ネクの記憶②
「ここが、前線基地になっている城塞都市アンテラだ。お前ら、勝手な行動はするなよ」
「戦場……なんですよね……」
教官の言葉に誰かが呟いた。私たちは、30日以上かけて前線基地となっている都市へと移動した。馬車で移動できればもっと早いのだけど、訓練生全員を乗せるほどある訳がない。
馬や馬車のような運搬に必要な物は、全て戦争へと徴収されており、私たちが利用できるはずがなかったのだ。
教官は引率の為というより、私たちを纏め上げる為に一緒に来ている。私たちの扱いは、まだ戦場を知らない新兵なのだ。知っている人が率いてくれるのならこれ以上の安心はない。
「入るぞ。付いて来い」
教官も緊張しているのか、言葉が少なくなる。私は、どんどん近くなってくる城壁を見上げる。石を積み上げて作られたその城壁は、所々が壊れていたり、血がこびり付いている。
この地でどれだけ激しい戦闘が行われているのか良く解かる。誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。皆、考える事は一緒のようだ。
城壁をくぐり、私たちは着任の挨拶をする為に本部へと向かう。途中、怪我をした人や私たちに興味があるのかじろじろと見て来る人がいた。恐らく、私たちの様な若い世代が来るのが、珍しいのだろう。
本部に使われている建物に入ると、私たちは広間で待たされる。全員が指揮官の所へ向かっても邪魔になるだけだろう。全員で100人は居るのだ。部屋に入りきる訳がない。
「ここが戦場なんだよな……」
「そうだね。気を引き締めないと」
隣に居た少し上の歳の少年が呟いた。もうすぐ成人するくらいだった気がする。養成所は、大体14,5歳くらいで入り、18歳くらいで卒業をする。そう考えると、訓練を始めてまだ1年くらいしか経っていないと思う。2年も養成所に通っていた私の方が先輩なのかも知れない。
1人が喋ると、連鎖的に言葉を交わすメンバーが増えてくる。これだけの大所帯だ。全員が話し出したら結構な騒音になる。
「おいおい、ここはいつから託児所になったんだ?」
そんな言葉と共に奥から傭兵と思わしき人たちが出てきた。私たちの間に緊張が走る。皆黙り、その相手から目を逸らす。下手に関わったりして問題を増やしたくないのだ。
「お? 女がいるじゃねーか。こっち来いよ」
そう言って、私たちの一団の1人の腕を掴む。女と言っても私ではない。私は、この訓練生の中で一番幼い事もあり、凹凸の少ない体は少年と見間違えられてもおかしくはない。凄く悔しいけど。
神官戦士の殆どは男だ。私の様な女は、全体の1割にも満たない。現にこの訓練生の中で女は10人もいないのだ。
「い、いや……止めて下さい……」
「いいねぇ。こんな辺境に慰問で来る商売女は、皆慣れてやがる。初心さがたらねぇんだよな」
男は下卑た笑いを浮かべながらそんな事を言っている。掴まれた女の子は、完全に怯えてしまっている。助けようにも、相手はこの激戦で生き残った傭兵だ。経験も強さも私たちとは違うだろう。
「それくらいにしたらどうですか?」
「あ?」
そう言って出て来た男は、傭兵の手を難なく解き、腕を掴まれていた女の子を自分の後ろへと匿う。どこの物語の騎士様ですか。
見た目も全身鎧に巨大な盾、腰には長剣を佩いている。見た目からして騎士みたいだ。
「チッ……クレメンスかよ」
「貴方も治療師の重要性は解かっているでしょう? 使い物にならなくなったら、どうするのですか」
クレメンスと呼ばれた男は騎士の様に助ける……のではなく、私たちを戦力として捉えているようだ。物語の様にはいかないらしい。
傭兵はそう言われて機嫌が悪そうに立ち去る。私たちの存在が重要と言うより、このクレメンスを恐れて逃げたようにも見えた。
この騎士みたいな男は、そんなに強いのだろうか。見ただけではそこまで強そうには見えないのだが……。
「おや、クレメンス殿。何がありましたかな?」
「いえ、少し話をさせて貰っただけですよ。では、失礼」
奥から教官と指揮官らしき人物がやってくる。クレメンスは、指揮官の人と言葉を交わして立ち去った。先程の事を話さないのは、私たちの面子を潰さない為か。それは解からない。
「なるほど、あれが噂の戦士団の……」
「ええ、彼らはこの前線基地の中でも随一の実力です」
教官と指揮官がなにやら話しているが、私にはさっぱり状況が掴めない。ただ解かるのは、あの騎士風の男が相当の実力者って事くらいだろうか。手合わせをしてみたい。って、ウルリカの癖が移っちゃったかな?
