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第五話 ブサメンの流儀

 尊大で傲慢な御曹司と毒舌金髪メイドが支配する魔窟。部活が正式に設立される前に、すでに高天津たかまつ高校内では帝王学研究部に関する噂が流れていた。いくら部員の勧誘を大々的に行っていたとしても、一般の生徒が寄りつかないのは無理もないことだった。

 そのような場所においても閑崎尚人かんざきなおとの様子はいつもと変わらない。閑崎が入部して三日経つが、あれだけブツブツと文句を言っていたわりには放課後の部室に毎日顔を出していた。

 「うーっす」という気の抜けた独り言のような挨拶で入室。そして、使用の許可を求めることもなく、目に付いたロッカーに荷物を放り込み、パイプ倚子に行儀悪く座って友達から譲り受けた漫画雑誌をめくる。入部三日目にしてすでに帝王学研究部に馴染みきっていた。

 悠希は内心で彼の環境適応力に驚嘆していた。小心で繊細なくせに自己主張が激しく図々しい。悠希の周りにはいなかったタイプの人間だった。


「なあなあ、今日は来栖おっぱ――来栖先輩来ねーの?」


「黙れ俗物」


「俗物、俗物ってなあ、俺には閑崎尚人かんざきなおとってちゃんとした名前があるんだぞ」


「それでは人間だと勘違いする人がいるのではないか?」


「酷くね!? 間違いなく人名だよっ!」


 美優が深刻な表情で会話に加わる。


「真面目な話、この男に呼び名がないのは不便よね」


「それ真面目な話だった!? 話聞いてなかっただろ?」


 悠希がろくに考える様子もなく、適当な思いつきを口にする。


「閑崎尚人を略すと『閑人ひまじん』か。『ヒマジン』でいいだろう。この男の一面をよく表している。少しはまともな人間になれたら名前で呼んでやろう」


「……まあ、それでいいや。『俗物』よりはマシだしな。何だか洋楽の名曲みたいで格好いい感じもするし」


「あんた、変なところで前向きよね」 


 美優が感心したように言った。


「あーあ、のどが渇いたな。せっかく本職のメイドがいるっていうのに、ここではお茶も出ないのかよ」


「勤務時間外よ。好きなだけ水道水でも飲んでなさい」


「あっ、それじゃあ私が」


 それまでなかなか話に加われなかった栞那がいそいそと席を立つ。亜希良あきらが用意した部室の備品の中にはティーセット一式とお茶を淹れるための道具が含まれていた。電子ポットを手にした栞那が、水を入れるために部室を出て行くと、それと入れ違いにドアがノックされた。


「ここで良かったようだな」


 張りのある低音の美声。控えめに開けたドアから顔を覗かせた男子生徒が、美優の姿を確認して室内に足を踏み入れる。


「わざわざ来てもらって悪いわね、多嘉芝たかしば


「お前の知り合いか? 美優」


「ええ、中学でクラスメイトだった多嘉芝誠たかしばまこと。部に入ってくれないか頼んでみたの」


「ヒマジンが俗物代表だとすると、この男は何の代表なんだ?」


「ようし、俺が当ててやるよ。ズバリ、ブサイク代表だろ?」


 閑崎かんざきが無遠慮に答える。これで本人には全く悪意がないというのがこの男の奇特なところだった。

 閑崎の指摘どおり、多嘉芝誠たかしばまことは確かに異相と言えた。癖の強い髪の毛、狭い額、太い眉毛は繋がりそうなほど濃い。そして小さくて細い目、広がった鼻、分厚い唇。スタイルもずんぐりとしていて、現代の美醜の感覚からすると間違いなく醜い人物と言われる部類に入るだろう。

