本編1-16「交渉や探り合いが成立するのは、同じ次元同士だけです」
協会の裏門まで辿り着つくと、見計らっていた様に向こうから扉を開け、受付のお姉さんとも違った服装をした、一人の女性が迎えに出て来てくれた。
「お待ちしておりました。お話は伺っております、こちらへどうぞ」
理知的な居住まい全開の女性に連れられ、裏口から冒険者協会の建物へと入ってゆく。
七三眼鏡のショートボブ。て云うか、前世ほど作りは良く無いものの、この世界にも眼鏡があったんだ……。
伊達を含めて、今後の服装選びに取り入れても面白いかも知れない。
そんな妄想半分、普段見慣れない施設の裏側観察に半分、と興味を移ろわせている内に、見るからに重厚そうな扉の前まで来ていた。
先導していた女性は、コンコンッと向こう側に響かせるように扉を軽く叩くと、返事を受けて静かに開ける。
一歩進んだ女性は横にずれて控えると、
「失礼します。お客様をお連れ致しました」
部屋の主に要件を伝えた後、私達に入室を進める。
促された先はやや広めの部屋になっていて、事務的で飾りっ気の無い殺風景な印象を受けた。
その上、部屋全体から扉に至るまで防護系の魔法が幾重にも施されていたものだから、入室した瞬間にたじろいでしまった。
そんな驚いた様子に察したのか、奥の机を挟んだ椅子に座っていた人物が慌て気味に立ち上がり、急いで私達の前まで駆け寄ると、
「はは、これは失礼しました。ですが、これも警備や防犯の都合上の事。お許し頂きたい」
そう言って、軽くだが頭を下げられてしまった。
あれ? このオジサン、入管で会った試験官の人だよね?
身形は随分と立派な物になっていた。不精髭はそのままだったけれど……
私が疑問を口にする前に、男性の方から自己紹介がなされた。
「改めて、初めまして。私がこの冒険者協会エングリンド支部の支部長を勤めております、ヴェルダー・マコーミックと申します。以後、お見知り置きを」
ああ、やっぱり……。道理で、衛士の人達もどこかぎこちなかった訳だ。
思っていた以上に丁寧な迎賓級の対応だった為に、返事が慌ててしまった。
「こちらこそ、改めまして。サクラガワ・クスハと申します。先程は、碌なご挨拶も出来ずに失礼しました。あ、名前が先に来るんでしたね、クスハが名前です」
しどろもどろになりつつも、何とか返礼する。
一方、ティアはと云うと、
「ご丁寧な歓待、恐れ入ります。私はこちらのクスハと供に旅をして居ります、ティアル・シャルルと申します」
とっても落ち着いていた!
しかも、適当に考えた偽名も忘れては居なかった!
ティアの名前を聞いたマコーミック氏は、ほんの僅かに不快さを滲ませた怪訝そうな表情を浮かべた気がしたので、私は訂正させる事にした。
「ティア、折角その名前を使って貰って悪いんだけど、この場ではいいわ。この人、貴女の正体に気が付いているし」
苦笑いと共に突っ込みを入れると、「あら、そうですか? この名前、結構気に入ってますのに……」なんて意外そうな顔をしてみせた。
口元が笑みで歪んでいるのはワザとかしら?
実は、入管での念会話はティアにも全部聞こえていた。
それでも尚、偽名を使ったのは、私が “勇者”で無いならば、自分も“巫女”では無いという意思表示をしてくれたのだろうが、この場では相応しくない。
口パクで、「ありがとう」とだけ伝える。
ティアはそれに笑顔だけで返し、可愛らしく咳払いした後、
「大変失礼致しました。私は、“聖霊の巫女”ティアリエス・シャノール・エルガレムと申します。お初にお目に掛かります、支部長殿」
姿勢を正した彼女は、とても綺麗だった。
「それと、訳在っての事とは云え、偽名を申し上げた非礼、こちらこそお詫び申し上げます」
謝罪の所作一つ執っても、優美で見惚れてしまう。
背筋を伸ばした姿は、まるで芍薬。一礼し腰を曲げた様は、枝垂桜其の物。
余所行きに着替えた彼女は、正しく“巫女様”の呼び名に相応しい威厳を醸し出す。
こんな変身を残していたのね……。おそろしい子!
