鴛鴦のつがい
魔物たちの襲撃に、予兆はなかった。
あとから聞いた話では、突如魔門からあふれ出てきた何千もの魔物が基地を襲撃してきたという。
また少佐が留守であったこともあり、初期対応が遅れ被害は甚大なものになった。
襲撃の報から数時間後、私と少佐は軍用飛行機で移動し、道中、私の無線魔法で少佐が各隊と連絡を取り合い残った部隊をまとめ上げた。
援軍やほかの基地の部隊とも合流し、大規模襲撃してきた魔物たちを殲滅すること自体はなんとかなった。
現地にたどり着いた頃には戦いは終わっていた。だが、周辺の基地は甚大な被害を被ることになった。
…それは私達の基地も含まれる。
私達の。
私達の横須賀支部第四観測所は壊滅的な被害を受けた。
基地は半壊、白い平野には魔物たちの死骸が山を形成し、救助活動も難航した。
そして。
…私達の基地の人間は、ほぼ全滅だった。
魔物たちの襲撃から数日後、基地の破棄が決定した。
上層部が下した決断だった。
戦線を横須賀から東京近郊まで後退させることとなったからだ。
…私と白露少尉が遊びに行ったあの町にも、疎開命令が下された。
今は人っ子一人いない、もぬけのからとなっている。
みんな居なくなってしまった。
基地のみんなも、私と仲がよかったあの二班の二人も、亡くなった。
戦線を死守するため、皆が必死に戦った。
だが…
…私は、何をしていたのか。
皆と、同じように死んでしまえばよかった。
そう最近は考えるようになっていた。
私だけが、運よく生き延びてしまった。
そして「彼」は運悪く生き延びてしまった。
…白露少尉は生きていた。
あの戦いの中、基地での死闘の末どうにか生き残ったらしい。
彼が生きていたという報は、心の底から私を安堵させた。
だが、それも続きを聞くまでのつかの間だった。
白露少尉は横須賀基地で戦いを繰り広げ、瀕死の重態となった。
救命班が生きている彼を見つけた時に、全身打撲に、片羽はなくなり、生きていることが不思議なくらいの重傷だった。
しかも未だに、症状は悪化しているという。
医師の話では、もう、あまり先は長くないとのことだった。
◇
魔物の大規模襲撃から、数週間後のことだ。
私は今、軍病院の白露少尉の病室である一等病室の前にいる。
白露少尉の病室は、彼が公家であることを考み、ほかの軍人とは違う病室を割り当てられた。
一人部屋で、だが私以外に家族も見舞いに来ないこの部屋について、少しさびしいと白露少尉は言っている。
あの日から数週間、私は時間があれば白露少尉の病室に通っていた。
「おはようございます、白露少尉」
「……やあ、竜胆少尉」
現在、部隊は再編中で、時期が来れば私は最前線となる東京に行かなければならない。
それまでの間、私を含めた生き残った者はこの病院近くの臨時キャンプで、待機命令が下された。
待機といっても担当を割り振られ、哨戒任務に当たっている。
本格的な作戦は、東京に行ってからだ。
「体、起こせますか?」
「はは、どうでしょうかね。試してみますよ」
私が病室のドア越しに立つと、ベッドで横になっていた白露少尉はゆっくり体をあげた。
毛布をかけている下半身は分からないが、彼は、体中に包帯をしている。左手に点滴の管がのび、普段の明るい彼からは似ても似つかない弱弱しい様子だった。
それに片方しか残っていない翼が痛々しい。
…その片羽だってずたずたになっていて、動かすのすら怪しいものだ。
「なんとか、体動かせましたよ」
笑顔の白露少尉だが、空元気に見えた。
「あまり、無理はしないでくださいね」
「そうさせていただきます」
彼は、すぐに頷いた。軽口も言わず、すぐ同意するなんて。
彼の体はやはりかなりの重傷なのだろう。
…彼の縁談は現在、中止になっている。
元々、家族仲が悪かったのもあるが、この体だ。
…そして縁談が中止になったのは私だって同じだった。
九州にいる先方から、断りの連絡があったらしい。私はそれを母づてに耳にした。
実家は今回の件で、かなり立場が危ういものになったからだろう。
私用で少佐を呼び出し、しかもそれが原因で魔物の大規模襲撃の際、初期対応が遅れさせてしまった。
その責任を問わなければならない。
…父もあの体だ、遠からず、我が竜胆家は大変なことになるだろう。
だが、それでもいいと思った。
これだけ被害が出てしまっては。これだけ大勢の人を傷つけては。
「…貴方は生きてください。今回の件、決して自分を責めてはなりません」
