辺境からはじまる 3
夕食はカレーだった。ただ、ミリアはシチューである。香辛料の辛さに慣れず、いつも別のものにしてもらっている。
現在の食糧事情は八割はナキが食事を作り、二割が一緒に準備している。つまりはミリアの料理の腕は進化していない。聖女の仕事や修行が忙しいということにしているが、それとなく料理から遠ざけられているというのも事実だ。
洗濯や掃除、庭の手入れのほうが慣れているということはそっと見なかったことにしている。
さて、時々食卓に用意されるカレーであるが、それにとても感動している人がいる。
「これぞ夢に見たご家庭のカレー」
ユークリッドが涙目でそれを見ていた。
「早く食べたら? お代わりあるし、冷めるよ」
「この礼はいずれしよう。ついでにカレールーを融通してほしいのだが」
「辛さは選べるけど、銘柄はランダム。それで文句言わないならあとで用意しとくよ。即金でね」
「かたじけない」
呆れた顔のナキは、それでも仕方ないと言いたげだった。
白猫は辛い香辛料の匂いが苦手と外へと退避していた。今頃高級干し肉でもかじっているところだろう。
「これ、故郷の郷土料理っていうの? 家庭の味なんだ。ここらへんじゃ再現できないから」
怪訝そうな表情を隠せなかったミリアにナキは苦笑しながら説明した。ユークリッドも力強く頷いている。
「約二十年ぶりだろうか」
「米はあるけど、なんか違うから余計ね」
「そうなの」
つまりはユークリッドと同郷であると言ったことはナキは意識していないのだろう。
ミリアはどこか上の空のナキとカレーに夢中なユークリッドを見比べた。こちらの観察に気がつきそうにないから、よく見比べられる。
同郷と言われずともやはり二人はなんとなく、似ているように感じた。近い血縁がありそうであるというより、同じ地域のものが似た印象になりがちだ。しぐさや行動が似てくるとでも言えばいいのだろうか。
近隣の国に彼らと似た感じを受ける国はない。そこより遠くになると王族や使者と面識がある程度で確証はもてないが、似たものはいないように思える。
どこからきたのか、全くわからない。ミリアの目のように青い海があるとそれだけ知っている。海がある国は知っているが、そこの出身でもないようだった。
ミリアがじっと観察していたことに気がついたのかナキはどうしたの? と言いたげに首を傾げた。彼女はなんでもないと小さく首を振った。
「はっ、もしやポテチがっ!」
黙っていたユークリッドが急にそう言いだした。
ミリアはびくっとしてしまう。彼女の知っているユークリッドは落ち着いた態度だった。いつでも動揺せずにいるように思えたのだが、なんだかナキと話をしていると違った。うきうきしているように思える。
ナキはなんだかついていけずに少しばかり困っているようだった。
「……いいけど、かなり高いよ。あと、保存性はないから今食べるしかない」
「某フライドポテトは」
「似た偽物が出てきた。あれはダメだ」
「ぬぅ」
ユークリッドは唸りながらもカレーを平らげ、お代わりを要求していた。
ナキも食べるのが早いと思ったが、ユークリッドはそれ以上だった。呆れるナキにカレーは飲み物と言いだしているが、あれを飲むのは無理だろう。
いや、まあ、そうも言うけどとナキは答えていたのだから、その地では通じる言い回しなのだろう。
空の皿を持ち、ナキはキッチンのほうに消えていく。ついでに自分の皿も持っていったので、もう少し食べるつもりらしい。
ミリアは少しばかりお腹周りがきつく途中だがスプーンを置いた。シチューに添えられていた柔らかいパンも半分も食べていない。
このぐらいの量がいつもの食事だったなと思い出す。お腹がすくのはいつものこと。小さい焼き菓子で小腹を満たすことも多かった。
「先に着替えたほうがよかったのではないだろうか」
「いえ、少し慣れないと皇女の周りにいるときに困ります」
「ルー様はコルセット捨てちゃえ運動をしているので、その心配はない。少なくとも近くに置く侍女にはそうわがままを言っている」
それは周りが困るだろう。ミリアは苦笑した。王国の貴族令嬢の美しさは儚いほっそりとした姿を基準としている。
ミリアは顔立ちもきついと言われ、胸元もはしたないとぎゅうぎゅうに抑えられている。腰の細さは辛うじて基準内ではあったが、もう少し絞ったほうがよいと言われていた。
