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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第二条

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12/42

妻と養女の関係は、良好ないしは普通でなければならない。 3

「おかえりなさい、お父様!」

「ただいま、クリスフィア。いい子にしていたかい?」


 シャルリアはエントランスに面した二階の階段から下の様子をうかがう。十九時の十分前。それが今日のレオンヴァルトの帰宅時間だ。今日の夕食の席には彼も同席することになるだろう。

 レオンヴァルトは荷物をギルに預けてクリスフィアを抱きあげている。階段を降りてきたシャルリアに気づき、レオンヴァルトはにこりと微笑んだ。


「レオン様、あとでお話したいことがあるのですが」

「わかった。では食事の後に、書斎に来てくれ」


 挨拶を済ませてそう申し出る。レオンヴァルトは軽く応じた。この口ぶりなら、二人きりになれそうだ。

 夕食の席にはクリスフィアがいる。彼女の前で、彼女のお気に入りの使用人を非難するわけにはいかない。ギルの反応を横目でうかがうが、欠片も動じていないようだった。

 そのままレオンヴァルトはギルを伴って二階へと上がる。着替えを済ませたら食堂に来るだろう。クリスフィアが食堂に向かったのを確認して、シャルリアも彼女の後をゆっくりと追った。


*


「私からも君に話しておくことがあったから、ちょうどよかったよ」


 食事を終えて早速書斎にやってきたシャルリアを、レオンヴァルトは快く迎え入れた。


「話、ですか」

「ギルから聞いた。シャルリアが上流階級の空気になじめるか不安がっていたようだから、家庭教師をつけたほうがいい、とね。聖シュテアーネ修道院で身につけた君の立ち振る舞いに何も問題はなかったが、それで君の不安が払しょくされるなら確かに家庭教師はいたほうがいいな。話し相手がいれば、気晴らしになるだろうし」

「……え?」


 そんな話、ギルには……いいや、誰にだってしていない。疑問符を浮かべるシャルリアに気づいているのかいないのか、レオンヴァルトは続ける。


「あそこは淑女の教育機関としては一流だ。君もそれは知っているだろう? 自分ではその自覚がなかったかもしれないけど、君だって十分洗練されている」

「評判と内情は、必ずしも一致するものではないと思いますが。……立ち振る舞いが淑女にふさわしいものだったのであれば、幸いです。ですがわたくしは、ダンスなどはできませんので」

「ああ、そうか。じゃあ、それを教えられる者をつけよう。心配しなくても、一部の使用人以外には家庭教師のことを君の友人だと紹介する。他に苦手分野は? 社交界に出るにあたって、身につけておきたいものはあるかい?」

「勉学と、お茶会の作法でしょうか」


 レオンヴァルトは万年筆に手を伸ばし、そう畳みかけながら指で器用にくるりと回した。「ではそのように手配しよう」手帳に書き留める時間は短い。


「さて、私の話はこれで終わりだ。シャルリア、君の用はなんだい?」


 うながされ、シャルリアは今日の話をかいつまんで説明する。レオンヴァルトは興味深そうに聞いていた。


「このようなことを許してよいのですか?」

「そう息巻かずとも、ギルには当然相応の制裁がある。もちろん彼はそこまで見越していただろうが。許されるが、形だけのものとはいえ下される罰がある、と。それに、ギルのしたことだからな。決して君の悪いようにはならないさ」

「ですが……。レオン様、あの子は一体何なのです?」

私の(・・)後継者だよ。私が見つけて直々に育てている、私の弟子だ。いずれランサス家を背負うフィアを、あらゆる面から支えられるようにね。……私にフィア以外の養子(こども)はいないし、自分の血を引く子を持つつもりもない。だから、その代わりにギルがいるんだ。ギルは、頭がいい(・・・・)からな。その性質は、善悪の区別のない機械と同類ではあるが……だからこそフィアの傍にいさせている」

「ギルが魔人だから、ですか」

「ああ。一を聞いたら千を知るような頭脳の持ち主だよ。将来が楽しみだ」


 ふと、ギルの言葉が脳裏をよぎる。

 ――――旦那様には人を見る目も思いやりの心もありません。あるのは金を嗅ぎつける嗅覚と、利益を生み出す手腕だけ。

 あれは恐らく正しくて、そしてその言葉はギル自身にも当てはまるのだろう。つまるところレオンヴァルトもギルも、独自の方程式(かちかん)から導き出される最適解しかわからないのだ。

