辺境からはじまる 1
ナキは庭に用意したベンチにぼんやり座っていた。
今日は来客が多い。普通の商人から、密使まで。幅が広すぎないだろうか。普通度で言えば二番目のユークリッドは旅が堪えたなどと言いながら、旅の疲れを癒す長湯中だ。
あまりにも時間がかかる場合には、確認しに行かねばならないだろう。老騎士と呼ばれるほどには年寄りであり、お風呂で突然死という笑えない事態が起こり得る。
本人は聞けば苦笑しそうなことをナキは大真面目に考えていた。
遠く鳥の鳴く声が聞こえる。魔物ではなく普通の鳥だ。夕暮れによく鳴いている。
「遅い」
日が落ちかけている空は赤く染まる。
ナキはため息をついた。今日は帰ってこないかもしれない。白猫がついているなら特に問題は起きないとは思うが、やっぱりついていけばよかったと後悔する。
教会騎士にと熱烈にすすめられて、断ったから苦手意識がついてしまった。それで行かなかったのだ。
ナキはもう、どこにも属する気もない。しいて言えば、西方のお方に使われているという感じだ。この一か月ほどあっちいって儀式してこいとか、こっちでなにかを買ってこいとか、お使いばかりしている。
この半年のことを思うとナキは遠い目をしたくなった。
まず、半月ほど療養した。思ったより疲労や怪我、スキルの多用による反動がひどかったせいだ。短期的には効率の良いスキル編成でも、日常には向かない。それを一つずつ解除し、元に戻しているうちにじわじわと体調が悪化していった。
こんなこともあるかとナキはごまかしながら日常を過ごし、ある日突然倒れた。白猫には鼻で笑われ、ミリアには慌てられたのはもうなかったことにしたい。
少し調子が悪かったと言えば、ミリアには泣かれるし、やはり白猫には鼻で笑われた。やりすぎたのだと。
その時には赤い鳥は既におらず、余計な失言をさらに聞かなくて済んだのだけが良かった気がする。
さらに半月ほど、本調子にならずグダグダしている間に白猫はミリアの勧誘をしていた。聖女は良いぞと言うわりに、よさそうなところないなとナキは思ったのだが。
ミリアは迷って悩んでいたようだった。
悩んだポイントが外見であるらしいとナキは察していた。ミリアルドは赤毛の娘だった。聖女になれば、赤毛ではなく、銀髪となるらしい。完全にとは言えないが、別人を語るにはそのくらい変わっていることが必要だろう。
一生聖女でいろということは西方のお方は言わない。相手の都合というものをそれなりには考慮してくれるらしいということも決断の判断材料ではあったようだ。
今後の身の安全と聖女の任務を天秤にかけて、ミリアは悩んだ末に、了承した。
ナキはそれに口出しはしなかった。相談も特にされていないからと言えばそれまでだが。白猫に鈍い男めっ! と言われたのは解せない。
ただ、そこから三か月ほど聖女に作り変えるため、繭にくるまれるなどとわかっていたら止めたかもしれない。
ナキとしてはあんなそわそわした日々は、今後は遠慮したい。
ぼんやりしているうちに空は暗い青に染まりつつあった。日が落ちるのは早い時期とはいえ、時間が経ちすぎている。
ナキは立ち上がった。今日は、帰ってこないだろう。夜は危ないから、きちんと泊ってくるように伝えている。それを白猫は守っていた。
家に戻る前に森の一本道へ視線を向ける。
「おや」
白いものが見えたと思えば、それは一瞬の間に庭へ現れた。
「……ナキ?」
「うむ? なにをしているのかのぅ?」
本来の姿に戻った聖獣は庭にいるナキに驚いたようだった。彼が外で待つというのは、珍しい。聖獣の背に乗っていたミリアも驚いたように目を見開いていた。
「来客があってね。そろそろ潜入できそう」
「そうなの?」
