本編2-8「私の日常に迫る危機」
「ベルカさん。あのバ――じゃなかった、あの自信満々な奏天の隊長さんなんですけど、あれって一体何なんですか?」
討伐隊に参加している冒険者の面々は〔奏天の霹靂〕が定めた戦闘地点を中心に、それぞれの組隊に分かれて放射状に散らばった。
私達は当然の如く、〔紅雷〕の皆さんと一緒だ。そこで私は、魔物探しで森の中を散策するその道すがら、どうしても気になってしまったので思い切って聞いてみたのだ。
「実力は確かにスクア程度には持っているみたいですし、他の隊員に至ってはペンネを名乗れるだけの力量なのだろうと見受けられるのですが、それでもあの人だけは、どう見てもスクアの中堅が良い所だと思うのです。物言いも上から目線で尊大ですし……。それなのに、どうしてあんなのがペンネの隊長を務めていられるんですか?」
私の質問に、「クスハちゃんも、中々に辛辣だねぇ」なんてケタケタと笑ってから、
「それはね、アレが貴族の御子息様だからだよ。確か、どこかの伯爵だかの四男坊だとか言っていたかな……。あの空気が読めない偉そうな喋り方は、それが原因さね。隊長なのも、同じ理由。冒険者としての腕っ節や才能はそこらの下手な奴よりかは有っても、貴族である事に変わりは無いからね。念の為にと、心配した当主が腕利きを何人か雇って宛がった結果、中々どうして上手く機能しちまったみたいで、気が付いたらペンネにまで昇格する条件を満たしてたって寸法なんだよ」
――中位貴族家出身って事で、昇級審査の時に多少甘めの忖度があったのかも知れないけどね。けど、それだけの理由で判断を誤るほど、冒険者協会は腐っちゃいないよ――とも、苦笑いをしながら教えてくれた。
つまり、総合力としてはペンネの組隊“相当”と判断されたって事か。人は見掛けに依らないもんだね~。
雑談をしながらも、“気配を消して歩く”、なんて芸当を皆がみんな、当然といった風で慎重かつ気楽に移動していると、二十分程過ぎた辺りで、漸く前方から魔物らしき動物が急速接近してくるのを感知した。
私は、唯一存在感を駄々漏れさせている、背後の少女へと振り返る。
「エマちゃん。貴女の気配に誘き寄せられて、向こうから次々と魔物がやって来てくれているわよ」
当の本人は、何を言われたのか分からないらしく、目をパチクリとさせている。
「ああ。私らだけじゃ、こうも上手くはいかなかったからね。エマが居てくれたお陰で、探す手間が省けて助かったよ。ありがとな」
目線は魔物のいる方角へ固定させたまま、彼女の肩を軽く叩くベルカさん。
「あーー、それってもしかして、もしかしなくても私が呼び餌になってるって事じゃないですか~~~!」
自分の置かれた立ち位置に、残念ながら気が付いてしまったエマちゃん。
「ほら、今のエマさんの叫び声で、魔者達が加速しちゃいましたよ。数も……、少し増えたみたいですね」
耳を小刻みに動かし、風から情報を聞き出していたティアが困り顔で笑いながら冷静に突っ込みを入れる。ティアのイジリは、普通に心臓に悪いと思う。
度重なって繰り出された冗談に、『あうあう……』と涙を浮かべ始めてしまったエマちゃんであったが、私はそれを見て、
「あー、もう。よしよし。悪かったから泣かないの。貴女がこの中で一番未熟なのは変え様が無いけれど、だからって足手纏いって訳では、決して無いんだからね?」
胸に抱き寄せて、頭を撫でながらあやしてやる。
「お前ら……、いつもこんな感じなのか?」
顔を上げると、此方に半目を向けてしまっている、ベルカさんと目が合ってしまった。
「いえ、何時もでしたら、クスハが変な事を仕出かして、私とエマさんで指摘するのが日常ですね」
「ティア、余計な事は言わなくて良いから」
エマちゃんの後ろ髪を手で掬いながらも、抗議の声は上げておく。
私達が、至って普段通りの遣り取りで通常運転を続けていると、その様を見ていたベルカさんは数度頭を掻き、
