シェフ・ジローの異世界奮闘記、腹ペコ娘を添えて
16歳で単身渡欧、大衆食堂に住み込みで働きながら名門ル・コランタンを卒業。
数多の料理コンクールを総なめにし、帰国してからは赤坂の三つ星レストラン、ラパン・グルマンで勤務と、およそ料理人としてはこれ以上ないスタートを切った俺だが……。
「まさか休憩で外に出たとこをトラックに撥ねられて、中世ファンタジーな異世界に転移することになるとはなあー……」
石組みの厨房の片隅。
しなびた雪割り菜をタライで洗いながら、俺はしみじみとつぶやいた。
「しかも王様の不興を買って王都を追い出されて、こんな極寒の地の修道院なんぞに来るハメに……」
改めて口にしてみると、なんてひどい話だ。
「この世には神様とかいないのかよ……」
「……いないよ、神様なんて」
一緒に雪割り菜を洗っていた女の子、セラが死んだような目で言った。
「いやいや、おまえが言うなよ。立場的に」
銀髪のおかっぱ頭にぶかぶかの修道服。
まだ十歳と幼いけれど、セラはシスター見習いだ。
神学の成績は最悪で行儀作法もダメダメだけど、神に仕える身には違いない。
「だってさ、深夜の誰もいない時間を見計らって来てみたら、なんでかジローは起きてるし。こっそりやればバレないかと思ったらすぐバレちゃって、こんな冷たい水で野菜とか洗わされるハメに……」
「それは神様関係ねえよ。単純に俺が罰を与えた結果だろ? シスター見習いがつまみ食いなんかしやがって。しかもおまえら、事もあろうに断食中だろ?」
「うう……」
俺の鋭い指摘に、セラは言葉を詰まらせた。
シスターたちは断食の真っ最中で、明日のミサまでは何も口にしてはいけないことになっている。
決まりを破った者には竹の鞭でお尻を叩かれるという罰があるし、今後予定されているセラの正シスターへの昇格試験にも間違いなく影響が出る。
「告げ口されないだけありがたいと思えよ。おまえだっていいかげん、正シスターになったって親御さんに報告したいだろ?」
「ううう……」
セラが癒やしの奇跡(魔法のようなものらしい)を認められ、スカウトされる形でここザントの修道院に入ったのは5歳の時のことだ。しかしそれから5年間、こいつは試験に落ち続けている。
「だって……お腹減ってたんだもん……」
つぶやきに同調するかのように、セラのお腹がぐうと鳴った。
親御さんのことを口にしたのがまずかったのだろうか、あるいは単純に空腹が極まったのか、セラは大きな空色の瞳にぶわりと涙を浮かべた。
「だってカーラさん言ってたのにっ。修道院へ来ればお腹いっぱい食べられるよって。おとーさんも、マルコもラナもロッカだって、きっと今よりいっぱい食べられるよって。いいなあ、セラって」
セラの父は猟師をしていた。
ザントの外れで、家族6人で慎ましく暮らしていた。
だが5年前、長引く吹雪による不猟のせいで口減らしをしなければならなくなった。
4人の子供のうち一番幼いのがセラで、セラには偶然、癒やしの奇跡が宿っていて……。
「お勉強とお祈りと、お掃除とお洗濯と、毎日そればっかでつまんないしっ。癒やしの奇跡なんか持ってて生意気だって叩いてくる人もいるしっ。断食前の最後のご飯も、意地悪されて転ばされて床に……うう、うわあああーんっ」
セラはとうとう泣き出してしまった。
「わ、悪かった。そんなことがあったとは知らなかった。言い過ぎたよ、ごめん」
頭を撫でても背中を擦っても、セラの号泣は止まらない。
子供特有の遠慮ない泣き声が、深夜の厨房にわんわんと反響する。
「よしわかった、こうしよう。今からおまえに飯を食わせてやる」
すると現金なもので、セラはぴたりと泣き止んだ。
「ホントに? ホントにご飯食べさせてくれるの?」
「ああ、もちろんだ」
「……みんなに怒られたりしない?」
「バレなきゃいいんだよ、ってのは教育的にあれかもしれんけどな。おまえみたいな子供を空腹で泣かせるのは料理人魂に反するんだよ」
セラの頭をひと撫ですると、俺は立ち上がった。
コックコートの袖をまくると、発火石を打ち合わせてかまどに火を入れた。
「ふうーん……? ふうーん……?」
セラはぐずりと鼻を鳴らすと、俺の周りをちょろちょろし出した。
「待ってろ。とびきり美味いのを作ってやるからな」
セラの腹の空き具合や他のシスターに気づかれる危険性も考慮すると、あまり調理に時間をかけることは出来ない。有り物でちゃちゃっと、が正解だろう。
そこで俺が選んだのは、子供大好きハンバーガーだ。
作り方次第じゃ栄養価も侮れないし、ガッツリ食い応えもある。
しかし残念、ここは極寒の地。
バンズに使うパンは寒さに強いライ麦から作った黒パンだ。
しかも現代のそれとは違って日持ち優先だから、パサパサでやたらと硬い。
せめて柔らかくして食べさせたいところだが……。
「レンジがありゃ一瞬なんだがな……ま、無いもんは仕方ねえ。『それが料理だ』」
「今、セラのこと呼んだ?」
「呼んでねえよ。これはな、どんな状況にも即応出来る料理人になれっつう、俺の恩師のありがてーえ教えだ。ほら、わかったらどいた、どいた」
盛んにくっついてくるセラを肘で押しやりながら、俺は作業に移った。
①黒パンの丸一個を半分に切り分け、霧吹きで水を吹きかける。フライパンに乗せ、蓋をして蒸し焼きにする。
②雪割り菜を刻み、塩、酢、水、赤唐辛子、黒胡椒、ローリエの葉と一緒にボウルに入れて混ぜ、よく水気を切る。
③鹿の塩漬け肉と②で作ったものを炒める。
④焼き上がった黒パンにマスタードを塗り、刻んだ山羊のチーズと③で炒めたものを載せ、挟んで完成!