ミリアは首をかしげる。それから、少し恥ずかしそうに手を差し出す。ナキは手袋に包まれたその手をじっと見つめた。
いつも使う手袋の色が違う。染めない普通の革の手袋だったはずだ。今は白い繊細な刺繍を施されたもの。
「早くしてくれぬかのぅ?」
「少し待ちなよ」
聖獣の焦れたような声にナキはミリアの手を取った。ミリアが優雅に聖獣の背から降りてくるのは、確かに聖女らしく見える。ふわりと広がったマントの下はローブだが、こちらも着ていたものとは違った。
「ただいま」
「おかえりなさい。行ったときと違う格好してるけどなにかあった?」
「それもちょっとあったの。中で話すわ」
ミリアは苦笑しているし、白猫は面倒じゃったぞと言いたげにうにゃあと鳴く。既に小さくなり、先に扉をくぐっていく。猫用の小さな入口を押さずに透過して入っていくのが何か間違っている気がした。
繋いだままの手をいつ離すべきかとナキはミリアを見下ろした。それに気がついたのか銀色のまつげに彩られた海色の目が見上げてくる。それが不安そうに見えて、ナキはいったい何を聞いてきたのかと気になる。
西方のお方は教会なんて使い倒していいよと軽く言ってくるが、世の中的には気軽に使えるものではない。らしい。
冒険者と教会は縁遠い。埋葬でもされない限り、付き合いはないのではないかというほどだ。あるはやむにやまれぬ事情で孤児院で育ったか、定期的にやっている炊き出しで食事にありついたかだろう。
ナキはどちらも縁がないので、基本的に関わってこなかった。
そうミリアに言えば、衝撃を受けたようだった。国家運営的には気を遣う相手で、年に一度は国王自ら行かねばならない祭事がある。その時に婚約破棄騒動があった。
ミリアはその時、身内の不幸を理由に参加しなかった。彼女の代わりに重鎮が何人もつれていかれたのだという。普通は監視役として残るであろう忠臣も引きつれていったのだから、おかしいと思わねばいけなかったとミリアは後悔していた。
本来はミリアの努力が認められ、その望みを叶えたほうが良かったのだ。こんなところに寂しくいる必要もなかった。
「ナキ?」
「なんでもない。今日のご飯なににしようか。ユークリッドはカレーが食べたいって」
「来客ってユークリッド様なの? そう言えば教会に尋ねてきたって聞いたわ。早かったのね」
ナキの態度に不審を覚えてもミリアは追及しないことにしたようだった。代わりに離そうとした手をぎゅうと握られた。離さないように強く握っているつもりだろうが、ナキにとっては外すのはたやすい。
ミリアは、何か問題でもある? とでも言いそうに笑むがやはり顔は赤く染まっていて迫力はない。
「……可愛いなぁ」
「な、んでっ! 急に! そんなこというのっ」
思わずこぼれたナキの独り言をミリアの耳は拾ってしまったらしい。彼女は信じられないと言いたげに目を見開いて、はっと気がついたように顔を背けていた。
「どうしたの?」
「来客、忘れてるでしょ」
「……そーだったね」
ナキは家のほうを見たくはないなと思いながら確認すれば、ばたりと閉じた扉の音が響いた。察して、家の中に戻ったらしい。
半端な知り合いだからすこしばかり気まずいように思える。
はぁと小さいため息をついてミリアは気を取り直したようだった。いつもよりもきりっとした表情に見えるが、ちょっとまだ顔が赤い。
「これじゃ、ルー様になんて報告されるか」
ミリアはそうぼやいていたが、本人から問い詰められるのではないだろうか、という未来予想はナキは言わなかった。
きっとナキは睨まれたが、やっぱり迫力には欠ける。
怖くないと言えばまた怒られそうだなとナキは曖昧に笑ってやり過ごす。
「疲れたから甘いお茶が飲みたいの」
「はいはい。仰せのままに」
そんな話をしながら二人は家の中に入っていった。




