一方そのころ王国では 4
「……あと少しね」
ジュリアはつぶやく。
四日前についた姫君の一行への接待がようやく終わってようやく一人の時間を持てた。王妃の代わりにジュリアとレベッカの二人が王宮内を采配しなければならなかったのだ。王妃はあの日以来寝込んでしまい、気力を失ってしまったようだった。
しばらくの間は姉妹で王宮を回していかねばならないだろう。
忙しいがそうすれば少しは気は紛れた。
「もう疲れたわ」
ジュリアの願いは記憶を思い出した時から変わらない。そして、それは叶えられないようだ。
彼女は視線をあげた。
初夏の庭は日差しがつよく何もかもが白っぽく映る。心地よい空間ではない。
しかし、ジュリアは今日もここに茶の用意をさせる。誰もここには近寄らないと知っていた。十九年も前に死んだ叔父の庭。今も美しく整えられているのは国王の意向だった。
ジュリアにとっては挫折を知った庭だった。あるいは、変えられないものを思い知らされた。
十九年前のあの日、ここで幸せそうに笑った叔父を覚えている。婚約するとジュリアに紹介してくれた令嬢は赤毛だった。愛おしげに見つめ合う二人にお幸せにと言ったのはうそではない。
ここで幸せに暮らしてくれれば立証できると思ったのだ。ジュリアがささやかに動かしたことで、彼の死が避けられたと。それはいつか来るはずのジュリアの死を遠ざけてくれると。
しかし、その数日後に叔父は亡くなってしまう。物語の予定を崩さないようにただの風邪で。そのとき一緒にいた令嬢はそれから間もなく別の男に嫁がされた。
それはジュリアが知っている通りだった。
次は、ジュリアの番だ。
ジュリアは他の登場人物と同じように、たった数行、あるいは一行で葬り去られる。
からりと冷たい紅茶の氷が音を立てる。涼やかで贅沢な光景。来年、彼女はそれを見ることができない。
物語の通りであれば春先の季節外れの雪の日に病死する。
それまでにするべきことは多い。身の回りの物を処分し、片付け、誰も困らないようにしておかないといけない。
無駄かもしれないが、先のことで助言を残し、準備をしておく。
「……そういえば」
ジュリアはふと思い出した。皇女の物語には登場していても、未だ姿を見ていないものがいる。皇女の守役の少年はまだ幼いので出てこないのはわかるが、もう一人。
ミリアルドに助けられた青年がいない。
一度も誰かを助けたという報告もなかった。ジュリアは帝国内で会うということを知っていたから帝国へ外交で訪れるときに特別に注意するように指示していた。しかし、ルー皇女と仲良く過ごし、後宮の外に出ることすらなかったらしい。
ならば彼はどこに行ってしまったのだろうか。
ミリアルドの死で少しずつ狂わされていった彼は。
「ねぇ、いるの?」
ジュリアは小さく声をかけた。期待はしていなかったが、答えはあった。この数日、ジュリアにいつもの密偵がついていることは知っていた。本人が護衛を兼ねてしばらく付いていると言っていたのだから。
着替えを覗いては嫌よと言えば、むっとした声で見ませんと返事を返してきた。からかいに反応する程度には近く、信頼するには遠い。
「ナキという男を知っている?」
「ここら辺では聞かない名前ですね。他国の生まれですか」
「そうね。遠いところから来た人。知らないならいいわ。もし、現れたら教えてちょうだい」
「なぜ?」
「秘密」
ミリアルドが死んだのならば、彼は見つけることができるかもしれない。
ルー皇女に皆が心酔、あるいは恋する中、彼だけは揺らがない。ミリアルドの死の真相だけを求めていた。
皇女に協力するのも利害の一致でしかなかった。
しかし、出会ってすらいないなら、どうなるかわからない。知らない間に会っているということは考えにくいくらいにミリアルドのすべては管理されていた。他国に行ったときさえ、異常は報告されている。
だからこそジュリアは放っておくことしかできなかった。見つからない男を探し回るのは彼女の立場では難しい。
「……承知しました」
不可解と言いたげな承知しましただなとジュリアは首を傾げた。
それを問いただそうと口を開きかけたときに声が聞こえた。
「母様、こんなところにいたっ!」
「どうしたの?」
「ルー様になにを贈ればいいのか相談したいんだ!」
息子たちが連れ立って姿を見せた。近くにいたはずの密偵もかさりと音を立てて遠ざかった。家族の会話などに興味はないらしい。あるいは、配慮されたか。
