本編2-1「嗚呼、無常也この世界」
そこは洞窟だった。
内部は思いのほか広く、そして歩き易かった。一番幅が狭い場所でも両手を広げて余りある空間が確保され、天井も、腕を目一杯伸ばしてやっと届くかどうかの高さから、思わず見上げてしまいそうなものまで様々だった。
それでいて足場は高低差や起伏といったものが殆ど無く、何者かによって踏み均された形跡すら窺う事が出来た。
そんな中を、軽快に進む足音が一つ。しかし、音の発生源には三つの人影があった。三つの影の内、中央を歩く桜色の髪を揺らした十代後半の少女が口を開く。
「こんな、如何にも観光して下さいと言わんばかりの洞窟が放置されていたなんて、驚きだわ……」
そんな彼女の場違いな発言に反応したのは、前を行く鮮やかな緋色が目を見張る少女だ。いや、十歳になるかどうかといった容貌は、幼女と呼ぶべきか。
まるで、燃え盛る炎を逆さにしたような髪から火の粉を数燐舞い散らせた『幼女の姿をした“人ならざる者”』は、目線だけを後ろへと流し答える。
「当たり前じゃないの。ここに来るまでにも、何匹もの魔物と遭遇したでしょ? こんな辺鄙で危険な場所まで好き好んで来る村人なんて、居る訳が無い。『観光』だなんて、以ての外だわ」
半ば呆れの声を滲ませた幼女に見える存在に続き、別方向から付け足される声が一つ。
「おねえちゃんがいたせかいとね~、そもそもぶんかれべる? がちがうのだよ~。このせかいはまものであふれてて、たたかえるちからもかぎられてるからね~。『くんし、あやうきにちかよらず』ってやつだね~」
とてものんびりとした口調で、最後尾を歩いていたもう一体の“人ならざる者”が補足の説明を加える。
こちらも見た目の年齢が十歳前後で、土色の髪を肩口で切り揃えた女の子の “形”をしている。前髪が両目に掛っている髪型から大人しめの印象を見る者に与えるが、これが中々に曲のある性格をしており、常に茶目っ気を混ぜることを忘れない。
幼女二人からの素っ気無い、しかし正鵠を得た回答を聞かされた中央の少女は、
「言われてみれば、それもそうね……」
曖昧な、苦笑いで以って返すのみだった。
彼女達は、何となくの、気紛れでこの洞窟を訪れた訳では決して無い。
人里離れた、現地の村人ですらその存在を知らなかった、未開の地に口を開けたこの洞窟を訪れた目的は、畑を荒らす魔物の駆除依頼――の追加依頼――。
彼女達は力無い者や力有る者達からの依頼を請け負い、達成する事で報酬を得る冒険者だ。前任者が失敗した為に、彼女たちが代わりに引き受けた。
ああ、ここで言う “彼女達”の中には、幼い少女二人は含まれない。多少の語弊がある。
正しくは、桜色の髪をした少女と常に共に行動する者が居て、彼女の冒険者仲間であり恋人でもある、透き通る金糸の髪が見目麗しい、こちらも十代後半でありながら大きな二つの膨らみが人目を惹く森人族の少女と、同じく大事な仲間であり、それ以上の関係ではまだ無い、栗色の茶色い髪を後頭部で一つに纏めて背中に垂らした、二人よりやや年下の地人族である女の子との三人だけが冒険者であり、更に言えば人類種だ。
彼女らも当然、今回の依頼にも同行しているのだが、今回に限っては二人で洞窟の開口部にて待機しているので、この場には居ない。
では一見、人にしか見えない二人の存在は、一体何者なのか。それは、桜色の少女の能力に起因する。
幼女らは、彼女と契約し、彼女の中に棲む聖霊なのだ。彼女は四柱(火・水・風・地)の聖霊を従えており、その中から二柱、洞窟探査に適任であろう、炎の聖霊と地の聖霊を呼び出し、一人と二柱だけで潜った。
これにも勿論、理由がある。洞窟の奥底に潜むモノたちの中に、得体の知れない強力な個体が含まれている事が入り口での直前調査で判明した。
森人族の少女であれば万に一つも怪我すらしないのであるが、もう一人の地人族の少女からしてみれば命の危険しか無い程度の脅威であるとも判断されたので、念の為にと安全策を採り、聖霊を使役する少女が残りの二体、水の聖霊と風の聖霊を護衛にと付けた。
過剰すぎる防衛戦力であったが、守られている二人からすれば、只の暇潰しの話し相手でしか無かった。
