二日目 1
二日目は朝から不穏だった。
ミリアは朝起きるのが苦手だ。今まで強制的に起こされていたので自覚したことはなかったが、自力で起きるのは少々困難のようだ。
たしたしっと白猫に叩かれて起きることが日課となっている。
あまりにも起きないとナキが扉を叩くこともあった。優しく揺る動かすというのはなかったような気がする。
ゆるゆると揺らされ起きてくださいという声が聞こえた。まだ、もうちょっと、と甘えたことを言いたい気もする。
「ん、ナキ……?」
「……姉様、起きてくださいな」
呆れたような声にミリアは目が覚めた。目の前のルー皇女は声と同じように呆れた顔をしている。
ここはどこだっただろうかと寝ぼけた頭で考える。
薄暗い室内に思えるが、馬車の中だったことを思い出した。皇女を外で寝せるわけにもいかないと馬車の中での就寝だったのだ。
簡易ベッドになる座席に寝たのだが、思った以上に快適だった。この馬車はルー皇女の母の私物で、西方お方からの下賜品だと聞いた。
見た目以上に馬車の内部が広く思えたのは気のせいではなく、空間自体を拡張しているらしい。
奥にも小部屋があり、衣装や貴金属などはそちらに保管している。ルー皇女以外は開けられないようなので盗難の危険も少ない。
ミリアはそんなことをぼんやり思い出しているうちに目が覚めてきた。
「ごめんなさい。どうしても起きられなくて」
「いいえ。眠いようでしたら、昼の移動中でも休んでいてください。侍女としてお願いしましたけど、働き過ぎです」
「そう?」
「ああ、そういえば、私お姫様だったわぁと思い出したくらいです。最低限の身繕いと食事の世話くらいで十分で、持ってきた衣装の管理とか、貢ぎ物リストの管理とかはほっといていいです」
「あとで困るわよ。どこで誰にもらったとか憶えておかないと次にあったときとかお礼状とか書けないし。帝国内ではよくても向こうではどの程度、もらう事にするかとか」
「そこはもう、一律拒否で。あるいは外交官を通してくださいで、推し進めますので。
そうでなければ今はお后教育もされてないわがまま娘で通します。実際、そこら辺のご令嬢と同等くらいしか要求されてないんですよ。母様の趣味と姉様のお手紙とで鍛えられてますけど」
「ままならないわね。さて、支度をはじめましょうか」
ミリアは先に自身の着替えをはじめた。隙無くぴしっとしたお仕着せは、王宮での生活を思い出させる。
思えば遠くまできたものである。
その場に戻ってもよいと言われても今のミリアは戻る気はない。ただ、落とし前はきちんとつけたいと思う。
復讐などしたいと思わない。しかし、無傷でのうのうとされているのも腹立たしい。
やはり、十年分の労力を一度の機会で失うなどと納得がいくものではなかった。それでも、国になにかをしたいとは思わない。
あくまで、個人的な範囲で、ことをおさめたい。
波及効果については考えないことにした。
まずは、皇子をやり過ごし、慰謝料をぶんどって、それから? ミリアは困ったようなナキの顔を思い出して、少し落ち込んだ。
絶対、引かれている。間違いない。
「ね、姉様?」
「……水場に行ってきますね」
ミリアはどんよりとした気分を背負いながら小さな桶を手に取った。
朝の支度に水は欠かせない。一緒にいこうとするルー皇女を諭してからミリアは外に出る。馬車の外には護衛の女性が2人立っていた。
彼女たちには皇女に気に入られて期間限定で侍女のまねごとをすること。赤毛の娘がさらわれる事件があるのらしいので、髪の色を誤魔化していることは伝えてある。
赤毛の件は傭兵や冒険者の中ではちらほら噂になっているようで、変に思われることはなかったようだ。それどころか同情されている感もある。
「姫様を外に出さないようにしてください。言って聞かせましたが、どうにもお外に出て色々見たいってかんじなので」
「了解。お姫様相手によく強気に出れるよね……」
「そこを放置するともっとひどいことになるじゃないですか……」
お互い顔を見あわせて何とも言えない笑いが零れる。野放しにしたらどうなるのかについては、町中で十分思い知ったといったところだ。
お忍びで町中に繰り出しそうになったり、町長の館を探検したり、ひっそり逃亡しようとしたり、中々冒険家であった。
お付きのユークリッドが常に発見しては回収してきていたが、お外ではそれは遠慮したい。
ルー皇女にとっては後宮を出てなにもかもが物珍しいのであろうとは思うが、彼女たちにとっては迷惑である。
何かあって責任をとらされるのはこちらである。
そういえばその守り役がいないなとミリアは気がつく。昨夜は別の場所で休むと姿を消していたのだが。
「ユークリッド殿は?」
「鍛錬後に食事を持ってくるって。未だ現役で通用するって噂の通りのようね」
