逃亡
ぱちぱちと小さい焚火の音がする。
がっくりと肩を落としたナキが、休憩できるくらいには整えるから待ってと言って用意したものだ。今、湯を沸かされている。
びくついたような視線が、時々やってくるのでミリアは頭を抱えたくなった。心配が限界を超えるとああなるとは知らなかった。威圧したかったわけでも脅したかったわけでもない。
ただ、心配だったと言えばよかったのだ。それから事情を柔らかに尋ねればきっとここまで身構えられることもなかった。一手目から失敗している。やり直したいと思っても時は戻らない。たいていの場合は。
ミリアが焚火の前で膝を抱えていると少し距離をあけた隣にナキが座った。
「お茶、どうぞ。それから、ちょっと食べていい? 朝食べたのが最後だったんだよね」
「ありがとう。
その、ごめんなさい」
「ん?」
どこからか出したパンをかじり始めていたナキが不思議そうな顔をしていた。
何か言いたげで、それでも口の中のものを気にしてかものすごくもぐもぐしている。妙に可愛らし気でミリアは変な声が出そうになった。そんな場合ではないというのは理解しているはずだが、時々制御を超えて出てくる。なんだかそんな自分に失望しそうだった。
「謝られるとこあったっけ? ああ、燈明に無理やり連れてこられたんだから仕方ないから気にしないで」
「そうじゃなくて、私にかかわったからこんなことに」
「好きで首つっこんでアレコレ手出しした結果だから、仕方ない。第一、あそこで放置したほうが寝覚め悪いし、ずっと引きずったと思うんだよね」
「私でなくても、同じだった?」
「中にいたのがおっさんでも死んだら火種になりそうなら外に出したよ。小競り合いも戦争も俺がいないときにしてほしい」
心底嫌そうにナキは呟いた。
冒険者というのはその場にいたら駆り出されるものだ。ミリアはそう知っている。断ることもできるが、帝国では国家の下部組織なのだからそれも難しいのかもしれない。強制命令かギルドからの除名かともなれば、嫌だろう。
ミリアの知る限りではほどほどに有能というのがナキの評価だった。冒険者にしては物腰柔らかで貴人対応も任せても大丈夫と思われていたようだが、個人で動きたがるので今まで依頼がなかったらしい。
反抗的でもなく、臨機応変に対応し、ほどほどに優秀ならば使い勝手がいい。使い潰す気はない。つまりはある程度、冒険者ギルドが保護したり庇ったりするはずなのに追われているというのはおかしな話だ。
「ところで、なんで追われているの?」
「……あー、ちょっと、砦に強引なお誘いを受けて、いったらちょっと揉めて、そのちょっとだけ、皇子様相手に傷つけちゃったかなぁって」
ミリアは気が遠くなりそうだった。
ちょっとが多いが、おそらくちょっとではない。
「なぜ、そんなことになったの?」
そもそもなぜ砦にいたのか、から問うべきだろうか。穏便さも欠片もない話にどこから突っ込んでいいのかわからない。
最初の理由はミリアだろう。しかし、事態がねじくれた原因は自分だけではないと現実逃避したくなる。
「最初は皇子様から雇うなんてお誘いがあって、断った。本人はさほど気にしてないようだったね。それから、あの鳥が来て、ディーなんとかがミリーは誘拐されているかもしれないとか言いだして」
「なにそれ」
「だよね。言いがかりで捕まって、でも、すぐ誤解ってことで保釈。
それから国境閉鎖が終わって移動中に、砦にお誘いされて、地下牢監禁からのミリーの居場所を聞かれて断って、それからなぜか皇子様と遭遇して事故った」
「なにそれ」
もう一度ミリアはつぶやいた。何がどうなってそうなるのか全く分からない。
ナキもそうだよね。俺、振り回されてるなどと言っているが、おそらく、ナキも振り回す側だ。
皇子の誘いを断るなど誰も想定していないし、それで、おとがめなしというのもあり得ないと周囲は思っているはずだ。
それにミリアの件でも決定的ではないが怪しいところはいくらでもある。
しかし、決定的ではないために冤罪じみたことで捕まえておきたかった。そこまで知りたかったのはミリーの行方。
