本編2-11「お花を摘みに、参りましょう」
命を刈り取られたグリフィスはその場で力を無くし、岩と木の根が覗く地面へと激突する。見た目相応に重量感のある音を立てて、その巨体が地に伏せった。
遠めに見ても確実に息絶えたその様子に、明らかな安堵の空気と、控えめな歓声が広がった。
戦いに参加していた人達は皆、満身創痍で、無疵壮健な者など一人として居ない。へたり込む者、横たわる者、動き回れる者も彼等の治療に掛りっきりで、誰も彼も余裕を見せる余地すらない。
そんな中、疲労はあるものの全員が軽傷で済んだが為に、重傷者の手当てに奔走している〔紅雷〕の隊長、ベルカさんへひっそりと歩み寄り、声を掛ける。
「グリフィスとの戦い、お疲れ様でした。私達は周囲に脅威が残っていないか、見て回ってきますね」
それだけを伝え、彼女の返事を待たずしてその場から立ち去る。
少し離れた場所で待機していたティアとエマちゃん2人と合流すると、目星を付けていた目的地に向けて一直線に移動を開始した。
「あ、あの、クスハさん。私達は、その、えっと……。あっちの手伝いはしなくていいんでしょうか?」
走り始めて直ぐに、エマちゃんが控えめに尋ねてきた。
「ああ、それなら気にする必要無いわ。だって、私達はベルカさん達のオマケだもの。私達が態々出しゃばる場面では無いわ」
「ええ。あの程度の被害でしたら、彼等だけでも何とかなるでしょう。そうでなくとも、あの者達に使う回復魔法は持ち合わせては居りませんが……」
極自然な調子で、笑みまで見せておっかない事を言うティアは、まぁ、置いておいて、
「そ、そうね。彼らも冒険者なら、死ぬ事も含めて織り込み済みでしょう。それに、向こうより優先すべき事が此方にはあるしね」
エマちゃんの速度に合わせつつ、駆け抜ける森の先、目指す場所を見据える。
エマちゃんに魔力強化のコツを教えながらだったものの、その甲斐あってか、想定より遥かに速く移動する事が出来た。見る見る内に、切り立った幾つもの崖が木々の向こうに見え隠れしてきた。
目標は近い。
「ティア、エマちゃんの護衛はお願いね」
短く、別行動した際の方針を確認する。
「ええ、お任せ下さい」
涼しげに応える彼女に頷いて返すと、細い楯状大地が林立する地帯に突入した。
真っ直ぐに、垂直に空へと伸びる針葉樹の大木はそのままに、その幹はさらに太さを増し、高さだって一回り二回りも抜きん出ている。一本一本が、相当な樹齢なのだろう。
巨大な原生林だけでも圧倒されるのに、それを更に雄大にしているのは立ち並ぶ崖の数々。高低差百メートルを優に越えるであろう岩肌の、至る所に見える苔やら潅木が、緑の力強さ、生命力を感じさせる。
秘境の見せる絶景に見惚れて居たくもなるが、残念ながらそんな時間は無い。
この岩山の、頂上のどこかに目標対象がいるのかと思い、全方位に精密捜索波を走らせると、意外な結果が出た。
探し者は、地上にいた。
岩山と岩山との間、周囲より低くなった窪地だった。
近付いてみると、地肌は岩で覆われ、そこだけ木も生えていないのでポッカリと空が明るい。中央付近には気持ち程度の枝葉が積まれ、その中でソレは警戒心を剥き出しにしていた。
「グリフィスの子供、みーーっけ!」
そう。探していたのは、子供のグリフィス。あの番いの子供だ。
母親の様子と、オスメス両方揃っている状況からして、子供がいる可能性は十分に高かった。
卵の場合も想定していたのだけど、幼い雛ですらなく、そこそこ成長していたのには意表を付かれたけども。
子供でありながら、既に私の身長を軽く超えており、大人の馬を更に一回り大きくした位の体長がある。
見た目だけなら十分に脅威に感じるであろう体躯で、可愛らしく鳴きながら、翼を目一杯に広げて接近する私を牽制なんかしてきちゃってたりする。微笑ましさ全開だ。
「成長具合から見て、あと三ヶ月もすれば巣立ちを迎える個体みたいですね」
ティアが、威嚇も何処吹く風で、冷静に分析する。
「人間の年齢で言うと、それってどのくらい?」
「大体、十四歳から十六歳くらいでしょうか」
「へー、そうなんだ。汚染されてたりはする?」
「いいえ。幸いにもその兆候は見られません」
「そう。それじゃ、性別は?」
「良かったですね。メスですよ」
含みを持たせた笑顔でそんな事を言うもんだから、思わず身構えてしまう。他意は無いものだと信じたい。しかし、そうか……。女の子か……。
元々、オスだろうとメスだろうと、巣立ち前の小さな子供の命を奪う積もりは極力無かった。けれども、この子がどこまで理解出来ているかも重要だった。
下手に、両親を人類種に殺された事を根に持つ様だったら、新たな被害が出る前に処分しなければならないし、理解出来ないほど幼なかった場合であっても、残酷な事実は伏せた上で、本来の生息圏まで追い返さなければならなかった。
いくら霊獣と言っても、翼が整っていない未熟な個体が生きて行けるほど、自然は甘くない。そうなっては、寝覚めが悪い。
その点、目の前の個体は巣立ち前ながらも、自力で飛べる程度には成育済みのようであったし、何よりもそれは、オスだった場合での話。
メスであったのは、非常に都合が良かった。
例え、怒りに任せて襲ってこようとも、自然の摂理に則り、捻じ伏せて従える気しかなかった。しかも、グリフィスとしての能力を最低限でも備えているとなれば、計画を実行に移すしかないよね!