ナキは可愛いと言ってくれるが、貴族令嬢としてはどうにか見られる範囲を超えていない。
「若い娘ほど殿下がおっしゃるので仕方なく、と言いながら喜んでいるようではある。戻れないと嘆いていた令嬢もいるとか」
「それは、そうかもしれませんね」
「気にせぬようにな」
ユークリッドはそう軽く締めくくった。ミリアの劣等感は既に見透かされているのだろう。あるいは、ミリアルドの評判を聞いて推測したか。
ミリアは曖昧に微笑むことにした。
「お待たせ」
それからほどなくナキが戻ってくる。新しく用意されたカレーの皿には一番最初に持ってきたよりもなにか色々乗っている。
用意されていたのはいつもとは違うものようでナキも少し浮かれているように見えた。
「あれ? ミリアはおしまい?」
「今日はもういいわ。残してごめんなさい」
「ん。そう言う日もあるよね」
少し変には思ったようだが、ナキは追及する気はないようだった。
それより、ユークリッドの相手をしているのが忙しそうだ。その会話にはミリアが知らない言葉も言い回しも含まれる。
ミリアは黙ってそれを聞いていた。
ユークリッドについては、教会から聞いた話がある。
この世界ではないところからやってきたと言っていたことがあると。
ごくまれにそういうものが現れることはあるらしい。ミリアは文献や他国の話で聞いたことがあった。そのものは、規格外の能力を持っていることが多い。扱いを間違えてひどい目にあった話は教訓のように残されていた。
確かに、異界からやってきたのならばわかる気がする。ナキは異質だ。少しだけなら気がつかれないだろうが、小さい違和感は降り積もる。
例えば、言葉が訛りの一つもないこと、書く字が癖がないこと、これはそれ相応の教育を受けなければ身につかない。身分を隠しているとしたら、今度は常識や他者への態度に違和感があった。
もし、異界からやってきたのならば。
「あ、ごめん。よくわからない話ばっかりしてるね」
ナキの言葉にミリアはどきりとした。
「気にしないで。ちょっと疲れてるからぼんやりしていたみたい」
「疲れてるなら、もう休む?」
「それなら、着替えを手伝ってほしいのだけど」
一度は了承していたが、忘れてしまっているのだろうか。ミリアは改めて依頼したのだが、その言葉にナキは固まった。見る見るうちに赤くなってきて口元を抑えている。
ミリアはどうしたのだろうと目を瞬かせる。ユークリッドがグフっとむせていた。
「うん、大丈夫、きっと大丈夫。ちょっと紐を外すだけだから、きっと難しくない」
「そう? それならいいけど」
ナキは全く大丈夫そうにみえなかったが、それ以上なにか聞いてはいけないという圧力を感じた。
「先行ってて、片付けてからいくから」
「わかったわ」
そう言ってミリアは先に部屋へ戻った。ローブを脱ぐのも手順が多い。これは脱いでいたほうがあとの手伝いを待たせなくてすむとボタンに手をかける。
体に沿うようにぴったりと作られたローブは少しでも太れば着れそうにない。その代わり仕上がりは美しい。ミリアでもほっそりと華奢に見えるだろう。代わりにコルセットや胸元を抑える布が必要で、苦しさを我慢する必要がある。それでも、微笑むのは令嬢のたしなみだ。
気絶をしやすいと揶揄されることがあるが、これを着て調子が悪くなるのは日常だと知らぬものの言い分だ。
帝国の服に慣れた皇女が拒否するのはわかる。ミリアも帝国側に連れさられてからは帝国風の服しか着ていなかった。あるいは、ナキがどこからか用意した手触りの不思議な服か。シンプルだが縫製の良いものは簡単に手に入りそうにない。
ミリアでも不審に思うがそこを問えば、いなくなってしまうのが分かっていて聞けないこと。話してくれればよいのにとミリアは願うが、ナキにその気はなさそうだった。
なにも知らない、気がついていないふりをするのは少しつらい。
でも、ミリアも同じようなものだ。知られたくない、気がついていないでいて欲しいこともある。
ミリアはため息をついて、その気持ちを閉じ込める。ただ、ボタンを外す作業に集中することにした。幸いではないが、外すべきボタンもほどくべき紐も多すぎる。
ようやくローブを脱ぎ捨てたころ扉を叩く音が聞こえた。
「入って」
ミリアはそう扉の向こうに声をかけた。