「あらあら。お買い物でも一緒に行こうかしら。最近はもう、お母さんと一緒なんてイヤって言うから寂しかったのよ」
あははと気まずそうな長男とそんなことないよとごにょごにょいう次男が可愛らしい。
彼らが大人になるころには、ジュリアはいない。
それはひどく悲しいことだったが、どうにもならない。やれることをすべてして、もう、おしまい。
残った時間は残されたもののために使うべきだ。
ジュリアは微笑んで息子たちと出かけるために東屋を出た。
「……あいつ、どこで知られたんだろうな」
密偵がそうつぶやいたことをジュリアは知らない。
気に入らない。
シリルはつぶやく。
王太子としての立場が揺らいでいる。それも一人の少女の存在のせいで。上手くやったはずの婚約破棄は、予想外の結果を連れてきた。
邪魔だったミリアルドは帝国へと嫁ぎ、その妹であるエリゼと婚姻を結び王となる。
エディアルドの動きは想定外だったが、すべてが問題ないはずだった。
しかし、帝国はこれをエディアルドの失態と傷ととらえた。問題がなかった次期皇帝の許されざることと。それをなかったことにするために、皇女の見合いを理由に極秘に話を詰めるのはわかる。
しかし、その建前を本当にしようと動き出すことは想定していなかった。
帝国とは今は隣国として付き合いをしているが、祖父の時代には殺し合いをしていたような間柄だ。良き隣人同士とはまだいかない。帝国は好戦的とも言えて、いつ戦端が開かれるかわからないと理解されていたはずだった。
それが今は皇女を歓迎している。
皇女を迎え入れるということは、それだけで次期王の順位が揺らぐ。彼女の夫は王でなければならない。
帝国がそう注文をつけてきたわけではない。気に入らなければ断ればことが済む。本来の目的はそれではないからだ。
相手に弱みがあるうちに、皇女との婚約を確定させ、手元に置いておきたいのは王国の思惑である。
たった二人しかいない皇女。それも聖女であったと噂される妃の娘ともなれば皇帝も気にはかけるだろう。現在の緊張をはらんだ友好よりももっと穏やかな友好を得られるかもしれない。
それは得難い機会だ。それを手元に引き寄せてきたミリアルドへ賞賛さえある。
きっと彼女がそれを説得したのだと。
そんな話はシリルは聞いていない。しかし、国のためを願っていた彼女ならば、離れても思ってくれるだろうとそう信じられている。
ミリアルドの名誉は守られる。エディアルドの名誉とも関わるがゆえに。
本人が心底嫌そうな顔をしそうな嘘と虚飾の物語が作られ、真実であるかのように伝えられる。シリルは友人の気持ちを知ってわざと悪役を買って出たと、そうなっていた。
ミリアルドとも仲が悪かったのではなく、恋情はなく同士として認めあっていたと周りが書き換える。
エリゼのことも身を引いたという美談に。
次期帝妃ともなれば、悪く言うわけにはいかないと飾って事実を変えようとすることは滑稽でもあった。
以前はミリアルドを女らしくないと言っていたものさえ、手のひらを反すように。
あの方は、とても努力されていたのですね。そう言いだしたのは、次期宰相とも言われていた男だった。
女ならば、ただ提案に頷いていればいいのだと言っていたはずが、不在の間の仕事を任されてすぐに意見を変えた。
そして、シリルに非難をするような視線を向けるように。
それは彼だけではなかった。ミリアルドがたった一人で処理したものを数人がかりでも片付けることは難しかった。
多岐にわたる知識を求められ、どのあたりが落としどころなのか検討するだけで時間がかかり、結論はすぐに出ない。しかし、すぐに返答が欲しいと言われる。あの方ならすぐに返事を頂けましたが、と嫌味ではなく困惑で問われる。
殿下は、もっと、すごいのかと思ってました。失言をしたのは使いの少年であったが、言葉にされないものは感じていた。
気に入らない。
再びシリルはつぶやいた。
こんなはずではなかった。そう思ってももう遅い。
婚姻の予定は滞りなくすすめられているがそれだけだった。ミリアルドが決めたままにすすめられて、そのために用意されたものを使って。
エリゼのために新調されたのはドレスや靴などだけだった。
そのエリゼともしばらく会えていない。手紙のやり取りだけでは足りなかった。しかし、恐れてもいた。
彼女さえも、思いはしないだろうか。
がっかりしたと。
そのころのミリアルドは、え、ひ、膝枕!? え、前いいって言った? と無茶振りされていました。
※前にいいって言った件は秘密は誰にでもある2参照。