私がそんなことを考えていたら、白露少尉はボソっと告げた。
まるで、私の考えが手に取るように分かるみたいに。
「…急にどうしたんですか?」
「いえ、貴方が今回のことで自責の念に駆られているかもと思いまして…貴方が、少佐を連れていかなくても、きっと似たような被害にはなっていました。かえって少佐が離れて生還してくれたことで、指揮系統が混乱せず、後からの対応が上手くいったと思います」
私の考えを察したのか、ベッドの上の白露少尉はそんな風に慰めてくる。
「なので、俯かないでください」
「…俯いていません」
だが、やはり白露少尉の言葉は気休めなのだ。
軍人である私は、今回の被害の一端が誰の責任なのかよく理解していた。
すると彼は私を見て、またニコリと微笑んだ。
「…私は貴方に幸せになってほしいのです。私も先は短いですが私の事は気にせず幸せになってください」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「…約束してください。これから、幸せになると」
彼は私の言葉を無視して、約束してほしいと急いている。
まるで遺言みたいじゃないか。
吐き気がして、心臓を杭で打ちつけたような気分にだった。
「…ええ、そうさせていただきますよ。私はこう見えて軽薄ですからね。種族の違う貴方ともデートに行くくらいですから」
だから、彼を安心させたくて、心にもないことを私は言う。
彼が長くないことはよく分かっていた、せめて心残りを作って逝ってほしくはなかった。
「…それを聞いて安心しました…最後になるかも知れませんから」
彼は、病院着のポケットから小さな指輪を出す。
私が来るまで、ずっとポケットに入れていたのだろうか。
「これは…指輪ですか?」
彼が手を開くと、手のひらに銀の指輪がちょこんと顔を出した。
シンプルなデザインの銀色…これは、一緒に町に出かけたときに私が指にはめたものだ。
「ええ、以前町に行った時、買いました。もしよければ貴方に受け取っていただきたいのです…」
私が頷くと、彼は力弱く左手の薬指にはめても指先で止まってしまった、私はすぐに反対の手で、しっかり指輪を指の付け根まで押し込んだ。
「はは、結構緊張しましたが、思いのほか、言い終えると、すっきりするものですね…」
淡々と彼は言葉を吐き出した。
そしてすぐに体を横にする。力なく、ベッドに吸い込まれるように。
「本当は、あの日、貴方に渡したかった…まぁ、私の形見だとでも、思ってください…」
私が何か発言をする前に、彼は言葉をふりしぼる。
それに無言で頷いた。
「…少しばかり疲れてしまいました…眠ってもいいですか」
…もう、彼の体力は限界らしかった。
私がこのまま会話を続けていたら、今度こそ彼の寿命を縮めてしまうだろう。
「…貴方が眠るまで、そばに居ますよ」
「ありがとうございます…」
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも。
私は貴方のそばにいると、誓うわ。
「だから安心してくださいね」
「傍を、離れないでくださいね…」
すでに、彼の声は眠気交じりのぼやけた声になっていた。
「当然ですよ」
「ありがとう、凜……」
彼の目蓋はすぐに閉じきり、安心しきった赤子のようにスヤスヤと眠りについた。
「いいんですよ、だって私たちは…鴛鴦の契りなのだから」
私達は運命共同体であり、バディであり、鴛鴦の契りを結んだ仲なのだから。
彼の私に対する恋愛感情に付き合ってあげるのも役目の一つだ。
「…ねぇ白露少尉、知ってましたか?鴛鴦の契りって夫婦に使う言葉なんですよ」
もう彼には聞こえていないらしかった。
可愛らしい、彼の寝顔。
見ていると病室の窓から生える陽だまりが思いのほか気持ちよく、私もウトウトしてきてしまった。
寝顔の彼を見ていたせいかもしれない。それとも、日ごろの疲れがここにきて出てしまったのか。
最近、キャンプの哨戒任務で気を張っていたからかもしれない。
病室に備付けられたレースのカーテンが冬風にたなびく。
まるで、空を舞う妖精のように。
そのそよ風に当てられて、彼のベッドのすみっこを借りて、私もまぶたを閉じるのだった。
世界はいまだ混迷に満ちているけれど、今はただ、この少しばかりの平穏の中に包まれていたかった。
それを私だけでなく、彼にも感じてほしかった。
だから、今は。
おやすみなさい、白露少尉――