「お前ら、宿舎へ向かうぞ。明日から魔力を相当使う事になる。今のうちに体を休めるんだ」
こうして、私たちの前線での戦いが始まった。前線がどんなに辛い場所だったのか、私はこの頃全く解かっていなかった。
「はい、これで完了です」
「おお、治療師がいると全然違うな。ありがとう」
傷を負った兵士に治療魔法をかける。怪我自体は、骨を折った程度のモノだった。これくらいの怪我であれば私の魔法でも治せる。ただ、怪我人はかなり多く、部位欠損している者も多い。
そこまでの怪我になってしまうと、中位か上位の神聖魔法じゃないと治せない。そんな魔法を使える人は滅多に居ないのだ。
私たちがこの前線に赴任して1ヶ月ほど経った。この野戦病院にて、神聖魔法を魔力が尽きるギリギリまで使う生活を繰り返している。
実際に武器を持って戦う機会はない。敵は、毎日のように攻めて来るが、どうにか戦線は維持出来ているようだ。
「次の方どうぞ」
「嬢ちゃん、よろしくたのまぁ」
そう言ってやってきたのは、私より遥かに背の高い戦士だった。肩から肘にかけて大きな切り傷がある。布によって止血はしている。これなら、私の魔法でもどうにか……。
すぐに詠唱を開始して魔法をかけると、傷はすぐに塞がっていく。回復が早い。そんな高位の魔法は使っていないのに、ここまで早いのは異常だ。何だろう、この人。
「おー、良い腕だな。ありがとよ」
「いえ……ご無理はなさらないよう」
男は、傷の塞がった腕を回して、調子を確認している。塞がったばかりで、そんなに動いたら傷が開いてしまうだろうに。
幸い、開くような事はなかったが、下手をしたら二度手間になるから安静にして欲しい。
「うちのヒーラーは、皆クレメンスの所に行っちまってよ。そんなにイケメンの方が良いのかね」
「クレメンス?」
「ああ、そういえば名乗り忘れていたか。俺は、アガット。戦士団の副団長をしている。よろしくな」
そう言うと男、アガットは不器用な笑顔を見せてくる。イケメンとは何か解からないのだが、クレメンスという男を悪く言ったわけでは無さそうだ。この表情には、そういう黒さが全くない。
しかし、噂の戦士団の副団長に会うとは、この前線は広いようで狭いみたいだ。アガットは、巨大な斧を肩に担ぐと野戦病院から出て行く。治療を待っている人は、他にもいっぱい居るのだ。もう少し戦士団の事を聞いてみたかったが、そういう訳にもいかない。
「次の人どうぞ」
私の魔力は、他の人よりも遥かに多い。そのせいもあって、長時間ここで神聖魔法を使わされる羽目になるのだった。
「フィリスちゃん」
「ど、どうしたの? アネット」
宿舎に戻り、同室のアネットが突然私の名前を呼んできた。魔力をかなり使ったからもう眠りたいのだけど……。
私たちは、2人で一室を使っている。傭兵はもっと大部屋らしいし、私たちが優遇されているんだと思う。
「いつも何か書いているけど、それ何?」
「魔法の研究だよ。結界の応用かな」
ウルリカとの研究は1人になっても続けている。もし、この研究が完成したら、ウルリカの耳にも入るかも知れない。そう考えると研究を止める事なんて出来ないんだ。
この前線基地に来てからも、寝る前に時間を作っては試行錯誤していた。
「研究……見せて見せて」
「あ、うん。良いけど……」
本当は良くない。だけど、私はアネットの勢いに負けてそれを見せてしまった。
書類を受け取って目を通していくアネット。私は不安な気持ちになりながら、それを見ていた。
「これは、凄いね。でも、この部分は何で変な風に固まっているの? 効果が解からないのだけど……」
「どれ? ああ、これはね。魔力の使用を押さえ付ける為の文字だよ」
「押さえ付ける? 何でそんなの必要なの?」
この子は魔法の基礎を知らないのだろうか。魔力を使い果たしたら死ぬというのは重要な事だと思うのだけど……。
だけど、この研究文を読めるのだから、頭は良さそうだ。
「だって、魔力を使い切っちゃ駄目でしょ?」
「え? 普通は、使い切るものじゃないの?」
聞いてみると、とんでもない返答が返って来た。いつもこの子は魔法を使う時魔力を使い切っているの……?