目の前のグリフィスの子供が懸命に翼をはためかせ、威嚇の声を上げる中、意に介さずに一歩強く踏み込むと、一際大きく鳴き叫んだ。
「『両親に続き、自分も殺すのか!』と言ってますよ?」
ティアが通訳をしてくれる。ふむ……。現状も理解出来ているし、意思の疎通も出来そうだ。
「ねえ! 私の言葉分かる? ニンゲンに対して、恨みはある?」
まだ若干の距離があったので大きめの声で問いを投げ掛けると、
「ピピーー。キュイッキュイッ、キュルルッキュイー」
返事が返ってきた。何て言ったのかティアの方を向くと、
「『思う所はある。が、縄張り争いの結果に異存は無い』だそうです」
へえ、思ってたより物分りが良いわね。頭も悪くない。良いわ、益々気に入った。
私はその場で背筋を伸ばすと、ゆったりと右手を突き出して告げる。
「グリフィスの子供よ! 私の眷属になりなさい。損はさせないわ。私の庇護下に入れば、配下として、あらゆる一切の障害に悩まされない一生を保証してあげる」
言い終わると同時に、隠蔽していた力を一気に解放する。判る者には解る、次元を逸脱した絶望的なまでの破壊力を秘めた魔力が吹き荒れる。
空も大地も震えているのに、空気だけが固まっている。呼び掛けられたグリフィスも、身動ぎ一つ無い。
「それと、このままだと貴女、グリフィスの生き残りとして討伐される可能性が非常に高いわよ。貴女に戦意が有る無しに関わらず、ね。それにあわよくば逃げたとしても、今後は一匹で生きて行かなきゃならない。今の貴女には荷が重いんじゃないかしら? なら、私の許に来るのが一番の得策よ」
私の実力、彼我の戦力差は充分に知らしめたので、何事も無かったかのように力の奔流を引っ込める。
サラサラと、風が、頬を髪を撫でる音だけが時の流れを物語っていた。
暫し、逡巡していたのだろう。それでも、最後には納得したのか巣を抜け出すと、一歩歩いては止まりを繰り返しながらも、最後には私の右手に額を擦り付けて、座り伏した。
私は「良い子ね……」だなんて呟きながら、改めておでこをクシャリと撫で付け、眷属化させるだけの魔力を手の平に集中させる。ふと、妙な抵抗を感じた。
『ねえ、この娘と隷属的な主従関係を結べないんだけど。なんで?』
誰でもいいので、聖霊の誰かに疑問をぶつける。
『それはね~、れいじゅうのかごのせいだね~。げんじゅ――』
『一定以上の知的生命体は、みんな聖霊の加護を受けてるの……。ある意味、聖霊の眷属なの。生物の中でも霊的な存在になればなるほどそれは顕著で、他者の主従関係、特に魔力での繋がりがあった場合、そこに当事者以外が介入する事は出来ないの……』
台詞を奪われたミコトが、スイの顔をじっと見つめ、スイも真正面から受け止める。ミコトがスイの頬を両手で摘むと、ムニムニしてじゃれだした。横では、ホムラが肩を竦める。
『つまりは、霊獣であるグリフィスの、上位存在の許可が必要って訳ね?』
『ええ。グリフィスは風の加護を受けた霊獣だから、この場合はフウの管轄になるわね』
竦めた肩を戻すと腕を組み、グツグツと煮え滾ったお湯の中で半口開けて白目を剥いている同格へと目を流す。
中々に衝撃的な光景は見るも無残で、加えて、電撃の影響でピクピクと細かく震えている様は、哀愁さえ抱いた。
『フウ、出番よ。出て来なさい』
映像的に疑問の残る惨状は見なかった事にして、瀕死にしか見えない体の少女を呼び付ける。
すると一瞬で湯船に沈んでいた肢体が消え去り、「ほいっ」と声を発しながら瞬時に私の胸元から飛び出し、回転を伴って真横に着地した。
派手な登場の仕方をした彼女だったけれども、両腕は後ろ手に縛られ、その上から雁字搦めに簀巻きにされていたのでは実に締まらない。
纏う服もズブ濡れで水を滴らせているし、髪の毛もチリチリに爆発してしまっている。なのに顔だけは不敵な笑みを湛えていたりするので、突っ込むべきかどうかも、正直迷ってしまう。
私が内心で苦笑を漏らしていると、手の平から明確な怯えと崇敬の意思を感じた。ああ、こんなナリでも、聖霊本体であることには変わりないものね。
