13話
「お兄ちゃん、痩せたね」
朝食の席についたオレを見て、妹のヒナがそう言った。
「妹よ、わかってくれるか」
「だって、顔の丸みが取れてるよ。それにお腹とお尻も引っ込んできてるじゃん。毎日のトレーニングの成果がでてるよ」
苦節2ヶ月弱、梅雨の始まりを前にして、絶えず続けていたトレーニングで体の変化が目に見える形で出てきていた。今日も日課の早朝トレーニングを終えて、シャワーを浴びてきたところだった。
「二の腕にも筋肉ついたんじゃない? 」
「昔と比べたらまだまだだけど、大分ついてきたぞ。触って見るか? 」
脂肪でタプタプだった二の腕も、脂肪が落ちて、力こぶが浮かぶくらいには筋肉がついていたので、見せつけるように力こぶを作って見せた。
それをヒナが、どれどれと見分するように、二の腕の上に指を滑らせ、揉んで確かめる。
あっ、こら、脂肪を摘まむな。
「ふーん、まだ脂肪は残ってるけど、結構ついてるじゃん。お兄ちゃん、走り始めて、2ヶ月くらいだっけ? 食事制限してない割には、かなりいいペースで減らせてるね」
「走り込みや筋トレは、嫌いじゃないからな」
プラーナの体内循環で自然治癒力を高めて、体を虐めぬいた甲斐があって、当初想定していた日数よりもいい進捗で体重を落とせていた。退院時は、身長178センチに対し、体重が130キロを超えていたのが、今は100キロを割り、93キロになっていた。
37キロの減量で、この2ヶ月で全体についていた脂肪が筋肉に置き換わった感じだ。
わかりやすい変化としては、顔についていた脂肪が落ち、常になっていた二重顎が顎を引かないとでなくなったことと、お腹とお尻が引き締まったので、退院してから履いていたズボンがダボダボになったことだ。
同じ体積なら筋肉の方が重く、同じ重さなら脂肪の方が体積は大きくなる。
退院直後の自分の筋肉量はお世辞にも多いとは言えず、ほとんど脂身だと言っても過言でもなかったと思う。脂肪を燃やしながら、筋肉をつけたことで減った体重以上に容姿にも変化があったのだと思う。
それでも、昔履いていたズボンは到底履けないくらいなんだけど、運動できない脂肪タプタプデブから運動ができる小太りなデブくらいになっただけでも大きな進歩だった。
「お兄ちゃん、サッカーやってた時って何キロだったっけ? 」
高校入学した時って体重何キロあったっけ?
中学の後半は、成長期なのもあって、身長と一緒に体重も増えたし、オレの体感的に9年前の話だからあまり覚えてない。
「忘れた。中3で170センチ超えた時の体重が70キロくらいだった気がする」
「あれ、意外と重い」
「体脂肪率は10%くらいだったぞ」
「ゴリラじゃん。今は体脂肪率何パーセントくらいなの」
「退院時は46%だったな」
「うっわ」
ドン引きしたヒナがオレを見る目は、最早出荷直前の豚を見る目だった。(なお、豚の体脂肪率は15%くらい)
「流石に体重が落ちた今ならもっと下がってるぞ」
「まぁそうだけど……」
筋肉も前よりついたし、流石に30%前後になってると思いたい。それでも肥満なのは変わりないが。
「お兄ちゃんは、ジムとか通わないの? 」
「うーん、いまのところは、朝晩のトレーニングで効果がでてるから考えてないかな」
高校中退で、結果無職ニートしている手前、両親に対する金銭的な負い目もある。
それに、プラーナの体内循環を使ったトレーニングは、あんまり人前でできるものじゃない。
瘴気を引き寄せたりもするから、ジムなんかで使った日には周りへの影響が心配だ。
「まぁ、そんなことより、オレに合わせて着替えもせずにのんきにご飯食べてていいのか? 学校遅刻するぞ」
