五日目 1
タイトルの日付が飛んでますが仕様です。
国境を越えての旅路は順調で明日には王国側の一番国境に近い町に着く予定だった。急げば今日の夕方にも着くらしいのだが、それでは慌ただしすぎると明日に町に入るらしい。王国側の使者もそのときまではルー皇女と積極的に関わることはないようで、最初に挨拶をした程度だった。
そんな風に皇女の一団は表面上はなにごともなく過ぎ去っているように見えた。
しかし、ミリアは機嫌が悪かった。
昨日から少しずつ取り繕っていたものが剥がれ落ちていき、もはや隠す気がないところまできた。
愛想のない侍女ならともかく、主の前で機嫌が悪い侍女というのは良くないのは理解している。だが、ものには限度があった。
国境を越えて以降、自由がない。正確に言えば自由に動くことができなかった。
侍女には基本的に馬車の外に出るような用事はない。その気になれば馬車の外にでないで他人に頼んでもよいことばかりとも言える。
ミリアの安全性を考えれば外に出ない方が良い。それも承知している。
「ね、姉様?」
明日用のドレスの準備をしているミリアの背におずおずと声がかかった。ルー皇女は明日のためと礼儀作法の本を読み直していたはずなのだが。
ミリアは笑顔をはり付けて振り返った。
「なにかしら?」
「怒ってます?」
「怒ってるわ」
「いや、その、すみません?」
困惑半ばにルー皇女に言われるに至ってミリアは反省した。この年下の少女が悪いわけではない。自由行動が制限される原因は馬車の外にある。
「ルー様は悪くないんですけどね」
「ディートリヒですか」
なにが原因かといえばディートリヒだった。来るとは思わなかったというのがミリアとルー皇女の見解だ。ユークリッドは半々と思っていたようではある。皇子の側近であり、王国側の事情に通じていて現場にいた人物が交渉に必要とされた。という建前で同行することになった。
皇子が妹を心配してという側面とお目付役として監視要員、護衛の強化などいいわけは色々ある。
それは構わないのだが。
「急に手のひらを返したみたいで気持ち悪い」
「姉様も言いますね……。まあ、確かにわたしもそう思いますけど」
皇子がいた頃はこの馬車にも用がなければ近づきもしなかったのだが、今は用がなくてもべったりひっついている。
建前は建前として別行動などとルー皇女は思っていた。多少は側にいるだろうとユークリッドは考えていたらしいが、それでも面食らったような態度であったので度は過ぎているのだろう。
ルー皇女相手ならばよいのだが、どうもミリアに気に入られたいらしい。あれほどきっぱりと興味ないと宣言したのにも関わらず、である。
たとえば、馬車の外に出れば話しかけられ、簡単な用事であれば代わりに請け負うと言われる。他の場所に行く用も多少はあるがそのときも付いてくる。荷物持ちや護衛としてらしいが、ミリアが連れ歩いているようで外聞は悪い。
個人的には拒絶したいのだが、今は皇女の侍女としての立場がある。臨時での対応と知っている者だけならば良いが、今は王国からの使者もいる。仲が悪いと思われても困るのだ。
穏便にやんわりと断っても通じないどころか、優しいと勘違いされる最悪のループに入っている。
その上、一番、困るのはナキに近づこうとすると逃げられることだった。最初は少し不思議そうな顔で見られただけだったが、今はちょっと困ったような顔をされて、避けられている。白猫経由で絶対、揉めるから一緒の時は逃げることにすると伝言されていた。
ミリアからディートリヒへの対応が一層きつくなったのは言うまでもない。
「あれはドMとか言うのだろうか」
ひっそり馬車に逃げ込んでいたユークリッドが独り呟いていた。ドM? とミリアとルー皇女が首をかしげるのを見て慌ててなんでもないとぱたぱたと手を振っていた。そうすれば言った言葉が霧散するとでも言うように。
「ともかく、今後の話ができないのは困ってるわ。ルー様ともあと明日でお別れだから」
「いっそ、一緒に王宮へ行きますか?」
「……それも考えても良いけど、相談しないと」
「ミリー殿が決断すれば従うのでは?」
「彼は彼なりの考えがあるから、合わないならそこは曲げないと思う。王宮というのは、近づくのも望まない気がするわ」
本人は望まないだろうということもあるが、ミリアはナキを権力に近づけたくなかった。勘のようなものでもあるし、多少の理由はあった。
教育された貴族の子弟並には話が通じ、粗野でもなく、能力も申し分ない。基本的に善良で、人として付き合っても我慢出来ないほどのなにかはないだろう。
ミリアからのひいき目はあるにしても権力者が自分の手元に置いていたいくらいには優秀である。
おそらく、姉姫たちは気に入る。絶対に会わせたくはない。色々な条件をつけて、あるいはミリアを餌にして手元に置きたがるのが目に見えていた。
それに、妹もいる。
「姉様のためなら、多少のことは曲げそうですけどね。
次の休憩か夜かにディートリヒを足止めしておきますので、相談してきてください」
「わかったわ。ありがとう」
「いえ。私もあれが残るとは思わなかったんですよね。それも姉様に好意を持つとかあり得ないと。
相手の方も気をつけないと冤罪作られてどこか追っ払われちゃいますよ」
「……そこまで?」
「誤解されているようなので、あなたを助けるためになんて言い出しかねません」
