家族として、互いに助け合うべきである。 3
「メルツィスカ、これを出しておいてくれるかしら」
「かしこまりました、奥様」
今日は久しぶりに何の予定もない平日ということもあって、朝からしたためていた父にあてた手紙をメルツィスカに渡す。メルツィスカは恭しく受け取った。
結婚して以来、父には月に一度ぐらいの頻度で近況報告をしている。何か決まった用件を話すのであれば電話を使ったほうが早いのだが、とりとめない雑談ならば手紙のほうがやりやすかった。返事が返ってくるのは遅いが、そのぶん話したいことを話したいだけ話せるし、自分のペースで打ち切れるからだ。
父、フェルストの暮らしぶりも順調らしい。レオンヴァルトの支援を元手にして、家を立て直そうと奮闘しているようだ。何かうさんくさい儲け話に騙されやしないかとはらはらしたが、ランサス銀行がついていてくれるなら大丈夫だろう。具体的に何をしようとしているのか、フェルストは「守秘義務、というものがあるらしい」の一点張りで教えてはくれないが……ランサス銀行側の入れ知恵なのだろうか。
領地のほうも変わりないようで安心した。何もない田舎だが、故郷ということもあって多少の愛着はある。平和なのはいいことだ。欲を言えばもう少し、栄えていてほしいものだが。
フェルストは、シャルリアが幸せに暮らしていると知って安心してくれていた。身売り同然に嫁がされたのだから、父も気が気でなかったのだろう。もっとも、何度大丈夫だと伝えても、慣れない都会で体調を崩していないか、孤独を感じていないか、毎回毎回そればかり尋ねられるのは辟易してしまうが。これが親心なのだろうか。
フェルストの「いつか三人でうちに遊びに来るといい」は決まり文句だった。それも悪くはないと思うのだが、いかんせん故郷は自然が豊かなことぐらいしか褒めるものがない。あんな田舎に連れていって、クリスフィアが退屈しないか心配だ。彼女は花が好きなようだし、天然の花畑でも見せれば喜んでくれるだろうか。レオンヴァルトも仕事が忙しいだろうが、落ち着いたら誘ってみてもいいかもしれない。
料理長のカーメン特製の昼食にクリスフィアと共に舌鼓を打ち、午後からは彼女の勉強を見る。相変わらず家庭教師ルネーヒェンの授業は高度だったが、クリスフィアの手前情けない姿は見せられない。意外とシャルリアのことも見ているギルからのさりげない助け舟を受けながら、母親としての威厳は守り切った。
一日の授業を終えて早々宿題に取り掛かるクリスフィアの真面目さに恐々としながらも、うんと褒めておく。クリスフィアは嬉しそうにしていた。根を詰め過ぎないか心配だが、そこはギルとメイドのロザルデがうまく管理してくれるだろう。
夜にはレオンヴァルトも帰ってきた。三人で夕食の席を囲んだあとは、ひとときの団欒を過ごす。今日あったことを懸命に話すクリスフィアと、優しげに目を細めて相槌を打つレオンヴァルト。自分の言葉で話したいであろうクリスフィアを遮らないように、けれどより彼女が話に花を咲かせられるようにシャルリアもたびたび口を開く。レオンヴァルトはクリスフィアだけでなくシャルリアにも水を向け、時には彼から話題を振ることもあったので、家族の語らいは尽きなかった。
クリスフィアの就寝時間になり、おやすみのキスをして寝かしつける。就寝前の読書はすっかりシャルリアの担当になっていた。
「今日もありがとう、シャルリア。まったく、君には頭が上がらないよ」
クリスフィアが眠りについたのを見届けて居間に戻る。レオンヴァルトが本を読んでいたが、シャルリアに気づいた彼は読んでいた本を閉じた。傍らのテーブルには、丁寧に包装された小箱が置いてある。
「ふふ。わたくしは貴方の妻として、あの子の母として当然だと思うことをしているだけですわ。そういう契約ですもの、きちんと履行いたします。権利を与えられたのなら、その分の義務を果たしませんと」
「契約で縛った以上の働きをしているようにも思うがね。君のように素敵な女性と結婚できて、私は幸せだ」
「あら、今日は随分とお上手ですこと。どうかなさったのかしら」
微笑を浮かべながら彼の隣に座る。レオンヴァルトは口元を綻ばせた。「労働を報い、成果に応じて還元するのは当然だろう」差し出されたのは、テーブルに置いてあった小さい箱だ。
開けてもいいか目で尋ねる。レオンヴァルトは小さく頷いた。真珠の髪飾りだ。白金の留め金にはダイヤモンドが嵌められている。ちりばめられた大小さまざまな真珠は、まるで花が咲いているようだった。
「素敵……!」
「目をかけていた細工師の作品でね。工房を任せていたが、実にいい働きをしてくれる。君に似合うと思ったんだが……気に入ってもらえたようでなによりだ」
