ石女を娶るような男だ。きっと彼女の夫にもひどい瑕疵があるに違いない。だが、紹介されたのは人の好さそうな好青年だった。寄り添う二人は幸せそうで。仲睦まじげに立ち去る姿を見せつけられて、思わず扇子を握る手に力がこもった。
「オニキス自体は、確かにそこまで高くはないですが……石座の銀細工の繊細さをご覧になりました? あれは帝室御用達職人の技術の粋を集めた逸品ですよ。他国で取り扱うのを認められている商会は限られているのに……。黒は帝国では最も尊ばれる色ですから、民間人が身に着けても不敬にならないようにあえて安価なオニキスを――」
帰りの馬車の中でシャルリアを嗤うと、リーンストがどうでもいい話を長々とはじめたが、そんなことは聞いていない。シャルリアとその夫の名前に対して父が不思議と興味を持ったので、いかにシャルリアが傲慢な恥知らずかを説くことで澱を吐き出した。
その後、あのシャルリアの夫であるレオンヴァルトという男が見た目ほど優良物件ではないことをリーンストから聞かされ、溜飲も下がった。だが、嫌なことは続くものだ。
屋敷にターチス商会以外からの外商が来ないので、たまには新しい物を見ようと百貨店に出かけた時に、またシャルリアを見かけてしまった。
昔のように父親の名前で会計しようとしたら何故かやんわり断られ、その従業員の不出来さに苛立ちが溜まっていたところだった。自らの不幸を認めないシャルリアの吠え面を見るのは、憂さ晴らしにはちょうどいい。
真実を知っていれば、その笑顔がうわべだけのものだというのがよくわかる。ああでもしないと精神の均衡を保てないのだろう。平民に嫁がされ、継子まで押しつけられるなど惨めなものだ。まあ、子供の産めない母親と偽物の子供という組み合わせは、中々にお似合いなのかもしれないが。
身分というものを理解していない平民を正そうとしたのに、何故かリコッドをつまみ出されたのはエマリーだった。恥ずかしくて当分この店に来られない。
「貴方、自分がどうして修道院から戻ってきたのかわかっていないのね」
屋敷に帰ってきたエマリーに、姉が冷たい目を向けた。よもや家族からそんな風に見られるなんて。ひどい屈辱だった。
「お父様もお母様も認めてくださらないけれど、もうこの家は没落寸前なのよ。貴方一人のために、これ以上高い寄付金を払っていられなくなったの」
「まあ。イデリザ姉様ったら、熱でもおありなのではなくって? それとも、どこかで頭を打ってしまわれたのかしら」
「わたしは本当のことを言ってるの! あのリーンストとかいう商人が現れてからお父様は無駄な投資ばかりするし、それなのにお母様はちっともお金の使い方を見直そうとしてくださらないし……!」
何を言いだすのかと思ったら。妄想には付き合っていられない。金、金とみっともないことこのうえなかった。そんなもの、貴族令嬢が考えることではないのに。金儲けに精を出し、金勘定をしながら一喜一憂するのは下品な平民だけだ。第一、セラーデ家が没落するわけがない。歴史ある、由緒正しい名門伯爵家をなんだと思っているのだろう。
「とにかく、何か神の奇跡でも起きない限り、我が家はこのまま没落していくだけなのよ。いい加減に身の振り方を改めないと後悔することになるわ、エマリー」
「姉様はどうかしています。殿方に相手にされないからといって、家のせいにしないでくださいな」
姉は顔を赤くして、ばたばたと居間を飛び出していく。入れ違いになるように父が姿を見せた。
「あらお父様、いらしたのですか。騒がしくして申し訳ございません」
「……原因はイデリザだろう。気にするな」
居間の様子を見に来ただけらしく、父はそのまま戻っていった。
「奇跡、か……」
思いつめるように呟かれたその言葉は、エマリーの耳には届かない。
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