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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第三条

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19/42

夫の仕事について、妻は口を出してはならない。 2

 レオンヴァルトが招待された夜会は、ロップノス伯爵という老爺が主催するものらしい。ランサス銀行の得意先で、だいぶ懇意にしているようだ。招待客も相応の資産家ばかりのようで、パトロン目当ての事業家や結婚相手を探す令嬢もよく参加しているという。

 社交シーズンやら夜会やら、そんなものはシャルリアとは別の世界にある言葉だった。しかしそんなきらびやかな世界に通じる切符がこの手にある。興奮を抑えきれず、部屋を出てからもシャルリアは招待状を強く握りしめていた。

 夜会は四日後だった。あまりに待ち遠しくて、平静を装いつつも何も手につかない。シャルリアの浮かれた様子に気づいたレオンヴァルトを含めてもごくわずかな者は、幸い特に何も言わないでいてくれた。

 そして待ちに待った夜会の日、出発時刻の十七時と同時にシャルリアはエントランスに向かった。メイドのメルツィスカに磨き上げられ、最高級のドレスとアクセサリーに身を包んだシャルリアには一分の隙もない。未婚の少女達ほど目立ちすぎず、かといって地味すぎても暗すぎてもいない、品のあるいでたちはきっとレオンヴァルトも満足するはずだ。

 すでにエントランスでは正装に身を包んだレオンヴァルトが待っていた。彼が身につけているカフリンクスは、シャルリアが胸元につけたオニキスのブローチと揃えて買った物だ。そういった細かなところにこだわることで、シャルリアとの仲の良さを周囲にアピールしたいのだろう。


「お待たせいたしました、レオン様」

「問題ないよ、ちょうど私も先ほど支度を終えたところだ。……うん、よく似合ってる。そのドレスをあつらえさせたのは成功だったな」


 シャルリアの頭からつま先までしげしげと眺め、レオンヴァルトは小さく頷いた。シャルリアは勝利の微笑を浮かべながら無言で淑女の礼を取る。ちょうどそのとき、二階からクリスフィアがぱたぱたと駆け下りてきた。その後ろにはギルも控えている。


「お父様、シャルリアさん、今日の夜はお出かけをなさるのですよね?」

「ああ。帰りは遅くなるから、先に眠っていなさい」 


 執事のヤーリッツからステッキを受け取り、レオンヴァルトは柔らかく微笑む。


「かしこまりました、お父様。……お父様もシャルリアさんも、絶対絶対、帰ってきてくださいましね」


 抱いていたくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、クリスフィアは縋るような声音で告げる。その顔はあまりにも真剣で。彼女の背後にいるギルも、痛ましげな目を向けていた。


「フィア? ええ、もちろん帰ってきますよ」

「当然さ。心配しなくても大丈夫だよ、フィア」


 レオンヴァルトはしゃがんでクリスフィアに目線を合わせ、彼女の頭を優しく撫でた。「行こうか」踵を返すレオンヴァルトの声に従い、シャルリアも屋敷の外に出た。


「姉さんと義兄(にい)さんは、ある夜会に出席したせいで亡くなったんだ。当時のあの子もまだ幼かったが……“夜に出かけた両親がいつまでも帰ってこなかった”ということだけは、心に刻まれているんだろう。だから私が夜に出かけようとすると、ああして不安そうな顔をするんだ」


 シャルリア達を乗せた馬車がゆっくりと動き出す。窓の外を眺めながら、レオンヴァルトはぽつりとそう言った。


「その夜会の主催は、芸術好きのとある貴族でね。自分が催したコンクールで賞を取った芸術家達を集めてパーティーを開いたんだ」

「お義兄様も招待客の一人だったのですか?」

「ああ。最優秀賞を取った義兄さんは、姉さんを連れてパーティーに参加した。……だが、コンクールに落選したある男が、自尊心と嫉妬心から凶行に走ったんだ。その男は、自分を認めない者も、自分より劣るはずなのに栄華を手にした者も気に食わない、全部なくなってしまえばいいと、会場に火を放ったのさ」

「なんてこと……」

「その愚かさのせいで多くが喪われたよ。巨万の富に変わる芸術作品も、それを生み出すはずだった作り手達も、それに価値を与える審美眼の持ち主も……誰かが手にするはずだった、優しい幸せと明るい未来も」


