夫婦の間における報告、連絡、相談は日常的に行うものとする。 3
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身支度のために部屋に戻っていくシャルリアを見送り、ユライは小さく伸びをした。
三人目の奥方は、ユライが当初心配していたよりもあっさりと、そして正しくランサス家になじんでいる。前の奥方達がいたころのような、いつ主人が離縁されるかやきもきしていた日は懐かしいが二度と味わいたくもない。
ユライはもともと、レオンヴァルトの学友だった。父親が事業に失敗してあわや無理心中、それか一家離散。学校も中退せざるを得なくなり、急にお先真っ暗になったところを、レオンヴァルトが使用人として雇ってくれたのだ。
多分、人の心がなさすぎて敵が多かった彼に対して何かと世話を焼いていたからだろう。友人だった名残から、今もかなり気安い仲が続いているが、身分に厳格な貴族家というわけでもないので咎められたためしはない。仕事だってきちんとしている。
没落した自分と違って今も裕福なレオンヴァルトやランサス家に対して思うところがないわけではないが、それはしょせん子供じみた八つ当たりだ。そもそも、自分や家族が今も無事でいられるのはレオンヴァルトのおかげであり、その感謝の念のほうが大きい。だから、近侍として仕えることに不満はなかった。
しかしそれはそれとして、レオンヴァルトの人となりはよく知っている。仕事人間、拝金主義の冷血漢、利益のためならいくらでも嘘をつける、金と自分以外のものは一切信じていない男。彼と十年近く友人をやっている身だからこそ言えるが、客観的に見て伴侶にしたいとは到底思えない。
一人目の奥方はレオンヴァルトとよく似ていた。その類似は、衝突という結果を招いた。
二人目の奥方は、レオンヴァルトとは悪い意味で正反対だった。その相違は、対立しか生まなかった。
それが三人目の奥方はどうだろう。利害も性質も、レオンヴァルトにぴたりと合致している。過去の二人の奥方とは比べものにもならないほど正確に。それがいいとか悪いとかではなく、あくまでも事実としてだ。
シャルリアの境遇に、自分を重ねていたことは否めない。没落した実家と、庇護と引き換えの従属。ユライは馬鹿ではなかった。レオンヴァルトに逆らえばどうなるか、なんてわかりきったことは考えるまでもない。そしてそれは、シャルリアも同じだったというわけだ。だが、一つだけ予想と違ったことがあった。
(よかったねー、レオン。彼女は馬鹿じゃなかったし、お前が持ってる金以外のこともちゃんと見えてたみたいだよ。それをお前が望んでるかはわからないけど、さ)
ヤーリッツに睨まれるのをわかっていて、口を滑らせたふりをした。余計なことを言って、取って付けたような慰めを吐いた。けれど、言ったのはすべて事実だ。レオンヴァルトが休日返上で出社した理由も、レオンヴァルトがあっさり破産を迎えるような凡人ではないことも。
「ひどい人ですね、ユライさん。僕がちゃんと確かめたのに」
一部始終を見ていたギルが、くすくすと笑っている。ユライは小さく肩をすくめた。
「何がー? 君はフィア様第一、僕はレオン様第一。重視してるものが違うんだから仕方ないでしょ。これぐらい面の皮が厚くないとレオン様の使用人はできないよ。それに奥様、かなり図太い人っぽいからこの程度は大丈夫だと思うけど。ほんと、びっくりするほどランサス家にふさわしい人だよねー。当分離縁はされなさそうで安心したよ、もう次の奥方探しなんてやってられないし」
「その使用人の態度のせいで、奥様に愛想を尽かされる可能性は考慮しないのですか? 二人とも、もっと節度を持つように」
「大目に見てよ、ヤーリッツ爺。二番目の奥方がやたらめったら使用人達を解雇しようとして荒れたことがあったじゃん。今の奥様には関係ないことだから、ってみんなあんなことなかったみたいに振る舞ってたけど、内心全員気が立ってたでしょ。今の奥様も、前の奥方達みたいに何かやらかさないかってさー。僕らの振る舞いは、ちょっとしたガス抜きみたいなものだって。そういうみんなの不安を先んじて解消してるんだよ。感謝してほしいぐらいだ」
常に穏やかな微笑を浮かべるヤーリッツだが、今ばかりは目が笑っていない。大目玉は回避したものの、屋敷中の窓拭き掃除からは逃げられなさそうだ。
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「なんて悪質な誤報なんだ!」
