いったい何をやってる会社ですか?
支倉はワイシャツとスラックス姿で、事情を知らなければこの旅館の番頭だ、と言われても納得がいく。
そして彼の後ろには、一目見たなら決して忘れられないであろう、顔に大きな傷跡のある男が立っていた。
こちらは発する空気が明らかにカタギではない。おそらく支倉の舎弟だろう。
潤さん、と斉木は嬉しそうにすがりつく。
駿河が緊張に強張るのを、和泉は感じ取った。
「いえね、女将さんに会わせて欲しいとお願いしただけなんですよ」
「……なぜです?」
そう訊き返す支倉の眼には、何か邪悪な光が灯っているように感じられた。
「お訊きしたいことが何点かありましてね」
基本的にヤクザなど恐れるに足りないと考えている和泉でさえ、少なからずゾッとする眼であった。
すると彼は微笑んで答える。
「警察の方のお世話になるようなことは、何1つありませんよ?」
「本当にそうですか? なんて、こんな言い方をしたら名誉毀損だ、訴えてやる、とか言われちゃうんでしょうね。元弁護士の支倉潤さん」
言いながらも背筋に悪寒が走った。
この男は危険だ、と本能が警告ランプを照らす。
支倉は答えない。
支倉の舎弟と思しき男が半歩ほど前に出ようとして、手で静止される。
ここは一旦退却としよう。和泉は咄嗟にそう判断した。
「やめておきます。行こ、葵ちゃん」
と、踵を返す。
ふと思いついて和泉は口を開いた。
「そうだ。お持ちでしたら、名刺をいただけますか? 2人分」
この男の現在の肩書きが知りたい。
まさか名刺に【指定暴力団魚谷組】などとは書かないだろう。
軽い気持ちで、断られても無理はないと思っていたから、相手が名刺を2枚取り出し差し出して来た時には驚いた。
【有限会社リラックステラス 専務取締役 支倉潤】
和泉は一枚を駿河に渡し、一枚をカバンにしまいこんだ。
それから一旦部屋に戻り、
「食事はいらないって伝えておいたから、八塚さんのとこに行くよ」
駿河は不思議そうな様子でこちらを見てくる。
「だって、料理に何を盛られるかわからないじゃない?」
和泉は予約の電話をした際、料理は要らないと伝えておいた。それでは困る、と旅館の担当者は初め難色を示していたが、料金はそのままでいいと言うと納得してくれた。
ややあって聞こえたのは、そうですね、という同意だけだった。
※※※※※※※※※
菊之井に到着すると、
「お前ら、よう来るのぅ」と、挨拶代わりに苦笑で迎えられた。
いつもの通り『残り物しかない』という定型文に沿って、厨房に入った彼は、それでもなかなか豪華な料理を提供してくれた。
おしゃべり大好きおじさんであり、かつての先輩刑事だった八塚は、2人の向かいに腰かけて話し出した。
「斉木の家を探っとるんじゃろ。やめた方がええ」
そう言われることはわかりきっていた。
だから駿河は黙っていたのだが、
「……なぜです?」
いわゆる他所者である和泉は、当然そう訊ねる。
「この島の者、半数は斉木家の恩恵にあずかっとる。あんた、生まれてずっと市内か?」
彼は首を横に振り、
「生まれ育ちは尾道です」
知らなかった。
八塚はふーん、と相槌を打つと、
「あそこも山の方に行くと、とんでもない田舎町じゃろう。わかるな?」
実を言うと駿河は尾道へ行ったのは、一度か二度ぐらいだ。
それも学校の遠足や、課外授業などの特殊な機会だけ。
考えてみれば和泉について知っていることはとても少ない。
彼の出身地など知らなかった。
それにしても『わかるな?』とは、どういう意味だろう?
和泉は箸を止め、
「一人では何もできなくても、共犯が多ければ多いほど大胆不敵になる、そういう法則ですよね? 元刑事の仰る台詞とも思えませんがね」
八塚はタオルで顔の汗を拭い、そして続ける。
「……ワシもデカをやってた頃は、いろんな奴を追いかけた。強盗犯、窃盗犯、一時期は仲間の警官を追ったこともある。監察におったことがあるけぇな。あれはキツかったのぅ。仲間からは白い目で見られたし、ロクにしゃべれん」
その情報も初耳だった。
もしかして聞いていたかもしれないが、とにかく彼はよくしゃべるので、実は聞き流していたのかもしれない。
和泉は可笑しそうに肩を震わせる。
「それで今はもう、刑事を……警察官を辞めたから、追いかけるのはやめたと。そういうことですか?」
「……ほうじゃ」
「追いかけるのをやめた猟犬は、ただの犬です」
聞きようによっては随分と失礼な言い方だが、和泉らしいと言えばそうかもしれない。
相手もたいして気にしていないのか、あるいは他に思うところがあるのか、やや沈んだ様子で答える。
「……ワシが最後に追いかけようと考えたんは……カミさんが亡くなった時じゃ」
ああ、そうだった。
彼には何十年も連れ添った妻がいた。コンビを組んだばかりの頃、時々は自宅に招いてもらい、彼女の手料理を振る舞ってもらったことがある。
奥さんの身体に異変……大腸がんだったことが発覚してから、亡くなるまでそれほど時間を要さなかった。
「……すみません……」
和泉はそう言って、食事を再開した。




