家族として、互いに助け合うべきである。 1
「ねえねえシャルリアさん、ドレスのあとでチョコレートを食べてもいいかしら? とてもおいしいお店があるんです! 甘くて、ほんのちょっぴりだけ苦くて、口の中でとろけるのよ!」
「ええ、いいわよ。お土産に買ってきましょうか」
今日の買い物にレオンヴァルトが同行できないことに対してクリスフィアは少し不満げだったが、すぐに機嫌を直したようだ。高級百貨店の空気に慣れてきたシャルリアだが、今日はこの小さな案内人に従うのも悪くない。
すっかり馴染みになった仕立て屋にいく。ああでもないこうでもないと言葉を交わしながら、自分とクリスフィアのためのドレスを選ぶ時間はとても楽しかった。つい買いすぎてしまった気がするが、何を着ても似合ってしまう自分達とこの店の品揃えのせいなのだから仕方ない。
店主が言うには、最近シャルリアに紹介されたという客からの注文が増えて忙しいそうだ。その言葉が社交辞令ではないことを示すように、店内には顔見知りの婦人達が何人もいた。サロンやお茶会で交遊のある、シャルリアのドレスを素敵だと褒めてくれた女性達だ。みな、シャルリアがどの生地でドレスを仕立てるのか、どんなプレタポルテを買うのか気にしている。流行の中心にいるようで気分がよかった。
人見知りゆえにシャルリアの陰に隠れてしまったクリスフィアだが、逆にシャルリアを頼る姿で婦人達に好印象を与えられたようだ。いくら恥ずかしがり屋だからといって、継子が嫌な継母の後ろに隠れるわけがない。そもそも、二人で仲睦まじく買い物に出かけるわけがないだろう。
元々彼女達には、シャルリアとレオンヴァルトの仲の良さを見せつけてある。ランサス家がいかに円満な家庭か、十分すぎるほど理解してもらえたはずだ。レオンヴァルトの性的嗜好に関する捏造された噂も、ずいぶん下火になったようだ。
母娘の時間を大切にしたいから、という理由で婦人達と別れ、のんびりとリコッドを散策する。レストランで食事を終えたら、次はデザートだ。
目当てのショコラトリーは少し奥まった、静かな場所にあった。ショーケースの中のチョコレートは、一粒一粒が宝石のようなきらめきを放っているように思える。オランジェットやトリュフなど、色々と種類があるらしい。どれも繊細な細工で飾られていて、眺めているだけでも楽しそうだ。
店内にはカフェも併設されていた。シャルリアはホットチョコレートを、クリスフィアはガトーショコラを注文して一息つく。店内に客は自分達しかいなかった。
「あのね、シャルリアさん。今日は、お買い物にさそってくれてありがとうございます」
「わたくしこそありがとう。フィアと一緒だったから、いいものがたくさん買えたわ。こんな素敵なお店も教えてもらったしね」
もうクリスフィアは、甘くて美味しい物を食べてもシャルリアの前で取り繕うことをしなくなった。美味しい物はただ美味しいと、幸せそうに頬を緩ませている。それだけ彼女が心を開いてくれた証のようで嬉しかった。
「お父様はいつもお仕事でおいそがしくて、でもお仕事のじゃまをしたくないの。お仕事は大事ですから。それに、お仕事の後でおみやげをくださるの。だからわたしは、いい子で待つんです。でも、でもね、ここは、前にお父様が連れてきてくださったのよ。だからシャルリアさんにも教えてあげたかったの」
「そうなの? じゃあ、次は三人で来ましょう。約束よ。今度はちゃんと、レオン様にも来てもらいましょうね」
「はい!」
クリスフィアは花が咲いたように笑った。そして恥ずかしげに俯き、上目遣いでシャルリアを見つめる。
「ロザルデとルネーヒェン先生のことは大好きよ。……だけど、二人はわたしのお母様じゃないの」
ロザルデはメイドで、ルネーヒェンは家庭教師だ。いくらクリスフィアが懐いているとはいえ、他人という壁は越えられない。そのことは、幼いながらにクリスフィアも理解しているようだった。その賢さは、幼い少女にはむしろ酷なものだろう。
「でも、シャルリアさんといると……えっとね、お母様と……一緒にいるみたいに思えるんです……。シャルリアさんは……リガレータさんやヘレニアさんとは、違うから……」
クリスフィアの声はとても小さい。頬を上気させ、縋るような目でシャルリアを見ている。まるで、言いたいことがあるのにそれを告げる勇気がないように。
