一方その頃 王国では 3
庭園で過ごすには少し暑い季節になってきた。ジュリアはそれを承知で、庭園の東屋に休憩の用意をさせた。
ジュリアは庭園を見渡した。一人になりたいと側仕えを全て遠ざけた。視界の端にその存在は感じるが声は届かないだろう。
「少し疲れたわ」
彼女のぽつりと呟く声を拾うことはない。時折、風のそよぎで揺れる葉の音だけが聞こえてくる。
ジュリアはからりと音を立てた氷に視線を止めた。
氷の入った飲み物というのは権力の象徴である、というのは言い過ぎだろうか。
水出しの紅茶に氷をいくつか。上質な茶葉はもちろん、安全な水、特別に作らせた氷、透明なガラスの器。これらはそれなりの地位にいなければ、あるいは金を積まねば手に入らない。
昔はなんでもないと思っていた事もこの世界では大変な贅沢だ。
逆になんでも手作りなのは贅沢のような気がする。ジュリアは繊細なレースで彩られた手袋へ視線を落とす。
細く美しい貴婦人の手は時折強烈な違和感を憶えさせる。
私の手は違ったと遠い前世が呟く。ジュリアは前世というべきものを幼い頃に思い出した。あるいは、いつも感じていたものの答えを知った。
成長するに従い、この世界はジュリアが前世で知っていたある小説の世界に似ていることに気がついた。ただし、完全に一致するわけでもない。
物語は帝国の姫君が身分を偽って国立の学園に入学することから始まっていた。時期はずれの転入生は浮いていて、馴染めず困っているところを助けるのがウィルだった。
そして、彼女が帝国の姫君と知らずに恋に落ちる。
それはあと三年は先のことだった。見合いという形で現れるとは思ってもみなかった。その上、想定より三才は若い。まだ、色々な準備が間に合っていなかった。
知っていることをよい方向に持っていこうとして介入をしすぎたのかもしれない。ジュリアは少し後悔している。
よいこともあれば、悪化したこともあった。どうしても動かせぬことも。
「姫様、戻りました」
その声にジュリアは視線を周囲に巡らせた。しかし、声の主の姿は見えない。
ジュリアが子供の頃から知っているが姿を知らない密偵だ。王、あるいは王配のみに姿を見せるという。
ジュリアの配下というわけでもない。気まぐれに情報を持ってきたり、様子をうかがわれている。
おそらくは、警戒されているのであろうとジュリアは思っていた。彼女は知っているから色々な出来事に先手を打つことも出来るが、他人から見れば不審そのものだろう。
「無事戻ってきて嬉しいわ。国境が荒れていると聞いたからもっと遅いかと思ったのだけど」
「皇女の一行に混じりました。私は先に抜けてご報告に」
「そう。父様たちには?」
「帰還の挨拶は済ませました」
「帝国側はどうなっているの? 皇女を出すなんて想定もしてなかったのだけど」
「ルー皇女殿下の嫁ぎ先については悩んでいたようで、縁があればこのまま婚約される可能性はあります」
「そう。そこは変わらないのね。
ミリアは元気?」
ついでのようにジュリアは尋ねた。本来はそこを一番に気にすべきだろう。
婚約者に捨てられ、そこを誘拐でもされるように連れ去られた王太子の婚約者。
「亡くなりました」
「……そう」
ジュリアはしばし目を閉じた。
物語の通りに彼女は死んだ。どうあっても物語の中で語られた死は避けられないようだ。今まで何度か死を避けられるかと試したのだが、全て失敗した。
どれほど、注意しても定められた長さを超えることはできなかった。
本編開始前にミリアルドは謎の死を遂げている。そのあとに王太子である弟はエリゼと婚約していた。
現状も同じような形になりつつある。
やはりお茶会への介入はやり過ぎであっただろうか。そう後悔しても遅い。実際のジュリアの働きかけは少しだけだった。
エリゼに姉の排除の可能性を示し、エディアルド皇子に恋心を自覚させ、弟に夢を囁いた。
あとは行動のタイミングが一致するように両親が不在のときしかないと思わせる。それがあのお茶会だ。
お茶会という形ではなくてもいつか同じことは起きただろう。介入の結果、ある意味一番ましな成果を連れてきてくれたのだから上々とも言える。