母さんが用意したサラダを突っつきながら、もう7時半なのに、未だにパジャマ姿でシリアルを食べているヒナを急かすが、ヒナはきょとんとした顔をした。
「? 何言ってるの、お兄ちゃん。今日は祝日だから学校休みだよ。というか、今週は今日からGWで学校は10日間休みだよ」
あっ、そうか。世間は、GWという長期休暇が始まっているのか。
9年も日本を離れていたし、こう毎日同じことを繰り返す生活をしているとカレンダーを見ることもないから、すっかり忘れていた。
「じゃあ、今日は一日家にいるのか」
だったら、自室でリーマンさんと会話する時は、音量には気をつけないとな。
「ううん、午後からモデルの撮影が入ってるから、これ食べたらその準備をしてでかけるよ」
モデル。そう言えば、雑誌のモデルをたまにしてるって言ってたな。
「この辺だと撮影はどこでやるんだ? 」
「今日は海浜公園って聞いてる。夏向けの撮影だから」
「今から夏向け取るのか」
「遅めなくらいだよ。早いところだと、冬に夏向けの衣装を取り始めたりするらしいから。夏の衣装を雑誌に載せるのは、夏が始まる前の6月号とかだから」
「あーそっか。言われてみればそうだよな。今日はどんな服を着るとかは聞いてるのか? 」
「詳しいことは聞いてない。だけど、水着とかは着ないって聞いてる」
「着替えは現場でするのか? 」
「そ。少人数だと車の中とかで着替えも化粧もすることがあるけど、今回は人数多いからテントとかを立ててその中で着替えると思う」
「人数多いのか。モデルはヒナみたいに現役の高校生とかなのか? 」
「うーん、年齢的にはみんな学生やってるくらいだと思うよ。高校、大学生向けの雑誌だし。わたしみたいな読者モデルがほとんどだろうけど、今日の規模だと専属モデルの子とかも一緒にとると思うよ」
「ふーん。そう言えば、仲いい子とかはいるのか? 」
「いるよ。何度か撮影が重なって仲良くなった子が2、3人。今日が一緒かは知らないんだけど。あと、スタッフの人で仲良くなった人もいるよ」
こうして話を聞いていると、妹は本当にモデルなんてのをやってるんだなーと思う。
中学の時のヒナと比べて、今パジャマ姿でシリアルを食べているヒナは、垢ぬけて綺麗になったと思う。パジャマもそうだけど私服のセンスもいいし、記憶のヒナよりもしっかり者になっていた。
お兄ちゃん大好きっこだったヒナが、今ではオレへの当たりが強かったりするのも、成長の一つなのだろう。(魂がない頃のオレの所業や見た目のこともあるのだろうけど)
そうしみじみとコップに注いだ牛乳で喉を潤しながら思っていると、ヒナから思いがけない言葉をかけてきた。
「興味あるならお兄ちゃんもついてくる? 」
「部外者がついてきてもいいのか? 」
「意外と家族とか兄妹が付き添いで来ている人はいるよ。お父さんも最初のうちはついてきてたし」
「いや、でもこんなデブな兄が行っても恥ずかしいだろ」
「は? 退院の時ならともかく、今のお兄ちゃんを連れて行って恥ずかしいとかないから」
「お、おう」
自虐的に言ったら、ヒナから何言ってんの? って顔で真顔で睨まれた。
「あ、だけど。その服はないから、公園行く前に服屋に寄っていこうか。どうせ、まともな服ないでしょ」
「……はい」
服代は、ニコニコの母さんがヒナに渡していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
海浜公園は、父さんがわざわざ仕事を抜け出して、車で送ってくれた。
「……ナオト、ヒナに悪い虫を近づけるなよ」
「ああ、その時はしっかり潰すさ」
降りる際にかけられた言葉に、二つ返事で頷く。
「まだ子供のヒナに手を出す野郎は、お兄ちゃん絶対許さねぇから」
