本編1-9「最初の依頼なのでなるべく時間は掛けたくない」
2018/07/06
・フォーマットを変更しました。
さて、思っていたよりもまだ日は高く、依頼は極簡単なものだ。
お金がなるべく早く欲しい私は、今すぐ向かう事を検討する。
あ、因みに、ティアルというのは偽名だ。
ティアリエスならまだしも、シャノール・エルガレムは巫女としてそこそこ名前が通っているらしく、本名を名乗るのは不都合が多いとの事だったので、私が急造で拵えた名前なのです。
街の中を歩きながら、採取場所について相談する。
シンガ向けの採集依頼にあった薬草は最下級回復薬の材料になるものらしく、特に珍しい物では無かったのだけど、そもそも生えている場所がこの辺ではミルド樹海の入り口付近、それも、聖霊の森周辺に特に多く自生しているというのだ。
そこら辺の森に、フラッと散歩がてらに採取、とはいかないらしい。
一応、そこらの森にも薬草はあるにはあるのだが、そのどれもがすり潰して、軽い傷に塗ったり、湿布で貼り付けたりして傷を治す程度の効能しか無く、回復薬には到底及ばない。
冒険者を目指すなら、これ位は難なくこなせ、と言うことなのだろう。
尚、この依頼で最も手間が掛かるのが移動であり、それ以外は障害になり得ない。
と言うのも、目的地が聖霊の森周辺だからだ。
聖霊の森内部は結界で護られているが、洩れ出た神聖な気は周辺にも影響を与えており、魔物は一切近づけない。
一般的に森は魔物の住処でありながら、最も安全な場所の一つだと言えた。
薬草も特徴的で見つけ易い。
なので、辿り着けさえすれば、誰でも楽にこなせる非常に簡単な内容なのだった。
問題なのは、森までの距離だ。
4日も歩いてワザワザここまで来たのに、昨日の今日で蜻蛉返りである。
正直面倒くさい。
体力面での問題は一切無いが、片道で3泊4日(野宿)、それを往復ともなると、流石に気が滅入る。
早くも決意が揺らぎ始めるが、お金が欲しいのも事実だ。
悩み続けながら街の外に出たところで、ふと思い付いた事があった。
寧ろ、何で今まで気が付かなかったのか不思議なくらいだ。直ぐにティアに問い掛ける。
「ティア。一つ聞きたいのだけど、空を飛ぶ魔法なんてあったりするのかしら?」
すると、予想していた通り、
「ええ、ありますよ」との答えが返ってきた。
なんだ、それを使えば移動が凄く楽になるじゃないかと思い、どんな物なのか訊いてみると、高位風属性魔法に《浮遊》というものがあり、それの更に上位版として、《飛行》があるとの事だった。
因みに、《飛行》の性能としては、最大高度は地表から1000メートル位まで行けるらしいが、実用的な高さを考えると精々100メートルがいいところで、移動速度に関しても、風と同じ速度を出せるものの、人体に掛かる負担を考慮すると、時速50キロが限界のようだった。
それにそもそもの話として、高位風属性魔法を使える者などそうは居なく、居たとしても、高度を取れば取るほど、また、速度も出せば出すほど魔力の消費が激しくなるので、実用例自体が僅少なのだと言う。
だとしても、この場に於いては使わない手は無い。
フウに聞けば、普通に使えるとの事であり、ティアも問題無いとの事だったので、早速浮上を開始する。
手始めに100メートル程上昇すると、眼下にエングリンドの街並みが拡がり始める。
かなり広い街らしく、この高さでは一目で全容を見渡す事が出来ない。
私は全貌を知りたくなり、さらに上昇する。
上空1000メートル程まで来たところで、漸く街の全景を一望することが出来た。
大きく蛇行した川に包まれる様に、そして、その内側を円形の城壁によって囲まれたエングリンドの街並み。
屋根は橙色で統一されており、殆どの建物の高さも均一だ。
街は南北に伸びた直線の道路で東西に区切られており、そこの中心点から東の門までを大通りが貫いていた。こちら側が、商業区と工業区と住宅区になっている。
