ネクの記憶①
~これは、スズキの使い魔であるスケルトン、ネクの生前の記憶
そして、人間の神官戦士の少女フィリスの記憶~
「ていやぁ!!」
「うおっ! これならどうだ!!」
私は持っているハンマーで目の前の男を殴りつける。だが、男は私の攻撃を盾で受け流して、肩からタックルを仕掛けてくる。
持っていたハンマーと盾を手放してしゃがみ込む。両方ともしゃがむには、私の体格では大きすぎるのだ。
タックルを仕掛けてきた男は、その対象が突然目の前から消えた事でバランスを崩す。私はその隙に足を払うと男は転倒した。
金属鎧が地面の石畳に激突する音が鳴り響く。すぐに先程手放したハンマーを持つと男の眼前に突きつけた。
「……まいった」
「ありがとうございました!!」
男は、両手を挙げて降参する。私はそれを見て、男に対して礼を言う。模擬戦の相手をしてくれたんだ。お礼を言うのは当然だ。
すぐに盾も回収して、相手の前に向き直る。
「すげぇな、フィリスは。こんなにちびっ子なのになぁ……まだ10歳だっけか」
「そうです。でも今回は、運が良かっただけです。まだまだ頑張らないと」
先輩は、私の頭を兜の上から撫でながら言ってくる。
ここは、神官戦士の訓練育成の為に設けられた施設だ。私はその中でも最年少者としてそこに居た。
本来であれば、13,14くらいの年齢で入る施設なのだが、私の場合は少々事情が異なる。
生まれは、普通の家庭だったのだが、魔力の総量が果てしなく多くなる祝福を受けて生まれてきたらしい。
信仰心に篤い両親は、私が5歳になる頃に神官にする為に教会に預けたのだ。
そこから数年教会でシスター見習いとして過ごしていた。だけど、そこで見つけた神聖魔法の魔道書を読んだ事で、私の生活は急変した。本来、数年は勉強しないと覚えられない魔法を、すぐに使えるようになってしまったのだ。
それを知った神父様は、私を神官戦士の養成所に入れた。その才能を少しでも長く学ばせる為に。
そこからは、最年少の神官戦士見習いとして忙しい日々を送っている。私自身、充実した毎日を過ごしているから不満は余り無い。あるとすれば、子供らしい事が出来ないくらいだろうか。
養成所の休みの日に、普通の子供たちが遊んでいる姿を見ると少し寂しくなる。それくらいだ。
「ふぅ……。疲れたな……」
既に本日の訓練は終了し、自室に帰ってきている。いつもであれば、お風呂も食事も終えているのだからもう寝るだけだ。
だけど、今日は目が冴えて眠れそうに無い。ちょっと、散歩にでも出ようかな。
驚く事にこの施設は、門限というモノが無い。皆が真面目だから、そんなものを作る必要が無いのだ。
私は窓から抜け出すと、町の門を抜けて森に入る。ここの町の付近は、魔物が殆ど居ない。神官戦士の実戦訓練として、定期的に巡回しているのだ。
それにこの町は、魔族領とかなり離れているから、襲撃される事もない。
深夜の森は不気味というよりは神秘的だ。大人しい動物がいるくらいで、静かなものだった。
私は少し開けた場所で草の上に寝転がって空を見る。広い世界。私はこの世界を見て回りたい。神官戦士になるように言われているけど、かつて存在していたと言われている冒険者の様な生活をしたかった。
叶わない未来だ。私はこの後の人生も神官戦士として全うしていくのだろう。魔族や異種族との戦争が終わらない以上、世界を見て回るなんて夢のまた夢だ。
私自身は異種族の事をどうとも思っていない。教会の教義では、人間以外の種族は全て汚らわしい存在であり、忌むべき敵だと言っている。だが、私からしてみたらこの世界に生きる同じ生物でしかない。
尤も、こんな事を誰かの前で言ったら、異端として処刑されてしまうだろう。例えそれが、子供の戯言だとしてもだ。それだけ、この国の異種族に対する憎しみは強い。
「そろそろ帰らないと明日が大変だ……」
また明日から厳しい訓練が始まる。早く寝ないと寝不足でやっていけないだろう。そんな事を考えていると、誰かの気配を感じた。
私はハンマーを手に持って警戒する。危険な動物や魔物は殆ど居ないと言っても、全く居ない訳ではない。
「あれー? 人間?」
「……妖精?」
そして出て来たのは、背中に羽の生えた小人だった。小さな頃、まだ養成所に来る前に読んだ物語に出てくる妖精と全く変わらない。
その本では妖精は友好的な存在であり、人間に無意味に危害を加える生物ではないと書いてあった。何でも、神の僕である精霊と関係している種族らしい。
「ここに人間が来るなんて珍しいですね」
「私も妖精なんて初めて見たよ」
少なくとも目の前の生物は私と意思疎通が出来そうだ。いきなり襲い掛かってくる魔物とは違うみたい。
私は構えを解いて妖精を見る。ただし、警戒は解かない。いつ襲い掛かってきても返り討ちに出来るようにはしないといけない。
「丁度良いです。人間、私と戦ってください」
「え? 何で戦う必要あるの?」
「修行の旅をしているんです」
何で妖精が修行の旅なんてしているの!? 精霊と関わり合いのある凄い種族じゃなかったの?