「はあ……。これから魔物を迎え討とうってのに、ここまで緊張感の欠片も無い新人は初めてだよ……。その様子なら、特に手伝う必要なんて無いよな!」
それだけを言い残し、他の方々を引き連れて少しだけ距離を取った。
「それじゃあ、私達も戦闘準備を始めよっか」
二人に聞こえるように大きめに呟くと、私はエマちゃんのおでこに一つ口付けを落としてそっと彼女を放す。そして、腰に佩いた見てくれだけが目的の『何の変哲もない、只の普通のお店で売ってる鉄の剣』をスラリと抜きさり、構えるでもなく隣の恋人へと言う。
「ティア。今回の遠征は貴女が乗り気だったのだから、基本、貴女が全部対応してよね。私は後ろで待機しているから。つまりは、この場での隊長は貴女です。貴女に一任します」
私から一切合切の全てを丸投げされた彼女は、しかして、
「はい。拝命致しました。クスハの御期待に応えられる様、誠心誠意尽力致します」
そう言って右手を左胸に乗せ、膝を軽く折り曲げて恭しく優雅に一礼してみせた。
『おい、そこ! これから魔物との戦闘だって事、本当に分かってるよな!?』
少し離れた場所から、複数の怒り混じりの呆れ声が浴びせられた気がしたが、まあ、右から左へと流しておこう。
「それで? 敵の構成は?」
私が手遊びで素振りなどをしながら質問すると、
「正面から、フォレスハウンドの群が二十四匹。距離は五百。後、離れていますが、二時の方向からベルゼグリーズが二頭、様子を伺っていますね。どさくさに紛れてあわよくば、漁夫の利で一網打尽でも狙っているのかも知れません」
――不届きですね――そう、冷ややかな笑顔で答えてくれた。
『ちょっ、フォレスハウンドが二十四!? 気配の多さからある程度の数は予想出来ていたが、いくら何でもそれは多すぎるぞ!』『十匹程度であれば問題なく対処できますが、それだけの数が相手となると流石に骨が折れますね……』『それに、ベルゼグリーズだって!? 普通に危険指定の魔物じゃないか!』
ティアの報告が自然と聞こえていた〔紅雷〕の皆さんからは、それまであった僅かばかりの余裕が消え去り、切迫した緊張感が一気に膨れ上がった。
あちらが本気の臨戦態勢へと移行している最中、一方でこちらはと言うと、打って変わって先程と変わらない、のんびりとした空気を維持したままだ。
いや、エマちゃんが向こうの雰囲気に中てられて不安そうな様子を見せたので、一旦剣を放すと今度は後ろから優しく抱き締め、落ち着かせてやる。
「それでは、クスハ。エマさんをお願い致しますね」
私達の前に一歩進み出た彼女は、珍しい事に仁王立ちになった。私はその姿に違和感を覚えたけれど、取り敢えず――『ええ、任せて頂戴』――そう答えた。
「ああ、それと一つ。確認したいのですが、別に、アレらを全て倒してしまっても構いませ――」「いや、ちょーっと待った!」
私は途中で危険を感じ、咄嗟に彼女の言葉を止める。
「今、『構いませんよね?』とか言おうとしたよね!? 駄目だから! 構うに決まってるでしょ! 半分くらいは残さなきゃ!」
ティアの思い掛けないボケに、全力で突っ込んだ。
「そうなのですか? 戦闘を任された時に言う常套句だと、フウ様に教えて頂いたのですが……。どこか間違えましたでしょうか?」
頬に手を当て、困った様に小首を傾げる彼女。
元凶は風の聖霊様か……。後でお仕置きをせねばなるまい……。
「使い所がちょっと違うのよ。少なくとも今はその時じゃないし、不適切だわ。それよりも、ほら。そろそろ敵が見えてくる頃じゃない?」
私が指摘した丁度その時、大木の間を縫うように駆けて来る狼に似た魔物がチラホラと視認できた。
「それでは、半分だけ残して殲滅致しますね」
改めて前方に向き直った彼女は、指揮棒に似た大きさの杖らしき物を胸元から取り出し、前方へと突き出すように斜に構えた。
【水属性魔法】――《氷柱投擲槍》――。