ルー皇女に厳かに告げられミリアは返事に窮する。一番良いのは誤解を解くことだとはわかっている。
ただし、赤毛の娘が消息不明になる事件については帝国内の誰がどこまで関わっているのか全くわかっていない。
後宮住まいのルー皇女も連れて来られてから知ったということなので、それ以前については知ることができない。ユークリッドも調べようとしたが皇帝より釘を刺されて見送ったと聞いた。
ディートリヒが関わっていたかもわからない以上、赤毛であるということは表に出したくない。
そうでなくても誰かに似ていると思われているのだからなおさらだ。
その結果がナキの浮気疑惑というのだから貧乏くじを引いたとしか言えない。気にしないと言いながら少し困った顔をするのが予想出来る。
「さて、ちょうどよく馬車も止まりました。
いってらっしゃい。ユーリ、よろしく」
「承りました」
ユークリッドが嫌そうな顔をで先に馬車を出ていく。
「少々、体が鈍ってきたのでな。誰か相手をしてもらいたい」
外でそんなことを言っていることが聞こえた。それから少し間を開けてミリアは馬車の外に出た。
いつもの護衛の女性たちしかいない。
ミリアはほっとして息を吐く。
「あら。おでかけ?」
「少し、気詰まりで」
「わかる。だから、ユークリッド様が連れ出したのね」
「えー、イケメンじゃない。優良な結婚相手になりそー」
「第一優先は皇子様」
ミリアは冷静に指摘する。羨ましそうな顔も途端に凍り付く事実だ。ディートリヒのそれは皇子が気にいらないと言われれば途端に捨てられそうな気さえしてくるほど、である。
恋愛関係などというより家同士の利害関係の方が安心出来そうだった。
「……そ、そこが微妙よね……」
「そもそも町娘程度じゃ遊ばれてぽい、でしょ?」
「そこは真面目そうだけど、妻じゃなくて愛人どまりかも。どろどろの愛憎劇!? ぜひやって! 遠目から見たい」
「こらこら。最近、姫様が貸してくれた本に感化されてるだけだから気にしないでいいわよ。お茶用のお湯を取りに行ったとか誤魔化しておく」
「ありがとう」
「お礼はあとで納税の計算みてもらうってことで」
「わかったわ」
冗談かもしれないがミリアは笑って請け負った。多少の貸し借りがあったほうがなんとなくうまく行くことはある。
足取り軽くミリアは他の冒険者たちが休憩しているところに顔を出した。
「あれ? ナキか。馬車のほうでなんかするって言ってた」
ミリアの顔は憶えられているのかすぐに気がつかれ、あっちと教えてくれた。礼を言っていわれた方に進む。
確かに幌馬車と呼ばれるものが二台とまっている。どちらも入り口は閉まっていた。
「にゃあ」
「え? クリス様、どこいたの?」
馬車の中に声をかける前に白猫に声をかけられた。
「着替え中の見張りを言われてな。どこの小娘かと思うが、見られたくはないらしい。待つように」
「それはいいけど。なにかあったの?」
「念のための準備。一人?」
答えは馬車の中から聞こえた。声の調子がいつもと違うように感じたのは気のせいだろうか。どことなく苛立ったように聞こえる。
「一人。乗っていい」
「どうぞ」
ためらいが感じられることに疑問を抱きながら馬車に乗りこんだ。色々な荷物が詰められているのでそれほど広くはない。
ナキは入ってすぐのところにいた。ミリアをちらっと見上げてすぐに手元へ視線を戻した。
「急用?」
そっけないくらいの言い方にミリアは不安を覚える。しかし、なにも気がつかない振りをして向かい合うように座った。
「このあと、どうしようかって話をしたかったの」
「そうだなぁ。ミリアは、侍女の仕事する?」
「しないわよ。さすがに付き合いが長い王宮内じゃすぐにばれちゃうわ」
「帝国の方とかさ」
「え。あの皇子がいるうちはちょっと……。ナキ、どうしたの?」
「んー。ちょっとヤキモチかな。まあ、偽装だし、俺のじゃないし」
「……ヤキモチ?」
ミリアに問い返されてナキは一瞬視線をあげるがすぐに気まずそうに視線を逸らした。
「あのディーなんとかが、彼女は侍女として皇女付きになるから近寄るなとか言い出してさ。承知するとは思えなかったけど、なんだかお姫様とは仲良しだし、そっちの方がいいのかなぁなんて思って。俺にはなにもないからさ。元の生活に近い方が、幸せなんじゃないかなって」
「ねえ、ナキ、ちょっと急用を思い出したの。ごめんね」
ミリアはすくっと立ち上がった。来て早々いなくなるのも良くないが、そんな話勝手に決められているということは看過できない。
同意すら必要ないと思われていることも、ナキに余計なことを言ったことも少しも許すことはできなかった。
「いやいやいや、待って! なんなのその好戦的な笑顔。待ってっ!」
「なにか妙だとは思ったのよ。察しが悪い自分が憎いわ。あの皇子、人を機嫌取りの道具にして」
ナキが慌てたように服の裾を握ってきた。見上げてくる焦った表情に少し、冷静さを取り戻す。
「ひとまず、座って。ほら、おやつとかさ」
「……私になにか食べ物与えれば機嫌が良くなると思ってるでしょ」
「ハチミツの飴。おいしいよ?」
ね、といつものように笑うナキに免じて一時的に怒りをおさめる。もう一度座ったミリアにほっとしたように息をつかれたのは気に入らない。
手のひらにのせられた包み紙を外し、口の中に入れる。優しい甘さに少しだけ癒された。