この世に一つの髪飾りだ。一流の審美眼を持つレオンヴァルトが認めたものを、シャルリアが気に入らないはずがなかった。
大切にいたします、とはにかむ。レオンヴァルトは満足げに微笑んだ。
「正直、フィアがあそこまで懐くとは思わなかった。それだけ君がフィアに心を砕いてくれたということだ。……君は、自分で思っているよりも私に利益をもたらしてくれている」
それはきっと、レオンヴァルトにとっては最大の賛辞なのだろう。作り上げた外面ではなく、本音としての。
「実は二日ほど前に、最初の妻と会ったんだ。彼女は経済紙の出版関係者でね。仕事の一環で会うことはこれまでもあったが、仕事を抜きにして話したのは離縁して以来だ」
「……」
「彼女が言うことには、私の小児性愛疑惑が広められることは二度とないらしい。君と結婚したことで下火になったこの不愉快な噂は、二度と立つことなく完全に消えていくだろう」
「それはいい知らせですわ。貴方を煩わせるものは、少ないに越したことはありませんもの」
レオンヴァルトは何を言おうとしているのだろう。シャルリアに宿る一抹の不安を感じ取ったのか、レオンヴァルトは言葉を重ねた。
「誤解しないでほしいが、元妻に会ったのは私の意図したことじゃない。声をかけてきたのは彼女のほうだし、およそ世の妻達が嫉妬するであろうような会話は一切なかった。御者が証人だ、疑うなら彼にも訊いてみてくれたまえ。やましいことがないからこそ、私的な時間に元妻に会ったことを伝えているだけだ」
「疑ってなどいませんわ。不貞は不利益しか生まない……そうでしょう?」
「その通りだ。それに私は、取引先としてふさわしい相手には常に誠実でありたいと思っているよ。商売の基本は、円滑な人間関係だからね」
だが、とレオンヴァルトは目を泳がせた。思わず彼の手を握る。契約書は夫婦を縛る絶対の鎖だ。それでも、目に見えたつながりがほしかった。
「……これまで結婚した時、私は誰に対しても正確な情報の開示を行わなかった。デメリットの説明をせずに契約を結ぶのは公平さを欠くにもかかわらず。それでも君は唯一、私とも向き合ってくれた。君にだけ恥を押しつけているのに」
レオンヴァルトが言っているのは、きっと不妊のことだろう。レオンヴァルトがシャルリアにその傷を見せたのは、同じ痛みを知る者として彼の信頼を得たからだ。
「君は最良のパートナーだ。だからこそ、最初に君を軽んじていたことを謝りたい」
「ねえ、レオン様。貴方はそうおっしゃいますけれど……そもそもの始まりからして、わたくし達が対等なはずがないでしょう。それなのに、むしろ貴方は優しすぎるほうだったと思いますけれど。今さら謝罪などされては、ますますわたくしの立つ瀬がなくなってしまいますわ。ひどい人です、これ以上わたくしの肩身を狭くしようとするだなんて」
冗談めかして口をとがらせる。拗ねたようにレオンヴァルトの肩に頭を預けると、レオンヴァルトは苦笑しながらシャルリアの頭を撫でた。
シャルリアは金で買われた妻だ。外面だけを取り繕われ、もっとひどい扱いを受けていたとしても文句は言えなかった。
だが、レオンヴァルトはそうしていない。口の達者なシャルリアに気分を害することもなく、きちんと妻として扱ってくれた。彼の立場なら、わざわざ双方の合意のもとで契約を結ぶ必要などなかったにもかかわらず。
「それにわたくしは、間違っても聖女などではございません。だってわたくしは、貴方のおかげで母親になれましたもの。継子を慈しむ、愛情深い母親に。……もしも本当に純粋な善意しかない女であれば、それに喜びを感じはしませんわ」
もちろん、クリスフィアのことは心から可愛いと思っている。しかしそれはそれとして、できた妻であり母であるとシャルリアを称える周囲の眼差しは心地いい。
人に褒められたいし、感謝されたい。多忙な夫と血の繋がらない子供に尽くすシャルリアは、良妻賢母の模範と言っても過言ではないだろう。嫁き遅れの見本だと言われていた修道院時代は、もはや遠い過去のものだった。
「貴方が引け目を感じる要素がどこにありまして? わたくしがよき妻、よき母として振る舞っているのはすべて自分のためです。結果的に義務を果たすことになりますし……何よりその賛美は、当然わたくしに向けられるべきものでしょう?」
「……ふふ。シャルリア、やはり君は理想の女性だ」
レオンヴァルトは繋がれたままのシャルリアの手を持ちあげ、甲に軽い口づけを落とす。思慮深い紫の瞳がシャルリアを見た。
「話せてよかったよ。どうかこれからも、私を支えてくれたまえ」
「わたくしにできることであればなんだって。レオン様も、これまでと変わらずわたくしを輝かせてくださいましね? 貴方が望む以上の成果を出してみせますわ」
この真珠の髪飾りには、どんなドレスが合うだろう。考えるだけで心が躍る。