「そうそう。そう言えば、昨日、ナキが声かけられたって聞いたけど大丈夫?」
「え?」
「兵士たちのほうがざわついてたみたい。用事がある以外で声をかけるのは珍しいみたい。それもご機嫌だったって」
「……今までそんな印象はなかったんだけど?」
「そう、私たちには気さくなおじ様って感じよね。ところが、兵士たちには冷たいそうよ。指南とかもってのほかなんだって」
「もしかして、嫉妬される?」
「と思うんだわ。災難よね。ちょっと様子見てきたら?」
「水汲みついでに見てくるわ」
嫌な予感しかしない。ユークリッドが単独で行動するとは思えないのでルー皇女の差し金である可能性が高い。
「早く戻ってきてね」
護衛の2人に見送られ、水場へと向かう。
宿泊地点は商人や旅人がよく利用する場所らしく、整備されていた。昨夜は使用しているものは他にはいなかった。予め手配は済んでいたのであろうが、想定外はいつでもあり得る。
昨日教えられた水場に行けば、人気はなかった。屋根付きの井戸と簡易的な竈が用意されている。人数が少なければ食事の用意にこちらを使うのだろうが、今回は使わないようだ。
遠くから薪の燃えるにおいがしてくる。旅程中は簡易な食事のみと先に伝えられている。ルー皇女も特に不満はなさそうだった。逆にそれさえも楽しげに見える。
炙ったベーコンとチーズだけ挟んだパンなんて彼女は食べたことはないだろう。
昨夜はスープがついていたが、入っていたぶつ切りのソーセージにすら驚いていたくらいだ。
かじりつくべきかと真剣な顔で悩んでいたところは少し前の自分を見るようだった。
そのときと同じように白猫はかじりつけばよかろうと投げやりに話していた。
ミリアが少々微妙な表情になってしまったのは仕方ない。確かにあれではよいところのお嬢様というのがバレバレである。
それに気がつかないほどに余裕が無かったのだろう。今も馴染んでいる気がしない。
しばし、井戸を見つめたあとミリアはえいっとくみ上げるようの桶を投げ入れた。
使い方は知っているが、やったことはない。白猫は昨夜から行方不明で、助言を求める相手もいない。
桶に水が入った事を確認し、つけられた縄を引き上げようとするが重い。荒縄がちくちくする。
「……手伝おうか?」
不意にかけられた声にミリアは振り返った。期待した人ではないことは声でわかっていたが、それでもちょっとがっかりする。
最近よく、ナキと一緒に居るところを見る青年だ。ナキは確かリンと呼んでいる。
ミリアも話をしたことがあるが、やはり声に聞き覚えがある。それなのに顔は知らない。ミリアは顔だけでなく他の身体的特徴も憶えるようにしていたので、他の部分も観察してみたがこの青年は記憶になかった。
つまり、声しか知らない誰か、である。
ミリアにとってそんな相手はごく一部しか存在しない。王家の誰かが使っている間諜かなにかの可能性が高い。いずれはミリアも使う予定ではあったが、王家に属してからという話で話はしたことはあるが正式に紹介されたことはない。
彼らは顔を隠されるどころではなく、姿すらみたことはない。声だけ届ける道具越しに話をしたことがある程度だ。逆に相手側からはミリアは知っていてもおかしくはないだろう。
ミリアが彼の反応をうかがっているうちに苦笑された。
「そんな警戒しなくてもなにもしない。ナキが怖い。温厚なヤツだと思ってたのに、恋人のことになると途端に心が狭くなる」
リンはミリアのことを皇女の侍女であるというかたちではなく、皇女の侍女に扮したミリーということは知っているようだった。確か、他の者にも知らせておくけどよいかと尋ねられたのだから、おかしくはない。
そのミリーが、ミリアルドであるなどという話はするつもりはないらしい。そのつもりがあればいくらでも機会はあったのは確かだ。
今頃なにをしにきたのかはわからないが。
「よろしくお願いします」
ミリアはさっと場所を譲り頭を下げる。大丈夫と無理に頑張る必要はない。
彼はちょっと意外そうに片眉をあげたがなにも言わず、水をくみ上げてくれた。
「半分くらいだけど、持っていける?」
「たぶん。ナキは?」
「寝てるかな。一応、火の番ってのがあってね。遅くまでやってたみたいだから」
「そう。ありがとう」
寝ているならわざわざ起こすようなことをする事もないだろう。寝顔、貴重、是非みたいと頭の中をぐるぐる回ったがどうにか押し込める。ここにいるのは皇女の侍女である。ナキの仮の恋人ではない。
ミリアはどうにか諦めて水の入った桶を抱えた。重いがもてないこともないし、少しの距離ならば大丈夫だろう。
「俺としてはミリーちゃんが、穏便に済ませてくれることを願っているからちょっかいは出さないよ。お仕事があったら別ね」
独り言のようにリンは告げた。返答は求めてないだろうとミリアも察しているが、言うべき事はある。
