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作者によって「純文学」という名前をつけられた作品たち

いつもの坂道。いつもの光景。

作者: 檸檬 絵郎



 自分の一生に中心のようなものがあるとしたら、それは今なんじゃないか。



 彼がこういうことを考えるのは、大抵ぼうっとしているときだ。花壇(かだん)のチューリップを数えているときとか、昔使っていた虫取網(むしとりあみ)をたまたま見つけたときとか。真っ赤な柿の皮を剥いているときかとか、公民館のクリスマス会で『きよしこの夜』を歌っているときとか。そういうときだ。


 たとえば、ロミオの中心といえば、どこなのだろう。有名なバルコニーのシーンか、それとも、感動を呼ぶカタストロフのシーンか。『ロミオとジュリエット』ではなく、ロミオの中心だ。

 芝居というのは、一生のうちのほんの一部分、多くの人間が興味を持つであろう部分しか語らない。多くの人間が興味を持つであろう部分、それはまさに「劇的」な部分だ。彼にはそれが、不思議でたまらないと思われるときがある。そんなとき、彼が誰かにロミオの中心を()かれたとしたら、こんなふうに答えるだろう。「六歳の夏、庭で、青蛙をつかまえたとき」





 今、彼は吹き下ろす風のなかに立って、空を見上げている。一枚の茶色いこのはが、彼の視界をかすめていった。


 いつもの坂道。いつもの光景。おそらく彼は今、ぼうっとしているのだろう。





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― 新着の感想 ―
[良い点] お芝居と小説って似てますね〜 小説もその主人公の一番の見せ場を作者が勝手に切り取って晒しているようなものですものね。 うーん、そう、考えるとまたどの場面を見せたいか、とか考えちゃいます…
[一言] 短い物語でしたが、心に深く残る話でした。 私の人生の中心も案外、ぼうっとしている時か、何かに夢中になっている時などに、ふっと現れそうです。 劇の中心は一番盛り上がった時で、登場人物もそこに…
[良い点]  人生において、最良の時はと訊ねるよりも、中心を問うその切り口が妙手。  例えばが、ロミオ本人に限定しているところ。ぐっと掴まれた。 [一言]  うおっ!?  どんな展開かと思いきや、…
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