いつもの坂道。いつもの光景。
自分の一生に中心のようなものがあるとしたら、それは今なんじゃないか。
彼がこういうことを考えるのは、大抵ぼうっとしているときだ。花壇のチューリップを数えているときとか、昔使っていた虫取網をたまたま見つけたときとか。真っ赤な柿の皮を剥いているときかとか、公民館のクリスマス会で『きよしこの夜』を歌っているときとか。そういうときだ。
たとえば、ロミオの中心といえば、どこなのだろう。有名なバルコニーのシーンか、それとも、感動を呼ぶカタストロフのシーンか。『ロミオとジュリエット』ではなく、ロミオの中心だ。
芝居というのは、一生のうちのほんの一部分、多くの人間が興味を持つであろう部分しか語らない。多くの人間が興味を持つであろう部分、それはまさに「劇的」な部分だ。彼にはそれが、不思議でたまらないと思われるときがある。そんなとき、彼が誰かにロミオの中心を訊かれたとしたら、こんなふうに答えるだろう。「六歳の夏、庭で、青蛙をつかまえたとき」
今、彼は吹き下ろす風のなかに立って、空を見上げている。一枚の茶色いこのはが、彼の視界をかすめていった。
いつもの坂道。いつもの光景。おそらく彼は今、ぼうっとしているのだろう。