 初対面の同級生にブサイクと言い切られた本人は苦笑している。


「まあ、好きでブサイクでいるわけじゃないんだが、こればかりはな」


「本人を目の前にして、よくそのようなことが言えるな」


 閑崎は悠希を非常識な言動で呆れさせる数少ない人物のようだ。さすがの悠希も初対面の相手の身体的な特徴について無礼な発言をするようなことはない。

 無礼を受けた多嘉芝本人が悠希をなだめる。


「まあまあ、来栖。俺がブサイクだというのは事実だよ」


「俺のことを知っているのか?」


「新入生で君のことを知らない人間はいないだろう」


「そうか、俺の名がこの学校に鳴り響いているということだな」


「悪評もまた評なり、というやつね」


 美優が意地の悪い笑顔を見せた。


「とにかく俺は梅沢に誘われて話を聞きに来たんだ。入部するにも活動内容を聞いてみないと話にならないしな」


「分かった、モテない男代表だろ」


「あんた、まだやってたの?」


 一人でクイズを続けている閑崎に美優が呆れたようにつぶやいた。

 お互いの自己紹介が終わり、栞那が淹れた紅茶が各自に行き渡ったところで、一息つくことになった。不安そうな表情の栞那がティーカップに口を付ける悠希にチラチラと視線を送っていた。それに気付いた美優が悠希に水を向ける。


「悠希、紅茶はどう?」


「ん? ああ、なかなかだ。まあ、お前が淹れたものには劣るが――」


 美優は悠希が言い終わらないうちに彼の足の甲を思い切り踏みつけた。抗議の声を上げる悠希を無視して、しょんぼりとしている栞那をフォローするためにまくし立てる。


「私は慣れているし、一応プロですから。それに、来栖家ではこれより高価な茶葉を使っているから差があるのも不思議じゃないわ。この部室で淹れるお茶としては完璧ですよ、先輩」


「梅沢はやはり良い奴だな」


「いや、梅沢が良い奴と言うより、来栖がアレなだけだろ」


 多嘉芝の感想に閑崎が呆れたように応じた。


 多嘉芝への部活内容の説明は悠希が主導で行われた。興が乗ってくると悠希の話は長くなる。部活を創設するにあたっての苦労話など、時々おかしな方向に話が脱線したため、美優が軌道修正をしなくてはならなかった。

 退屈そうに話を聞いていた閑崎が美優に対して不満を口にする。


「なあ、俺の時はこんなにご丁寧な説明はなかったよな。この扱いの違いは何なんだ?」


「面倒だったのよ」


「……せめて何か言い訳を考えろよ」


 多嘉芝は口を挟むこともなく、時折頷きながら話を聞いている。


「話は分かった。俺自身は人の上に立つということにあまり興味はないが、梅沢からの頼みでもあることだし入部しても構わない。だが、ひとつ条件というか提案があるんだ」


「何だ? 言ってみろ。俺は庶民の意見を聞き入れる度量はあるつもりだぞ」


 悠希が鷹揚に意見を促す。


「俺は以前からボランティアに興味があったんだ。まあ、誰かの役に立つ活動であればどんな形でも構わないんだが、部活に参加するとなるとその機会も少なくなる。できればこの部活でそのような活動を取り入れてはもらえないか?」


「ああ、分かるぜ。そういう活動してると、評判良くなってモテそうだもんなあ」


「……あんた、分かりやすすぎる性格よね」


 全く異なる観点からその提案に共感した閑崎が深く頷き、美優は呆れるのを通り越して哀れむような目で彼を見た。


「ふむ、ボランティアか。そうだな。庶民の役に立つことで尊敬や忠誠心を得るということも、支配層として必要なことだろう。わかった、部の活動として考えておこう」


「それなら問題ない。一年四組多嘉芝誠(たかしばまこと)、帝王学研究部に入部させてもらおう」


「助かったわ、多嘉芝。まあ、あんたが頼まれたら断れない奴だから勧誘したんだけどね。こいつは――そうね、いわば人格者代表ってところね」


「人格者代表?」


 悠希と閑崎が口をそろえて復唱した。


「ねえ、多嘉芝。あんたの中学の時のエピソード、こいつらに話してもいい?」


「それは構わないが、それほど面白いものでもないと思うぞ」



 美優が語ったのは彼女と多嘉芝が同じクラスになった中学一年生のころの話だった。

 二人が入学した中学校は一般的な公立中学校であり、特別なところなどなにもなかった。そのような普通の場所だからこそ対人関係の歪みは目に付くのだろう。多嘉芝はクラスメイト達に公平とはいえない扱いをうけていた。