彼女に圧倒されていたのは私だけではなくて、氏も固まってしまっていた。
が、そこは支部長を務める人物。直ぐに気を取り直すと、
「ああ、いえ……。巫女様にも、何かお考えがあっての事だったのでしょう。こんな所で立ち話もなんです、こちらにどうぞお座り下さい」
体裁を取り戻した氏に促され、漸く私達は応接用の向かい合った長椅子に勧められる。
私達が揃って椅子に座ったのを確認すると、マコーミック氏は机を挟んだ私の正面に座り、話を切り出した。
「本来であれば、応接室を御用意するのが常では御座いますが、今回は安全面を考慮した結果、最も機密性の高い執務室を選ばせて頂きました。平に御容赦願います」
如何にもな風体を装って騙る目の前の男性に、詰まらなさを感じる。
安全面って、あれか? 私達の、と思わせといて、その実自分達の安全を確保するのが狙いか。
上手く隠してる心算だろうが、防御用の結界魔法の中に混じって外部との通信魔法が仕込まれているし、隠し扉の向こうにも4人控えてるのがバレバレなんですけどね。
顔に出すことは無かったが、「ふんっ」と心の中でほくそ笑む。
ティアも勿論、口には出さない。
こちらにそんな考えは微塵も無いが、それでも事を構える事態になったとしても、一瞬で制圧する事も逃げる事も出来る。
ここは向こうの思惑に乗ってあげよう。
「いえいえ。別状の御配慮、痛み入ります」
私は社交辞令が得意では無いので、ティアが代わりに応えてくれた。
切っ先を軽く触れ合わせるだけの小手調べが終わった丁度の間に、先程私達を案内してくれた女性が飲み物とお菓子を配膳してゆく。
これまでの動きを見るとメイドさんみたいだが、服装から察すると秘書さんかも知れない。
私とティアの前に並べ終えた女性は、マコーミック氏の横に腰掛けた。
綺麗な模様の描かれたティーカップには鮮やかな赤い液体が注がれており、それ程多くない湯気を揺らめかせる。
これって若しかして、紅茶? こっちの世界にも在ったので、吃驚した。
あ、でも、そこまで違いは無いみたいだし、こっちの世界にも紅茶くらいあって当然か。
お茶請けには、乾燥させた果物が練り込まれたパウンドケーキが二切れにホイップクリームが添えられていた。
この時代の文化水準が中世程度だとすると、これらは結構な贅沢品という事になる。
一応、警戒はしているものの、最大級のおもてなしと捉えて良さそうだ。
飲食を勧められたので、一言断ってから遠慮なく頂く。
紅茶を一口含ませると、華やかなハーブ系の香りが鼻孔を擽る。
似ているだけで明確には違うものだが、それでも例えるならばジャスミンが近いだろうか。
氏は、私が一口目を飲み終え、カップを机に置くのを見計らうと、最初の話題へと移る。
「それで、確認させて頂きたいのですが、あのフーガポーテストモルスの死体は、協会に譲って頂けるという事で宜しいですか?」
「ええ、勿論」
「ご協力感謝致します。謝礼は既に御用意しております」
目で合図された秘書さんは、スッと立ち上がり、奥の執務机の方へ向かう。
机の裏手に回ると、ゴトゴトと不自然に重そうな音を立てた平台車を押しながら、戻ってきた。
台車が私達の横まで運ばれると、秘書さんが説明してくれた。
「こちらが、フーガポーテストモルスの買取代金【皇国金貨千枚】と、薬草採集依頼の報酬【銅貨百枚】となります」
「こ、皇国金貨1千枚!?」
驚きの声を上げたのは、私では無くティアだった。
私はと云うと、柄にも無く大声を上げ、飛び上がりそうな程に動揺しているティアに驚く。
こっちの貨幣価値が分らないので、どれだけ凄いのか解らない。
困った時の聖霊頼み。ここはホムラにでも聞いてみよう。
(んう……。全部説明すると長くなってしまうから、要点だけ話すわ。お姉ちゃんの住んでいた“日本”の金銭感覚に直すと、皇国金貨1千枚はざっと一億円よ。でも、物価は十分の一だから、実質十億円ね)
………………は? え??