レオンヴァルトは手にしていた資料を叩きつけ、執務机に突っ伏した。まさかそんなはずはないと思っていたが、それでも一抹の不安はあったのだ。結局なんともないとわかった今、徒労感のほうが大きいが。
「申し訳ございません。私の失態です」
「いいんだ、ハイリウス。お前はただ、掴んだ情報を私に素早く教えただけに過ぎない。その働き自体はとても素晴らしいよ。そこから先を判断するのは私の仕事だしね」
普段は仏頂面の秘書も、今ばかりはしおらしく身体を縮こませていた。別に叱責する気はないし、この手のことで叱責した覚えもないが、それはそれとして罪悪感があるのだろう。
「早まる者が出ないように、一刻も早く連絡を。電話が繋がらない相手と、近場の相手には馬を飛ばして行員を直に行かせるんだ。一人でも死なれたらうちが損をしてしまう。電信も、関係する顧客全員に送ってくれ。ああ、もちろん、全部うち専用の通信塔を使いたまえよ。どこが信頼できるかわかったものじゃない」
問い合わせの電話が殺到してるせいで、回線はすでに破裂しそうだった。事実確認をしているからしばらく待て、とこの数時間の間中は押し通したが、気の短い者は痺れを切らしている頃かもしれない。何の問題もないときちんと説明してやらなければ。
部下に指示を出し、上得意の者にはレオンヴァルト自ら一報入れる。中にはレオンヴァルトに見当違いの苛立ちをぶつける者もいたが、ほとんどは安堵のため息をついていた。誰だって偽情報に踊らされて、別に暴落してもいない株を捨て値で売ったり資産が紙切れに変わったショックで自殺したくはないだろう。
「どうせ、どこぞの信号手が小遣い欲しさに誤報を流したんだろうな。そのせいで一体何人の投資家が首を吊ると思ってるんだ。どこの商売敵の仕業か知らないが、ずいぶんな真似をしてくれる。買収されたわけではなくて、ただの機械の読み間違いであることを祈りたいものだ。誤報を流した通信塔は一か所しかないから、その可能性も捨てきれないだろう?」
レオンヴァルトは吐き捨てる。早朝に届いた報せは、ランサス銀行が独自に保有している通信網のおかげでまったくのでたらめだということがすぐに判明した。しかし今回へまをやらかした通信塔は、王都のほとんどの金融業者や投資家が利用しているものだ。情報源を一つの通信塔に頼りきっている者はさすがにいないだろうが、そのぶん一か所でも不安を煽る情報が飛び込んでくると一気にすべての情報が疑わしくなる。少なくとも王都の金融市場は大混乱と言っていい。
原因の究明は警察に任せるとしても、関係各所への通達はランサス銀行が責任を持って行わなければいけない。
結局、取り急ぎの対応を終わらせるだけでも夕方までかかってしまった。ランサス銀行の顧客はもちろん、よその銀行やその顧客達からも問い合わせがあり、警察や外交官達の詰問にも時間を割いたせいだ。今日はこのまま行舎に泊まることになりそうだと、レオンヴァルトは重いため息をついた。今のうちに家にも連絡を入れておいたほうがいいだろう。
混乱に真っ先に対応したランサス銀行は、事態を収束させた立役者のひとつとして扱われていた。ランサス銀行以外にも、信頼できる自前の通信塔を所有している銀行はある。しかし集まった情報を選別するのは、結局のところ人間だ。今回、誤報だとなかなか気づけずに踊らされた投資家達は、本当に信用すべき銀行がどこなのかよくわかったことだろう。しばらく忙しくなりそうだ。
「事故だったことが不幸中の幸いでしたね……」
「悪意ある者の仕業でなくてよかったよ。管理体制を見直すべきだね。これを機に、我が国の通信業がもっと発展してくれるといいんだが」
この国で最も通信業に投資しているのは、ランサス家の一番の商売敵たるワイトス家だ。問題の起きた通信塔も、ワイトス家の管轄のものだった。次に当主に会うことがあれば、これをネタにして存分に嗤ってやろう。
「鉄道業の次は、そちらに手を伸ばすおつもりで?」
「いいや。鉄道が一段落したら始めるべきは観光業だと決めているんだ。通信関連は、ワイトス銀行がかなり力を入れている。今さら参入する気はないよ。向こうは向こうで、鉄道関連に手を出してこないからね。それぐらいの義理は守るさ。……ただ、今回の件で私にも少しぐらい口を挟む余地はできただろうが」
本格的に事業参入するつもりはない。自社の通信網こそ持っているが、ワイトス家ほどの下地があるわけでもないからだ。そのワイトス家に恩を売れたのは、今後大きなプラスになるに違いない。
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