一日目 2
一日目から、よくなかったとナキは後に思う。
「ふぅむ? 貴殿が、ナキ殿か」
偉そうなじいさんに貴殿ときたものだ。
ナキは引きつる表情を隠せなかった。腕の中の白猫がにゃあ? と鳴く。意訳すれば、どうしたのかのぅと知り合いに対する気安いなにかだった。
ナキの動揺には全く気がつきもしない。
もちろん、誰これ、なんで俺の顔も名前も知ってんの? という心の問いには答えてくれないだろう。
「そうです」
かろうじてナキはそれだけ答えた。
今、昼食の休憩とだらけた雰囲気が一瞬で緊張感に包まれている。
なお、兵士と傭兵・冒険者たちは別々の食事を用意する事になっている。食中毒予防もあるのか人数が多い場合は、食事や時間帯を分けることは珍しくない。
兵士たちの食事が終わって、今度はこちらのばんだと思っていたのだ。
そこにふらりと現れたのが老紳士だった。貴族風な風貌が多いなか、彼は黒い髪に白いものが混じっている。穏やかそうに見えて、榛色の目は鋭かった。最盛期ほどではないが、今でもそれなりに戦えそうだと思える。
「ちょ、ちょっとユークリッド将軍になんかした?」
なんとなく一緒に行動中のリンがびびりながらもこそこそと耳打ちしてくる。ナキの反応から誰かわかっていないと思ったのだろう。
将軍ってっ!
ナキは遠い目をしたくなる。どれだけ偉い人がこの偽装商隊に組み込まれているのだろうか。すでにお腹いっぱいである。おそらく、知らないだけで外交関係の偉い人もいるはずだ。本来の目的が王国との交渉ならば、いなければおかしい。
これでは警備担当が死ぬような顔色なのもうなずける。本気で貧乏くじを引かされたと思っているだろう。
「その白猫の主ときいたが相違ないか?」
「飼い猫ではなく、勝手についてきているんです。強いて言えば相棒ってところで。
譲るとかそう言う話は出来ません」
ぱちぱちとユークリッドは瞬きをして、それから声を上げて笑い出した。
「我が姫君が、気に入ったので時折相手をしてもらっていたのでな、礼をと思ったのだ。町にいる間に済ませたかったが、なにぶん不在であったからな」
「そうですか。なら、こいつに干し肉でもあげてください。それで十分です」
「欲のないことだ。これは姫様からの心付けとして預かったものだ。受け取っておけ」
「お気遣い痛み入ります」
一度、白猫を下に降ろし小袋を受け取る。
小袋ながらずしりと重いそれを突き返したい衝動に駆られたが、目を伏せてやりすごした。こんなところで目立ちたくないので、これで帰ってくれるなら早く帰って欲しかった。
皇子様にもその側近にも目をつけられたくない。
「ではな。邪魔をした」
楽しげにユークリッドは去って行った。
何事もなかったように昼食の喧噪が戻ってきた。ただし、とても興味は持たれている。おそらくなにをもらったのか気にはなるのだろう。
外へ出たこともない皇女様から関心を持たれるというのはとても胃が痛くなる。
あちらから探りを入れられることはあるかもと思っていたが、堂々と接触されるのは想定外だ。
「クリス様すごいけど、どこで知り合ったんだ?」
「にゃ?」
リンに話しかけられてもなぁに? ときょとんとした顔で見上げるのは、あざとい。すりっと足に体をこすりつけてくるところも、狙った感がある。
リンは撫でようかと屈みそうになってやめたようだった。今から昼食で、準備の手伝いも考えれば毛だらけはやめた方が良いと判断したらしい。
ナキはもう今更で、雑用オンリーになりつつある。
「さあ? 話してくれれば簡単なんだけど。つーか、なに入って……」
「どーした?」
ナキは無言で中身を取り出した。二冊、本が入っていた。文庫本といったサイズのものは珍しい。ただの本というよりはやはりずっしりと重いのだが。
「ありゃ。本か。なぜに本」
「知らないよ。売ったら怒られるかな」
リンは肩をすくめて昼食の手伝いのために去って行った。これ片付けてから行くとその背中に言ってナキはその場を離れた。貴重品以外の荷物はまとめて荷馬車にいれてよいことになっている。そこに置いてくるのはなにも不自然ではない。
白猫はナキのあとをついていく。
荷馬車には今は誰もいないことを確認して息を吐いた。
「……仕込有りの本とか、ご配慮痛み入りますってかんじだよね」
「うむ?」
「こんな場所で、金貨とか出したらやっぱり嫉妬とか喰らうからさ。みんな大人の対応するけど、どこかでおごるとかそんな話しないとおさまんないヤツ」
「めんどうだのう」
「最悪、盗られるか脅されるかってのからすると穏便過ぎるほどだよ。