西側半分は行政区となっており、一番奥にある領主の館から放射状の道が南北通りまでそれぞれが伸びている。
街の周辺には森を散見することが出来、それらは所々にも点在しているのが見て取れる。
なだらかな大地がどこまでも続き、遠くには小高い丘が幾つも見える。
私は初めて見る幻想的な世界に、思わず息を呑む。
時間を忘れて何時までも眺めていたい気持ちに支配されそうになったが、下から聞こえるティアの怒った様な声で現実に引き戻された。
「もう、勝手にどんどん昇って行かないで下さい! 追いつけなかったらどうするんですか?」
これにはかなり怒っているらしく、宥めるのに少し苦労してしまった。
ご機嫌を直して貰った所で、《飛行》の感覚を確認する。
まるで、人魚が海の中を泳ぐかのように、空を泳ぐ。
肌に当たる空気が地上より涼しくて、とても気持ちが良かった。
数分ほど空中遊泳で遊んでいると、新たな可能性を閃く。
今度はちゃんとティアに一言断ってから、更に200メートル程上昇する。
思い付いたのはこうだ。
先ず、【地属性魔法】――《防壁》――で、自分の前方に身長と同じ位の大きさの傘状の薄い壁を展開する。この時、なるべく先端は尖らせる。
次に、【水属性魔法】――《水球》――で適等な大きさの水の塊を足元に出現させる。
そこに、【火属性魔法】――《爆発》――を加えてやる事で、水蒸気爆発を起こさせる。
仕上げに、その爆発を【風属性魔法】――《突風》――で後方に指向性を持たせ押し出し、噴射する。
謂わば、『水蒸気ジェット』である。
実験は成功。
一瞬の爆発ではあったものの、ドカンッという衝撃波と共に、一瞬――僅か一秒――にして、350メートル程も移動してしまった。
素晴らしい。これは使える!
問題点は、魔力の消費量と制御だ。
制御は何時もの如く聖霊達にお任せするとして、燃費についても聖霊と試算する。
結果は、連続で10時間、航続飛距離にして凡そ1万2千キロとの事だった。
連続飛行による体への負担も考慮しての数字であり、それらを無視すれば倍でもまだ余裕がある。
申し分ありません。私にとっては実用水準です。
残る最大の問題は、私しか使えない事。
ティアの魔力量では恐らく10分が限度で、制御に至っては複雑過ぎて私以外には無理だろう。
抱える事も検討してみたが、双方共に負担が大き過ぎるらしく、現実的では無かった。
彼女が居る以上、これはお蔵入りかな……等と頭を悩ませながらふよふよとティアの元まで戻ると、
「ちょっ、クスハ!? 今のは一体何なんですか!?」
なんて食って掛かる様に聞いてくるので、軽く原理を説明すると、
「在り得ません……」なんて呟いて頭を押さえつつも、
「ですが、クスハなら何でも在りなのかも知れませんね……」
いい加減、驚くのも疲れてきました……。フフフフフ…………。
不気味に笑うティアさん。なんだか怖いです……。
しかし、彼女はまだ知らない。
これまで見た様々な常識外れの現象の全てを上回る、最大の驚愕が、これから彼女の身に降りかかる事を……。
諦めて、通常の《飛行》で向かうしかないとの結論が出掛かったところで、頭の中でホムラが声を挿んだ。
「お姉ちゃん。ティアにも今の水蒸気ジェットを適用させる事が出来るわよ」
え? マジで?
「ええ、お姉ちゃんとティアの間を聖霊回路で接続させれば、私達の補助と魔力の補給が可能になるわ。そうすれば、ティアでも問題無く水蒸気ジェットを使えるようになるわよ」
それは良い事を聞きました。それで、どうすればいいのかしら?
「キスをすればいいわ」
はい? 今、何と仰いまして??
「キスよ、キス。口付けを交わす事で、双方が聖霊回路で強く結び付く事が出来るの。理想は口同士なんだけれど、これにはお互いの同意が必要になるから、一時的な繋がりで良ければ場所はどこでもいいわよ」
問題発言を何でも無い事の様に話すホムラさん。
理屈は理解出来たが、難易度が高過ぎです。いや、キスする事は吝かでは御座いませんが!
