消えた娘
その娘は忽然と消えたと彼らは証言した。
皇女一行は昼過ぎに王国側の国境の町についた。正式な迎えと会談があり、翌日に出発することになっている。
ディートリヒの知らぬ間に帝国内で雇われた者の半数は契約の延長を行い、王都までの護衛を行うことに決まっていた。
特に女性の護衛はルー皇女の希望によりほぼ全員同行することになっている。本人たちだけではなく、所属しているパーティなどにも追加の支払いをするという条件であっさりまとまったらしい。
その中でたった一人、侍女代わりを勤めていた娘だけが同行しないという。
その理由は恋人の希望により、ということになっている。ルー皇女も残念そうにしていたが、特に引き留めるでもなかった。
ディートリヒにはそれが意外に思えた。しかし、都合も良かった。皇子よりその娘を預かり、きちんと侍女として教育出来るようにと伝えられていたのだ。
今度ばかりは妹の機嫌を取らねばまずいらしいと主も気がついたようだ。その機嫌をとるために気に入りの侍女を用意しておこうと考えたようだ。
それだけではなく、皇子も彼女が誰かに似ていると思ってはいるらしい。媚びを売ってこないことも気に入ったようだ。
皇子にはディートリヒの家に養女として迎えてはどうかと言われたが、断ってしまった。妹など扱い方がわからないのでといいわけしてみたが、自分でもよくわからなかった。
ぽつりと取り残されたように皇女一行を見送る彼女はひどく寂しげに見えた。おそらくは、置いて行かれたのだろう。
そのように仕向けたのはディートリヒだが、多少の罪悪感があった。その誠実とは言えない男に近寄るなと数日前に警告はした。その上で、手切れ金とも言えるものを渡したのはこの町に入る前のことだ。
嫌そうな顔はしたが、受け取らないと言うことはなかった。意図を理解した上で姿を見せないのだろう。
「一人ですか?」
ディートリヒの言葉に彼女は振り返り、困ったように上目遣いで見上げた。問われたことに困ったのか、現状に困惑しているのかはわからない。
「捨てられたのでは?」
彼女はふるふると首を横に振り、否定を示すがどこか途方に暮れたように見えた。その足下からにゃあと声が聞こえた。
ディートリヒは内心驚いたが表面上は一瞥しただけだった。
白い猫、というものは良い面と悪い面がある。西方のお方の使いとして幸運、あるいは商売繁盛の御利益を得ることがある。
しかし、害すればその分、同等の報復をされる。それは加護を与えたものに対する害も含まれる。
元聖女の妃にまつわる話は誇張と思われがちだが、関係者が青ざめるくらいには真実を含んでいた。
帝国内では教訓のように触れるべからずと言われるのが白猫である。
「我々と戻りますか?」
彼女は首を横に振った。なにかあてがあるようには見えず、ディートリヒは悪いと思いながらもそこに付け込むことにした。
「ご家族も心配されているでしょう。家に戻らないにしても生活を支えるものが必要でしょう。皇女殿下のお気に入りであるなら侍女としての道もあります」
のぞき込んだ目は闇のように黒かった。慌てたように目を伏せ、距離を取られる。
「今後、どうするか相談しましょう」
おずおずと肯かれ近くの店に誘うことには成功してディートリヒはほっとした。頑なに断られれば全く別の手段をとらねばならない。
皇子の望みを叶えないという選択肢は存在しない。
にゃあと鳴く白猫が足下で再び鳴いた。
店の中でも彼女は黙ったままだった。
手帖から紙をちぎり見せてくれたのはこういった事情だった。
『なんだか声の調子がおかしくて、お話し出来ないんです』
そう困ったような顔で見上げてくる。
『これでは姫君の相手もできませんし、お医者様に見ていただくつもりです』
「そうですか。それはお困りでしょう」
