宇宙人さんとケモナーくん
高校二年生の夏。
そいつは俺のクラスに突然やってきた。
「おはよー、蒔白さん」
「おっはよー!」
俺の隣の席の女子が教室に入ってきた見知らぬ少女に対してまるで普段からそうしているかのように挨拶を交わす。それに誰も疑問を覚えやしなかった。
活発に返事をしたソイツ、蒔白と呼ばれた少女は俺を素通りしてもう片側の隣の席に腰かける。
眩暈がしそうだ。もう片側、窓際の最後尾であるそこに席なんてなかったはずだ。その女がその席に座るまで俺はそこに席があった事にすら気づいてなかったのだ。
何かがおかしい。俺がおかしくなったのか、みんながおかしくなったのか、それを確かめる術なんてなかったが、頭をいじくられてこの女の認識が曖昧になっているという事だけはわかる。
「……うん?」
勝手に現れて、勝手に友達面しているそいつを訝し気に見ていると、疑問の声と共に蒔白の視線が俺を捉えた。
マズい。そんな危機感が脳裏を巡った。もしおかしくなっているのがみんなの方だったのだとしたら、この後に待っている展開は容易に想像できた。
背中に冷や汗が伝う。俺が蛇に睨まれた蛙のように身じろぎもできない中で、蒔白はニイっと悪戯をする時のように無邪気な笑みを浮かべる。
その笑みのまま、少女は顔を近づけてきた。普段なら嫌悪する類の女の髪の匂いが何故か心地よく感じられた。
「わたしね、宇宙人なんだ」
耳を啄むのかと思うくらいの近さで囁かれた言葉。俺はそれを聞いて困惑した。どうしてそんな事を自分に打ち明けるのか、そんな事はどうでもいい。
宇宙人は人なのだろうか? その悩みだけで俺の脳がフル回転していた。
人と付いてるからには人の一種なのかもしれない。けれど、確か宇宙人というのは地球外知的生命体の総称の筈だ。あくまで人型だから人呼ばわりしているのかもしれない。
何故、こんな事で悩んでいるのか、それはこの胸の高鳴りが正しいものなのかを証明するためだ。
俺はケモナーだ。人間をベースに獣耳や尻尾を付けただけのライトなものから、人間のように振る舞うデフォルメされた獣にも興奮するし、なんなら現実の動物に性的な感情を抱く雑食のケモナーだ。
そんな俺が人間の形をした少女に心を乱されている。一目惚れ、とは違うかもしれないが、綺麗な毛並みの犬を見た時のように胸が熱くなって堪らないのだ。
俺の今までの生き様を否定させないためにもこの悩みは速やかに解決されねばならないものだった。
「おーい、聞いてる? ……おっかしいなー、予想してた反応とはちょっと違う感じだ」
「……はっ」
集中しすぎて目の前が見えなくなっていた。
蒔白は首をかしげて手を振っていた。
「聞いてる、聞いてるよ」
「良かったー。それじゃあ行こっか」
「行く? 行くってどこに。それに今から授業なんだけど」
「いーじゃん、一日くらい。わたし、初めての授業よりあなたとお話がしたいんだけど、ダメかな?」
静止の言葉を無視して蒔白は俺の手を握った。
柔らかな感触と、何かよりも俺を優先したいという言葉が冷静な判断を俺から奪った。
ちょっと考えれば、認識をおかしくされた周囲からズレた俺を排除したいのではないかという考えくらいは浮かぶものだというのに。
「ダメじゃない。行くよ」
自然と同意の言葉が零れた。こんな言葉が出た事に自分でビックリしたくらいだ。
「嬉しいな」
腕を引かれる。教室から出ていこうとする蒔白に俺は大人しくついていった。
不思議な事にもうすぐホームルームが始まるという中で教室から出ていく俺達を変な目で見る人は誰もいなかった。
「みんなは、どうなってるんだ?」
廊下に出てから思わずそう聞いてしまった。自称宇宙人の蒔白がなにかした事などもはや明白だというのに。
「んー、詳しく説明するのは難しいんだけど、わたし達の種族って記憶や認識を改竄する力があるんだよね。それであの子達はわたしを一年生の頃からの同級生だって思っているの。……ああ、安心して。頭がおかしくなったりはしないから」
蒔白はなんでもない事のように気軽に答えた。事実、蒔白にとっては不快に思う以前のなんでもない事なのだろう。
「そういえば。記憶改竄がうまくいってないなら、わたしの名前も知らないのか」
ふと思い出したといった様子で蒔白は俺の方に振り向く。
「わたしの名前、といっても本名じゃないんだけどね。ここでは蒔白リタって名乗ってるよ。これからよろしくするかどうかは君次第だけどちゃんと覚えてよね、浮島聡くん」
「俺の名前、知ってるんだ」
「そりゃあもちろん。別に覚えてなくても支障はないけど、折角の学生生活なのになんでもかんでも認識改竄に頼るのもなんでしょ?」