妖精は手を前面に出すと炎の矢を放ってくる。詠唱なんてしていない。妖精って詠唱を省略出来るのだろうか。だとしたら手強い。
矢を紙一重で回避すると、私は一気に距離を詰めてハンマーを振るう。魔法を使ってくるのなら、距離があるだけ不利だ。
神聖魔法での攻撃も出来るけど、それには動きを止めて詠唱をしなければならない。そんな事をしていたら、詠唱を省略できる相手にとっては恰好の的だろう。
接近するまでに再度炎の矢を放ってくる。森の中で火なんて危険だと思う。恐らく相手はそんな事を考えて居ないのだろう。
私は、炎の矢にハンマーをぶつけて消滅させる。養成所で受けていた訓練の1つに古代や精霊魔法に対する対処法というのがあった。
それによると、正面から魔法を受けると回避出来ないが、それを横から殴りつける事で消滅させられるらしい。
ただし、それは下位の魔法だけであって、中位以上の高等な魔術には通用しないんだそうだ。とは言え、中位の魔法を使える人なんて滅多にいないらしいので、出会ったら不運としか言えないのだろう。
妖精と距離を詰めて攻撃を仕掛けようとする。だけど、ハンマーで殴ったら大怪我所じゃないだろう。私は空いた方の手で妖精を殴ろうとする。
だけど、妖精は飛び上がり、私の手では届かない位置まで上がってしまった。
「それはずるい!!」
「ふっふっふ……これで手は出せないでしょう。私の勝ちです」
そう言って、妖精は上空から地面に向けて炎の矢を放ってくる。距離が空いているので、どうにか回避する事は可能だ。
だけど、全部を消滅させるなんて不可能な訳で……。
「ちょっとまって! そんなに撃ったら引火しちゃう!!」
「……あ」
いや、正確には既に引火している。まだ小火という規模だが、これ以上戦闘を続けたら森は焼き尽くされてしまうだろう。
そんな事になったら私は閉じ込められて焼け死ぬ事になってしまう。
私は武器を下ろして、もう戦闘を続けない意思を示す。妖精もまたゆっくり下りてきていた。
「ごめんなさい」
「それより、水の魔法は使えないの? どんどん火の規模が……」
火はどんどん広がっていく。このままでは、大火事になるのは時間の問題だ。今のうちなら私だけ逃げる事は可能だろう。
だけど、森に住む生物は一杯居る。その生物やこのしょんぼりしている妖精をほっといて逃げるなんて出来そうに無かった。
「できます。詠唱しますので、こっちへ」
「解かったよ。早くね」
下位の魔法であれば、そんなに範囲は広くないから近くに行かなくても安全だと思うのだけど……。でも、そう言ってくるのであれば何か考えがあるのかも知れない。
私は妖精の隣に立つと、燃えている炎を見る。既にかなりの規模だ。
「まだなの!?」
妖精は未だに詠唱をしている。かなりの時間だろう。このままでは間に合わなく……。
そう思った瞬間、その魔法が発動した。
水の渦が現れたと思ったら、一気に炎にかぶさる。そして、水が消えた跡には燃えている炎なんて1つも無かった。一瞬だ。瞬きするくらいの瞬間にあれだけの炎が消えた。
「……何これ」
「中位の魔法です。詠唱時間が長いんですよ」
もし、最初からこんな魔法を使われていたら私に勝ち目なんて無かっただろう。
もしかして、この妖精って実は凄く強いんじゃ……。
「もう戦う気分じゃなくなってしまいました。また明日お願いします」
「え……出来れば戦いたく無いんだけど……」
私の言葉を聞かずに妖精は飛んで行ってしまった。この妖精との出会いが私の人生を大きく変えるなんて、この時の私には予想も出来なかった。
その後、慌てて養成所の宿舎に帰って寝ようとしたけど、目が冴えてしまって中々眠れなかった。
翌日、養成所の先生に怒られたのは言うまでも無い。
「フィリス、これでっ!」
「っと、危ない危ない」
