"また明日のディストピアで"
『──一月一日、時刻は凡そお昼程に、本日も終末ラジオのスタートです。……皆さんこんにちは、今日も今日とてラストワン村田です』
清涼感のある空気とは対象的な、砂嵐の悲鳴を奏でていた機械を撫でる。
手袋越しに感じるざらついた砂粒、歪み、傷跡、凹み。水中で拙い気泡を吐くように、やがてそれはノイズ越しに男の声を出力しだした。
瓦礫の山という比喩表現がある。
今この場を例えるならそれ以上に適した語句はなく、然し情景を言葉で正確に模写するのなら、私が座るのは"瓦礫の丘"だ。
『最近暖かくなってきましたね、といってもおかしなことに暦上はまだ全然冬な筈なんですが。風邪引かないように気をつけてくださいよーとか言うのが本来の季節なんでしょうが、風邪引くのは現実の温度差だよなっつってw……あは、スタッフの人にもウケてますね、くだらなさに対する失笑なんでしょうけど……まぁスタッフどころか誰一人私の周りにいないんですけどw』
乾いた笑い声が廃墟に児玉する。誰にも突っ込まれること無く彼は一人で喋り、語り、笑い──嗤う。
どこか自嘲さを孕んでいるのは"諦め"によるもので、それでもそんな冗談を辞めないのは"諦めたくない"からなのだろう。
眼下に沈む倒壊したコンクリートの残骸。
透き通る水色には元気に魚が泳いでいる。晴天を映すが故に明るくキラキラと輝いている水面において、植物の代わりに反射する雲が魚達の隠れ家だった。
浸食し、腐食し、苔の生え始めた、然し未だ聳え立っているビルの……割れた硝子。
廉価で有り触れている筈の物、その壊れた欠片。貨幣価値が崩壊した終末世界のこの水没都市に限り、塵は青空と水面を映すサファイアだった。
まるでミクロのウユニ塩湖。それが私の視界のあちこちで光を反射している。
美しい。まるでSNSでよく見たイラストのような様。惜しむらくは誰として書かなかった大量に浮かぶボウフラの存在だろう。
『……さて、そんなこんなでこのラジオも早いところで第181回目ということでして。私、回数を忘れないようにナイフで正の字を書いてメモしてるんですが、とうとう本日シェルターの壁の二面目に突入したんですよ! 今更ながら十画の"殺"の字にしておけばなぁと思う反面、こうして私のやってきた軌跡が目に見えて残っていることが、リスナーの反応が無い私の唯一の心の支えになっていたりします。……あ、お便り、送ってくれてもいいんですよ? 生きている人間がいればって話ですがw』
「君、昨日の放送でも181回目っつってたじゃん」
"おじいちゃん、壁の二面目は昨日行ったでしょ"、と。
私以外存在しない終わった街で、くすりと笑いながら思わずツッコんだ。
或いはそんなこと分かってての、敢えてのツッコミを期待した古参判別の儀式なのかもしれないが。……そうだとしたら小癪にも私をハメやがったなこのやろう。
刺激も娯楽も自身の感性で探すしか無い世界でただ一つ、私以外の存在から与えられる刺激は、日々を生きる中で一番の楽しみだった。
どこだかのまだ生きてる電波塔で、誰からも反応を貰うことなく、誰か聞いてる人が居るかも分からない中、本当に届くかも分からぬまま、それでも。
182回も毎日欠かさず命を伝え続けている彼は、今日も見事に生きて私に声を聞かせてくれた。
まだ、私以外の誰かが生きていた。
『じゃあ早速、今日も行ってみましょうか。ラストワン村田の弾き語りのコーーナーー!! ……といっても新曲は増えてないから、既に弾いた曲から見繕うことになるんですけど。……はてさて、本日お届けする曲はミカヅキです。これ弾くの何回目になりますっけ?』
「六回目じゃなかった?」
『レパートリーが少ないって? しょうがないじゃないですか、練習辛いんですから。誰が聞いてるでもないのに新曲練習して覚えてくるのって自己満足以外の何ものでも無いんですからね!?』
「お陰で君の好きな曲全部覚えたわ。はよ新曲覚えてこいカス」
十字架を捨ててメモ帳を取り出す。
パラパラと捲って8P目、記してあるのは彼のミカヅキを聴きながら書いた歌詞。
メトロノームを置いて針を弾く。カチカチとリズムを刻みだし、やがてそれに彼のギターの音が乗った。
ズレを直す。
パート割りもクソもなく、そうして私達はどこか知らない場所で声を重ねて歌い出す。
ノイズがかった決して上手くは無い男の声と、絶世の美少女ボイスが、ただリズムだけを共有して不協和音を奏で出す。
水面が波紋に揺れて、平和ボケした行為が終末を迎えた世界に児玉する。
暇潰しなのだろうか? 最早趣味とも呼べるのだろうか?
ただ楽しさに突き動かされて、私の声はこの時だけは跳ねていた。
『……はい、ありがとうございました。いや誰にお礼を言ってるんだってところで……182回目の終末ラジオも、そろそろエンディングの時間となってまいりました』
楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、もう二曲ほど知っている曲を歌ったところで、男はラジオの終わりを告げた。
最初の頃と比べて遥かに短くなった放送時間は、電波塔に由来するものなのだろう。
電力が不足しているのか、施設の破損が酷いのか、名残惜しそうに彼は歌を切り上げ一言二言の雑談を挟み、いつも通りの挨拶を始める。
『……もし、本当に生きている人が居るのなら、この声を聞いている人が居るのなら……まだ自分以外に生きている人がいるんだぞって、少しでも希望を持って頂くために、きっと明日も明後日も明明後日も、命尽きるまで私は声を届けたいと思います』
いつまで私はこれを聴くことが出来るのだろうか?
用事は終わり、寂れたラジオを片付けながら十字架を抜いて立ち上がる。
風にコートがはためいて、刃先は陽光に当てられ緋く煌めいた。
「さ、今日も化け物をぶっ殺そう」
ラジオ塔を探す旅はまだ終わらない。
目的の薄い終末世界紀行の中で久々に見つけた意欲的になれることは、私も彼に声を届けてみたいという単純なもの。
大層な動機も、誰かを救いたいだとかもなく、ただ"私もやってみたくなった"という軽い理由で私は旅をする。
生きている施設は本当に数少ない。比べて邪魔者のなんと多いことか。
それら全てを叩き潰して往く私は、マイクに辿り着けたら誰に届くかなんてどうでも良く、ただ彼を見習ってこう伝えよう。
誰に届くかなんて知らなくても──
『──では皆さん! また明日のディストピアで』
──"まだ私は生きてるよ"って。