 一部の女子生徒達が彼の容姿に対する悪口で笑いあったり、ひどい場合には本人に聞こえるような悪態を叩いたりしていたのだ。彼が話しかけると、害虫でも見つけたかのように声を上げながら逃げまどう。彼が触れた物や場所には決して触れたがらない。そのような思いやりのない行為をまるで悪意もなく日常的に行っていた。

 そのような行為を積極的に行っていたのは一部の女子生徒だけだった。しかし、その感覚は他の女子生徒達にも伝播し、クラスのほとんどの女子生徒達がその無自覚な悪意に呑まれてしまっていた。


「ちょっと、待ってくれ。それは『いじめ』とは違う状況なのか?」


 たまらず悠希が口を挟む。彼にとっては理解に苦しむ状況だったため話が見えてこなかったのだ。


「そうね、『いじめ』と呼ぶには限定的すぎる状況だと思う。多嘉芝に酷い態度をとっていたのは女子だけで、男子は普通だったもの。好きな相手と嫌いな相手に態度が違うということは、誰にでもある傾向でしょう? それを極端にした状態なんだと思う。まあ、受け取る側がいじめだと感じたら、それはいじめになってしまうんでしょうけどね」


 美優が自分の考えを頭の中でまとめながら悠希の質問に答えた。


「俺にはよく分かるぜ。女子中学生ほど同世代の男に対して思いやりがなくて残酷な生き物って、なかなか存在しないからな」


「なんだ、ヒマジン。貴様も女子生徒に酷い扱いを受けていたのか?」


「ああ、人が夏場に背中を見つめてるだけで透けブラを見てるって騒いだりな」


「……それは、本当に見てたんじゃないの?」


 美優がげんなりとした顔で指摘した。


「それだけじゃねえよ。クリスマスに俺を嘘のデートの誘いで呼び出して、八時間も待たせやがった! しかも、その様子を動画撮影してネットに公開したんだぜ。そいつの彼氏の編集で三分間に縮めたムービーをな!」


「あんたの日頃の行いはともかく、それは酷いわね……」


「せめて無編集で公開しろってんだ。俺の八時間を何だと思ってるんだよ。最後はイルミネーションが消えて、それは悲壮な動画に仕上がってたぜ」


「……まあ、それは多嘉芝の件とは少し毛色が違うようだがな」


 悠希が閑崎の話に若干怯みながら話を軌道修正しようとした。閑崎は女子の心ない行為に対しては一家言あるようで、身振りを交えて熱弁を続ける。


「とにかく、子供ってやつは好き嫌いの選り好みが激しくて、自分が好きじゃないってだけの人間に悪気もなく残酷なことができるんだよ。多嘉芝の場合はブサイクで、容姿が生理的に受け付けないとかそんな理由だったんだろ。女子中学生はイケメンが大好きだからな」


「中学生って異性を意識し始める時期でしょう? しかも、自意識が強い。異性のことを恋愛の対象としてしか評価できない連中もいるのよ。だから、そこから外れる異性の評価が低くなる。そういうことじゃないかしら?」


 美優が閑崎の話を補足した。

 悠希は再び考え込む。二人の解釈を聞いて女子生徒達の多嘉芝への態度の理由は分かった。理由が分かっただけで感覚として理解できないのは相変わらずだが、それを差し引いてもまだよく分からない部分がある。


「多嘉芝への態度が公平でなかったというのは一部の女子生徒だけだったのだろう? それなのに他の女子生徒まで同じような態度をとるのはどういう理屈なんだ?」


「ああ、それはあんたみたいな人間には分からないわよね」


 美優がため息をつきながら説明する。


「他の人間はあんたほど自信満々で生きているわけじゃないの。大なり小なり、他人の意見や感じ方に流されて影響を受けてしまう人間がほとんどよ。特に中学生くらいだとその傾向が強いんでしょうね」


