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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第三条

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21/42

妻の交友関係について、夫は束縛をしてはならない。 2

* * *


 その日、出社したばかりのレオンヴァルトを襲ったのは、頭の痛くなる案件だった。


「会長、先ほどセラーデ伯爵という方から面会の約束をしたいとお電話がありました」


 淡々と告げる秘書のハイリウスに、思わずレオンヴァルトの笑みが一瞬凍る。社交辞令もわからないのか、あるいはそれだけ切羽詰まっているのか。ハイリウスは眉一つ動かさないまま、「なんでも、奥様のことでもお話があるそうですよ」と続けた。


「シャルリアの? ……仕方ないな、聞くだけ聞くとするか」


 本当なら、セラーデ伯爵に割く時間も惜しい。だが、シャルリアの名前を引き合いに出されては断りづらかった。自分の知らないところで彼女の話が独り歩きするようなことがあっては困る。


「いつごろなら予定を調整できそうだ?」

「来週の十四時から十四時半までならば。その日は十五時から行内でベンダー商会との打ち合わせがございますが、三十分もあれば十分間に合うでしょう」


 ハイリウスは手早く手帳を開く。「それで頼む」「では、そのようにお伝えしてまいります」受話器に手を伸ばしたハイリウスに、レオンヴァルトは注文を付け加えた。


「面会の日までに、セラーデ伯爵についてわかることを調べておいてくれ」

「かしこまりました」


*


「いやはや、忙しい中申し訳ない」

「セラーデ伯爵、本日はご足労いただきありがとうございます。さあ、おかけになってください」


 応接室にやってきたデイン・セラーデは、いつぞやの夜会で会った時と同じように小奇麗ではあるが古臭い格好をしていた。表面上は取り繕えているが、細部までは行き届かなかったのだろう。こびりついた泥の汚れが目立つしわのついた革靴は、とても貴族の足元とは思えなかった。


「さっそくですが、こちらがご所望の書類になります。どうぞご確認を」


 セラーデ伯爵は自信に満ちた笑みを浮かべて書類を渡した。微笑を浮かべたレオンヴァルトはそれを預かり、一応目を通す。案の定、たいして面白くもない内容だったが。

 貸出の担保として提示された財産目録は、題目こそ立派だが実際の価値はさほどでもないものばかりだ。少額の貸出ならともかく、無制限に金を貸せるわけがない。新規事業の計画も、聞こえのいい言葉が目立つが深く考えれば穴しかなかった。希望的観測だけで儲けが出るなら、国内の失業者は一人たりともいなかっただろう。


「ベグラ領の綿は、質がいいが流通が少ない! それを逆手に取り、この破格の値段で農機具を貸し出すことによって安価で綿を輸入し――農機具はガリム国産の鉄を――そして買った綿を我が領で製品として加工して――」


 頬を紅潮させたセラーデ伯爵は、唾を飛ばす勢いで熱弁をふるっている。だが、レオンヴァルトの心には一切響かなかった。


(ベグラは蝗害の多い地域だ。輸出も盛んではないし、いくら農機具を貸し出したところで安定した収穫は期待できない。この金額ならなおさら採算は取れないな。ガリムの鉄を使うのは予算を抑えたいからか? だが、あそこの鉄は粗悪品だった。機械の生産には向かないだろう。そもそも、セラーデ領に綿を取り扱うノウハウがあるなど聞いたこともない)


 書類をぱらぱらとめくる。レオンヴァルトの結論は変わらなかった。しかし、一点だけ目に留まった名前がある。

 ターチス商会。伯爵にこのずさんな儲け話を持ち込み、出資を願ったという商会の名前だ。それは、あの夜会でシャルリアに名刺を渡した人間が所属している商会だった。


「セラーデ伯爵。申し訳ございませんが、こちらの内容ですと当行ではご希望に添えかねます」

「なんだって!?」

「また、こちらのターチス商会という商会ですが……本当に信頼のおけるビジネスパートナーか、今一度ご検討なさっては? これほど大規模な事業計画、無名の商会と行うにはいささか危険が大きすぎるかと」


 あの後、名刺について少し調べたが、そんな名前の商会の存在は確認できなかった。主催でさえ把握しきれていなかったのだ。恐らく、どこかの貴族の名前を借りてもぐりこんだだけなのだろう。紹介主はセラーデ伯爵かもしれない。

 差し出口とは思いつつ、余計なトラブルに巻き込まれないよう忠告だけは添えておく。だが、結果は伯爵を怒らせただけだった。


「なんと無礼な! 君は、この私が商人風情に騙されているとでも言いたいのか!?」

「出過ぎたことでした。申し訳ございません」


 表面上は焦ったように、謝罪を素早く口にする。心など込めていないが、これでレオンヴァルトがセラーデ伯爵に忠告したという事実はできた。今後伯爵とターチス商会の間に何が起きようとも、それはレオンヴァルトのあずかり知らないことだ。


「ふん。まったく残念ですよ、ランサス氏。君は優秀で先見の明があると聞いていましたが、どうやら間違いだったようです。しょせんは君も、ワイトス氏のような頭の固い保守的な人種だったということですか」