オレと父さんのやり取りを妹が呆れた視線を向けてくる。
「お父さん、いっつも言ってるけど、私もうそんな子供じゃないから。お兄ちゃんもバカなこと言ってないで行くよ――言っとくけど、関係者の皆に迷惑かけたらお兄ちゃん、退場だから。こっから、一人で歩いて帰ってもらうから。そこんとこ、覚えといてね」
「あ、はい」
「あと、二度と口聞かないから」
「絶対、大人しくしとく」
やっと最近、ヒナの態度が軟化してきたのに、そんなことになったら以前に逆戻りである。それは避けたい。そう考えるオレに、一緒に車から降りてきたリーマンさんが近寄ってくる。
『あの、わたしもついてきてよかったんでしょうか』
「(大丈夫、大丈夫。一般の人には、リーマンさんは見えないし、瘴気を出してるわけじゃないから他人に迷惑がかかるわけでもないから)」
周囲に聞こえるわけでもないのに、耳元でこそっと囁いてくるリーマンさんに、オレも小声で返す。
今回の妹の撮影に際して、リーマンさんも行きたそうにしていたので、一緒に連れてきていた。
まぁ、リーマンさんは、後ろめたさでもあるのか、心なしかいつもよりも身を縮こまらせて、オレのそばに寄りながら、周囲を落ち着かない様子でキョロキョロと見回していた。
「(まぁ、映るかはわかりませんけど、万が一、リーマンさんがカメラで撮られて心霊写真だって騒ぎにならないように、あんまりオレのそばから離れないでくださいね)」
それに、リーマンさんは無言でコクコクと頷き返した。
場所はヒナしか知らないので、ヒナの後ろについて行く。
海浜公園は、東都湾の南西部にある自然公園で、防風林と砂浜があり、合わせた広さは東都ドーム30個分とそれなりに広い公園だ。緑の少ない都市の東都の数少ない自然を残した場所で、人気もあり、都庁も整備に力を入れている。防風林内は整備された遊歩道や休憩所があり、砂浜はゴミや漂流物を定期的に除去しているため、綺麗な白い砂浜だ。
だから、夏向けの撮影場所として今回選ばれたのだろう。
現場につくと、周囲には野次馬っぽい人だかりがまばらにいた。
ヒナは慣れた様子で、その合間を縫って歩き、奥へと進んでいくので、オレもそれに続く。
「はいはーい、こっから先は、関係者以外は立ち入り禁止でーす」
ヒナが赤コーンで敷かれた境界線を跨いでいくのに続こうとしたら、ぬっと横から出てきた人に止められた。どうやら、こっから先はヒナ以外いけないらしい。
と思ったら、ヒナが振り返って、フォローしてくれた。
「あ、すみません。川内さん、その人、私のお兄ちゃんで今日の見学者です」
「えっ……あ、そうなの」
ヒナに川内さんと呼ばれた人は、オレを上から下へ視線を向けて、驚いた様子で制止のために上げていた手を下げた。
「はじめまして、妹のヒナがお世話になっています。兄の阿木 直人と申します。本日は、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。アシスタントの川内 彩香です。じゃあ、これ首にかけといてください」
腰のポーチを漁った川内さんから、見学者と書かれた名札を渡されたので、首からかけた。
「じゃあ、宮田さんのところまで案内しますので、ついてきてください」
川内さんがそう言って、先導してくれることになった。
『うわ……手前の男の人がナオトさんのことすごい目で見てますよ』
一緒についてくるリーマンさんからの報告で、オレは思わず、チラリと背後に視線を向けると、確かになんか若い根暗そうな男性がこっちを睨んできていた。
野次馬の人には若干申し訳ないと思いつつ、オレはヒナを悪い虫から守るためになるべく近い場所にいなければ、とその視線に背を向けて奥へと進んだ。