「なぜ、ミリーが必要なの?」
「赤毛のミリーってとこがほんとに不穏」
「……それって私の代わりの私じゃない」
「たぶんね。それで、あのディーは、ミリーが好きだったっぽいじゃん。赤毛じゃないから大丈夫と思ってたのに、赤毛でしかもミリアルドに似ているということに気がついたら失望するかもね」
「は?」
好かれている。冗談じゃないとミリアは言いかけて、やめた。ミリアルドは好かれているとは到底思えなかったが、侍女のミリーに対しては好意的ではあった。邪魔としか思えなかったが、一般的には甲斐甲斐しく世話をしたがっていた、ともいえる。
「たぶんさ、ミリアルドも好きだったんじゃない? 主の好きな人が好きってねじくれるよね」
「迷惑な主従だわ」
ミリアの感想にナキは苦笑した。
「ま、憶測でしかないよ。
今更ほしいっていってもあげないし」
ミリアはナキの声にいつもとは違うものが混じっているような気がした。
じーっとナキに見つめられて、ミリアは頬を赤くした。急に髪が乱れていないかと気になり始めるし、そういえば服装も急かされて着替えもしなかった。そして、足首が見えていることに気がついて慌てて隠す。
「こんなかわいいのに、見る目ないよな」
近づく気配にミリアはぎゅっと目をつぶって。
「……うむ。そこでちゅーするのじゃな?」
声が聞こえた。それも至近距離だった。
「おい、クリス、そこは黙ってるところ」
こそこそとした声も近かった。
「にゃ?」
「……ゴミがついてたよ」
ナキの声は棒読みだった。そして、取ってつけたように肩を軽く払われた。
ミリアはどんな顔をしていいのか全く分からず両手で顔を覆った。今、全身が熱い。恥ずかしいのか照れたのか怒りなのか、あるいはそのすべてなのか自分でも把握できなかった。
「で、制裁は終わったわけ?」
ナキは白猫に不機嫌に聞いていた。声だけで不機嫌とミリアがわかるほどなのだが、もうおしまいかと聞いている白猫の心臓の強さに感心する。もちろん、良いほうではない。
うぎゃとか、掴むでないと訴えているのをきいているとやっぱりとしか思えなかった。燈明と中身の詠歌は静かにしているようだが、ぱたぱたと羽音が聞こえるので本来の姿でいるのは確かのようだ。
「それで、なんで、戻ってきたわけ?」
「予定外に近くにいたので、知らせに来たのだがいい雰囲気なので様子見」
それは覗きと言わないだろうか。
ミリアはさらに膝を抱えた。誰の顔も今は見たくない。きっと、人には見せられないような顔をしていた。
こんな状況なのに一瞬、頭の中から消えていたのだから。
「それ、様子見していいやつ?」
「よくはないが、見せつけるにはいいかと」
「は?」
「焚火なんて目立つのぅ」
「遠くからでも寄り添うのは見えるだろ。塩塗る必要もないくらい激痛じゃね?」
慌てたようにナキは立ち上がり、ミリアの手を捕まえた。
「ふざけんなよっ! なんで、ミリアいるのに巻き込むようなことすんだよっ!」
「そこはそれ、ナキが頑張れ」
「矢は防いでやるから頑張れ」
「え? ええ?」
否を言う間もなく、ミリアは抱えあげられていた。
「悪いけど黙ってて」
絶対、羽むしってやるあの鳥と唸った声は割と本気に聞こえる。
足元で我は関係ないぞとアピールする白猫とぎょえと鳴く赤い鳥。聖獣はいつでもどこでも自分のペースで生きていく生き物なのだなとミリアは現実逃避した。
自分の頭の中が、顔が近いとかどこ触ってとか胸板が思ったより厚いとか、そんな余計なことに占拠されている現実がつらい。そんな場面では決してない。
お姫様抱っこって! とぽーっとしていいところでもない。
表情に出ていないことが幸いだ。ミリアは王妃教育受けててよかったと感謝する日が来るとは思わなかった。ただ、首に腕を回して、ぎゅっと抱きつくのはなにかが漏れている。
ナキの怪訝そうな視線に、落とさないでねと言えば納得したようだった。
「ほんとしつこいな。いい加減にしてくれよ」
ナキは、人のいる場所がわかるように視線を向けた。