 セラーデ伯爵は憤りをあらわにしながら書類をひったくる。自分が見込んだ事業計画を拒まれたのが、よほどお気に召さなかったらしい。


「君はもっと見る目を養ったほうがいい。そんなんだから、あのような悪妻を娶るはめになるんです」

「……なんのことでしょうか?」

「夫人は結婚した途端に金遣いが荒くなったようですね。夫の金を際限なく使って、これ見よがしに着飾って……まったく、浅ましいことこのうえない。聖シュテアーネ育ちが聞いて呆れる。君も、あまり妻をつけ上がらせないほうがいいですよ。一度自分の立場というものを、」


 レオンヴァルトの咳払いが大きく響いた。口上を遮られて呆然とする伯爵に、笑みを浮かべたままレオンヴァルトは立ちあがった。


「あまりに妻が愛しくて、どんなわがままでも聞いてあげたくなってしまって。お恥ずかしい限りです。先人(・・)からの貴重なご忠告、肝に銘じておきましょう。さあハイリウス、お客様がお帰りだ。お見送りを」

「ま、待ちなさい! まだ話は終わっていませんよ!」

「……おや。まだ何かご用件がおありでしたか。これは失礼を。ですが申し訳ございません、次の予定が迫っておりまして。できれば手短にお願いいたします」


 わざとらしく腕時計に目をやり、レオンヴァルトは渋々もう一度ソファに座った。面会の時間については、伯爵にも事前にきちんと伝えてあるというのに。さて、あと五分で彼は一体何を話してくれるというのだろう。


「愛のためにすべてを失うというのは、若者にありがちな失敗です。しかし今一度考えてみてください、君の人生を棒に振るほどの価値が本当に夫人にあるのかを」


 セラーデ伯爵は取り繕うように口ひげを撫で、いやらしい笑みを浮かべた。なんのことかわからない、とアピールするためにレオンヴァルトは眉根を寄せる。


「世の中には、もっと素晴らしい女性がいますよ。若くて美しく、家柄もしっかりしていて、なにより子供も産める健康な女性が。君はそういう令嬢を選ぶべきです。目を覚ますのは今からでも遅くありません。金遣いの荒いわがままな年増女のどこがいいのですか」

「ふむ。私が選ぶべき女性とは、興味深いことをおっしゃる。たとえば伯爵は、ご息女のような方こそ私にふさわしいとおっしゃりたいのでしょうか? 確か二番目と三番目のご息女は、婚約者を探していらっしゃるとか」


 呼び水を向けてみると、伯爵は我が意を得たりとばかりに身を乗り出した。


「その通り! 姉妹の中では三女のエマリーがもっとも聡明で心優しく、何より美しいのです。娘達はみな、どこに出しても恥ずかしくないと自負しておりますが、特にエマリーは別格ですよ」

「はは、ご冗談を。私のような離婚歴ばかりの平民、とてもご息女とは釣り合いが取れませんよ」


 目つきの悪い、無愛想な秘書はとても優秀だ。一週間の間に、きちんとレオンヴァルトが知りたいことを調べてくれた。

 セラーデ家は、確かに一昔前はなかなかの名門だった。しかし今のセラーデ家の実際の財政は、逼迫の一言に尽きる。貴族らしい・・・・・浪費の数々と、相次ぐ事業の失敗のせいだ。当主に金を稼ぐ才能がないにもかかわらず、収入に見合わない出費が続けば斜陽の影も射すに決まっていた。

 重税ののしかかるセラーデ領からも、いい噂は聞こえない。長女がそれなりに金のある貴族のもとに嫁いだことで多少の金も入ってきたらしいが、しょせんは一時的なものだ。長女の嫁ぎ先はさる辺境伯で、その領地は王都からもセラーデ領からも離れている。実家の悪評はまだ届いていないのだろう。冬が過ぎて本格的な社交シーズンが始まるか、実家から援助を打診されれば、否が応でも気づくことになるだろうが。

 やたらと金のかかる夫人と三女のせいで、借金はかさむ一方だとか。愛だか見栄だか知らないが、それを諌められない当主にも問題がある。当主夫妻が過去の栄華に縋るばかりで、財政が傾く前の暮らしを維持しようとしていては、娘がきちんと現実を把握できないのも致し方ない。

 セラーデ家の三女の名前は、エマリー・セラーデといった。聖シュテアーネ修道院に行儀見習いとして預けられていたらしい。きっと、あの夜会の日に会った少女のことだ。


(もう二度とエマリー嬢とはかかわらないよう、シャルリアに……伝えるまでもなく、かかわることはなさそうだが……念のため、セラーデ家と……そうだな、一応ターチス商会の人間に接触されることのないよう、屋敷の者達にも言い含めておくか)


 ただ伯爵が純粋にランサス銀行の顧客になりたいだけならば、わざわざそんな指示を出すこともなかった。現に、エマリーのことなどシャルリアには教えていない。だが、事情が変わった。面倒事はごめんだ。

 エマリーが望んだのか、あるいは伯爵が望んだのかは不明だが、伯爵はエマリーに金持ちの男(レオンヴァルト)をあてがいたいのだろう。貸出も希望の額は得られず、融資も叶わない。それでも娘の嫁入り先なら引き出せる金もあるだろう、と。

