親子仲および夫婦仲は円満であることが望ましい。 3
「貴方はわたくしに、自分の子供を持つことなど考えたこともないとおっしゃいましたね。……ですがそれは、齢十二にして家を継ぐ決意をした方の言葉とは思えないのです」
隣に座る男の表情は読めなかった。それでも濃い紫の瞳は、まっすぐシャルリアだけを見ている。
ランサス家は一族で広く様々な事業を経営している。貴族ほどではないとしても、中心となる本家の血を絶やすわけにはいかないだろう。自分の他に跡を継ぐ意思のある本家の人間がいないのだから、なおさら少年時代のレオンヴァルトは血を繋ぐ責任を重く受け止めるだろうし、周囲の大人も口を酸っぱくしてそれを教えていたはずだ。
一つの違和感をつつけば、どんどんと綻びが出てくる。レオンヴァルトの話は最初からおかしかったのだ。だって何もかもが、自分の子供がいれば解決することなのだから。
そもそも何故、彼は姪に多くのものを継がせたいと思ったのだろう。深層心理ではどうであれ、彼と姉の仲は良好なわけではなかった。ランサス家を嫌っていた姉の子を、ランサス家なしでは生きられない体にするという姉に対する高度な嫌がらせだろうか。しかしそんな理由で、嫌いな女の子供の将来を約束するとは思えない。純粋な子供好きには見えない男なのだからなおさらだろう。
それに、家を継いだのは彼の姉ではなく彼自身だ。彼の次に家を継ぐというなら養子の姪より彼の実子のほうがふさわしい。孤児になった姪を独身時代に養女にしていたとしても、だからといってクリスフィアを無理に後継者に据える必要はなかった。レオンヴァルトが実子を望まない理由は、結局のところ一つとしてないのだ。
「貴方は本当は、子供を持つことを考えたことがなかったのではなく、考えることを諦めていたのではありませんか? 考えても意味がないと、知っていたから」
レオンヴァルトは無言のままハーブティーを飲み干した。しばしの沈黙が降りる。
もしもレオンヴァルトに、養子を取るという選択肢しかなかったのなら。もしもレオンヴァルトが、実子をもうけないのではなくもうけられないのであったなら。
それなら確かに、実子という存在を将来の計算に入れられない。考えない。そうだとしたら、どうして彼は。
「ですから考えてみました。何故わたくしが、貴方の妻に選ばれたのか。わたくしを妻に選んだ、最大の基準がなんだったのか。貴方はフィアだけを後継者に据えたかったから、子供を産めない女を求めていた……つまり貴方は、血を繋げる役目をあの子に託したのです。ですが何故、フィアにそこまでこだわるのですか?」
クリスフィアは、レオンヴァルトの欲望の対象ではない。この養父と養女の間に、そんな空気は一切なかった。
クリスフィアは、レオンヴァルトの姉との間にできた子でもない。実の父親が彼だったなら、これまでの話がすべて嘘になる。
クリスフィアという少女は、他の子供達と何が違うのだろう。レオンヴァルトが彼女を選んだ決定打はどこにある。
今は亡き義姉夫婦の子。レオンヴァルトと最も近い血筋を持つ幼い娘――――やはりクリスフィアの持つ特徴であてはまりそうなものは、それしか思いつかなかった。
「フィアでなければいけない、理由があったのでしょう? 孤児でもなく、他の分家の子供でもなく、フィアだけは……貴方がひそかに定めた、後継者の基準に合致していた。貴方と一番、血が近いから」
ランサス家は一族経営だ。本家の跡を継ぐ者は、きっとランサス家の血が流れる者こそ好まれる。
レオンヴァルトは言っていた。クリスフィアはランサス家に新しい風をもたらすと。古い考えに囚われない彼女なら、新しい世代の者らしいやり方でランサス家を発展させていけると。
しかし当のレオンヴァルトは、一族の慣習に逆らって貴族の娘を娶っている。三番目の妻、再婚とはいえ結果は変わらない。レオンヴァルト自身は、ランサス家のやり方に重きを置いていないのだろう。最大限の利益のためであれば、家の伝統など軽く無視できる。それでも彼は、こと今回だけ世襲にこだわった。つまり――――それこそ、彼がもっとも利益を得られる方法だったから。
「そうだ。ふさわしいのはフィアだけだった。私の子ではなくても、私と最も近い血を持つ健康な子供。そして、親に何かを吹き込まれていない子供。それがフィアだったからね」
空になったティーカップに、彼は自らお茶を注ぐ。シャルリアのティーカップにもお茶をつぎ足し、レオンヴァルトは視線を虚空にさまよわせた。
「今でこそ、誰も私がランサス家の当主であることに異を唱えられないよう結果ですべてをねじ伏せたが……かつて、一族内における私の立場はひどく不安定だった。分家の間では、私の廃嫡を求める声も大きかったくらいさ。奴らは父に取り入って、自分の子を本家の養子にする機を逃すまいと目をぎらつかせていた」
だから叔父達や従兄弟達のことは今でも嫌いだ。レオンヴァルトはぽつりとそう呟いた。
