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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第三条

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20/42

妻の交友関係について、夫は束縛をしてはならない。 1

 華やかな赤いドレスに身を包んだその少女は、シャルリアを見て勝ち誇ったようににんまりと笑っていた。きっとそのドレスは、いつぞやシャルリアに見せびらかしていた生地で仕立てた物だろう。


「お久しぶりです、シスター・シャルリア。お元気そうで何よりですわ」

「……ええ、貴方も。ご機嫌よう、シスター・エマリー」


 年頃の娘を持つ貴族達がこぞって娘を行儀見習いに預けたがる、由緒正しい聖シュテアーネ修道院。なるほど、確かにエマリーは王都でも名高い名家の娘だと聞いている。彼女の父親が今日のパーティーに招待されていても不思議はないし、結婚相手を探すために彼女が参加している可能性もあった。社交のために、一時的に実家に帰っていたに違いない。

 彼女に会ったのはシャルリアがレオンヴァルトとの結婚のために修道院を出て以来だが、エマリーに変わった様子はなかった。相変わらずみずみずしくて、野心的な目の少女だ。若い娘特有の傲慢さで、品定めするようにシャルリアを見ている。それが無性に気に食わなくて、けれどその怒りを飲み込むようにシャルリアは泰然と微笑んだ。


「けれどシスターと呼ぶのはやめてくださる? わたくしはもう修道女ではないもの」

「呼び方なんて別になんでもいいでしょう? だっていちいち気にしていたら、貴方が修道院に戻ってきたときになんてお呼びしたらいいのかわからなくて、みんな混乱してしまいます」

「その心配は不要よ。わたくしがあの修道院に戻ることはありえないわ。だって主人はわたくしを愛しているもの。もちろんわたくしも、彼を愛しているけれど」

「貴方を? ふふっ……、あらやだ、わたくしったら。ごめんあそばせ。嫁き遅れで子供も産めない、貧しい貴方を愛してくださるなんて……旦那様はよほどの人格者なんでしょうね。わたくしもご挨拶してみたいですわ。旦那様はどちらにいらっしゃるの?」


 侮蔑の色を隠そうともせず、エマリーはいけしゃあしゃあと言ってのける。「ええ、本当に。奇跡みたいに素敵な人よ」自然と視線がレオンヴァルトがいる方角へと動いた。レオンヴァルトはふくよかな禿頭の紳士とにこやかに握手をしている。新しい商談相手か、あるいはなんらかの商談がまとまったのだろう。


「あの方が? ふふ、ふふふっ……そうなのね、あの方……」


 シャルリアが見ているものをエマリーが目で追う。すぐにレオンヴァルトに気づいたのか、エマリーは向き直った。だが、その口元には嘲笑が浮かんでいる。

 シャルリア達の視線に気づいたらしい。レオンヴァルトがシャルリアに向けて小さく手を振った。シャルリアも微笑を浮かべ、彼に見えるように会釈をする。そんなシャルリアを見て、エマリーはますます笑みを深くした。


「わたくしは貴方と違って、焦る必要もないし……なにより、お父様はわたくしの意思を尊重してくださいますの。健気でお可哀想なシスター・シャルリア。ふさわしい方を紹介してもらうことすら、貴方には許されなかったのね」


 何がおかしいのか、エマリーは肩を震わせて笑いをこらえている。さすがにむっとして言い返そうとするが、レオンヴァルトがこちらに向かってくることに気づいてひとまず口を閉ざした。小娘と言い合っているところを、彼に見られたくはない。


「すまないシャルリア、一人にしてしまって。退屈だっただろう?」

「いいえ、レオン様。お仕事のお話をしていらっしゃったんですもの。レオン様の邪魔はできませんわ」

「……え?」


 背後から誰が来たのか、エマリーは振り返って確認する。その動きが固まり、ぎこちなくレオンヴァルトを目で追うようになるまでさほど時間はかからなかった。


「優しいな。だが、せっかくのパーティーに仕事の話を持ち込んでしまったのは私の落ち度だ。この埋め合わせは必ずしよう」

「まあ。ふふ、高くつきますわよ?」


 レオンヴァルトはシャルリアの手を取ると、その甲にそっとキスを落とした。

 しかしすぐにエマリーに気づき―あるいは気づいたふりをして―、レオンヴァルトは不思議そうに首を傾げ「お友達かな?」「ええ、修道院にいたころの」「ああ、なるほど」爽やかな微笑を浮かべた。