で、なぜ、こんな時に接触図ってくるかってことだけど」
「ルーは興味津々だったぞ」
「……なぜ?」
「助けてもらった人、なんてのは、気になるであろう?」
「ミリアはいったいどういう話をしたわけ?」
「あまり話をしなかったから逆に興味をそそったようだ。裏目に出たな」
「じゃあ、ミリアは知らないってことね。余計な事言わないでいいよ。そこで溝が出来たりすると今は困るから」
「めんどうだのぅ。悪意はないと思うが。中身はなんだったのだ?」
本を数ページめくるだけで本がくりぬかれている。そこにはさらに小さい袋が入っていた。取り出せば甲高い音を立てる。
「金貨、んー、十枚くらい? とこっちは手紙かな」
もう一冊にはぎゅうぎゅうに詰められた紙が入っていた。なにか、嫌な予感がするブツであった。
ナキは嫌そうな顔でそれに目を通す。
本人には伝えるのもどうかと思うので、と前置きしてミリアを模した人形のその後が書いてあった。
王都の墓地に名も無きものとして葬られたようだ。ルー皇女はそれに立ち会うことはなかったが、母が元聖女という立場で立ち会いをねじ込みきちんと埋葬されたことを確認している。これで帝国内ではミリアルドは完全に死亡していることになっている。ただし、王国側にそれを告げるかどうかについては現在も未確定であり、王国の出方次第ではあると。
そして、告げようが告げまいが代役の赤毛の娘を用意しており、皇太子妃とする予定である。
ミリアが生存していることは現時点では母であるイーリスと自分、守り役以外知らず、それを表に出そうとは思っていないこと。皇帝にさえも伝える気もなく、それについては守護者に誓ってもよいと綴られている。もし、本人が本人を演じる気があれば戻すのも協力するが、おそらくそれはないと。
また、兄である皇太子がミリアの死を受けいれてはいないため、赤毛の娘に過剰反応することについての注意喚起があった。
淡々と機密情報を書かれている紙が恐ろしい。
12才と聞いたが本当だろうか。ナキは疑いたくなる。人生二周目とかありそうではあるが、それならクリス様がなにか失言をするだろう。それがないなら、天然ものなのだろうが……。
「この子は、嫌じゃないのかな。こんな風に使われるのってさ」
色々な巻き添えでの政略結婚であるということは理解済であると考えて良さそうだ。
白猫はきょとんとした顔でナキを見上げた。
「うむ? 国内に嫁ぐより断然ましと乗り気であったぞ。なんでも、年の釣り合う男はほとんど兄様の信奉者なのだものっ! ということらしい」
「……そ、そー。まあ、あのカリスマ感はそうかもね……」
信奉といわれると確かにしっくり来る。ある種、盲信に近いものを感じた。
自分の夫がそうであるというのが嫌だというのはナキにはわかるような気がした。他人ならば一緒に心酔できるかもしれないが、対象は実兄である。
大変複雑な気分ではあるだろう。
その手紙の一番最後には、こう書いてあった。
姉様をよろしくお願いします。
「可能な範囲でなんとかするよ、ってお姫様にあったら伝えておいて。
命までかけるかはわかんないけど」
「まだ、それほど問題はなかろう?」
「だといいんだけど」
白猫はのんびりと顔を洗っている。都合が悪くなれば猫は放浪すれば良いかもしれないが、ナキはともかくミリアはそうはいかない。
人とは弱い生き物と理解はしていても、どの程度弱いのかということまではぴんときていないようではある。これは生物として全く違うのだから仕方ないような気はするのだが。
うにゃ? と首をかしげる姿はやっぱり可愛い子猫にしか見えない。
ナキはそこで白猫と別れた。
あまり遅いと昼食自体がなくなる。白猫は基本的にものを食べないので、食事の場にいると面倒の種になることが多かった。
本の中身を抜いてから片付け、元の場所に戻る途中でナキはふと視線を感じた。
何気ないようにさっと確認するとうんざりした気分になる。
皇太子の側近であるらしいジャック(仮)が不機嫌そうに立っていた。もちろん皇太子付きであったが、あちらはナキには興味がなさそうだった。
皇子が見ていたのは、白猫の去りゆくシッポだった。
「……あ、まずいかも」
どうか、あの日の猫とは別と思っていただきたいのだが、疑問に思い調べればすぐにわかるようなことだ。
あの日、砦にいたのはあの猫以外あり得ない。
この旅の間、ミリアと顔を会わせるのはやめた方が良いだろう。ナキはため息をついた。
今はなんとかなってもあとで反動がきそうだなぁと思いながら。