突撃槍よりかは細くて威力も低いが、その分魔力消費も低くて生成効率に優れた魔法を展開させる。その数、十二本。杖の先端が光るオマケ付き。更に杖から発せられる輝度は増していき、
【地属性魔法】――《蔓縛鎖》――。
次なる魔法が発動した瞬間、私達の側に迫りつつあった直近の十二匹が、地面から伸びた蔦に瞬く間に拘束されてしまう。
彼女にしてはやけに無駄な動作が多いなと訝しんだのも束の間、
「氷の刃よ、迫り来る敵を穿ち抜け! アイスピアーランス、シュート!」
世界が停止した。想像だにしなかった掛け声と共に打ち出された氷の短槍は、一本も外れる事無く魔物達の命を一撃で刈り取った。目の前の光景が信じられず、理解が追い付かない。
止まったのは、私の思考。
私は何か悪い夢でも見ているのだろうか。それはまさしく、死角からの精神攻撃だった。だとすれば、敵は相当な手練れと見える。気が付くと私は、彼女の許へと駆け寄っていた。
「ティア!」
彼女の両肩に手を置き、真剣な表情で問い詰める。
残りの十二匹は怯みを見せつつも八匹と四匹に別れ、少ない方が私達に向かって襲い掛かってきた。
咄嗟に、持っていた“切れる鉄の棒切れ”で振り払う。
一匹目を横に断ち切り、二匹目を袈裟切りに、三匹目も切り付けるも上手く切り払えなかったので、四匹目には突き刺してそのまま放置する。
「貴女、一体、どうしたっていうの? 何か悪い物でも食べた? はっ……!? それともまさか、どこか変な場所でも頭を打った?」
肩を揺すっていた手を止め、彼女の側頭から後頭部へと確かめるように手を這わせる。
一方隣では、残りのフォレスハウンドが〔紅雷〕の人達へと殺到していたが、そんな事を気にしている余裕など今は微塵も無い。
「特に問題は無さそうね……。それじゃ、念の為に体の方も調べてみましょうか」
自然な流れで更に抱き寄せ、背中へと回した手を前の方に――移動させようとした刹那、二人の間に割り込んできた人物にその先を遮られた。
「クスハさん! そこまでです。ティアさんも目を回しちゃってるじゃないですか。それ以上はいけませんよ!?」
頬を紅く染め、怒ったような、困ったような顔をしたエマちゃんだった。
上目目線で『むー』と言いたげな表情だったので、かなりの御不満、御立腹であると見受けられる。
「いやねぇ……。冗談よ、冗談」
私は内心慌てながら、上手く笑えていないだろう笑顔をなんとか浮かべて、彼女の頭をポンポンする。それでもまだ恨めがましそうな目で訴えてきたので、可愛らしく膨らんだほっぺに口付けを贈ると、漸く溜飲も下がったのか、矛を収めてくれたようだ。
パリッ――。足元に集約された電子が空間へと放たれ、空と大地が繋がる感覚。考えるより先に飛び退った一寸後、破裂音を伴った稲妻が立っていた場所を貫いた。
「ク~ス~ハ~~」
声のした方に首を軋ませながら振り向くと、杖を天高く掲げたティアが目に飛び込んできた。目が据わっている。
そして心なしか、全身が細かく震えている。
杖に見た目の変化は一切無いけれど、先程の攻撃とは比較にならない程の魔力が杖先へと集中していく。あ、これはヤバいヤツだ。シャレにならない威力の雷が放たれてしまう。
「貴女こそ、一体何を考えているのですか? こんな人目がある場所でだなんて、恥ずかしくて死んでしまうじゃないですか! せめて、時と場所を弁えて下さい。家に戻るまでは自重して頂かないと、困ります!」
あ、そっちの意味で怒ってたんだ? どさくさに紛れて悪戯しようとしたり、エマちゃんに色目を使ったのを咎められてた訳じゃ無かったのね。良かった。安心した。
「それについては悪かったわ。ごめんなさい」
姿勢を正し、軽く頭を下げて謝罪する。
「でもね、ティア。貴女にだって非はあるのよ? 貴女が性質の悪い病に罹ってしまったのかと、本気で心配したんだからね?」
今度こそ自然に、邪な気持ち一切無しで彼女の腕に触れる。