見てくれは特に気にして無いみたいなので、単純に存在感のみを基準に判断しているのだろう。そこは 、“自然”を生きる生物ならではだね。
「それじゃあ、フウ。このグリフィスの子供を私の眷属にしたいんだけど、手続きをお願い出来る?」
「えー? 仕方無いなー。お姉ちゃんってば、相変わらず女の子が大好きなんだからー」
ニヨニヨ、ムフフと小気味悪く笑って、準備運動らしき動作を始める。クネクネしたり、ピョンピョンしたり……。
ギチギチに食い込んでいた筈の縄が一遍にストンと下に落ちて、「承り!」右手でチョキを作って、右目に当てた。
「それはウケないし、流行らないし、何よりも流行らせない」
氷の心で言い放つ。
「むー。なら、『かしこ――』」――パシンッ。
文字だけを変えて、と言うか、よりヤバさを増した文章を口走りつつ、同じ姿勢を取ろうとしたフウの手を、寸前で叩き落とす。
「止めなさい。それだは駄目よ、絶対に駄目! 完全なパクリになってしまうわ!」
両手で顎を包み込むように挿み、気持ち上方向へ持ち上げながら言い聞かせる。
「いひゃい。わかっちゃ。わかっちゃからへをはなしへ」
腕をタシタシと叩いてきたので、素直に解放してあげる。
「んもう、全くぅ……。乱暴なんだからあっ。良いわよっ、普通にやってやるわよ!」
小さい子供が背伸びした感満載のあざとい科作りから、何故だか急激に口調が変わって逆切れ調になる。
吐き捨てた彼女からは、直後、淡い緑色の光が発せられ、雰囲気が一変した。何時の間にか服装も変わり、髪もつやっつやのサラッサラ。身形が見目麗しく整っていた。
「我は風の聖霊『風』也。汝に告げる。其を縛りし古の契約は、今ここに移譲される。これからはこの者、『桜川樟葉』を主とし、その生を全うせよ。臣として尽くすがよい。これは双方の合意の下、風の聖霊の名に於いて結ばれる新たな契約である」
私は再びグリフィスの額に手を触れ、その上からフウが手を重ね合わせる。私は彼女の意志を、改めて確認する。
「私に臣従する事に、異論や異議は無いかしら?」
「クェアー」
翻訳を待たなくても、手の平から心底、隷従の意が伝わってくる。
この子の目の前で、少なくとも私とフウは同列、もっと踏み込めば、風の聖霊が私の従者の位置に収まっているのを、見せ付けられたのがとても大きかった。この娘達は普段はおちゃらけてしか居ないけど、要所要所にて、常に私にとっての最善の行動を取ってくれる。
今回だってそうだ。動物基準でなら、力で支配するのは容易い。最も簡単で明確な方法でもある。しかし、それでは足りない。力に依る恐怖支配では、心からの信服は得られない。
私が欲しいのは、本気で信頼出来る仲間と従者。魂からの結び付きであり、その繋がりを形成するのに最も重要なのは、本人同士がそれを強く望む事。
一方通行でも駄目だし、片方の腹に一物でもあれば、成立しない。親愛の証としての婚姻が最たる例で、主人と従僕の関係も一緒。
その点、先程の遣り取りは非常に効果的だった。私が言外に聖霊が一目置く存在だと、認識させたのだから。
こうなれば、後は早かった。私の魔力が彼女に浸透し、使役する者と従属する者としての聖霊回路が確立される。これからは、彼女は私の手足の一部となる。拡張手足として、たっぷりと可愛がってやろう。
「これで、貴女は私のモノになりました。よって、名前を授けます」
顎に手を当て、思わせ振りに思案顔を作る。とは言っても、既に名前は決まっていたりするのだけど。
グリフィスに子供がいるであろうと判断した時点で、それも女の子であった場合、眷属としてお迎えする事を夢想して、予め考えておいたのだ。
「グリフィスは風の聖霊に連なる霊獣だから、風に縁のある名前を付けたいわね……。よし! 貴女の名前は、『疾風』とします。これからは、私の為に尽くしてね? ハヤテ」
慈しむように、頭を抱き寄せる。ハヤテもされるが儘、私の肩に頭を預ける。
ちょっと硬めの毛はゴワッとしていて、あまり頬が気持ち良くない。
臭くは無いのだけど、獣臭も当然ある。愛玩するには、これではちょっとだけ不都合だ。
そこで、考えていた事がもう一つ。
「貴女は合格。満点以上よ。花丸。よって、貴女には『人化』して貰います」