洞窟も終盤へと差し掛かり、正体不明の敵性存在の気配がより一層強くなる。剥きだしの敵意を向けられた少女は、不快気に呟いた。
「なんかさ、やっぱりヘンなのがいるよね?」
「ええ。これだけの敵意と殺意を向けてくるなんて、本来なら有り得ないもの……。身の程知らずにも程があるし、それに、この血の臭い……。不快だわ……」
前を行く炎の聖霊幼女も、あからさまに顔を顰める。
「このおくに~、いまだにいじょうなまりょくだまりがあるからね~。それのせいだろうね~」
地の聖霊幼女が間延びした声を上げ、依り代たる少女が疑問を投げ掛ける。
「つまり、魔力溜りで上位種に突然変異した個体が、血の影響で更に異常変異を起こしたって事?」
「たぶん……ね。魔物は大気中の魔力を吸収して存在を維持しているから、高濃度の魔力に触れる事で突然変異を起こすのだけど、その変化は一回限りとは限らないって、事なのでしょうね……」
全く、厭になっちゃうわ……。などと愚痴を溢しつつ、炎の幼女が答えた。
「それじゃ、これって相当に珍しい事例なんだ?」
「珍しいも何も、こんな話、初めて聞いたわよ」
「そうだね~。すくなくともこのまものにかんしては~、はつのじれいだね~。しんしゅはっけん~?」
そう。実はこの世界、歴史的に見て初めて観測された事例であり、場合によっては国家が総力を挙げるに値する事件であるのだが、武器の一本すら携帯していない少女は軽口感覚で疑問を口にする。
それを聞いた二柱の幼女が其々驚愕の回答と感想を述べたのに対し、少女は、
「成程……。血の臭いが直接の原因かは判らないけれど、貴女達でも知らない魔物が発生してしまったのだけは事実って事ね。それじゃ、何はともあれ、倒して正体を検めるしかないか……」
やれやれと数回頭を掻き、徐々に見通しが良くなりつつある奥の方へと目を見遣った。
炎の聖霊の権能で日中の昼間の様に照らし出された空間はとても明るく、圧し折られたつらら石や石筍の一本一本までもが詳細に見て取れる。
天井からびっしりと垂れ下がるつらら石で目線より低い物は進路上に無く、その全てが頭上より比較的高い位置で叩き割られていた。
石筍に関しても同様で、通行の妨げとなる位置に生えていたであろう物も、根元からポッキリと取り払われていた。終点は近い。
己の権能で洞窟内部の構造を完全に把握している地の聖霊が、注意を呼びかけた。
「このさきに~、ひろいくうかんがひろがってて~。そこでね~、れんちゅうがまちかまえてるよ~?」
細かい出っ張りが一切無い、岩石だけが剥き出しとなった空洞が大きく右へと緩やかに伸びている。
弧を描いた内側には大きな岩が迫り出しており、丁度影になってしまっていて向こう側を窺い知る事は出来ない。岩影に隠れるようにして少女は一旦歩みを止め、二柱の聖霊もその後ろへと控える。
「気配から察するに、誘い込んだ後、総出でお迎えって寸法かしら?」
――上等じゃない――。自分自身が戦う訳でも無いのに、好戦的な笑みを湛えた炎の権化たる幼女は、髪から熱量を伴った火の粉を瞬かせる。
大地を司りし幼女は、『洞窟の崩落は自分が防ぐから存分に闘うがいいよ』といった趣旨を宣って、主たる少女を嗾ける。
二柱の幼女から準備万端の意を受け取った少女は、自身も戦闘へ移行するべく武器を用意しようと、彼女だけが持つ特殊能力で、何も無い空間から恐るべき武具を出現させた。
《創造》――『ゲイ・ジャルグ』『ゲイ・ボウ』――。
左手に持つは、敵対者の魔力を打ち払う紅い長槍。右手には対として名高い、付けられた傷が癒える事の無い黄色い短槍の、計一対が両手に収まり、続いて、
《創造》――『フラガラッハ』――。
更にもう一本、使用者の意に応じて自在に動く応答の魔剣を、持てやしないのに呼び出した。こちらは幼女のどちらかが持つのかと思いきや、召喚者の周囲を浮遊するのみである。
少女は、二度三度とその場で両手の槍を素振りし、同時に剣を思考だけで飛び回らせての操作具合を確認してから、一息吸い、
「行くよ、2人共! 突撃~~!」
景気付けの気楽な大声を発し、討伐対象の待ち受ける広場へと躍り出て行った。
その後姿は宛ら、新しい玩具を手に入れて、試したくて我慢出来ずに駆け出す子供その物のようであった。