思わず手助けしたい衝動に駆られるが、それをぐっとこらえた。だってクリスフィアは、それを自分の口で言いたいはずだ。伝えようと勇気を振り絞っている最中に先手を打つのは、むしろ彼女の成長を妨げてしまうだろう。だからシャルリアは待つことにした。心の中で期待と応援の祈りを捧げ。
「あのね……! わ、わたし、」
「いやだ、シスター・シャルリアじゃないの。お買い物ですか?」
せっかく開いた少女の口が即座に閉じる。被せられたのは嫌味な声音だ。小さな少女の奮闘など知りもせず、ずかずかと土足で踏み躙ってくる別の娘の。
「シスターと呼ぶのはやめてちょうだいと、前にも言ったはずよ」
年頃の娘らしい派手なドレスには、修道女の面影はない。レオンヴァルトが言っていたような淪落の陰もなかった。
実は家名が同じだけで、レオンヴァルトの言うセラーデ家とエマリーは無関係なのではないかとすら思える。それほどまでに、エマリー・セラーデは堂々とした佇まいで値踏みするようにこちらを見ていた。
「こ……この人、だぁれ? この人もお友達ですか?」
クリスフィアが怯えたように縮こまる。せっかくの勇気はもうしぼんでしまったようだ。だが、それについて彼女を責めることはできない。
「ごめんなさいね。彼女はわたくしの知り合いよ、フィア」
友達だなんて口が裂けても言えはしない。一瞥だけエマリーに送る。その視線の冷たさにエマリーは一瞬鼻白んだようだが、すぐに口角を吊り上げた。
「その子はどなたでしょうか。妹君かしら? ……ああ、違いますわね。旦那様の……ご息女でしたっけ?」
シャルリアがどんな家に嫁いだのか、エマリーも知っているのだろう。その価値観が、古くて悪いほうの印象に固定されていないことを祈るばかりだが……この意地悪そうに光る目の前では無意味な願いのようだった。
「シスター・シャルリア、貴方は聖女のような方ですわ! 成金の平民に嫁ぐだなんて……わたくしなら到底耐えられませんもの。きっとご実家のためなのでしょう? 娼婦のような扱いを自ら受け入れるその高潔さ、称賛に値しますわ」
「子供の前よ。慎みなさい」
「あら、けれど事実でしょう?」
その成金の平民に金の無心に来て、あまつさえ愛人になろうとした恥知らずはどこの誰だ。父親の独断だったとしたら、都合のいいことしか見えないその目は節穴も同然じゃないか。
喉まで出かかったその言葉をはっとして飲み込む。不安そうにこちらを見つめるクリスフィアに気づいたからだ。醜い言い争いを、小さな子供の前で見せたくはない。
「再会した時は驚きましたけれど……貴方のような方が、まっとうな家に嫁げるわけがありませんものね」
「シスター・エマリー。貴方が聖シュテアーネ修道院で学んだのは一体なんだったのかしら。修道院の名前だけが欲しかったのなら、もう十分なのではなくって? 人の家庭を気にする暇があるのなら、ご自分の未来の夫についてお父君と真剣に話し合ったほうがよくってよ」
剣呑な空気を察したのか、店員が困った顔で出てこようとする。騒ぎを大きくしたくない。シャルリアは声を抑え、場をわきまえないエマリーを諫めた。
だが、エマリーには伝わらない。あるいはシャルリアが負けを認めて撤退しようとしていると思い込み、追撃しようとしているのだろうか。
「ええ、ええ、それもそうですこと。貴方のように不幸な結婚は、誰だってしたくありませんものね」
「勝手に決めないでくださるかしら。わたくしは今、とても幸せなのだけれど……貴方には、何を言っても無駄みたいね」
視界の端で何かが動いた。クリスフィアがフォークを置いたのだ。
甘いリラの瞳が、一瞬だけ細められる。そのわずかな間に、不意にクリスフィアの空気が変わった気がした。
思わずシャルリアはクリスフィアを横目で見る。先の違和感はただの勘違いだったのか、そこにいるのはいつも通りの幼い養女だ。垂れ目がちの、おっとりとした目がエマリーを見つめている。
わたくしが守らなければ、とシャルリアは姿勢を正すが――――クリスフィアは、やり手の腹黒男や食えない少年と一番近いところにいる少女だった。
「初めまして、こんにちは。クリスフィア・ランサスと申します。ごあいさつもしないで人が話しているところにわりこんではいけないと、お姉さんの家庭教師は教えてくれなかったのね。それとも、家庭教師がいなかったの?」
「……フィア?」