だとしたら、生きて戻ってくる事は出来ないと思う。何か、食い違いが発生しているのだろうか。
「あの……魔力って使い切ると死んじゃうよね?」
「え? そうね。だけど、結界って魔石を使うわよね?」
「魔石……」
魔石とは、採掘の際に鉱石と共に出てくる事がある石の事だ。
魔力を含んでいる事から、様々な魔法の補助として使われる事が多い。
「結界みたいな長時間維持しないといけない魔法には、普通使われているわよ?」
「あ、そうなんだ……」
魔石は、私やウルリカのような魔力の多いタイプには無縁だった。その為、失念してしまっていたらしい。
ともあれ、魔石を補助に使えるとなると、幅が広がりそうだ。
「ありがとう。色々と試せそうだよ」
「心配ね……私も手伝おうか?」
「……うん、お願い」
アネットの申し出に私は承諾する。別の視点からの意見というのはとても重要な事だ。
自分では間違えて覚えてしまっている可能性だってあるのだ
そして、私とアネットは研究を共にやる事になった。
「まずい! 城壁を突破された!!」
「非戦闘員は避難しろ!!」
あれから数ヶ月、いつもの様に治療をしていたら、突然そんな怒号が飛んだ。
今までは、門を突破される事なんてなかった。何度も襲撃はされていたものの、城壁でどうにか追い返せていたのだ。
「早く!」
私たちは治療班、つまり非戦闘員として扱われていた。訓練である程度戦う事が出来ると言っても、実戦経験はこちらに来てからも殆どないのだ。
歴戦の勇士たちからしてみたらヒヨッコだろう。私たちは、素直に野戦病院から避難をして行く。自分の実力も解からない愚かなメンバーは居ないのだ。
毎日、嫌と言うほど病院で現実を見ている。そんな状況で調子に乗る者はいない。
私たちは、怪我人を背負って病院から街の中心部にある建物に避難しなければならない。
「まずいな……侵攻が早い。決死隊か? だとすれば、狙いは補給か俺たち治療部隊か……」
作業をしている私たちを見ながら、教官がそんな事を呟いた。
城壁が突破されたのであって、破壊されたとは言われていない。つまり、何かしらの手を使って内部に侵入したのかも知れない。
「部隊を2つに分ける。片方は今まで通り避難をする部隊。もう1つは敵を迎撃する部隊だ。名前を読み上げられた者はこっちに来い」
そう言って、教官は名前を読み上げて行く。その間も私たちは、作業を止めない。
怪我人をスムーズに運ぶ為に台車に乗せている。
「……以上だ。他の者は全員、作業を続けてくれ」
教官が最後の名前を読み上げると、そのメンバーを連れて病院の外を警戒し始めた。
私やアネットは呼ばれなかった。その事実に少しホッとしながら、作業を進めていく。
私たちの装備は、養成所から持ってきたハンマーとバックラーしかない。鎧すら着ていないのだ。
そんな状況で戦闘をしても、死ぬ可能性が高い。戦争中に甘いかも知れないが、出来る限り知人には死んで欲しくないのだ。
「教官、準備が整いました」
「よし、なら避難を開始する。俺は殿を務める。お前たちは中央に向かえ」
準備が整った報告をすると、教官が指示を出す。先程呼ばれた数名が、全力で台車を押している私たちの前を歩く。
そのメンバーの表情は緊張しているのか凄く張り詰めていた。
「やはりか。クルド、ガイン。覚悟を決めろ。俺たちで止めるぞ」
「は、はい」
「しゃぁねぇな」
暫く移動をしていると、教官がそんな事を言い出した。クルドとガインは養成所のメンバーでも最年長だ。もうすぐ卒業して正規の神官戦士になる予定だった。訓練生の中では一二を争うほどの腕だ。
「お前たちは速やかに移動しろ。生き残れよ」
教官はそう言うと、2人の訓練生を連れて後方に向かって走っていく。その先には、オークやオーガなどの魔物が多く居た。
私たちは、歯を食いしばって移動を始めた。少しでも手助けをしたい。だけど、私たちの任務は別なのだ。教官たちの想いを無駄にする訳にはいかない。
「ハァハァ……やっと着いた……」
「早く扉を閉めるぞ! 外に残っている者は居ないな!?」
誰かがそんな事を言っていた。全速力で防衛施設の1つに逃げ込む事が出来た。最初からここを病院にした方が安全だと思うけど、その辺りはお偉いさんが許さなかったらしい。
元々この施設は、そういう人たちが暮らしている場所だ。最悪の事態に限り、防衛拠点として使うのを許可されている。
「怪我の治療を始めましょう。こうしている間にも危険な方は一杯いらっしゃいます」
「あ、ああ。そうだな。皆、治療を始めてくれ」
教官がいないから、指示を出せる人は居ない。各々の判断でやらないといけないのだ。
年長者たちが、やるべき事を率先している状態だ。私は、台車から怪我人を地面に寝かせると神聖魔法を唱え始めた。