ジュリアとしてはミリアルドが自発的に皇子についていき、多少でも絆されてくれればと思ったのだ。死が避けられないとしても愛された方が良いと。
「あちらは公表する気はあるの?」
「その点も今後、詰めていくでしょう。介入されるので?」
「しないわ。姉様にいわれたように大人しくするわ。旦那様もお疲れの様子だから、甘えさせなきゃ」
呆れたようなため息が聞こえてきた。意図的に聞かせているのだろう。ジュリアはそれを聞かなかったことにした。
主従ではないのだから、多少の無礼は見逃すことにしている。それより機嫌を損ねて有益な情報を隠された方が問題だ。
「さて、お姫様のことを聞かせてちょうだい」
「介入されないのでは?」
「あら、息子のお嫁さんになる人かも知れないもの。先に知りたいわ」
「お望みのままに」
王宮の一室で、その人は待っていた。
落ち着いた様子で優雅にお茶を飲んでいるところは絵画のようだった。空気に溶けそうな白金の髪は下ろされている。
確か従弟と同じ年だったはずだが、到底そうは思えない。ウィルはまじまじと観察してしまった。
「おひめさまだ」
隣でぱっかんと口を開いた従弟の気持ちがわかる。ふわふわで可愛らしい。
お茶の器をテーブルに置き、彼女はふわりと微笑んだ。そっと立ち上がりちょこんとドレスの裾を持ち挨拶する姿が可憐だ。
「はじめまして、王子様方。ルーと申します。こちらはユークリッド、私の守り役ですの」
「はじめまして。僕、じゃなくて、私がウィルで、こっちが」
「僕、ジェイ! よろしくっ!」
いつもはおどおどしている従弟が舞い上がっている。叔母もお姫様というニュアンスからは遠いので、おそらくはそのせいだろう。
あの方は綺麗だが怖い。
「よろしくお願いしますね。あとお一方、いると聞いたのですけど」
「ああ、もう一人の従弟がいます。ゼルというのですが、ルー殿下と同じ年で」
「兄ちゃんは関係ないってどこか行っちゃった」
「そうですの。残念ですわ。……ところで、王太子殿下はどこに居られますの?」
にこりと笑っているのに、なぜか寒気がした。
あれ、もしかして、ふわふわなお姫様、じゃない? ウィルが現実に気がつきかけたが小さく頭を振ってその考えを追い出した。
「私たちは成人前なので、歓迎の式典には出られません。そのため、事前に顔あわせを行うことになったようです。
式典の準備で今は忙しいと思いますよ」
「そうなの」
「あの、ミリア姉様はお元気ですか?」
ひっそり声を潜めてウィルは聞いた。帝国へと旅立ったということしか彼は知らない。それも母にしつこく聞いて諦めたように言われたことだ。
なぜか憐れみを込めた視線を向けられたのだが意味がわからなかった。
ルー皇女も少し困ったような顔をしていた。
「元気といえば、元気のようですわ。お会いしてませんので、兄が言ったことになります」
後ろに控えている守り役がわざとらしく咳払いをしていた。
「私も会うのが難しいでしょうね。溺愛されるんじゃないかしら……」
「いや、あれは、狩猟」
「ユーリ」
「むむ。申しわけございません」
神妙な顔でユークリッドは謝罪を口にするが、表情は微妙に笑い出しそうだった。ルー皇女は困ったものだと言いたげにため息をついた。
「まずは、座りませんか? 皆さんのことを教えて欲しいのですけど」
気を取り直したのかルー皇女にそう提案されてウィルは自分の立場を思い出した。もてなす側として来たはずなのだ。
舞い上がっていてはいけない。ちゃっかり彼女の隣に座ろうとするジェイの首根っこを捕まえておかねばならない。
何となく知っていたが、ジェイは女性がとても好きである。後々、迷惑を掛けられそうな予感がしていた。
「失礼しました。どうぞ、お座りください。お茶の替えを用意させましょう」
「ありがとう」
優しげに微笑まれてウィルは顔が赤くなるのを自覚した。ジェイも大人しくなり、もぞもぞしている。
その様子を生ぬるい視線でユークリッドが見ていたことを彼らは気がつかなかった。
なお、ミリアの死亡フラグは人形が代わりに死んだ事で折れています。




