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やっぱりこいつは、こういう奴だった。

「智哉君。最近、何か変わったことはなかった?」

 紙コップの温かいコーヒーを買ってくれた彼は、そう訊ねてきた。


 変わったこと?


 いろいろあり過ぎる気がする。

 ここ何週間かにあったことを、いろいろと思い出してみる。


 その中で一番驚いたことで記憶に新しいのは……。


「父が……」

「お父さん?」

「あ、友永さんじゃないです。産みの方の……」


 父が連絡をとってきた。どこでどうやって情報を得たのかしらないが、智哉に警察官の知り合いがいること、医者である自分も狙われるかもしれないから、その人に頼んでボディーガードまがいの真似をして欲しいと言ってきたこと。


 もしかしたら父は直接、友永に連絡を取ったかもしれない。


 嫌な予感が膨らんでくる。


 本人が危惧していたとおり、狙われたのは産みの父親の方で、たまたま一緒にいた友永が巻き添えをくってあんなことになったのだとしたら……?


 智哉は思ったことをすべて口にした。


 和泉は黙って聞いていたが、最後に応えて言った。

 肩越しに少し遠くを見つめながら。


「智哉君のお父さんのせいじゃないし、仮に君の考えた通りだったとしても、友永さんは絶対にそんなことで君を責めたりしないよ……あそこにいる人とは違ってね」


 え?


 智哉が振り返ると、少し離れた場所になぜか藤江賢司が立って……正確には車椅子に座った状態でこちらを見ていた。


 しかし彼は何も言わず、向きを変えて去って行ってしまう。


「……」

「友永さんの眼が覚めたら、一番に智哉君に連絡するよ」

 和泉は立ち上がる。


「大丈夫、友永さんはきっと元気になるよ。妹さん、名前なんだっけ……?」

「絵里香です」

「絵里香ちゃんと一緒にバージンロードを歩くんだって、ずっと前から言ってたから」


 それはまた、随分と先の話だ。


 だけど嬉しかった。

 少し気持ちが軽くなった智哉は、学校に戻ることにした。


 ※※※※※※※※※


 悪いことは続くものだ。


 今朝早く、目が覚めた。

 気分転換をしようと思い、藤江賢司はベッドを降りて車椅子に乗り換えた。


 この頃はまともに歩くことも困難になってきてしまった。

 力が入らない。


 美咲に車椅子を押されるのはとにかく嫌だ。

 背中を見せたくない。

 弱っているところを見せるのはもっと嫌だ。


 だから彼女が病院にいる時は、部屋の外に出ないことにしている。


 朝の早い時間、冷え冷えとした廊下を進んでいると、救急搬送された患者がいたようだった。

 それから何気なく賢司はまわりを見回した。


 すると。

「……賢司さん?」

 後ろから女性の声がした。

 振り返ると、美咲が母と呼ぶ女性……寒河江里美だった。


「女将さん……どうしてここに?」

 いつも和服のイメージしかない彼女が洋服を着ている姿を、初めて見た。


「主人が……社長が救急搬送されて……」


 そうだろうな。そう思ったがさすがに口には出さなかった。

 あんな太鼓腹をしていれば、いずれ必ず何かしら生活習慣病を発症するだろうと前から思っていた。


「今、手術中なんです」

「そうでしたか……」

 さっさとこの場を離れよう。向きを変えようとしたその時、ふと気になった。


 一応名目上の社長が体調不良で入院したとなれば、旅館の方はどうなるのだろう?


 それでは、と去ろうとする女将を賢司は呼び止めた。


「経営の方は、どうなんですか? 優秀な会計士に見てもらったと聞きましたが」

 順調ですか? とやや皮肉をこめて訊ねてみる。


 すると、女将は途端に表情を曇らせた。

「正直言って、先が見えない状態です」


 そうだろう。具体的な数字は知らないが、横領によって空いた穴を埋めるのに、いったいどれほどの労力が必要だろう。女将は物憂げに項垂れている。


 時間だけは嫌というほどあったので、賢司はインターネットで【御柳亭】の評判を調べてみた。

 大手旅行サイトでは当たり障りのない評価だった。ライバルの白鴎館は、何かサイト管理者へ収賄でも贈ったのか、随分と好評価を得ている。


 しかし。あまり評判のよくない掲示板サイトでは『あの旅館では人が死ぬ』という書き込みがされていた。


 確かに、今までに何度もあの旅館では事件が起きた。


 それが野次馬を呼んで、一時的に大勢の客がやってきたこともある。だがそれらは一時的なものに過ぎない。


 賢司がまだ学生だった頃、藤江製薬が開発した新薬を服用した患者が、薬害によって亡くなったというニュースが流れたことがある。

 その当時、父が毎日のように苦悩していたことを記憶している。


 それでも良くも悪くも噂はいずれ下火になる。ネームバリューということもあって、その後は順調に経営も元通りに戻った。


 それに比べたら、吹けば飛ぶような小さな旅館など、一度でも悪評が立てばたちまち経営が立ち行かなくなるのは必須だろう。


 そう、あの旅館はシロアリに喰われたのだ。


「閉館する予定は?」

 賢司の問いかけに、女将ははっと顔を上げた。


「……その件については今、専務と話し合っています。まだはっきりと結論は出ていませんが」

 おそらく最終的にはそうなるだろう。


「あの、サキちゃ……美咲にはこの話……」


「……ある程度は、覚悟をさせておいた方がいいと思いますが?」


 言葉を失い、立ち尽くす女将に背を向け、賢司は車椅子の車輪を回した。

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