「初めまして。シャルリアの夫の、レオンヴァルト・ランサスです。ふがいない私に代わり、妻の話し相手になってくれてありがとう」

「そんな……じゃあ、あの男は……!?」


 レオンヴァルトに見入っていたエマリーは、慌ててもう一度背後を見やる。すぐにまたレオンヴァルトに視線を戻し、何か言いたそうに口をぱくぱくと動かすが、その声は結局言葉にならなかった。


「シャルリア、このご令嬢は?」

「彼女はエマリー嬢ですわ。今日は……気分転換に参加なさったのかしら。結婚相手はお父様が探してくださっているのよね?」

「え……ええ。厳格な修道院にいると息が詰まって。たまには羽を伸ばしたくなって、お父様に連れてきていただきましたの」

「なるほど。それではいい夜を、エマリー嬢。さ、行こう、シャルリア」


 さりげなくシャルリアの腰に手を回し、レオンヴァルトはシャルリアを抱き寄せるようにしてその場を離れる。


「少し周囲に見せつけすぎではありませんこと?」

「商談にだいぶ時間を使ったからね。新妻を放置する冷酷な夫だと悪評を立てられてはたまらない」


 彼にだけ聴こえるように囁くと、レオンヴァルトは頬にキスをするついでにそう答えた。当事者のシャルリアでさえ恥ずかしくなるぐらいの熱演ぶりだ、誤解(・・)されることはないだろう。


「君は夫の仕事に理解ある優しい妻、私は君に甘えつつも仕事と家庭をなんとか両立しようとする夫。私達は互いに愛し合い、尊重し合っている。完璧だろう?」

「ええ、とても」

「こういう場でも込み入った話をするような相手との商談は済ませた。あとはせいぜい挨拶程度だろう。これからはずっと私の傍にいて欲しいんだが、構わないかな? もちろん、エマリー嬢の他にも旧交を温めたい相手がいるなら別だがね」

「あいにく、そのようなお友達はいませんもの。あの子と会ったのも偶然です。王都の生まれとは聞いていましたけれど、まさか来ていたなんて……」

「だろうね。友達と言うには距離感が冷めきっていたし、よそよそしかった。君との相性も悪そうだ。まあ、若さと家の権力を鼻にかけるような相手では無理もないか」

「察しがよくてなによりです。レオン様に来ていただいて助かりました」

 

 それからは、レオンヴァルトに商談目的で声をかけてくる客人は確かにいなかった。挨拶程度に仕事の話をされることはあるが、それだけだ。

 レオンヴァルトに紹介される形でどこぞの貴婦人達に挨拶をしたり、軽食をつまんだり、ダンスをしたり。レオンヴァルトの支援もあって、なんとか女性陣の輪に入れたようだ。服飾品の宣伝もできたし、いくつかお茶会の誘いも受けることができた。滑り出しは順調といえるだろう。

 シャルリアのことが愛しくてたまらないとアピールするレオンヴァルトに合わせ、シャルリアもレオンヴァルトの言動にいちいち照れて、控えめに彼の服の裾をつまみ、ぴたりと寄り添ってみせる。そんなシャルリア達を、周囲は微笑ましげに見ていた。この様子なら、レオンヴァルトの小児性愛疑惑もきっとすぐ払拭されるだろう。


「君は気立てがよくて猫被りがうまいから、すぐに社交界でも人気者になれるだろう。期待以上だ、安心したよ」

「お役に立てて光栄です。……そういえば、貴方がいない間にこんな名刺をいただきましたわ。一応、取っておいたのですけれど」

「ターチス商会? 知らない名前だな。このパーティーに招待されるような商会なら、すべて把握しているはずなんだが……よほど急成長した商会か、あるいは外国の商会かもしれないね」


 リーンストとかいう宝石商からもらった名刺を渡すと、レオンヴァルトは怪訝そうに受け取って名刺入れに収めた。帰宅してから詳しく調べるのだろう。捨てずに正解だった。


「失礼、ランサス氏でよろしいですかな? デイン・セラーデと申します」

「ああ、もしや貴方がセラーデ伯爵でしょうか。お噂はかねがね。お目にかかれて光栄です」


 そろそろ宴もたけなわという頃合いだろうか。一人の中年の紳士が、小奇麗に整えられた口髭を撫でながら話しかけてきた。

 レオンヴァルトをうかがうが、「このままでいい」と目で言われたのでシャルリアもその場にとどまって淑女の礼を取る。セラーデ伯爵と呼ばれた紳士は、一瞬好色な目をシャルリアに向けたもののすぐにレオンヴァルトに向き直った。