「名付けて『黒パンバーガー』だ。ほら、食ってみな」
かぶりついたセラの瞳の中に、ぱあっと星が瞬いた。
「わああっ、おいしーっ。おいしーようっ!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら。
頬を赤く染めて幸せそうに笑うその姿には、天使じみた可愛さがある。
「黒パンなのに柔らかいし、酸っぱさと塩味が生地に染みてちょうどいいしっ、チーズはふわふわで、お肉もじゅうーしぃーっ!」
「おう、そうかそうか」
バクバクと胸のすくような食いっぷりにほっこりしていると……。
「うん決めたっ。セラがジローのお嫁さんになってあげるっ」
「おう、そうかそう……は?」
口の端にマスタードをつけたセラが、わけのわからないことを言い出した。
「おかーさんが言ってたの。『いい男の条件ってのはね、家族に腹一杯食わせてやれることなんだ。あんたはくれぐれも相手選びを間違えるんじゃないよ』って。だからほら、ジローはまさに条件ぴったし、ね?」
「ね、じゃないが……」
俺はため息をついた。
どんな親だって、大事な娘をよそにやりたくないのは当たり前だ。
セラを修道院に入れるにあたって、両親はさぞや揉めたのだろう。
結果として植え付けられたその結婚観も、あながち間違いとは言えないが……。
「おまえにとってはそれで良くても、俺にとっては良くねえんだよ」
「ええー、なんで? だってジローって顔怖いし口悪いし、絶対結婚出来なそーじゃん」
「ムカつくことにおおむね事実だがな、あいにくと俺の好みはバインボインのお姉ちゃんなの。おまえみたいなつるぺたのお子様じゃないの」
「そ、そんなの将来的にはわかんないじゃんっ。なんかすごいことになったりするかもじゃんっ」
理想の未来像を熱く語るセラ氏。
「つうかそもそもよ。おまえってシスターになるんだろ? 結婚なんて出来るのか?」
「出来るよっ。カーラさんとこなんて子供5人もいるしってあああーっ、忘れてた!」
何を思い出したのだろう、セラは急に大きな声を出した。
「聖女様に選ばれたらもう結婚出来ないんだった!」
そういえば、全シスターの中から特に民衆に尽くし喜捨を集めた者を聖女と呼び、神の妻として敬う習慣があるのだと聞いたことがある。その選定会議が4年後に催されるのだとも。
「んーじゃあね、そん時はジローをセラ専属の料理番にしてあげるっ。そんで王都に連れてってあげるっ。ね、それならいいでしょっ?」
「おまえが聖女様……ねえ?」
かなり無理があるが、夢としては面白い。
それでこいつが真面目に生活するようになりゃ御の字だ。
「なるほど。嫁はさて置き、聖女様の料理番ってのは悪くないな。毎日満腹にしてやるから、勉強頑張れよ?」
「もーっ、なんでさて置いちゃうのーっ」
目をバッテンにして怒るセラをからかっていると、背後でガタンと音がした。
「ん? なんの音……」
振り返ると、三十半ばのメガネ美女が真っ青な顔で立ち尽くしていた。
「げえ、シスター長っ?」
まずいとこを見られたと呻く俺をよそに、セラがハイハイと勢いよく手を挙げた。
「カーラさん、あのねっ? セラはジローと結婚することになりましたっ」
「うぉぉい!? いきなり何を言ってくれてんだおまえはああー!?」
「だっておかーさんが、『男をオトす時はまず外堀を埋めるんだ』って」
「おまえの母さんの教育方針さあーっ!」
「……ジロー、お願いがあります」
口うるさいことで有名なカーラさんだ。
さぞ怒られるだろうと思いきや、状況は意外な展開を見せた。
「雪崩で麓への道が埋まり、外界との接続が絶たれました。修道院総員30名、残りの食糧で何日保たせられるか試算してください」