妖精が魔法を放ってくる。私は盾でそれを掻き消す。慣れてくると、魔法を消す事は難しくない様だ。
あの出会いから1年ほど経過した。私とこの妖精は毎日の様に会っている。訓練をすることもあれば、妖精が見て回った世界の話を聞く事もあった。
どちらも、あの養成所という閉鎖的な空間にいる私には刺激的なものだった。
「今日はここまでにしましょう」
「うん、そろそろ詠唱省略のやり方を教えてよ」
この妖精には色々な技術を教えて貰ったが、詠唱を省略する手段に関しては全く教えてくれなかった。
その方法が解かれば、神聖魔法も接近戦で使えるんだけどなぁ……。
「あれは駄目です。うーん……なら、詠唱予約というものならいいですよ」
「本当?」
「うん、やり方自体は簡単です。詠唱をした後にですね……」
そう言って、妖精は私にやり方を教えてくれる。方法を聞いてもやり方は難しくはない。
何が大変かと言うと、凄い量の魔力が必要になるという事くらいだ。それ自体は、扱く単純なモノだった。
魔法を詠唱する→詠唱終了後、発動させずに維持する→維持した状態で別の魔法を詠唱する。これだけだった。
「こんなこと出来るの?」
「私が実際にそうしてやっています。さぁ、挑戦してみましょう」
「う、うん……」
私は半信半疑になりながら、神聖魔法の光の矢の詠唱を開始する。この魔法は神聖魔法の中でも初歩だ。
すぐに詠唱を終えると、その状態で止める。すると、すぐに魔法は霧散してしまった。
「あぁ……」
「駄目ですよ。詠唱完了した魔法を止めないといけないのです。さぁ、どんどん行きましょう」
すぐに次の魔法を詠唱し始める。どうやらこの妖精は見た目に反してかなりスパルタみたいだ。
こうして、私は数日間練習を続けて、この技術を身に付けたのだった。
「フィリスは魔法の研究とかしていないのですか?」
「研究? そういうのは、研究者の仕事かな。私は訓練だけで手一杯だよ」
「そうですか。今、私が研究している魔法を手伝って欲しかったのですが……」
この妖精は武者修行? と一緒に魔法の研究もしていたらしい。やっぱり、世界中を旅するにはそれくらい出来ないと無理なのだろうか。
だとしたら、私はまだまだ精進しないと駄目そうだ。自分が強くなるだけで手一杯なのだ。
「どんな魔法?」
「結界術です。旅をしているとゆっくり寝れないのですよ。寝ていても維持できる結界が欲しいのです」
「結界……あ、昔見た神聖魔法の本でね……」
子供の頃、修道院で見た魔法の本の内容を話す。結界魔法は古代魔法以外にも神聖魔法の中にもある。それを応用したのが物理攻撃を軽減できる光の盾だ。
その光の盾を広範囲にし、維持できれば結界みたいな効果を生めるだろう。
「ほー、神聖魔法ですか。使った事ないです。フィリス、協力してください」
「うん、色々と教えて貰っているお礼に手伝うよ」
こうして、私と妖精との結界魔法の研究は始まった。今考えてみると、この時間が一番幸せだったのかもしれない。
毎日が新しい発見と驚きに満ちていた。ずっと、こんな日々が続く、私はそう思っていた。いや、そう願っていた。
「待ってください! 彼らはまだ訓練生ですよ!!」
養成所の廊下を歩いていると、そんな叫び声が聞こえてきた。ドアの隙間から中を窺うと、いつも厳しい訓練を付けてくれる教官が居た。その正面には養成所の所長が見える。
教官の訓練は厳しいけど、いつもちゃんと私たちの事を考えてくれている。養成所を出るまでに、私たちに生き残る術を全て教え込むのにいつも一生懸命なのだ。訓練生は皆それを知っている。
「まぁまぁ、落ち着いてください。何も前線で戦わせるという訳ではありません。治療師として後ろで神聖魔法を使って貰うだけでしょう」
「それでも、訓練生である彼らを激戦区に送り込むという事には変わりありません!! お考え直し下さい」