「探していたんですよ。いやぁ、会えてよかった」

「まさかお声がけいただけるとは思いませんでした。私に一体何のご用でしょう」

「実はですね、ランサス銀行に貸出を頼みたく……」

「申し訳ございませんが、本日は私用でして。伯爵は、当行のご利用は初めてでしょう? 手続きがございますから、後日銀行にお越しいただけたらと」

「はは、それもそうですね。では近日中に、改めて伺わせていただきましょう。……ですが、その前に少し確認を。ランサス銀行では、貸出額に制限はあるでしょうか?」

「いいえ。担保さえ確認できましたら、それこそ無制限でも貸し出しておりますよ。どれだけ莫大な金額だろうと、当行の金庫の中身に対する懸念は不要です」

「それは素晴らしい! で、では、ちなみに、融資の場合ですと、金額は……」

「……それは、何かの事業に対する融資ということでしょうか? 少々込み入った説明が必要となりますので、この場ではお答えできかねますね。ご用命の際は、運用目的と事業計画をまとめた書類をお持ちになってください。その際に、より具体的なお話をいたします。では、私達はこれで」


 レオンヴァルトは冷めた目を伯爵に向ける。早口で会話を切り上げ、「帰ろう、シャルリア」シャルリアの手を引き、レオンヴァルトはまっすぐに停車場に向かった。


「よろしいのですか?」

「ああ。セラーデ伯爵は、私の同業者達の間でもあまり評判がよくなくてね。実際に会ったのは今日が初めてだが、噂通りだったと確信したよ。あの男はうちの客にはならない。前の彼の取引先は、うちの一番の商売敵だったはずだが……大方、契約を切られたんだろう。たとえ鞍替えされたところで、うちも金は貸さないが」

「商売敵の銀行家が見放すほどの財政難なら、貴方にもたやすく見抜けるということかしら?」

「当然さ。ワイトス銀行が本気で手を引くような案件に、ランサス銀行が食いつくわけがない。……あの男がワイトス家を破滅に追い込んでくれていたら、さぞ見ものだっただろうがね。まあ、それを許す馬鹿がワイトス家にいるはずないか。それとも、私への対抗心を利用して焚きつければ、あるいは……いや、やめておこう」


 どうせ破滅に巻き込むのなら他の間抜けな銀行家にしてほしいものだ、とレオンヴァルトはため息をつきながらランサス家の馬車に乗る。御者のペルゲンに会釈をし、シャルリアもその後に続いた。


「大貴族というのは、日ごろ現金を持ち歩かないわりに日常的に大きな買い物をしたがる習性があってね。そのたびに私のような銀行家に支払わせては、まとめて返してくれるんだが……建て替えた金を返してもらえなければ、銀行家のほうが破産してしまうよ。あの男はそういう手合いだ。これまではなんとかなっていたかもしれないが、すぐに首が回らなくなる。貸し出しを引き受けるだけ時間の無駄だ。そのざまで融資が必要なほどの事業を始めたいだなんて言いだすなら、なおさら馬鹿げているよ」


 レオンヴァルトは他人事のように―実際彼にとっては他人事だ―「娘が二、三人いると聞いたが、あれじゃあ将来は暗いだろうな。まったく、貴族らしい生活を維持するのも大変だ」と呟く。シャルリアも深く頷いた。


「爵位は時に、大きな枷になりますもの。あの方、羽振りがよさそうに見えましたけれど……形だけでしたのね」

「巧妙にごまかしてはいたが、服の生地が少し古くて傷んでいた。慌てて昔の服を引っ張り出して直したんだろう。靴も汚れて、すり減っていたしね。……今後君にどういう友達ができようとも構わないが、ああいう輩と懇意にするのはおすすめしないよ。どれだけほだされようと、一切の利益も見込めない。よほど優位に立ちたい相手なら別だが……その場合は、金をやるぐらいの気持ちでいるべきだ。間違っても貸したつもりでいてはいけない」

「……あら。それなら何故、貴方はレティラ家の支援をしてくださったのです?」


 話を聞く限り、シャルリアの父フェルストも似たり寄ったりの人種のようだが。いや、セラーデ伯爵のように自力では取り繕えない分、もはや彼より手遅れと言っても過言ではないだろう。


「支援なんてしていないさ。私は君に投資し、レティラ家に融資をしただけだ。前にも言わなかったかな? 君の家は、間違いなく金になる。あの見栄っ張りの伯爵家とは違ってね」


 レオンヴァルトは茶目っ気たっぷりに笑う。その真意は、シャルリアにはわからなかった。

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