「それならごめんなさい。代わりにわたしが教えてさしあげますね。人が話しているときに、勝手にわりこんではいけないのよ? おしゃべりの輪に入りたいなら、まずはごあいさつからだわ。それからね、このお店はおいしいチョコレートと楽しいおしゃべりを楽しむところなの。お姉さんのお話、ちっとも楽しくないわ」
淀みなく言って、クリスフィアは唇を尖らせた。
クリスフィアは人見知りの激しい少女だ。先ほどシャルリアの友人達と会った時も、小さな声で名前を言って淑女の礼をするのが精いっぱいだった。まさかその彼女が、敵意と嘲笑をむき出しにするエマリー相手にここまできっぱり対峙できるなんて。
「お母様、お母様の優しさは、このお姉さんにはわからないわよ。だって、家庭教師がいない人なんですもの。だからわかりやすく、はっきり教えてあげたほうがいいわ」
一般家庭の出だと言外に言われ、小さな子供に礼儀作法を諭されて。エマリーは顔を怒りで赤く染め、ぷるぷると震えている。
「確かにその通りね。だけどフィア、そうすることで相手を逆にはずかしめてしまうこともあるのよ?」
「知らないままのほうがもっとはずかしいわ! だって、そのせいでもっと大きなしっぱいをしてしまうかもしれないもの。そんなことになったら、このお姉さんがかわいそうでしょう?」
「言わせておけば……平民風情が、誰に物を言っているのかしら!?」
その無垢が天然であれ、計算されたものであれ構わない。クリスフィアに対して振りかざされようとした暴力は、あっさりとシャルリアが受け止めた。労働を知らない娘の細腕から愛らしい少女を庇うことなどたやすいものだ。
「わたくしの娘に何をするつもりかしら。……これ以上貴方と、貴方の家と、修道院の名を貶めるのはおやめなさい」
店員が呼んだのだろう、屈強な警備員がやってくる。店員からすでに事情を聞いていたらしく「触らないでちょうだい! お父様に訴えるわよ!」警備員は迷わずエマリーを囲んだ。丁重にエスコートする体で、その場から離れていく。店員に謝罪をしたシャルリアは、クリスフィアにそっと囁いた。
「フィア、あんなことをどこで学んだの?」
「ギルが、どうしても嫌な大人がいたらあおることにしてる、って前に言っていて。あおるってなんですか、ってお父様に訊いたら、正論をていねいに言うことだよ、っておっしゃっていたの。あの女の人、とっても失礼だったから……こわかったけれど、正しいと思ったことを言ってみたの。わたし、何かまちがえてしまったかしら」
悪い英才教育にこめかみを押さえる。
恐らくギルは、わざと相手を怒らせたいのだろう。先のエマリーのように、耐え切れずに暴力で訴えてくれば勝ちが決まったようなものだ。子供に暴力を振るっていたら、第三者からどう思われるかなどわかりきっている。
レオンヴァルトも火に油を注がないでほしい。いや、「事実無根のことを厭味ったらしく言うことさ」と教えなかったことだけは感心したほうがいいのだろうか。クリスフィアが尋ねた「煽る」の言葉をギルと同じように捉えている時点で、性質が悪いことに変わりはないが。
「間違ってはいないけれど、危ないわ。それは、周りに信用できる人がいる時だけやりなさいな」
「なら、だいじょうぶですね。だってシャルリアさんがいたんですもの。……シャルリアさんは、わたしに気を使って、あの人と優しくお話しようとしたんでしょう? だから、わたしはだいじょうぶだって言いたくて……」
あの人はお父様とシャルリアさんのことを悪く言ったからきらいです、とクリスフィアはそっぽを向いた。そのさまがあまりにいじらしくて、思わず抱きしめてしまう。
この子は馬鹿ではない。ぶつけられた言葉に込められた悪意をきちんと理解できている。そのうえで、勇気をもって戦ったのだ。
「ねえ、もうお母様と呼んではくれないの?」
「……呼んでいいの? 本当に? いやではないですか?」
「嫌なものですか。フィア、怖い思いをさせてごめんなさいね。もうこんなことがないように、わたくしがきちんと守るから。……だから、わたくしを貴方の母と認めてくれる?」
「も……もちろんですっ、お、お母様……!」
クリスフィアは上ずった声でシャルリアをそう呼んだ。達成感に満ちた笑顔を浮かべている。店に迷惑をかけてしまった詫びの意味も込めて、クリスフィアが欲しいと言ったチョコレートは全部買うことにした。