 彼らが掲げた答えの受け取り方で、人々は彼らの人となりを誤解する。合理主義のエゴイストは、見る人によって慈善家にも冷血漢にもなるのだろう。

 シャルリアは、レオンヴァルトには人の真価を見抜く目があると思った。しかしそうではなかった。レオンヴァルトはやはり、シャルリア自身には一切の興味がないのだ。どういう風に着飾れば広告価値(みりょく)が引き出せるか、どういう風に扱えば宣伝効果(りえき)が得られるか、最も効率のいい答えを提示しているだけで。シャルリアのことを知りたがるのも、その答えが出せる方程式を編み出すための手段なのだろう。

 

「……クリスフィアさんは、どこまでご存知なのですか」 


 養父の歪さと、お気に入りの使用人の異常さを。あるいは自分の価値観のおかしさを。レオンヴァルトは軽く首を横に振った。


「何も。フィアは姉夫婦に似て、優しすぎるからね。ランサス家の正統なる後継者でありながら、ランサス家の人間らしさが一つもない子だ。ランサス家の次期当主としての教育はもちろん施しているが、あの子はこれまでの当主達とは毛色の違う経営者になるだろう」

「レオン様は、クリスフィアさんがランサス家に新しい風をもたらすことを期待しているのですね。補佐にギルをつけることを考えていても、クリスフィアさん以外の後継者候補を必要としないのは、そういうことでしょう?」

「そうだね。ランサス家は大きくなりすぎた。この辺りで少し改革しなければ。古いやり方にこだわった挙句、時代の流れについていけないまま滅びるのはごめんだ。フィアに足りないところはギルが補う。フィアが新しい考え方でランサス家を取り仕切ってくれれば、ランサス家はさらなる発展を目指せるだろう」

 

 一族の指針に逆らうように貴族の妻(シャルリア)をめとったレオンヴァルトらしい考え方だ。レオンヴァルトの姉夫婦の子であるクリスフィアは、レオンヴァルトの養女とはいえ血統的には申し分ない。一族経営のランサス家は血筋を重んじる家柄のようだが、クリスフィアが当主となることに誰も反対できないだろう。


「おっしゃりたいことはわかりました。それでは、最後に一つだけ訊かせてください――レオン様は、ご自分の子を欲したことはないのですか?」

「……」

「もっとも、たとえそうであったとしてもわたくしではその望みを叶えられないのですが。けれどもしもクリスフィアさんを引き取ることがなかった場合、ランサス家の後継者となるのはレオン様のお子様でしょう? それに、後継者をクリスフィアさん一人に絞るのは、あまりにも……そう、効率的ではない(・・・・・・・)」 


 もしもクリスフィアに才能がなかったら。もしもクリスフィアの身に何かあったら。もしもクリスフィアがランサス家を捨てようとしたら。ランサス家の人間らしくないクリスフィアが、ランサス家になじめなかったら。その程度の計算ができないレオンヴァルトではないだろう。

 むしろ彼の価値観なら、優秀な後継者候補を得るという名目で多くの子をもうけていそうだが。妻子を道具としか見ていない振る舞いであることを置いておくとしても、だ。

 

「考えたこともなかったな。私の子はフィア一人で十分だ。子供を育てるのは大変だと、フィアで痛感したからね。ギルやレーシャもこの屋敷で育てたようなものだし」

「そうでしたか。差し出がましいことでしたね」


 レオンヴァルトは微笑んでいる。しかしその笑みから静かな圧がにじんでいることに気づき、シャルリアは頭を下げて足早に書斎を去った。


* * *


 翌朝、メイドのメルツィスカに起こされると、銀のトレイに載った封筒を渡された。差出人の名前はない。


「これは?」

「お嬢様からです。奥様に、と」

「クリスフィアさんが……?」


 おずおずと封筒を手に取る。中には押し花の栞が入っていた。白いリボンのついた金縁の厚紙の上でピンクのシクラメンを中心に、同色のゼラニウムの花びらがちりばめてある。華やかで可愛らしい栞だった。


「去年お嬢様が作ってらっしゃった物ですね。使わず大切に飾っていたみたいですけれど、奥様にもらってほしくなったのでしょうか」

「……そう。なら、お礼をしなければいけないわね。何がいいかしら。メルツィスカ、一緒に考えてくれる?」

「ッ! ええ、喜んで!」


 悪いようにはならないとは、このことだったのだろうか。どうやらギルはうまく話をつけてくれたらしい。とりあえず、クリスフィアとの仲が悪化することはなさそうだ。

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