白猫は必要ですか?
ご褒美。
ミリアの知っている限りでは、褒賞や栄誉であったりする。小さいところだと侍女に日々のねぎらいを込めて菓子を贈ったり、自分がもらった小物を下賜したりすること。
あるいは、皆の前で褒めること。
ナキが言うのは、きっと、そうじゃない。
ミリアは閉じている扉の向こうへ視線を向けてため息をついた。
ばたばたと隠れ家に帰ってきたのは昨日のことだ。
そのまま白猫と燈明を問い詰めようとしていたナキだったのだが、当の白猫に止められた。
「高揚感から変な精神状態になってるから、さっさと寝るとよかろう」
「え」
「にゃ、にゃぁ」
わざと猫語で白猫は話をした。ナキが明らかに焦ったような態度にミリアが視線を向ければさらに慌ててていた。
「……いやいや、そう言って、話そらそうと」
「うにゃー?」
「…………あとで、覚えてろよ」
唸るように言って、それはその場ではおしまいになった。
「悪いけど、調子悪いから寝てくる。クリス様は燈明様の付き合いするって」
「にゃあう? にゃっ!」
なんじゃそれは、せぬぞっ! あたりだろうか。ミリアは猫語のニュアンスが分かるようになってきた気がした。もちろん白猫限定ではあるが。
ぷらんと吊るされる白猫は、そのまま燈明へ投げられた。雑である。尊いと言われる聖獣相手とはとても思えない。普通の猫相手でもそれをしたら非難されそうなところではある。
普通の猫ではないからいいかと思うくらいにはミリアも毒されてきていた。
「そっちはそっちでやることあるだろ。俺は2、3日は動かない」
「えー。僕は休みたい……はい、行ってきます。もう、僕をなんだと思ってんだか、主様って」
燈明はぼやきながら白猫を確保し、扉に向かった。
「じゃ、またあとで」
「うにゃぁ」
いやじゃぁと言いたげな白猫をミリアは見送った。
燈明一人を野放しにする不安のほうが勝ったからと自分で言いわけする。本当は、ちょっとだけ二人でいたかった。いつもいいところで邪魔しに来るのだ。あの白猫は。
いなくて困った日々も忘れてミリアはそんなことを思っていた。
「俺も寝る。ミリアもちゃんと休むように」
ナキはふぁっと大きなあくびを一つして、目をこすっていた。その眠たい子供のようなしぐさをミリアは可愛いと思う。おそらく他人がしていれば、全く違う感想が出てくるであろう自覚はあった。
ナキだから、と思うと落ち着かなくなる。
「ミリア? 大丈夫? やっぱりどこか怪我でも」
「だ、大丈夫。ちょっと疲れたみたい。私も休むわ。おやすみなさい」
「お休み」
心配されるのも、優しくお休みというのも、とても嬉しくてどうしていいのかわからない。
ミリアはそれを入念に隠して、いつものように振舞おうとした。
「あ、それから、ご褒美、期待してるから」
ナキのご機嫌な一言を聞くまでは。
ミリアが固まったのをじっくりと観察したのちいじわるそうに笑って、もう一度おやすみと言って去っていた。
いじわるそう、というのはミリアの被害妄想ではないだろう。たぶん。
ミリアが困るのを見越して言ったのだ。あれは。
眠れるわけないじゃないっ! と思ったのだが、ミリアは即寝てしまった。その翌朝である今日、ご褒美ってなんだっけとぼんやり考えている。
なにをしたらいいのかと聞くととんでもないことが返ってきそうな気がした。そもそもなにに対してのご褒美なのだと。
ミリアとしては、報酬というならわかる。キスの一つくらい安いものだ。でも、ご褒美である。そもそもミリアからでは報酬にもご褒美にもなりそうにない。
そうして、考えながらもお茶を飲み、しばらくたって扉があく。
「……おはよ。寝坊した」
ナキのぼんやりとした声にほっとしてどきりとした。どちらなのだと自分でも問いたい。鼓動が早くなってきた気ももする。
「んー? あれ? ごはんも食べてない?」
「お茶はいただいたわ。私も遅く起きたし」
「そー。ちょっとお風呂いってくる。一日中走り回ったから汗臭い気が……」
途中で言葉が途切れてどうしたのかと思う。
ナキは、深刻なことに気がついたとでも言いたげに固まっていた。
「どうしたの?」
「い、いや、ダメージが、遅行性のダメージが……。ちゃんときれいにしてくるから、俺いつもこうじゃないから」