「その割には、俺と話すためだけにその能力を使っているみたいだけど?」
「あはは、それはそれって事で」
そう言ったのは、チャイムが鳴ったのにも関わらず廊下ですれ違う先生達が何も言ってこないからだ。担任とすらすれ違ったのに、何の反応もない所を見るときっと向こうはこちらの存在を認識できていないのだろう。
蒔白は笑って受け流した。蒔白にとって人の認識を変える事はその程度の軽いものでしかないという事だ。
その後は会話もせずに俺達は校舎を出た。腕を引かれているため行先はわからないが、校門の方向に行かない所を見るに校内のどこかで話をするつもりなのだろう。
「……ここでいっか」
蒔白が足を止めたのは木々に囲まれた学校の中庭だった。廊下の窓からは見えても、教室の窓からは見えない位置にある。これじゃあ何かされても誰も気づかないだろうなと他人事のように思った。
「さて、浮島くん。なにか聞きたい事はある? 一つだけなら答えてあげるよ」
蒔白はベンチに座り、俺の目をジッと見てくる。
「……どうして地球にきたんだ?」
相対する俺はあまりにも聞きたい事が多すぎたために、結局口にできたのはありふれた問いだった。
「よくぞ聞いてくれました!」
だが、そんな問いを聞いて蒔白は上機嫌になる。そんなに聞かれたかったのか……
「わたしの星は十年前に滅んじゃったんですよね。爆発する星から一人用の宇宙船で脱出したわたしが流れ着いたのがこの地球というわけです」
ウキウキと話し出したわりには思っていた以上に重い話だった。
「その、大丈夫なのか?」
「もう昔の事は気にしてないよ。地球は楽しい事がいっぱいあって面白いし」
俺が気にしたのは、かつていただろう仲間に関してだったのだが……
口にしないという事は本当に気にしていないか、気にする必要もないという事なのか。
「さて、一つ答えたし、本題に入ろうかな」
蒔白の雰囲気がガラリと変わった。思わず息を吞む。
「地球に着いてから早数年。人間に紛れてこの地球で楽しく生きてきたわけだけど、恋愛漫画ってやたら学園ものが多いんだよねー。学校に通った事がない私じゃあんまり楽しめなかったの。情報はあっても実感がなくてね」
「だからこの学校に?」
「そ。学校に通おうって思ったのは一昨日の話。やろうと思えばいつだってできる事だったからね。学校の情報を集めて、ここら一帯に住んでいる人達みんなの記憶を改竄して。それでわたしが最初から学校に通っていたように偽装した」
そこまで言って蒔白が立ち上がる。
「──けれど、浮島くんには私の力が効かなかったみたいだね」
蒔白の身体から、何かが軋むような音が聞こえた。
「体質的な相性なんだろうけど、記憶を改竄できない君一人のためだけにもう一回別の場所でやり直すってのもさすがに面倒なんだよね」
音はメキ……という何かが折れるような音へ変わっていく。
ここまでくると何が起こっているのか目でもわかるようになってきた。蒔白の身体が変貌していっているのだ。
人の皮の内側が蠢いて、所々から食い破るように異形の姿が現れる。背からは脈動する血の色のような深紅の翼が広がり、腕の皮膚は白い毛で覆われて見えなくなった。腰のあたりからは両生類のようなぬめぬめとした尾が生えてきた。
体の大きさも倍増し、上から見下ろされる形になる。
「だからさぁ……浮島くん。わたしの事、黙っていてくれないかなぁ」
変身か、擬態か。今の姿が元の姿なのか、それとも俺を脅すためだけに一般的な悍ましいイメージの怪物へと姿を変えていっているのか。
様々な生物を繋ぎ合わせたキメラのようなは人間社会では明らかに異質で、秘められているべきもので、そして、何よりも美しかった。
「君がなにかしても意味はないけれど。手間を増やしたくないんだ。痛い目に遭いたくなかったら、わかるよね?」
変態が終わり、もはや人の面影がわずかにしか残されていない顔を近づけて蒔白がそう警告する。
俺は身じろぎ一つできなかった。この美しい生き物を恐れ、畏怖し、そして魅了されていたのだ。ああ、これを人と同一視した自分が恥ずかしい。
俺は喉を震わせて、感嘆の言葉を漏らした。
「えっちだ……」
「………………。えぇ…………?」
人間のようなわかりやすい表情の変化はなかったが、蒔白はなぜか動揺したような素振りを見せる。
「友達からでいいのでお付き合いさせてください!」
「…………わたしが言うのもなんだけど、君の趣味悪すぎない?」
緩んだ空気の中での俺の一世一代の告白は、そんな呆れた言葉で返されたのだった。





