崖の上から
ミリアと別れたあとナキは白猫からここならいいんじゃないかと提案された崖を見に来た。町を出て森の奥というほどでもなく、道を少し外れて逃げたあとに行き止まりという状況におあつらえ向きだ。
世を儚んで身投げするにはちょうど良い。
やったら即死するなと崖を下を覗いてナキは思う。下が鬱蒼と茂った森というのも中々にデンジャラスだ。
「少しも手頃じゃないじゃないか」
思わず呟く。これを落ちて無事などとは到底思えない。
落ちるのに手頃な崖なんて世の中にないことは知っていたが、死ぬと思うような崖は困る。
あの白猫はナキのことをなんだと思っているのだろう。
飛行系の手頃なスキルはあっただろうか。無ければ滑空でも良いのだが。
「パラシュート欲しい」
まあ、死んだと思って欲しい時にそんなものを使ってはいられない。
これは最悪に備えての準備で、不要であって欲しいものだ。崖に沿って歩けば少しは低くはなるだろう。そう思い直し、ナキは移動をはじめる。
この森の奥に砦があった。先ほどはずれた道はその砦へ向かう途中にある。
常に兵士がいるおかげか、森の中は野生の生き物はいるが魔物の類は一掃されていた。薬草を採りに少し道を外れ奥に入り込んでも魔物には会っていない。
魔物ちょっと手前状態なら2,3度、遭遇していたがあれはこのあたりでは放置される傾向にある。普通の狩人や町人などが入り込むことはほとんど無いせいだろう。
この世界の生物は凶暴化すると角が生えてくる。そのツノを折った時点で正気に返り、大人しくなる。
冒険者ギルドでは、このツノが生える症状を魔物化の第一段階と設定している。魔物が大小はともかく、ほとんどツノ有りであるということからの推論らしい。
白猫曰く、ナキにわかりやすく言えば感染症のようなもの、らしい。
基本的に同種同士しか感染しないので、一度魔物化が進み放置すると同種のものが大量発生する。
これが魔物の大発生の原因のようだ。
魔物も自然現象の一部ということになっているようなので、守護者たちが気にかけることはあまりない。守護者が気にかけるのは、もっと別ななにからしい。詳細は、守護者あるいは後継者にしか語られないことになっている。
白猫が積極的にその話をしようとするのをナキは拒否していた。そんな世界の果てみたいなところで謎のものと戦う仕事なんてしたくない。
ナキは小さく頭を振ってそれのことを忘れることにした。
崖に沿って歩いていけばやや高度は下がっているようだった。崖の下はほとんど王国側になる。
逃げた後というのは、どうしたものだろうか。
森の中でサバイバルはさすがにお断りしたい。
「まさかのここでスローライフ、とか」
お約束と言えば、お約束ではある。可能か不可能かで言えば可能であるが、コストがかかる。貢ぎ物を用意すれば、なんでも手に入るのだが。
予算がなぁとナキが唸っても用意できるものでもない。
「慰謝料でもぶんどるとかなぁ」
「……段々物騒なこといっておるぞ」
見下ろせば、白猫はしれっとそこにいた。
半分透けているので一部だけを送ってきたのだろう。この場合本体は、うにゃうにゃと完全なる猫状態になる。
ミリアにはそれを見分けることはまだできないだろう。ナキも時々怪しい。
「……いつからいたの?」
「すろーらいふ、あたりから。するのかのぅ。西の方が羨ましいと家出しそうだ」
「万が一かつ予算があれば。2LDKで平気で、金貨五十枚とかする! 結界だのなんだのつけると簡単に百枚越えていく」
「お主、家というのは普通に買ってもそのくらいはするものだぞ」
「それで、畑もすぐ使えて便利なのは金貨十枚以上するし、快適お風呂とか時価!」
「快適生活には予算がいるものではあるな。素人が畑の維持は難しい。妖精を雇うとかなんか考えておいた方が良いぞ」
「……とかなるといくらかかるのか考えたくもない。予算稼ぐだけで人生終わりそう」
「で、慰謝料なわけなのだな。どこからとってくるのだ?」
「正確に言うとミリアにお願いして、分配してもらう感じ」
白猫は首をかしげている。
ナキは行きがけにつきあっているだけという、言わば第三者でしかない。助けた報酬をもらうことは出来るだろうが、慰謝料という対応には該当しないだろう。