「そんな!? 知らぬ事とは言え、それ程の御心配を御掛けしてしまっていたとは……。全く気が付きませんで、申し訳ありませんでした。……ところで、その、『病』とは一体何なのでしょうか? 私は特に、不調を感じたりなどしていないと思うのですが……」
手の平を下に、両手を胸元の高さにまで上げて両腕を交互に確かめるティア。
「あー、それなんだけどね……。さっきの闘い方は、どうしちゃったのかな? って……。貴女にしては無駄な動きが多かったし、魔法の発動には呪文――って言って分かるかな、特に何かを唱える必要なんて無い筈なのに、思わせ振りな台詞を発してから魔法を打ち出したじゃない? 誰の入れ知恵か気になっちゃって。あと、その謎の杖はどこで手に入れたの?」
大方の、大体の予想は出来ている。
しかし、世の中には敢えて確認を取らなければならない場面というのが、往々にしてあるものだ。
「こちらもフウ様に教えて頂きました。クスハの住んでいた地域では魔法を撃つ際、言葉を乗せるのが一般的なのだとか。より長い方が、威力が高まるとも……。この杖も同様でして、最も有名な魔法使いは、こう云った片手で持てる短い杖を介して魔法を発動させるのだそうで、こちらはフウ様の計らいで、ミコト様に御用意して頂きました」
おおっと。ここでもう一人の問題児、地の聖霊の名前が出てきたぞ。
あの娘は自分からは決して動かないくせに、周りの面白そうな悪乗りには好き好んで便乗する悪い癖がある。緊急では無いけれど、面談をせねばなるまい。
溜息を心の中で吐いていると、複数の人影がこちらに歩み寄ってくるのを感知した。
「オイオイ。こっちの方から大きな音がしたもんだから見に来てみれば、当の本人達はずいぶんとお気楽そうじゃないか。ええ?」
向こうで、魔物の群と戦っていたベルカさん達だった。
彼女達の戦闘も、難なく無事に終わったと見える。元気そうで何よりだ。
顔の各部が引き攣っているが、気にしない。
「それよりも、さっきのティアさんの魔法、凄かったです! 森人族というのは、みんなあんなにも魔法が得意なのですか?」
横から飛び出してきたのは、サリーヴさんだった。彼女は瞳をキラキラさせながら、ティアににじり寄る。
隣に居たウラニュエスさんが襟首を引っ張ると、目を瞬かせてから後ろへと引っ込んだ。
「急に驚かせてごめんね。このコ、魔法の事になると目の色が変わるのよ」
苦笑を交えて、申し訳なさそうな顔で注釈してくれるキーリィさん。
呆気に取られていたのか、ぼーっとしていたティアも金縛りが解けたのか小さく首を振り、
「い、いえ。私も、森人族の国とは離れて暮らして居ましたから、他の森人族に関しては詳しく無いのです。ですが、森人族に関わらず、あの程度であれば誰でも出来るようになると思いますよ?」
若干困惑しながらも、後半は流暢に言ってのけた。
それに対し、完全に黙りこくってしまった〔紅雷〕の皆さん。あと、エマちゃん。
「ははっ。流石は魔法が得意とされる森人族さんだ。言う事が違うね……」
イザベラさんがバツの悪そうに頭を掻く。ウラニュエスさんは、何だか苦い顔をしていた。
あ……、これは悪い流れだ。言っちゃ駄目なヤツだ。私は慌てて場を取り繕う事にした。
「ス、スミマセン。この娘ちょっと、常識に疎いんです。悪気は無いんです。気を悪くしないで下さい!」
大袈裟な身振り手振りで釈明する。不意に、横から肩をトントンされた。
「あの~、クスハ? 貴女にだけは、非常識人扱いされるのは何だか違う気がするのですが……?」
じとーっとした目で、睨まれていた。
彼女の方も失言だったと自覚しているのだろう、目力が篭っておらず、迫力も無い。
気恥ずかしさからかムクレ気味なのも相まって、可愛らしさの余り身悶えそうになる。
ま、今さっきの事もあるので、息が止まる程度に留めて置くけども。
「非常識さで言えば、どっちもどっちですよね~……」
エマちゃんの零した呟きは、諦めの色を滲ませ私の耳を強く打ち付けた。