 これだから損得の天秤が理解できない暗愚は嫌いなんだ――――そう呟くレオンヴァルトの紫の目は今、何を映しているのだろう。それを知りたくてレオンヴァルトを見つめていると、彼ははっとしてばつが悪そうに苦笑した。


「すまない、今するような話ではなかったね」

「……いいえ。大丈夫です、レオン様」

「あの事件は、私にとっても終わったことだ。君もどうか気にせず楽しんでくれたまえ、初めての夜会なんだろう?」

「ええ。……これからも連れていってくださるのでしょう?」

「もちろん。君が行きたいときに、参加したい催しへと連れていこうじゃないか。君のような素晴らしい広告塔、社交場に連れていかなければ大損だ」


 微笑を交わす二人を乗せて、馬車はまっすぐに目的地へと向かっていった。

 今日の夜会の会場となるロップノス伯爵所有のダンスホールは、すでに賑わいを見せていた。馬車から降りた招待客達が吸い込まれるようにホールへと入っていく。シャルリアもレオンヴァルトにエスコートされながら会場へと足を踏み入れた。


「お元気そうで何よりです、ランサス氏。おや、そちらが……?」

「はい。妻のシャルリアです」


 主催の伯爵に挨拶をして以来、レオンヴァルトの顧客だという紳士達が入れ代わり立ち代わりやってくる。レオンヴァルトが彼らにシャルリアを紹介するので、シャルリアは教えられたマナー通りに彼らに挨拶をしていた。好奇、好色、憐憫、そして感嘆。紳士達は様々な眼差しをシャルリアに向けてくるが、レオンヴァルトの手前かさほど立ち入った話はされず挨拶だけで満足する者がほとんどだった。

 だが、中にはシャルリアへの興味はほとんど示さず、レオンヴァルトを捕まえたついでにとそのまま商談を始めようとする者もいるらしい。ちょうど今シャルリア達の前にいる中年男性はその手合いのようだった。「申し訳ございませんが、今は……」レオンヴァルトの目配せを受け、「わたくしのことはお気になさらないでくださいな」頷いたシャルリアは男性に断りを入れてその場を去る。レオンヴァルトの仕事の場に、自分の存在は必要ない。案の定レオンヴァルトの困った様子はポーズのようで、すぐに彼は雰囲気を切り替えて商談に応じていた。


(さて、どこで何をしていましょうか) 


 給仕が配っていたワインを受け取り、シャルリアは周囲を見渡した。パーティーは立食式で、あちこちにおいしそうな軽食が用意されたテーブルがある。招待客達はあちこちで歓談していた。ダンスの時間になればレオンヴァルトも解放されてシャルリアを迎えに来てくれるだろうが、周囲の様子からしてそれはまだ先のようだ。

 十四、五歳ぐらいの少女達が身なりのいい若者を囲んでいたり、反対に少女を囲む若者達がいたり。少女達はきっと、招待された資産家や貴族の娘なのだろう。年齢からして、自分の事業絡みのコネを求めているというより適齢期の少女が結婚相手を探していると思ったほうがしっくりきた。忙しそうな彼女達に自分から声をかけるのは気が引ける。かといって、招待客のパートナーらしい婦人達と花を咲かせられるような話題があるわけでもない。広告塔になるからには交友関係を広げたほうがいいのだろうが、何をきっかけに彼女達の輪に入っていこうか。

 ふと視線を感じる。何人かの若者がシャルリアを見ていたのだ。彼らに向けて微笑みかけると、顔を赤らめて目をそらす。悪い気はしなかった。


「少々よろしいでしょうか、ランサス夫人」

「どなたかしら?」


 声をかけてきたのは、三十手前ぐらいの見慣れない男性だった。佇まいはスマートで、爽やかな印象を受ける。しかしレオンヴァルトと共に挨拶はしていないはずだ。怪訝な顔のシャルリアに気づき、男性は頬を掻いて苦笑を浮かべた。


「失礼。宝石商をしております、リーンスト・リゲロと申します。先ほど夫人をお見かけした際にあまりに見事なブローチに目が留まったもので、思わず声をかけてしまいました」

 