(詳しく知りたかったら、今夜寝ている時にでも呼んでちょうだい)
寝ていた処を無理矢理起こされた為か、やや不機嫌気味だったホムラ。
それでも知りたい情報を的確に提供してくれると、回線を切ってしまった。
「な、何かの間違いでは無いのですか!?」
未だに信じられないティアの様子に、苦笑を漏らしながらマコーミック氏が答える。
「いえ、その金額で合ってますよ。寧ろ、当方としては少し少ない位です。今すぐお支払い出来る金額で最大限まで努力させて頂きましたが、力及ばず、申し訳ありません」
いやいやいや。
相当珍しいモノとは察していましたが、それ程とは思ってもみませんでしたよ!?
国家の影が見え隠れしているとは云え、よくこんな短時間でそんな大金を用意出来た物だと関心する。
私達は顔を見合わせ、裏事情を探って見るが、特に思い当たる節も無い。
大いに驚きはしたものの、拒否する気配を感じさせない様子に安堵した氏は、
「それで……、勇者様と巫女様に置かれましては……」
話をしている最中だったが、構わずにぶった切る。
「あ、それなんですけどね。何度も言いますが、私は“勇者”なんかじゃないですよ。あと、この娘も“巫女”では無く、冒険者志望の森人族です」
沈黙してしまった氏に構わず、「なので、後で冒険者証の発行をお願いしますね」と付け加える。
「理由……を、お聞きしても?」
困惑と緊張で複雑な表情になった支部長さんが、搾り出す。
それに対し私は、悠々と腰を掛け直して淡々と答える。
「“勇者”になんて成ってしまったら、色々と面倒そうだからです」
氏は黙って先を促してきたので、こちらも遠慮無く続ける。
「“勇者”ともなれば、間違い無く国賓待遇を受ける事になるでしょう。行事や催し事にも呼ばれるかも知れませんし、様々な思惑を持って面会を求める人々も出て来ないとも限りません。正直に言いましてね、そう云うのに巻き込まれるのは真っ平御免なんですよ」
更に続ける。
「そして一番最悪なのは、“勇者”としての知名度と力を利用される事ですね。皇国では聡明な方々が多そうなのでその心配はして居ませんが、それを狙って善からぬ輩にでも襲われた日には、目も当てられない。そんな事態にならぬ様、四六時中警備に守られながらの生活なんてのも、御免蒙りたいですね」
氏だけでなく、隠し扉の向こうからも息を呑むのが伺えた。
ここまで来たら、最後まで突っ走るのみである。
「よって、私の事は、潜在的な“勇者”の認識までは否定しません。が、公には“勇者”として扱わないで頂きたい。“勇者”ではないので、義務や柵も関係なければ、名誉名声なんかも要りません。これが、質問に対する私からの回答であり、要求です」
言いたい事を言い切り、思わず熱の篭っていた息を大きく吐き出す。
喉も程よく渇いていたので、紅茶で潤し、序にケーキで気分を落ち着かせた。
暫く考えあぐねていた支部長さんだったが、意を決してティアに話し掛ける。
「今の内容は……、巫女様もご納得されての事で?」
「はい」
たった一言。短くだが、力強く答える彼女。
「ですので、私の事も、これからは一冒険者として扱って下さいませ」
やんわりとだが、有無を言わせない要望の様な指定を受け、氏は再び押し黙る。
「しょ、少々、お待ち頂いても宜しいでしょうか?」
そう、氏が言い終わると同時に、向こうから隠し扉が勢い良く開かれ、豪快に笑いながら一人の男性が入ってきた。
「わっはっはっはっは」
男性は上機嫌に笑いながら私達の元まで歩み寄り、支部長さんに語り掛ける。