どうやら、私たちを前線に送るとかそういう話らしい。魔族と人間の戦いは、そこまで切羽詰っているのだろうか。
養成所でも実戦経験はある程度積んではいる。だけど、戦争はまた全くの別物だ。何百、何千という相手と戦うのだ。少数のアンデッドを浄化するのとは訳が違う。
果たして、私たちに出来る事はあるのだろうか。出来ることがあるのなら、少しでも手助けをして皆を守りたい。
「これは、上からの決定です。覆らせる事は出来ません。貴方もそれは解かっているでしょう?」
「ぐっ……確かに上からの命令には従う必要があるでしょう。正規の神官戦士はどの程度一緒に来てくれるのですか?」
「訓練生のみです。大方、上の連中は根回しやパーティで忙しいのでしょう。当てには出来ません」
「……そうですか」
上とは、恐らく神殿の司祭や枢機卿からなのだろう。こうなっては、養成所の所長程度では抵抗すら出来ない。
所長が訓練生のみ、と言った後に皮肉を混ぜて批判していた。所長も悔しいのだろう。私たちの訓練期間は、所定の半分も満たしていない。
「では、準備の時間は多めに取らせて頂きます。訓練生の中には家族が居る者も少なくありません。それに……覚悟も必要です」
「さすがに、遠方へ挨拶に帰す訳にはいきませんが、10日ほどの時間は稼げるでしょう。それが精一杯です」
「ありがとうございます。では、これで」
教官が扉の方に向かって歩いてくる。私は慌てて扉から離れ、訓練場へと向かったのだった。
「そう……お別れなのですね」
「うん、もっと一緒に居たかったんだけど……」
教官が、訓練生全員にあの内容を話した夜、私は妖精に別れが近いことを告げた。
寂しいけど、私は命令に従わなければならない。養成所に入った時点で、いつかは前線で戦う事が決まっていたのだ。
「お別れはいつです?」
「10日後。研究も半端になっちゃったね」
私の家族は、遠く離れた地にいる。会いに行く事は出来ないだろう。手紙を出すくらいしか出来ない。
既に、手紙は書き終えている。後は明日の昼間に郵送の手続きをするだけだ。
「丁度良かったのかも知れないです。実は、目的の薬草が手に入ったのですよ」
「薬草? 武者修行じゃなかったの?」
「はい、本当の目的は、上位の精霊になる為の材料探しだったのです」
上位の精霊。それは、聖書にも神の使いとして出てくる存在だ。人間でその姿を見た者は殆ど居ない。
建国の英雄たちがその祝福を受けた、という伝承が残っているくらいだ。
「そういう目的があったんだ……凄いね」
「はい、凄い妖精だったのですよ。後は、この素材を混ぜ合わせて飲むだけです」
いつもの様に胸を張って言ってくる。この自信はどこから来るのだろう。だけど、別れになっても明るいのは私としては嬉しい。出来るのなら、笑顔で別れたい。
妖精は、今までどうしていたのか、何で上位の精霊になろうと思ったのかなどを話してくれる。結界の研究の全て、秘薬の作り方、そんな事まで教えてくれた。
私たちは、時間も忘れて語り合った。毎日、別れを惜しむように。
「フィリス、私に名前をくれませんか?」
「名前? そういえば、いつも妖精って呼んでいたね」
そして最後の日、突然妖精からそんな言葉を受けた。今までずっと妖精と呼んでいた。他に妖精が居た訳ではないから、それで十分だった。だけど……。
「うん、そうだね……ウルリカ。昔の英雄の1人の名前だよ」
「ウルリカ……ありがとうです、フィリス」
そうして、私とウルリカは別れた。もう出会う事はないだろう。ウルリカが上位の精霊になるのだったら、私とはもう住む世界が違う。
たとえ私が、この戦争を生き延びる事が出来たとしても、もう会えないだろう。でも、ずっと忘れない。忘れたくはない。この親友の事を。




