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思い出の味は忘れられないもの

 和泉はその店の名前が【菊之井】だということを、初めて出ていた暖簾で知ることとなった。


「僕、聡さんに報告してくるから。葵ちゃんは八塚さんと積もる話でもしていなよ。いろいろ訊きたいことがあるでしょ?」


 店の外に出て聡介に電話をかける。

 呼び出し音が鳴る間、和泉は何気なくあたりを見回した。


 すると。すぐ向かいにある民家の窓の隙間からこちらを除いている視線があった。


 和泉が目を向けると、向こうも気付いたようだ。

 ぴしゃり、と窓を閉めてしまう。


『彰彦、今どこにいる?』

「宮島ですって。いろいろ調べたんですが、やっぱり何かときな臭いですよ。あのオカマ……もとい、白鴎館っていう旅館は。それで、ちょっと調べて欲しいことがあるんですが……え、戻りますよ。お昼ご飯ぐらい、食べて帰っていいですよね?」


 本部に戻れ、との命令があった。


 和泉が再度店に入ると、駿河は黙りこんでいた。

 どういう遣り取りがあったのか、想像に難くない。


「ところでさ……八塚さんから詳しいこと、聞いた?」

 帰り道フェリー乗り場に向かう途中、和泉は駿河に話しかけた。


「何の話ですか?」


「あのバァさんが突然、謝罪した理由。ま、僕が口出しすることじゃないかもしれないけど」


 あれには驚いた。


 結局のところ、あの旅館の横領犯が誰だったかと言うこと以外の情報を和泉は知らない。

 だが、それにまつわる他の色々な事情はあるだろう。


「……いいえ」

 そう、と和泉は相槌をうつ。


「真相は……詳しいことは、美咲本人の口から聞きたいと……そう言っておきました」


 そうだろうな。


 ただ、果たしてその機会はいつ訪れるのだろうか。


 そう考えたが、余計なお世話だと思って黙っていることにした。


 ※※※※※※※※※


 仕事をしていた頃は、つい家事がおざなりになりがちで、かつ周が手伝ってくれていたが、賢司が入院し、家にいる時間が増えたので、美咲はなるべく丁寧に掃除をすることにした。


 ふと、賢司の部屋の前に立った時、どうしようかと躊躇した。


 一切部屋に入るな、掃除なら自分でする、と思春期の男の子のようなことを言っていたが。


 主が不在の今、別にかまわないだろう。

 そう判断した美咲は思いきってドアを開けた。


 するっ、と足元を猫が通り過ぎる。


「待って、プリンちゃん」

 三毛猫はあたりの匂いを嗅ぎながら、あちこちを検分するかのように動き回っている。掃除の邪魔にならなければいいか、と思い、美咲は放っておくことにした。が。


 カシャン、と何かが倒れる音がした。


 やっぱりか。


 何が落ちたのかと思えば、写真立てである。


 美咲がかがみこんでそれを拾い上げると、賢司と……篠崎智哉にそっくりな青年が写っていた。


 いや、弟の友人ではない。もう少し年上だ。


 誰だろう?


 賢司はむっつりとした顔で写っていたが、青年は笑顔である。

 

 友人だろうか?

 夫にはおよそ親しい友達などいないだろうと思っていたから驚いた。


 写真がずれたので、カバーを外して入れ直すことにする。


 写真の裏に『蓮と』と、記載があった。日付は今から4年前。


 美咲は写真を元に戻して、再び掃除機をかけようとしたのだが、今度は茶トラがやってきた。


 日頃は開かずの扉が開いたせいか、やや興奮ぎみに部屋の中を駆け回っている。


 そして案の定。猫は机の上に置いてあったラックを蹴飛ばし、中身をぶちまけてしまった。


 美咲は溜め息をつきながら、床に散らばった文具を回収し、猫達を部屋から出した。


挿絵(By みてみん)


 掃除が終わった頃に周が帰宅した。


「ただいま。姉さん、賢兄のところ行こう?」


 街中でチンピラに絡まれて以来、美咲は決して一人で外に出ないようにしている。あの時助けてくれた警官の言う通りにしている。


 何ごとも用心に越したことはない、が彼女のモットーだった。

 なので、賢司の様子を見に行くために外出するのにも、必ず周が学校から帰宅するのを待つことにしている。

 それから2人で病院に向かった。


「ねぇ、今日も由子さん来てるかな?」

 周は嬉しそうだ。


 由子さんと言うのが、彼の父親の代からずっと家政婦として働いてくれていた人だと知った美咲は、兄弟揃って彼女を本当の母親のように慕っていることを知り、少なからず驚いていた。


 賢司の母親がどういう人なのかを、美咲は全く知らない。


 だが、もしかしたら実母よりも慕っているのではないだろうか。

 彼女が来ている時に何度か様子を見に行ったことがあるが、彼はとても穏やかな表情をしていた。


 ふと、思い出した事があった。


『僕を産んだあの女は、看病なんかしてくれなかった』



 病院へ到着する。

 今日も『由子さん』は来てくれていた。


 だけど彼女はいつも、美咲と周を見かけると、申し訳なさそうに帰って行ってしまう。


 一度ぐらいは家に招待して、一緒に食事でもと考えているのに。

 彼女がいる時は賢司も『また来たの?』などとは言わない。


「それじゃ、ぼっちゃま。私はこれで……」


「あ、あの」

 美咲は思い切って彼女に声をかけた。

「一度ぐらいは、家にいらっしゃいませんか? 私も、この人……賢司さんの子供の頃のお話を聞きたいです……」


 すると由子さんは微笑み、ありがとうございます、と答えた。


「俺からもお願い、由子さん! 相談に乗って欲しいことがあるんだ」

 周が彼女の袖をつかんでそう言うと、


「……由子さんの作ってくれる、アップルパイが食べたい……」

 賢司がめずらしいことを口にした。


 由子さんは少し困った顔をして、それから、

「……わかりました」と答えてくれた。

 市内に住んでいるということだから、それほど時間を気にしなくていいだろう。


 そうして病室を後にした。

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