自分が彼らの会社における最大の出資者となった今、誰もが自分に媚びへつらうようになった。それでもいつか出し抜かれるかもしれない。あんな屈辱は、二度と味わうわけにはいかない。だから決して気を許さないし、いつでも彼らの頭を抑えつけられるようにしておく必要がある。そうでなければ、ランサス銀行は我欲を満たすことしか考えていない無能どもの手に渡って瓦解する――――そう語るレオンヴァルトの深い紫の瞳は感情的なようでもあり、理性的なようでもあった。
「フィアを引き取ったからこそ、私はやっと当主として認められたんだ。いや、認めざるを得なくなったと言ったほうが正しいか。嫁いでいったとはいえ元は嫡流の娘の子供、ランサス家の血を次代に繋げられる養女を手に入れたんだから。……本家の長男でありながら、何故そんなありさまだったのかわかるかい?」
シャルリアは口を閉じた。レオンヴァルトの知性と才覚、そして手腕に問題はないはずだ。瑕疵があるとすれば、その心のありようか、あるいは肉体だということになる。
けれどランサス家という成り上がりの資産家一族において、レオンヴァルトのような拝金主義者が否定されるとは思えない。廃嫡などという不利益極まりないことの可能性がちらつくような問題のある素行に、彼が表立って手を染めていたというのも考えづらかった。
「レオン様……貴方も、わたくしと同じで」
嗜好か、指向か、あるいは何かしらの器官に障りがあって。可能性はいくつかあった。それでも今の彼の眼差しに、覚えがある。だからシャルリアは、数ある理由の中でたったひとつを選んだ。
「――私も、自分の子供を残すことができない身体なんだ」
シャルリアがどの答えに辿り着いたかに気づいたのだろう。レオンヴァルトは乾いた笑みを見せて、小さく頷いた。
「十二の時だ。原因不明の熱病に罹って、生死の境をさまよった。なんとか病自体は治りはしたが、後遺症が残ってね。子供は望めないと言われたよ。機能に問題はないのに、種が作れないのだと」
「貴方がそうなのかもしれない、とは思いましたが……初めて聞きましたわ。男性の側で、不妊になるだなんて」
「私もさ。自分がそうでなければ、信じなかった。いや、まずそんなことは思いもしなかっただろう。……世に石女と蔑まれる妻達の中には、原因は夫にあると知られないまま謗られていた者もいたかもしれないな。のちに妻に問題がないとわかっても、その事実は夫の名誉のために揉み消されたのだろうが」
子を残せない男なんているはずがない、すべての不妊は女の側に原因があるのだから。父親は金に物を言わせて治療法を探し、試させた。そのうちに、それらすべてが無駄に思えてきた。どんな治療でも効果は実感できず、苦痛以外の何かを感じることができなくなった。
噂はやがて親戚中に広まって、嫡男の立場すらも危ぶまれた。だからこそ、たとえ子を持てなくても当主にふさわしいと示せるだけの力が自分には必要だった――――どこか遠くを見るような顔で、レオンヴァルトは流れるようにそう呟いた。
「幸い私の身体のことは、ランサス家の恥として一族の外に漏らされはしなかった。……もっと金を積めば、また別の治療手段を知る異国の医者を呼び寄せることもできただろう。だが、私はこれ以上の治療を拒んだし、そこまですることは父も望まなかった。この恥を、遠い異国にまで知られたくなかったのさ」
「もしもお義姉様がたがご存命であっても、フィアはいずれレオン様の養女に?」
「そうだ。私はその頃、姉さんの子以外の手段で自分を認めさせようと考えていたんだが……それが姉さんとダンヴィーの結婚を承諾した時に、父が出した条件だった。フィアか、あるいはその弟妹か。私の養子となることを承諾した甥か姪が、私の養子になるのだとね。そこではじめて、父は私に次期当主の座を与える予定だった。……その養子縁組とランサス家の世代交代は、大方の予想より早く行われたが」
シャルリアがレオンヴァルトから提示された、結婚に際しての条件。二人の子供を望まないというのは、きっとシャルリアの事情を知る者に対しての弁明代わりだったのだろう。そんな条件、あってもなくてもシャルリアは自分の子供など望めないのだから。レオンヴァルトは自分の子供を欲していないから、子供の産めないシャルリアを妻にしたがっている――――養女を第一に考える奇特な男を演じることで、彼は自分の持つ本当の秘密から人々の目を逸らしたのだ。
「治療をやめたのは、最初の妻と別れた直後だったかな。これまでの妻はどちらも、意図はどうあれ単純に私との子を欲していてね。しかし私はそれに応えられなかった」
諦めずに続けていればいつかは、と。どこか期待していた部分もあったのかもしれない。レオンヴァルトはきっと、最初の妻のことを本当に愛していたのだろう。だからわざわざ無意味だとわかっている治療を続けたのだ。
