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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第二条

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11/42

妻と養女の関係は、良好ないしは普通でなければならない。 2

 用意された席に座る。突然の同席ではあったが、シャルリアの分のデザートは問題なく用意された。その手際の良さに思わず瞠目する。もちろんありあわせのものなどではなく、クリスフィアと同じ美味しそうなカイザーシュマーレンだ。使用人でありながらも令嬢の友人を兼ねているらしいせいか、ギルの前にも同じものが並べられた。

 粉砂糖がまぶされた小片のパンケーキを、添えられたリンゴのソースに絡めて口へと運ぶ。ほのかな温かみに思わず表情が綻んだ。クリスフィアも嬉しそうに黙々と頬張っている。

 クリスフィアの横で、静かな微笑を浮かべるギルと目が合った。ギルはシアンからエメラルドグリーンに変わる瞳をそっと細めてシャルリアを見ている。


(わたくしが今日、クリスフィアさんのお勉強に同席することは、数日前から決められていたわ。おやつの時間にまで招かれたのはいきなりだったけど……用意がされていたということは、わたくしは最初からこの場に招かれることになっていた……?)


 シャルリアをクリスフィアのおやつの時間に招いたのはギルだ。大人の誰かに、誘うよう言われていたのだろうか。しかし一体、誰がそんなことを。

 主人のレオンヴァルト? いいや、彼がシャルリアとクリスフィアの仲を無理に取り持とうとするわけがない。

 執事のヤーリッツ? さて、あの老爺は直属の主人であるレオンヴァルトの意向を無視してまで手を回すだろうか。

 料理長のカーメン? そんなことをして、彼に一体何の意味がある。

 家庭教師のルネーヒェン? あのおとなしそうな女性が、そんな賭けに出るようにはとても見えない。

 女中頭のカロエッタ? この可能性は大いにある。もともとシャルリアがクリスフィアの勉強の時間を見学しようと思ったのは、カロエッタの頼みあってのものだ。それを足掛かりにしたおせっかいを焼かれていたとしても不思議ではないだろう。


(わたくしはこの屋敷の女主人で、レオン様の妻。けれどクリスフィアさんの母親だとは誰にも認められていないはず。とうのクリスフィアさんがあの調子だもの。それにレオン様の前妻達は、クリスフィアさんと折り合いが悪かった。わたくしも彼女達と同じじゃないかって、屋敷の人々は多少なりとも警戒しているでしょう)


 そう。屋敷の人々にとって、後妻(シャルリア)主人の養女(クリスフィア)をおびやかしかねない存在だ。それなのに今、他に食堂にいるのは小姓(ギル)と壁際に控えた給仕のメイド。抑止力になれる者はいない。

 結局カロエッタの「クリスフィアに貴族社会のマナーを教えてほしい」という頼みだって、シャルリアを試しているだけなのかもしれない。ならばこの席も、ただおやつを食べるだけの空間だと思ってしまっていいのだろうか。


「奥様、難しいお顔をなさらないでください。せっかくのパンケーキの風味が台無しですよ。それとも、お口に合いませんでしたか?」

「え……ああ……そんなことはないわよ。とても美味しいわ」

「それはよかったです。カーメンさんに伝えておきますね。きっと喜びます」 


 そう言って、ギルは苦いままのコーヒーを口に運ぶ。

 年齢も容姿もまったく違う。けれど何故か一瞬だけ、そんなギルにレオンヴァルトの姿が重なって見えた。


*


 夕食の時間を控え、今日の講義は完全に終了したらしい。実際に授業を受けていたクリスフィアよりも、はたで聞いていただけのシャルリアのほうが疲れた気がする。


「いかがでしたか、奥様」


 シャルリアを部屋まで送る、そう言って廊下をついてきたギルがシャルリアに声をかけてきたのは、シャルリアの私室のドアを開けた時だった。

 わざわざ令嬢をなだめてまでシャルリアについてきたその小さな使用人は、ドアノブに手をかけたまま微笑を浮かべている。感想を問われるのは予想していたことだったので、シャルリアはよどみなく答えた。