ん? とミリアが首をかしげている間に、ナキは姿を消していた。ものすごく、素早かった。
なんだあれはと聞く相手は残念ながらいない。直前の話で考えれば、汗臭いということろだろうが気になるほどでもなかった。というより気にする余裕もなかった。
細身に見えてそうでもなかったとか、寝ているほうが幼い気がするとか、匂いが。
そこまで思い出してミリアは顔を覆った。確かに、ちょっとは気にしていた。それは別に悪い意味ではなかったが。いつもは薬草のような匂いがするのに、違ったとかその程度ではあった。
香水でにおいを隠さねばならないほどという人もいるのだから、彼は無臭に近い。それほど身なりに気をつけているというのも冒険者という職業からすれば珍しいように思えた。
ナキが再び現れたときにはそれなりに時間がたっていた。ぺたりとした黒髪はまだ乾きそうにない。彼も気にしているようでタオルでガシガシと拭かれていた。あれではきちんと水が吸い取られている気がしない。
「タオル、貸して?」
「んー?」
ミリアはよくわかっていないような顔のナキを座らせて優しく髪を拭く。
「風邪をひくわよ」
「あ、はい。なんか、こう、ごめんなさい」
ナキに行儀よくきちんと座られて、ミリアはちょっとおかしかった。耳まで赤いのはなぜかはわからないが、照れているか、恥ずかしいのだろうとミリアは思う。
「……ミリアは、もうちょっと、こう、警戒したほうがいいと思うんだよね」
「なにに?」
「俺に。クリス様にもなんか言われてない?」
「え? な、なにもないわよ」
露骨に怪しい返答になってしまった。
ナキは、やっぱりと小さくつぶやいている。
「一応、俺も男なんだけど」
「知っているわよ?」
首をかしげるミリアにナキはため息をついた。
「わかってない。どうしよう。クリス様、やっぱり必要だった」
困ったような声にミリアはどこが失敗したらしいと気がつく。ただし、どこがダメだったのかはわからない。
ナキのだいぶ乾いた髪を弄ぶようなことがダメだっただろうか。
「ありがとう。今度からは気をつけるよ」
「またしてもいいいけど」
「俺の理性が削られるからやめて」
「どのあたりで?」
ぴたっとナキは口を閉じた。それを言うことがとてつもない問題であるかのように。
「指が、さ。ぞわってする」
慎重に言葉を選んでいるようなところに違和感があった。たぶん、それじゃない。近すぎて照れたというのも違う。
恋愛の初心者すぎて、ミリアには答えは全く分からない。しかし、それを問い詰めるのはまずい気がしてそれ以上は聞かなかった。
微妙に気まずい中、朝食というには遅い、昼食には早い食事をとることになった。
「そういえば、ご褒美って」
気まずいが、ミリアとしてはそれを考え続けるのは嫌だったので聞くことにした。どうしたって正解は出てこない。
確実にミリアとナキの回答は異なる。
「ん、んんっ!? い、いや、さっきのでも十分」
「髪拭いてあげただけで?」
「……いや、それはその。じゃ、じゃあさ、ほら、膝枕とか」
「は?」
「あ、えーと、前、してもいいって言ったじゃないか」
消え入りそうな声で様子を伺うような視線で、言われた。
ミリアは、そんなこと言ったかと遠く記憶を探る。
確かに言った、と思う。それも初対面に近いときに、こちらに来ればしてあげてもよいと。
「失言でした。クリス様のうつったかな」
「い、いいわよ。言ったのだもの」
ミリアは平然と言おうとして上ずってしまう。
え、いいんだと驚いたようなナキの態度に間違えてしまった気がした。しかし、今更撤回は出来ない。
「別に大したことないわ」
したことないけど。ミリアはつんと澄まして今度は言えた。しかし、顔は真っ赤で少しも動揺を隠せていない。
先ほどとは違う微妙な緊張をはらんだ昼食は表面上静かに過ぎ去っていった。
このあとどちらも膝枕未経験者のため、正解が分からず困惑することになるのは想定の範囲外だった。
あと二日こうなの? 俺だめかもしれないとナキはつぶやいていたが、ミリアも同意見だった。追い出しておきながらこんなことを言うべきではないかもしれないが、早く、クリス様帰ってきて、だった。
白猫と燈明が帰ってきてほっとした様子の二人に、なにやってるんじゃろなと感想を漏らすのは少し先のことだった。