「……二人目の妻とは君と同じ契約のもとで結婚したというのに、それを反故にしたのは彼女だ。結局彼女とも意見の相違から袂を分かったが、仮に対立がなくても別れを切り出すことになっていただろうね」
黙したまま苦痛に耐えた結果、クリスフィアを巡る対立からその夫婦仲は崩壊した。だからこそ、彼は治療の道を断ったのだ。
真実の理由こそ伏せたとはいえ、二番目の妻にはあらかじめ子供を諦めるよう伝えてあった。しかしそれを無視されたから、決して子供を産めないシャルリアが選ばれた。シャルリアなら、必ず契約が履行されるから。
「子を宿すために私を求める妻達も、子を作る力もないくせに時たまやってくる劣情の波も、何もかもが煩わしかったんだ。それに悩む時間こそが無駄だった。……その点、君は都合がよかった。君ならば、子供がほしいと迫ることはないだろうからね」
シャルリアは視線を手元に移した。薄く色づいた水面に、悲しい目をした女がこちらを見ていた。
「彼女達に打ち明けられなかった私にも非はあったのだろう。二人とも、私がダンヴィーを愛していたとか姉さんを異性として見ていたとかという結論を出したようでね。だからフィアを大切にしているのかと問われたよ。フィアの本当の父親はお前だろうと言われたこともある。それを否定したら、今度は小児性愛だ。最初の妻は手切れ金で満足してくれたが、納得できなかった二人目の妻がそうやって私の悪評を広めているのさ。まったく、感情で動く者は度し難い……」
「レオン様、やはり貴方は最低ですわ」
「幻滅したかい?」
顔を上げる。口元を歪めたレオンヴァルトの瞳に映る女は、どんな顔をしているのだろう。
「やはり、と申し上げましたでしょう。わたくしは最初から、レオン様のことを最低な男だと思っておりました。人を人とも思わない、金の亡者だと。それを再認識しただけですわ」
かちゃり、と。シャルリアがソーサーに置いたティーカップは耳障りな音を立てた。それに構わずシャルリアは続ける。
「わたくしの運命が変わったのも、十二歳のときでした。馬車の事故に巻き込まれて、内臓の一部に傷がついたのです。わたくしを助けるため、父は莫大な借金を背負って……もともと傾いていたレティラ家の財政は、もはや立て直せないものになりました。そしてわたくしは命と引き換えに、子を宿す力を失ったのです。母胎となるのは、どうしても難しいと」
シャルリアの腹部には、今もまだその時の傷跡が残っている。醜い傷は馬に蹴られて車輪に巻き込まれたときの痛みの証拠だ。貧しい田舎の村ではとてもできない、大掛かりな処置。名ばかりとはいえ伯爵位の家柄だったからこそ相応の名医を呼び寄せることはできたが、その代償はあまりにも大きかった。
「レオン様、貴方はわたくしの知っている誰よりもお金を持っています。……それに、わたくしの美貌を褒めそやし、わたくしに価値を見出したのも、貴方だけでした」
子供を産めない女は、たとえ貴族の娘であっても――――貴族の娘だからこそ、疎まれる。多くの心ない中傷を受けた。後ろ指を指され、憐みの眼差しを向けられた。シャルリアを嗤った少女達が、嫁ぐために修道院を去っていくのをずっと見送っていた。
シャルリアを嫁に求める男はおらず、取れる婿もいない。おまけにシャルリアのせいで、レティラ家はずっと貧しくなった。だからシャルリアの居場所は修道院にしかなかった。
そんなシャルリアを、莫大な資金で買い取った男がいた。その男は美しい人形としてのシャルリアを欲した。そしてシャルリアに、新しい居場所と意義を与えてくれた。だからシャルリアは、その男の望むままに美しく微笑んでいればいい。それだけで、望むすべてが手に入る。
「レオン様は最初から、わたくしを妻にしていればよかったのです。そうすれば無駄な時間を過ごした女性達も、彼女達の手で無為に傷つけられたフィアも――灰色の修道院で少女期を過ごした惨めな娘も、いなかったのですから」
シャルリアは腕をレオンヴァルトの首に回す。彼はそれを拒まなかった。戸惑ったような顔をしたレオンヴァルトは、けれどすぐ面白そうに目を細める。
「貴方の口から、他の女性の話など聞きたくありませんわ。今のレオン様の妻はわたくしですもの。わたくしの夫はレオン様だけでしてよ。そのわたくしの前で、何を取り繕う必要があるのです?」
「……ふ。君も、中々にひどい女だ」
「あら、お似合いではありませんこと?」
背中に温かいものが触れる。それがレオンヴァルトの手だと気づいた時にはもう抱き寄せられていた。
「レオン様はご存じなかったかもしれませんが……貴族の娘というのは我儘で、傲慢なのです」
「なるほど。ためになったよ、シャルリア。それでは私からも君に一つ教えよう。資産家の男というのは、身勝手で気まぐれなんだ」
視線が交わる。蠱惑的な青と、試すような紫が。
それ以上の言葉はいらない。二人の唇は、静かに重なった。