 そう言ってリーンストは名刺を差し出す。受け取ろうとした手を取られて口づけされそうになったが、自然に彼の手から逃げることができた。

 初対面にもかかわらず、ずいぶんと馴れ馴れしい男だ。鳥肌をこらえて名刺に目を落とす。ターチス商会。聞いたことのない商会だった。彼に名乗った覚えはない。覚えはないが、大方顧客某に行った紹介を傍で聞いていたのだろう。ということは彼はレオンヴァルトの顧客ではなく、また彼が懇意にしている商人でもないはずだ。


「夫人の美しさを引き立てている逸品ですね。その高貴な色合い、さぞ質のいい物なのだとお見受けいたしますが……どうでしょう夫人、私ならばよりよいものをご紹介できますよ。たとえばこのネクタイピンですが、このダイヤモンドは私が扱っている、」

「申し訳ございません。そういったお話は、主人としていただきたく存じます。それにわたくしは、主人と揃いのデザインのこのブローチが気に入っておりますので」


 にこやかに笑うリーンストの言葉を遮って、シャルリアは冷笑を浮かべた。確かにリーンストが見せようとしたダイヤモンドは小粒ながらも美しかった。恐らく黙って話を聞いていれば、偶然(・・)彼が身に着けていたそれを呼び水として女性物の商品説明が始まるのだろう。だが、迂闊に飛びついて、うっかりレオンヴァルトの商売敵が利益を上げるようなことがあってはならないし、そもそも今日は夜会を楽しみに来たのであって買い物をするつもりはないのだ。

 レオンヴァルトの金か、あるいはシャルリアそのものか。この男がどちらを目当てにシャルリアに近づいたのかは定かではないが、少しでも油断した素振りを見せて付け込まれたら困る。やんわりと、しかし明確にどちらの意味でも拒絶を示すシャルリアに、リーンストの浮かべた笑みがわずかにひきつった。


「これはこれは。たいそう仲睦まじいご様子でいらっしゃる。でしたらなおのこと、ご主人は夫人の意志を尊重してくださるのでは? それに私がご紹介できる品には、ご夫婦で身に着けられる物も多く取り揃えておりますよ」

「ええ、なんでも買ってくださいますわ。だからこそ、主人と一緒がいいのです。選ぶ時間も楽しみたいですもの。ですので今日はお引き取りをお願いいたします」


 シャルリア一人が相手ならどんな高値の契約でも吹っ掛けられるとか、たやすく火遊びの相手にできるとか。そんな風に軽く見られてはたまらない。そんな勘違いをされるくらいなら、惚気話に事欠かない新妻を演じたほうがましだった。

 だってシャルリアはレオンヴァルトのためのお人形なのだ。美しく着飾ったままガラスのケースにしまわれて、人前に披露されることが仕事のトルソー。それこそがシャルリアだ。

 レオンヴァルト以外の男が馴れ馴れしくケースに手をかけて、そこから自分を持ち出そうとするなど想像しただけでもぞっとする。美しい自分を羨望の眼差しで眺めるのは構わないが、この肌に触れていいのは自分が認めた男だけなのだ。

 どうあってもシャルリアは応じないと判断したのか、リーンストは肩を落として去っていく。ワインを呷りつつ、シャルリアは残された名刺を見やった。


(この名刺、どうしたらいいかしら)


 邪魔なので捨ててしまいところだが、もしあの男がまっとうな商人だったり、レオンヴァルト側からも繋がりたいような相手だったりしたら大変だ。捨てるのは、レオンヴァルトに見せて彼の判断を仰いでからにしたほうがいいだろう。

 レオンヴァルトの商談は終わっただろうか、と視線を彼のほうに戻す。生憎、まだもう少し続きそうだ。このまま食事をしているだけでも悪くはないが、そろそろ社交のために動いたほうがいいだろう。ちょうど少し離れたところに既婚者らしい婦人の一団がいる。彼女達もシャルリアと同じく夫が仕事の話をして放置されているか、あるいは自分から夫の傍を離れているのだろう。あのグループに接触してみようか。


(“主人が仕事の話ばかりしていてつまらない”……この言い方だと不仲を感じさせてしまうかしら。“社交界には不慣れだから色々と教えてほしい”……侮られないか心配ね)


 どこで足を掬われるかわからない。言葉選びは慎重にしなければ。話題の振り方を吟味しつつ、心の中で声を――――


「まあ! シスター・シャルリアではありませんか!」


 響き渡る少女の声が、鮮烈に届いた。

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