彼女はふるふると首を横に振って否定を示す。大丈夫と言いたげに微笑むのは気丈に思えた。今まであった棘のようなものが抜け落ちているような態度もこれが原因だろうか。
冷ややかな中にもどこか怯えのようなものを持っていたような気がしていたが、今は違う。
困ったなぁと思っていそうだが、揺るぎない意志を感じる。
「よろしければ医者を捜させましょう。しばし、逗留されるのでしょう?」
それには少し思案してから彼女は肯く。
ディートリヒは時間が出来た事に安堵する。引き延ばして、侍女となるのを説得することは可能だろう。
後宮に、しかも皇女付きとなるような幸運を語ればわかってくれるだろうと。
しかし、翌日、彼女は宿から忽然といなくなっていた。宿屋の店主は最初からその予定と聞いていたと煙たそうにディートリヒに言うだけだった。
連れがいるのかと聞けば一人で出ていったと。
監視というわけでもないが、見張らせていた者たちは宿から出てきたことを見ていないと証言している。
見張りが専門でもないが、なにも知らない娘を見逃すわけがない。
早朝、町を出て行ったと門番が証言だけが残っていた。
ようやく、騙されたのだと気がついた。彼女は最初からそうする気で、ディートリヒにしばらく逗留すると伝えたのだ。
帝国内であれば、探す手はいくらでもあるがここは他国だ。派手に動き回るわけにはいかない。たかが、侍女候補の一人に人手を割く必要もないだろう。
そもそも、女の足では遠くまではいけないだろう。ディートリヒは気を取り直して、部下に指令を出す。
「国境へ伝令を」
女が一人で国境を越えるのは珍しい。場合により、足止めしているかもしれない。
しかし、その考えを嘲笑うように彼女の痕跡すら見つけることは出来なかった。
ミリアは街道を離れたところを機嫌良く歩いていた。足取りは軽く、その速度は速い。白猫が追いかけているが、少々遅れ気味ではある。
その後ろ姿に声をかける。
「待つか、歩調をあわせるか、抱き上げるか、どれがよい?」
「あ。クリス様、ごめんごめん」
ミリアの姿をしたものはすぐに戻ってきてご機嫌に白猫を抱えた。
「あー、ほんと、清々するなぁ」
「本当に良い笑顔だのぅ……」
白猫がどん引きしながらも相づちをうつ。
彼女は少々、表情を改めようと思ったが微妙に口元がにやつく。
「……いい加減、戻ったら良いではないか」
「ん。そうだね」
ミリアの姿が、揺らいで解けていく。白猫の見ている前で青年に戻る。
幻影で他人になりすますようなスキル。チートのようだが、声は別スキルが必要となる。その上、話し方も違和感なくという芸当は無理と無言を通した。
ナキは機嫌良く再び歩き出した。
「疲れた。精神疲労が半端ない」
「我は鳥肌が立つとか気持ち悪いとかそう言う気分であった」
「え、可愛かったと思うけど?」
ナキはそう言って首をかしげる。それはあざといと言われる白猫の仕草によく似ていた。ミリアはどこかぎこちない。あざとかわいいまで至っていないとでも言うのだろうか。
あれはあれで天然もの過ぎて、逆に刺さったのであろうな。と白猫は心の中で呟く。
慣れないながらも好意を伝えようとするところが、まずいらしい。その上、容姿も好みの範囲に入っていれば堕ちないわけもない。
らしい。西方の方がうきうきしながら言っていた。
白猫は厳密に言えば性別が存在しないので、完全に理解出来るとは言えない。
まあ、どうでも良いが、もだもだせずに諦めればよいと思う。
「ミリアは飽きてるかな」
「心配して寝れないので無理に寝かしつけたが、そろそろ起きてるのではないだろうか」
「寝起きのぼんやりはちょっと破壊力が……」
ナキはそうは言いながらもどこか楽しげではあった。この先のことは一時、忘れているに違いない。
西方の方がうきうきするような出来事が増えると良いのだが。
白猫は少々不穏な期待をしていた。




