潜入、はじめます1
約束通りユークリッドと別れた3日後に出立し、それから5日ほどかけて国境の町に二人と一匹はたどりついた。待ち合わせ場所とされた広場でベンチに座って待っている。少し離れたところで白猫が親子連れに撫でまわされていた。
平和だ。ナキはあくびをかみ殺す。寝不足がたたっている。
「寄りかかってもいいわよ」
「大丈夫」
そうナキが断れば逆にミリアが身を寄せてきた。
ナキがミリアを見下ろせば、つむじが見えた。かなり下を向いていないとそうならないものだ。いつもは下ろされている髪も今日は結い上げられているので、うなじもちらりと見える。
今日のミリアはお忍び風ご令嬢というテーマでまとめられていた。服装だけならばちょっと良いところのお嬢さん感がある。ただ、本人がその気を出すと途端に貴族のご令嬢に見えた。
ナキはこの町の入口で見たことを思い出す。
本物そっくりの身分証は疑われもしなかったが、それにはミリアの立ち振る舞いも加味されてのことだろう。お忍びなので、黙っていてねとにこりと笑ったミリアの笑顔の効力は絶大だったとナキは思い返す。
周囲を威圧するようなものは、良いところのご令嬢という実感を抱かせるには十分だ。今、隣にいる可愛い人と同一とは思えない。
「なに?」
じっと見ていたせいか、ミリアが少し顔をあげた。
「疲れた? もうちょっとゆっくりすればよかったかな」
ナキは考えていたこととは別のことでごまかした。ちょっと怖いというとものすごく気にしそうだ。それは今は困る。
「それじゃ、間に合わなくなるじゃない。ナキもクリス様も過保護ね」
「そうかな」
ナキは曖昧に濁すことにした。ミリアの大丈夫は、倒れていないから大丈夫、なのだ。疲れが日々残っていてもそれが普通。多少の体調の悪化も気にしていない。
ナキも白猫も気がついたときには休むように言うが、あまり効果は上がっていなかった。ナキだって休んでいないじゃないと言い返されて困ることもある。ナキとミリアでは基礎体力と配分管理が全く違う。
若いのに立派な社畜仕様だ。ミリアには言えないが、どう考えても早死に案件である。
「そうよ。大丈夫」
ミリアが無自覚かつ自信満々に言い切るのがより心配になると言ってもわからないのだろうなぁとナキは諦めている。倒れないほうが望ましいが、望みを叶えられないほうが堪えるだろう。
ナキにできるのはせいぜい、倒れる前のケアと倒れた後に世話をするくらいだ。
「ナキはどうなの?」
「これくらいで疲れたりはしないよ」
「そのわりには調子悪そうだけど」
「ちょっとスキル構成の食い合わせが悪いみたい。そのうち安定するから心配はいらない」
「それも困りものね」
ナキは曖昧に笑ってごまかした。スキルの中身は聞かれたくはない。気休めと保険を兼ねて魅了耐性(大)を入れていた。
ミリアはなぜかナキがふらふらと他の女性に好意を持つのではないかと疑っているところがある。白猫の失言から気がついたことなのだが、言われなければナキは気がつかなかっただろう。
嫉妬の一つもしてくれればわかりやすいが、それはナキの目からではわからなかった。燈明が最初に来た時にややその傾向があったなと思うくらいだ。
こういうものは言葉で弁解してもさらに疑われるものである。勘違いされるような行動は慎むつもりだが、想定外のこともあり得た。魅了系のスキルというのはお手軽なものから深刻なものまで揃っている。ほとんどは自動発動で、近寄っただけで影響を受けるものだ。
これを避けるのは別のスキルで対抗するくらいしか方法はない。
コストはかかるが、ミリアにとってはナキが他の誰かを気にしているということは良い影響を与えないだろう。
そうでなくても女性がらみの誤解もすれ違いもナキはお断りしたい。
「ちゃんと向こうについたら大丈夫になってるよ。
それにしても前も思ったけど、変な町だよね」
強引にナキは他の話題を振る。ミリアは、ん? と言いたげに少し首をかしげた。それは話題がいきなり変わったことに対するものなのか、変な町ということがぴんと来なかったのかわからない。
「ちゃんとした道、あったほうが便利だと思うけど」
国境最後の町というだけあって、周囲を壁に囲まれた城塞のような町だ。
石造りの堅牢な建物がいくつかあるし、塔のようなものも複数見えた。その隙間にごちゃっと家々が立ち並び、道幅は整備されず住みにくそうではある。
家は木製で、土台にも石は組まれていない。
「そうなんだけど」
普通の雑談のつもりで振った言葉にミリアが少し困ったような顔をする。そのままナキの服の袖をちょいちょいと引っ張る。内緒話をしたいという合図に、困惑しつつも彼は少しかがんだ。
「防衛上はどうしてもね。入り込みづらい、指揮官のいる場所を攻め落としにくいようにしておかないと。
防戦ではなく打って出るときは、壊して道を作るの。ある程度見越して、壊しやすい家を作っている場所があるわ」
ナキは忘れがちだが、彼女は普通のご令嬢ではない。国土の防衛についてはそれなりに学んでいたのだろう。
ナキとしては、そうね、くらいの軽い相槌かと思いきや重要情報を言われてしまった。
「それ、国家機密では?」
「どこがそうか、というところまで言えばね」
ミリアは軽く言う。最近の彼女はナキにこういう情報を少しずつ伝えてくる。気を許したからと思うには少しばかり不穏に思えた。ミリアがいなくなった時の備えのように。指摘しても気にし過ぎと笑いそうだ。
「知りたい?」
「遠慮しておく。それにしても、遅いね」
「……うむ。遅いと言いながら存分にいちゃついているように見えるのだが」
いつの間にか戻ってきた白猫がみゃうと鳴いた。そして、なぜか白い目で見られていた。
なぜ? とミリアとナキは顔を見合わせる。彼らとしてはなにか変なことをした気はしていない。
「内緒話をしているにしては近づきすぎではないのかのぅ?」
白猫があっさりと回答を言う。
「そ、そういうつもりはないんだけどっ!」
慌てるナキとうんうんと頷くミリアに、白猫が追い打ちをかける。
「息がぴったりじゃのぅ」
その後、少々不自然なくらい、距離をあけて座ることになった。