「良いでは無いか、ヴェルダーよ。儂はこの者等の意を汲もうと思うぞ」
突然の闖入者に、慌てふためく。
「ちょっ、閣下!? 急に入って来られたら困るじゃないですか! それと今は公務中です。支部長とお呼び下さい!」
「もうよい。堅苦しい腹の探り合いは終了だ。こうも馬鹿正直に真っ直ぐな本音を語られては、交渉もへったくれも無い。既に公の場も開かれた」
閣下と呼ばれた男性はそれを華麗に受け流し、厳つい顔に満面の笑みを「ニカッ」と浮かべ、私達に向けた。
「初めまして。お嬢さんが今代の“勇者”……の素質を持つ方ですね。私はムルブド・フレイズ・エングリン。辺境伯にして、この地を預かる者です」
ありゃ、向こうに控えて居たのは有事の際の冒険者だとばかり思っていたけど、勘違いだったようだ。 飛びっきりの大物が出てきちゃったよ……。
私が戸惑っている間にも、右手が差し出される。
このまま何時までも座っていては大変失礼なので、慌てない範囲で急いで立ち上がり、確りと握り返す。
「まさか、領主様にお会い出来るとは思っていませんでした。この街で冒険者を始めさせて頂きました、クスハ・サクラガワと申します。それと、私は一介の冒険者ですので、敬語とか不要ですよ」
「そうですか。では、今後はその様に致しましょう。ですが、今はこの様にさせて下さい。貴殿が皇国と市民の為に活躍されるのを、楽しみにしています」
そこで手を解放してくれた領主さんは、共に立ち上がったティアの肩を叩く。
「良く来てくれました。お久しぶりです。……と言っても、貴方は覚えていないかも知れませんね。以前会った時は、まだ小さかったですから。御両親の件は、とても残念でした。ですが、友人の忘れ形見が今はこうして、立派に務めを果たされている事、大変嬉しく思います。これからも様々な困難が待ち受けているでしょうが、挫けたりせず、頑張って立ち向かって下さい。御両親の友人としてなので出来る事は限られますが、何時でも応援していますよ」
最後の方は、手まで握って熱弁しちゃっていた。
なので私は、後ろからティアの肩に手を回し、ぐいっと引き寄せて言ってやった。
「御安心下さい。彼女は不幸になんてなったりしません。私が責任を持って、必ず幸せにしますから」
咄嗟に口走ってしまったが、言ってから気が付いた。
あれ? 今、私、とんでもない事を口にしたような……。
見れば、ティアは顔を真っ赤にして俯いてしまっている!
私の恥ずかしい啖呵を目の当たりにした男性二人は、理解が追い付いていないのか、目を瞬かせ固まっていた。
「いやっ……、あの、これはその……」
しどろもどろになりながらも、何とか弁解しようと言葉を選んでいると、
「わっはっはっ。いやはや、これは参りましたな。儂の心配なぞ、ただの杞憂だったようだ」
困った様に、されど嬉しそうな曖昧な表情でポリポリと頭を掻いていたエングリン伯は、ピッと姿勢を正すと、驚いた事に腰を折り曲げた。
「冒険者、クスハ・サクラガワ。どうか、彼女の事を宜しくお願いする」
隣に居た支部長さんが必死に止めようとするが、自然と私にそんな気は起こらなかった。
代わりに、全霊を以って応える。
「勿論です。お任せ下さい」
私の回答に納得がいったのか、「そうか、ありがとう」とだけ呟いた辺境伯は頭を上げ、
「好い友人を持ったな、ティアリエス君」
其の言葉には確かな慈しみが込められており、其の瞳は、まるで我が娘を見守る父親のようだった……。