「わたくしも勉強になったわ。クリスフィアさんはとても優秀だし、ルネーヒェン先生の教え方も上手で、」

「違いますよ。僕が訊きたいのは、自分が試されていると知ってどう思ったか、です。途中から、気づいていらっしゃったでしょう」

「え?」

「今日一日、奥様のお時間をいただいたのは僕です。キュラス夫人にもカーメンさんにも、それから他の使用人達にも根回しをしました。本日奥様に予定がないのはあらかじめ確認済みでしたし、日中であれば旦那様もいらっしゃいませんから」

「わたくしを試していたのは、貴方だったのね。……試験官(あなた)が傍にいたから、わたくしとクリスフィアさんは半日近く時間を共有させられた」


 ただの使用人風情が、屋敷の女主人を。そんな威圧を伝えるように、す、と表情を消す。

 十歳かそこらの子供相手に大人げないとは思ったが、立場は立場だ。シャルリアがランサス家の女主人でいるためには、守らなければならないものがある。だが、ギルは動じなかった。


「はい。もっとも、すべて僕の独断です。何も知らないフィアは、ずっと貴方と過ごすことになってたいそう緊張していたようでしたが」

「そのような勝手な振る舞いが、許されると思って?」

「許されると思っているからこそ行いました。もちろん奥様にフィアの勉強を見てほしいという話も、旦那様は知ら……いえ、知っていて無視していそうですね。嫌なら断るだろうとしか思っていないでしょうし、僕やルネーヒェン先生の前でフィアに何かするほど、奥様は愚かではないと考えているでしょうから」

「……」

「使用人の分際で奥様を試すようなことをした非礼は詫びましょう。しかしそれほど僕は焦っていたのです。協力してくれた方々も、同じ気持ちだったのではないでしょうか」


 そんな台詞とは裏腹に、少年は涼やかな笑みを浮かべている。年齢を忘れさせる不気味さを醸し出す小姓を前に、シャルリアは小さく眉をひそめた。


「旦那様には人を見る目も思いやりの心もありません。あるのは金を嗅ぎつける嗅覚と、利益を生み出す手腕だけ。嗅覚と手腕のおかげで、その最大の欠陥は覆い隠せていますが、やはり擬態ではごまかせないものもあるのです。……無垢で無知なフィアがその犠牲になるのは、可哀想でしょう?」


 ギルは嗤う。あの女の子は、旦那様の養女(むすめ)になるべきではなかったと。

 ギルは謳う。あの女の子は、旦那様のようにはなれないしならなくてもいいと。

 その姿はやはり子供のものには見えなくて。しかし魔人という存在が、生死や時を超越できるなど聞いたことはない。彼が十歳程度の、子供であることに間違いはないのだ。

 けれど青から緑のグラデーションに染まった彼の瞳は、美しいが底の知れない海のようで。そんな目をした少年は、何か得体の知れない化け物に見えた。


僕はそのためにいます(・・・・・・・・・・)。僕はすでに二度失敗し、そのたびに学習しました。……同じ過ちは、三度も犯さない。これ以上は、僕の存在意義にかかわりますので」

「立派な決意ね。さしずめ貴方はクリスフィアさんの騎士というところかしら。あらぬ疑いをかけられて、わたくしとしては迷惑しているけれど」

「実を言いますと、これまでの奥方はどちらも最初は猫なで声でフィアに近づいていましたので。奥様のように一定の距離を保って堅く接する方は初めてだったんですよ。それで、僕としても困ってしまって。奥様が敵か味方か中立者か、その判断の決め手になるデータが欲しいあまりに、奥様には多少無礼を働いてしまいました」

「多少、ねぇ……」

「ですがおかげで、いいデータが取れましたよ。奥様は、旦那様が選んだ(・・・)のも納得のお方です。ようやく最悪にして最良の噛み合い方をするお方に来ていただけました。というわけで、僕はもう奥様を疑ってなどはいません。他の心配性の方々には、僕からしっかり伝えておきますので、どうかお心安らかにお過ごしください。では、僕はこれで」

「ちょっと!」


 話はまだ終わっていないわよ、と続けようとした声は、恭しく一礼した少年が閉めるドアの前に飲み込まれてしまった。

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