「そういうものなのか?」


「同じような感覚を求められる感じ、よく分かるわ。それに応じないとノリが悪い奴ってことで仲間内の評価が落ちるんだよ。お前もちょっとは勉強した方がいいぞ」


 美優の意見に対して閑崎が同意を示し、悠希に対して説教めいた忠告をした。


「感覚、ノリ……庶民を理解するのは思ったより難儀なことのようだ」


「まあ、私の解釈が正確かどうかはともかく、多嘉芝はクラス内で酷い扱いを受けてたってことよ」


「そうだな、俺とまともに接してくれた女子は梅沢の他は数人だった。特に梅沢は、最初から俺の容姿に関することで態度を変えたことはなかったな。ただ、その他の面では厳しかったけどな。鼻毛が伸びているのを本気で怒られたりしたな」


 美優の後を受けて、多嘉芝が苦笑混じりに補足する。本人にとっては辛い過去の話のはずだが、当時を懐かしんでいるかのような穏やかな口調だった。


「そうそう、身だしなみに気を遣うだけで随分と印象がちがってくるもの。自分で改善できる部分で損をするのはもったいないわ」


 美優の話は続く。永遠に続くかと思われた多嘉芝への無邪気で残酷な仕打ち。

 しかし、それが当然というようなクラス内の歪んだ雰囲気は徐々に薄くなり、二学期が終わる頃には完全に消滅していた。

 その頃には多嘉芝のことを毛嫌いする女子生徒はいなくなり、彼は他のクラスメイトと同じように受け入れられていた。それどころか、多嘉芝は男女問わずことあるごとに相談を受けるような、信頼されるクラスの中心人物となっていた。


「どうやってそんな状況を作ったと思う? 何もしなかったのよ」


 美優の謎かけに一同は首を傾げる。


「つまりね、彼女達と普通に接し続けていたのよ。何を言われても怒らず、避けられても諦めず、傷つけられてもくさらず、卑屈にならずに彼女達とコミュニケーションをとり続けた。これがどんなに大変なことか、分かるでしょう?」


 毎日の挨拶だけに限らず、多嘉芝は彼女達に普通に話しかけた。ただ、クラスメイトとして仲良くなりたいという一心で。心ない言葉や態度に傷つけられても、ふてくされたり彼女達を避けたりすることがなかった。

 そんな多嘉芝を見ていた女子生徒達は一人、また一人と彼への態度を改めた。彼の真摯な姿が彼女達の良心を呼び覚ましたのかもしれない。


「それだけ邪険にされてたら、そいつらのこと避けるようになるのが普通だよなあ」


「多嘉芝くん、頑張ったんですね」


 閑崎が感心したようにつぶやき、栞那は涙ぐみながら小さく手を叩いている。


「悠希、あんたなんかそんな反撃思いつきもしないでしょう?」


「当然だ。そのような下衆の所行など意に介さぬが、余りに不快なら実力を以て排除する」


「まあ、そういうところが多嘉芝を人格者代表とする根拠なわけ」


「梅沢、あまり持ち上げられても困る。俺にはそうすることしかできなかっただけだ」


 照れたように頭をかく多嘉芝の肩を叩きながら、閑崎が何度も深く頷いた。


「多嘉芝、お前も過酷な中学時代を歩んできたんだな……ブサイクなのは本人のせいじゃねーのにな。ブサイクにブサイクだからって理由で冷たくしてもブサイクって事実だけはどうしようもないのになあ」


「……同情してるのか、けなしているのか」


「お前の気持ち、よくわかるぜ。そんな状況によく耐えたなあ。お前、凄い奴だよ」


 閑崎は手放しで絶賛している。女子からの冷たい仕打ちを身を以て経験している彼だからこその共感だった。


「お前とはいい友達になれそうだよ。これから同じ部の仲間としてよろしくな!」


「ああ、こちらこそ。新しい友人ができるのは大歓迎だ」


 閑崎が差し出した手を多嘉芝が握った。俗物とブサイクの友情がここに成立したのだ。

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