覚えてなさいよ?!
原田節子には2人息子がいた。
彼女は地元民だそうだ。だから、近所の人は彼女のことをいろいろ知っている。
上手い投資話にのっかり、失敗して自己破産。夫とは離婚し、子供はそれぞれ別の家や施設に引き取られて行った。
彼女が息子だ、とまわりに話していた例の声優は、おそらく似た顔の他人。
彼女はそうやって息子が生きていると信じて、自分を納得させていたのだろう。
そんなある日、他にも長男だと信じる男性を見つけた。
これからは一緒に暮らすのだ、と彼女は嬉しそうにまわりに話していたらしい。
今度駅前にできる、新しいマンションを買って。
和泉の頭にはふと『強請り』の文字が浮かんだ。
仲居の給料がどれほどのものか分からない。だが、駅前と言えば一等地である。そこに新しくできるマンションが安い訳がないのだ。
「聡さん、とりあえずお昼ご飯にしましょう?」
「奢らないからな」
「……」
風呂から上がって廊下を歩いていると、向かいから見覚えのある女性がやってきた。
「……高岡さん?!」
僕もいるんだけどな。なんていう、和泉の呟きは彼女の耳にはまったく入っていないらしい。
ビアンカはこの旅館の仲居達と同じ和服を着て、手に雑巾を持っていた。
「ビアンカさん……何、してるんですか?」
「何って、お仕事よ。臨時アルバイトなの」
和泉はそのことを知っていたが、聡介は知らないようだ。
父はしばらく思案していたが、
「ああ、大学は冬休みなんですね」
しかしビアンカは複雑そうな顔をして、首を横に振った。
「大学の仕事は……辞めたんです」
「え、なぜです?」
「……いろいろ、うるさいことを言う人がいて……」
だろうな。和泉は一瞬だけ、彼女に同情した。
そのきっかけとなった事件はもう、去年の話だ。
しかし。
聡介は心から気の毒そうな顔をして、じっと彼女を見つめる。
「それは、大変でしたね……」
ああ、また始まったよ。無意識の内のフェロモン放出。
「いろいろ辛い思いをなさったことでしょう。お気持ち、お察しします」
完全にビアンカの眼は、キラキラ輝く恋する乙女モードになってしまっている。
「ううん、私は平気。だって……」
あなたみたいなステキな人に出会えたから、とでも言いだすのだろうか。
「聡さん、行きましょう。お腹が空きました」
和泉が声をかけると、聡介ははっと我に帰り、それではと会釈した。
ちらりと振り返った時、ものすごく怖い顔でビアンカがこちらを睨んでいたが、見なかったことにしておく。
「あ、ねぇ聡さん。この近くに知る人ぞ知る、美味しいお店があるって葵ちゃんから聞いたことがありますよ」
そう言って和泉が案内したのは、観光客は絶対に来ないだろう、路地裏の店であった。
暖簾が出ていない。
しかし和泉は引き戸を開けて、こんにちはーと中に入って行く。
「お、あんたは確か……浅井さんを訪ねとった……」
自分と同じぐらい、あるいは少し上だろうか。
やや眼つきの悪い白衣を着た中年男性が出迎えてくれた。
和泉の顔を見るなり、何か思い出したような様子を見せた。
「あ、覚えていてくれました?」
「そりゃあのぅ、元は同業者じゃけん。ワシらは人の顔を覚えるのが仕事じゃろうって」
同業者?
聡介は男性の顔を見た。覚えはない。
「あの婆さん、まだ生きてるんですか?」
「ははは、元気じゃって。ありゃたぶん100まで生きるのぅ」
何の話をしているのか知らないが、随分失礼なことを言う。
「何か食べさせてもらえます?」
「残りもんしかないけど、それでええかのぅ?」
他に誰も客のいない店内の隅のテーブルに腰かけると、和泉は唇を寄せて小さな声で話しかけてきた。
「元廿日市南署の刑事だそうですよ。葵ちゃんの先輩で、八塚さんです」
元刑事か。
どうりで、妙に眼つきが悪いと思った……。
「浅井さんと言うのは誰だ?」
「……この島で起きたことなら知らないことはない、なんて豪語している生きた化石ですよ。元々、学校の教師だったそうですがね。美咲さんと、美咲さんのお母さんたちの世代も知っているらしくて……それで例の旅館の横領騒ぎのことも、何か知ってるんじゃないかと思いましてね。話を訊きにいってい
ました」
そうだったのか。