「教官とクルド、ガインの遺体が見つかったみたい」
「……そう……なんだ」
あれから数日間、寝る間も惜しんで神聖魔法を使い続けた。そして、やっと街中の魔物を一掃出来たという報告が入り、私たちは宿舎へ帰る事が許可されたのだ。
そして、宿舎に帰った時、年長組から知らされた内容は、3人の死だった。
「うん、私たちどうなるんだろうね……」
「……解からないよ」
戦争だから人は死ぬ。それは当たり前の事だ。私たちだって、ここに来る前に覚悟を決める様には言われていた。
それでも、知っている人が死ぬなんて今までは無かった。
アネットが呟いた”自分たちがどうなる”というのは、部隊の指揮官が死亡した場合、別の指揮官が配属されるという意味だ。
教官は私たちを前線に置こうとはしなかった。それは、私たちが未熟である事を知っているからだ。もし、そうではない指揮官が上司となった場合、前線に配属される可能性が出る。
翌日、私たちに辞令が下った。部屋ごとに各傭兵団に配属されるらしい。男の神官は良いけど、私たちのような女の神官からしてみたら最悪の判断だろう。
性的な欲求を晴らす事の出来ないこの前線で、女が目の前に居たらどれだけ危険か、新しい指揮官は解かっていないらしい。
既にその話を聞いて泣いている子もいる。それでも逃げる事は出来ない。脱走は重罪だ。
私とアネットは神妙な表情を隠さずに配属される部隊を見る。その部隊は……例の戦士団だった。
「お? うちに配属される神官って嬢ちゃんたちだったのか」
「はい、宜しくお願いします」
「あ、アネットです! ら、乱暴な事は……」
戦士団の詰め所に行くと、そこに居たのは以前治療をした戦士アガットだった。副団長というくらいだし、居てもおかしくはないよね。
アネットは、緊張して変な事を言っている。以前、私たちを助けたクレメンスが率いる部隊というのを忘れているのだろうか。
「そう硬くなるなよ。うちのメンバーを紹介するからちょっと座って待っててくれ」
「アネット、大丈夫だよ。ここの人たちは……多分、他の人よりもマシだと思うから」
「そうなんだ。よかったぁ……」
クレメンスが指揮を取る部隊なら、傭兵団よりは良いだろう。とは言え、他のメンバーにまでその教えが浸透していれば、だけど。
アガットが数名を連れてやって来る。私たちは立ち上がり、そのメンバーの正面に移動する。
「本日よりこちらの戦士団に配属されましたフィリスです」
「同じく、アネットです」
「あー、ここじゃそんな硬くならなくていい」
私とアネットが、着任と自己紹介をしようとするとアガットが止めてきた。
傭兵なんて皆偉そうにしていると思っていたのに拍子抜けだ。
「俺はアガット。この戦士団の副団長をしている。近接戦闘なら任せてくれ」
アガットはそう言うと自慢気に斧を見せてくる。材質は、普通の鋼で出来ていると思うのだけど……何だろう。凄い業物みたいに見える。腕の良い鍛冶師が作ったのだろうか。
「次は僕でいいかな? 僕はハミルトンって言うんだ。武器はこれかな」
次に出て来た男は弓を手に持って、ハミルトンと名乗った。それだけなら何てこと無い紹介だ。
だが、その顔に付いている耳が……尖っていた。
「エ、エルフ?」
「いや、人間だよ。耳がちょっと尖っているけど人間。あ、ハーフでもないよ」
「ちょっとって……」
私はその耳を見て思わずそう言ってしまった。すぐにハミルトンさんは否定して人間だと言い張っている。
どうみてもちょっと尖っているとかそういう問題になる大きさじゃないと思うんだけど……。
「ほら、次、次」
「そう急かすな。俺はディックだ。剣を使う」
ハミルトンさんが、説明を放棄して次の戦士の紹介を促す。気になるのだけど仕方ない。
次の人はディックという戦士らしい。剣を2本腰に佩いている所を見ると、二刀流で戦うのかな?
そして、その後、どんどん紹介されていく。いきなり言われても覚えるのが大変そうだ。
でも、皆は良い人そうでよかった。
「あれ? 魔術師とか治療師は居ないの?」
「あー、全員クレメンスの方に行きやがったんだよ。お陰でこっちの面子は全員男だぜ? 華が無い所に嬢ちゃんたちが来てくれて嬉しいくらいだ」
「あ、あの……私たちはそういう事は……」
どうやら、女のメンバーも居たらしい。だけど、見た目の良いクレメンスの方に行ってしまったと。戦力の分担をしっかりしないといけないのに、かなり自由な傭兵団みたいだ。
アネットが、華という言葉を聞いて変な事を言い出した。それを聞いたアガットや他のメンバーは焦るように否定をしている。どうやら、私たちはそういう意味でも守られたようだ。
そして、私たちはここでやる事を聞いて宿舎へ帰った。だが、いつまで待っても他の訓練生は帰って来なかった。
私たちは幸運だったみたいだ。