ちらりとティアを伺うと、既に現実に復帰していたらしく、私の挙動不審な様子に『?』マークを浮かべていた。
それに薄く笑い、大きく息を吐き出すと、覚悟を決める。
「ティア、貴女にもさっきの移動術式が使えるようにさせられるんだけど、その為には聖霊回路ってのを接続させなきゃならないらしいの。それで、ちょっと手を貸して貰ってもいいかしら?」
私がそういって左手を出すと、彼女は特に訝しむ事なく右手を差し出してくれた。
私はそれを受け取ると、片膝を付くように身を屈め、手の甲にそっと唇を触れさせる。
その瞬間、身体の奥底、心よりも深い所で、何かが繋がるのを感じる。
これが聖霊回路かーなどと暢気に考えながら、それでも彼女から何の反応も無い事を不審に思いチラリと様子を伺うと、目を白黒させつつ顔を真っ赤にして、固まっていた。
「ひっ……」
ひ? 彼女がそう洩らしてから一拍置いた後、
「ひあーーーーーーーーーー」
と、耳を劈く大音響と共に、恐ろしい速度で手を引き、手をばたつかせて慌てふためく彼女に暫く付き合うことになってしまった……。
時間が経っても落ち着く事は無く、それでも若干勢いは落ち着けたティアが、真っ赤な顔のまま睨んでくる。
「クスハ! 貴女は今、何をしたか解ってるんですか!?」
はい、キスをしました。などと軽く言えそうに無い空気に何と答えようか戸惑っていると、
はぁ……、と一つ溜息を吐いた彼女は自分のおでこを押さえつつ、
「あのですね、口付け、接吻というのはですね、場所に関わらず、非常に近しい間柄の者同士、それも、家族として愛する者にしかしないモノなのですよ!? 成程、聖霊回路と云う物を繋ぐにはこれしか無いというのは実際に体験してみて理解出来ましたが、これは非常識であると云わざるを得ません!」
これまでに無い剣幕と態度に若干気後れするが、もう少し詳しく探るべきだろう。
「それってつまり、恋人同士でもしないと?」
「そうです、恋人であろうと普通はしません。するとしたら、それは必ず結婚する者同士だけです。口付けとは、魂の繋がりを導くもの。おいそれと他人として良いものでは無いのですよ」
なんてことでしょう……。
私はキスに対してそこまで軽い気持ちは持ってはいないけど、それでもそれは口同士でのキスに対してだし、手やおでこへのキス位なら海外での親愛の感覚程度の認識でいたが、この世界ではそうもいかないらしい。
この世界では、魂や精神と云った物が非常に重要な要素を占めているのはこれまでに何度も説明を受けているが、前の世界ではキスは愛情と誓いを示すものでしか無かったが、こちらでは、比喩ではなく実際の現象として魂をお互いに預け合う、言ってみれば命や人生そのものを共有するに近い行為だと言うのだ。
勿論、それだけ大事な行為なのでお互いの同意が必須なのだが、事故でも非難は免れないのに、それを故意に他人に行なうのは非常識極まりない大変失礼な事なのだと言う。
場合によっては、正当防衛で殺されても文句を言えない、重大違反なのだとか……。
「そんなに大事な事だとは知らずに、申し訳無い事をしたわ。御免なさい」
私が素直に謝ると、ティアは慌てて、
「い、いえ……。判って頂ければいいのです……。判って頂ければ……」
キスされた部分を摩りながら、文末を消え入りそうな声と共に目を逸らして言う彼女の顔は、何故かとても赤く見えた。
「よし、何はともあれ、これでティアも『水蒸気ジェット』を使えるようになったのよね!」
ワザと大きめの声で気恥ずかしさを誤魔化す様に確認すると、聖霊が問題ない旨を伝えてくる。
「それじゃ、行きますか」
ティアにも確認し、方向を確認するとジェットを吹かした。
目的地は聖霊の森なので、聖霊との繋がりのお陰で間違え様が無い。
一瞬で空気の壁を突破し、衝撃波を撒き散らしながら、音を置き去りにして飛翔する。
こうなると音声に依る会話は不可能なので、念話での通話に切り替える。
ティアに何も問題が無い事を確認すると、意識を前に向け、景色を楽しむ事にした……。
◇◆◇◆◇
――そんなクスハの様子に、何かを諦めた様子でティアは独り言つ。
「全く……、クスハは何時も突然なんですから……。こちらにも、心の準備というものがあるのを理解して欲しいです。ですが……、クスハさえ良ければ、私は何時でも口付けを交わす覚悟は出来ているのですけどね……。問題は、それが許されない行為という事でしょうか……」
寂しさを胸の内に秘め、口の中で転がされた想いはクスハにまでは伝わらない。
聖霊回路で繋がった聖霊達だけが知る禁断の感情の吐露だった……。
向かう先に連なる、飛んでいるからこそ判るどこまでも延々と続く巨大な山脈を見渡しつつ、その麓に広がる樹海と聖霊の森を目指し、二人は音速を超えた速度で飛翔するのだった…………。