「私も仕事を頼むことがないようにしたいとは思っているのよ」
リンからの返答はなかった。ミリアではないなにかに気がついたように視線を向けている。
「なにをしている」
どうしたのか聴く前に別の声が聞こえてくる。こちらの声にはミリアは頭が痛くなった。厄介ごとでしかない。
そう言えば変に正義感があるタイプだった。皇女の侍女が冒険者に絡まれているように見えてしまったのだろう。楽しげというより妙な緊張感は確かにあった。
「お手伝いですよ。騎士様」
揶揄するようにリンは言って軽く手を振ってから身を翻した。
置いてかないでというのが、ミリアの心情だった。
ミリアはつとめて無表情を保ち、その声の主に向き合った。予想を外れればよいと願っても無駄だった。
「水を汲んでいただきました」
ミリアは淡々と皇太子の側近、ディートリヒに告げる。彼にはなにか勘違いがあったと気まずそうな表情になるくらいの可愛げはあるらしい。
しかし、ミリアはそのいいわけに付き合う気はない。
何とも言えないような間が開いた。ミリアは桶を持ってさっさと元の場所に戻ることにした。
なぜか、ついてこられたのは不本意だ。
「ルー様のご機嫌はいかがか?」
「元気です」
「その、持とうか」
「できます。殿下のお相手はよいのですか」
「え、ああ、ユークリッド殿が捕まっている」
ユークリッドに捕まっているのではない。皇子がなにか小言でも言っているのだろう。おそらくはルー皇女について。
旅程の間、二人は顔をほとんど会わせていないらしい。ふつふつと怒りが湧いてきて殴りそうだからという姫君にあるまじき理由で。もちろん、表立ってはそうは言っていないが、皇子の方がどうもおかしいとは気がついたらしい。
他人に無関心と言いたいほどの男でも妹は別のようだ。あるいは、己のしたことの対価として嫁ぐであろう妹へなにか思う所があるか。
どちらにしてもルー皇女はあまり歓迎していないようだ。
「……どこかで会ったことはないだろうか」
「は? もっとましな口説き文句ってないのですか?」
ミリアはなに言ってんのと言外に匂わせる。冷たい視線を向けるのも忘れない。
それに慌てたようなディートリヒの様子に多少ほっとした。
会ったどころではない。ここでばれたくはないし、是非とも別人と思い込んでもらいたい。ミリアルドがしないような表情というのものはどうだっただろうかと思い出す。
まず、感情を表に出すような態度はしないだろう。隙を見せれば付け込まれると教えられたのだから。
「い、いや、ちがうっ! 口説いてなどいない。ただ、妙に心惹かれるところが」
ミリアはまじまじと見上げてしまった。彼は、ミリアルドは嫌いだったと思っていた。主のお気に入りだという一点が大いなる傷のように。
よその国の王太子の婚約者を好きになったというだけでも、大問題ではある。
ただし、それはミリアルドの落ち度ではない。思わせぶりと言われても、一般的令嬢がやるくらいの軽いものだったはずだ。
優しいとか、頼りになるとか、慰められるとか、そんな言葉。
そう言えば、ナキには言ったことがなかった。ミリアは気がついた。
甘えるばかりで、約束も守っていない。あれは一方的に言ったことだから、請求はされないであろうけれど。
「好みではありませんね」
ミリアに上目遣いで見られ、顔を赤くしている男にきっぱり宣言する。
「まず、恋人より、優先する主がいる時点でお断りです。どうぞ、お忘れください」
ミリアはうっかり追撃までしてしまった。今までの苛つきも上乗せされている。唖然とした顔を見て多少は溜飲がおりたような気はした。
さすがにここまで言えば、追ってはこなかった。皇女の馬車はすぐ側まで来ていた。
「どうしたの?」
遠くから様子を見ていたのだろう。護衛の一人がそう尋ねてくる。
ミリアは嫌な顔を隠さずにいた。
「なんか、口説かれた。どこかで会ったことないかって」
「あらら。良い男じゃないの? 有望株」
「嫌よ。だいたい、ナキがいるもの」
「残念。傷心したところなら付け込む隙があるかと思ったのに」
「……渡しません」
「わかってるわよ。でも、気をつけてね。ああいう貴族って、自分と一緒に居るのが幸せとか思い込んじゃうことあるから。余計なお世話っていうのよ」
大変不吉な忠告だった。
ミリアは憂鬱な気分で、馬車の中に戻った。そこには白猫と戯れるルー皇女がいて、大変和やかである。
この平和な状態が続けばよいとミリアは心底思う。
さて、リンについてはいつナキに伝えるのが最適だろうか。それ以前に接触出来るのだろうか?
「クリス様、ナキに手紙渡せます?」
「む? モノがもてるように思えるかのぅ?」
「……そうですね。会えるかな」
「まあ、昼にでも時間を作るよう伝えておこう。少々話くらいはした方が良かろう」
そういうことになった。