 それはレオンヴァルトにはなんの旨味もない、まったく馬鹿げた勘違いだ。確かにシャルリアの生家であるレティラ家へは決して少なくない額の金を融通しているし、レティラ伯爵に始めさせた(・・・・・)新規事業にはかなり力を入れている。だが、それは相手がレティラ領の領主だったからだ。今はまだ武骨な原石でも、磨けば必ず輝き出す。一方のセラーデ家には何もなかった。

 レオンヴァルトは慈善家ではない。わざわざ金を出す義理などなかった。娘の嫁ぎ先を金づるにしたいのならそれこそ愛に溺れた奇特な男を探すべきだし、間違ってもレオンヴァルトはその条件に当てはまらない。


「その程度、瑕疵にもなりますまい。エマリーは分別のある子です。君の眼鏡にも適いましょう。一度ご紹介いたしますよ。あの子に会えば、きっとランサス氏にもご理解いただけるかと。何もできない役立たずの女より、若く可愛らしい娘のほうがいいとね」


 伯爵が浮かべる下卑た笑みが、親族達や商売敵の嘲笑と重なる――――シャルリアも、これを浴びて育ったのだろう。

 男のくせに血も残せないのかと失望され、淘汰されるべきできそこないだと罵倒され。実姉や義兄に欲情していた変態だと軽蔑され、幼女を好む異常者だと忌避もされ。

 さんざんプライドを傷つけられた。信用だって失った。それでもまだ今の地位にあるのは、それだけレオンヴァルトが優秀だったからだ。

 傷ついた男としてのプライドは、商売人としての成果で埋めた。失った信用は実務の評価で取り戻した。自分を馬鹿にした者達には、債権という強固な力によって首輪をつけた。それでもまだ、過去は心にのしかかる。


「大変ありがたい申し出ですが、お断りさせていただきます。妻ほど私を理解し、私に寄り添ってくれる女性はいませんから」


 学生時代、好意を寄せた女がいた。損得勘定が上手で、賢くて弁も立つ女だ。この国の経済や未来について語り合う時間は楽しかった。今ではすっかり袂を分かったが、彼女のことは確かに愛していた。そんな彼女に、子供を望めないと知られて失望されるのが嫌だった。

 彼女に真実を伝えていたら、きっと受け入れてもらえなかっただろう。だって優秀な彼女は、自分に釣り合う優秀な種を探していたからだ。自分の子供の父親としてふさわしい遺伝子を持つ男こそ、彼女の好みの人間だった。

 彼女がレオンヴァルトを愛したのは、レオンヴァルトが金持ちで頭も見目もいい男だったから。そのことを否定する気は一切ないし、むしろその合理的で欲望に忠実なところが好きだった。けれどその理由が、最高の環境で最高の子供を産むためだったという事実を知ってから、ますます口は重くなった。

 彼女と離婚してからしばらくして、別の女と結婚した。その結婚生活はすぐに破たんした。彼女は平気で契約を反故にした。愛する人の子供を産みたいとせがみ、同じ口でクリスフィアを罵倒する彼女のことが、何一つとして理解できなかった。彼女に真実を伝えていても、結果は同じだっただろう。

 実際にエマリーに会ったのは一度だけで、言葉もろくにかわしていない。それでもわかる。間違ってもエマリーには、シャルリアと同じものは期待できない。レオンヴァルトの暴虐にも順応する従順さも、レオンヴァルトの性格の悪さにひるまず我を通す賢さも、クリスフィアを慈しむ寛容さも、己の美を理解し武器にできる尊大さも。

 エマリーのそれが悪いことだとは言わない。シャルリアが他の女と違うのは、彼女もレオンヴァルトと同じ傷を負っていたからだ。それを利用しているだけにすぎないレオンヴァルトに、よく知りもしないエマリーのことを悪しざまに言う権利はない。あるとしたら、事実と功罪に基づくことだけだ。


「セラーデ伯爵は何か誤解をなさっているようですが、私はシャルリアを女性として……人間として心から愛し、尊敬しています。彼女は私が選んだ人だ。もしも彼女に狂わされるなら本望です。シャルリアは、人生を捧げると決めた相手ですからね」

「……」

「三度も結婚しておいて何を今さらと笑われるかもしれませんが、だからこそシャルリアのことは大切にしたいんです」


 腕時計を見る。十四時三十三分。予定より三分も過ぎてしまった。これだけ付き合ってやればもう十分だろう。


「確か、エマリー嬢は妻のご友人だと伺っています。妻の名誉のため、そしてエマリー嬢のため、今日のお話は聞かなかったことにさせていただきましょう」

 

 既婚の男に、彼の妻の友人との不貞をそそのかそうとしたこと。あろうことかそれが自分の娘であること。これ以上セラーデ伯爵が愚行を重ねないよう、釘を深く刺す。態度こそ慇懃に、けれど意志の強さを見せるように。醜聞を恐れた伯爵は、頬をひくつかせてもごもごと口の中で何か答えた。


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