好きで首をつっこんだという立場に近い。
「どっちから取るつもりなのだ?」
「それはミリアの気持ち次第。話聞いてると未練はないと思うんだけど、積年の恨みとかありそうなんだよ。
最悪の事態は避けたとしても、どこかで発散しといた方がいい気がする。まあ、生きてるのがばれるとかいうのと交換条件だから相手によるだろうけど」
「それで慰謝料か。金で解決というのもどうかと思うが」
「相手は相応の身分があって断罪ってのも混乱しそうだから、かな。内乱状態とか望ましくないでしょ?」
ミリアも別にそれを望んでいるわけではないようだ。
最大の被害者であるミリアが望んでいないのに、ナキが言い出す必要もない。それに必要と思えば自分でやる気になるだろうし、行動するだろう。そこに口出しする気はない。
ただし、それに付き合うかは場合による。
「……うむ。ナキは、なぜ、そこまで気にする?」
「何かあったら前線投入されるのってそこらの一般兵や傭兵、冒険者なんだよ。
このまま帝国内にいたら俺も含まれるし、俺の知り合いも今まで付き合いあったやつらもそこには含まれる。そーゆーのが運悪く敵味方で殺し合う可能性ってのもあって、想像しただけでげんなりした」
王国側に知り合いはいないが冒険者というのはあちこち回るもので、誰がいるかもわからない。
ナキが右も左もわからないうちに手助けしてくれた者は結構いる。同じくらい騙された気もするが、それは多少なりとも報復したので遺恨はない、と思う。たぶん。
傭兵などは金次第でどちらにもつくのだからもっとわからない。
平和的な世界で生きてきたナキにとっては、そういう知り合いと命のやりとりをするのは勘弁して欲しい。
それに、ナキもそれなりに帝国には愛着がある。
ナキ本人の意志ではないが、異世界にやってきてなんとか生活していけたのも帝国内にいたからでもある。
帝国内では思ったより弱者への救済措置はある。ただ、取り立てはえげつないのだが。この世界の他国の状況を知ればこれが通常ではないことはわかる。
おそらくはどこかの異世界人が福祉やら健康保険やらを参考に整備したのだろう。それが多少なりとも機能しているのは帝国自体が栄えている大国であるからだ。
もし、強国でなければ真っ先に削られるところだ。
思う所も色々あるが、ナキとしてはこのまま強国であって欲しい。出来ればその制度を参考程度でも良いので広げて欲しいと思っている。
最下層からの這い上がりということが可能な分だけ、この国は優しい。
だからといって、冒険者として使い潰されたくはないので今はでていきたいが。
「なるほどな。では、ミリアを差し出せば、穏便に済む場合は?」
「いじわるだなぁ。そんなの選択肢に入れないよ。悪いけど、極振りして制圧することにする」
「……うむ。惚れたか」
「どうだろうね。状況に酔っているのかもよ? お姫様に頼りにされるっていい感じ。高揚感とか万能感とか出てくるよねぇ。
ま、相手もそのうち正気に戻るだろ。ごっこ遊びは今のうちのお楽しみ」
「臆病者め」
「なんとでも。……一緒にいるのは、正直難しいんだよ。だから、あんまり言わないでくれ」
「東の方も煮え切らぬし、もだもだしておるのぅ」
「強制したら、皮剥ぐよ」
「……にゃあ」
一言鳴いて白猫は透けて消えた。
ナキは一つため息をついた。
どうしたいかって、第一希望は金を巻き上げての不法占拠という犯罪行為だ。それも、女の子を騙しての同居とかを目論むような。
「ひどい話」
思わず呟いて、その考えを底に沈める。それは、最悪がやってきたときの手段。
目的ではない。
出来るだけ穏便に国外に出して、普通に生活出来るようにして、他の誰かに任せる。それが最良だ。
彼女を旅に連れ歩くには向いていないし、そもそも、異世界から来たとか、チート的ななにかの話などはする気もない。変だとは思われてもよいが、異質であると知った時にどう反応されるかわからなかった。
願われて手を貸すのは良いが、利用されるのは嫌だという矛盾が問題ではある。
誰にもゆだねたくないというのが最大の矛盾で。
今だけの、仮初めの可愛い人。
水面に光が反射するように時に明るい青。
暖炉の火のように明るく温かい赤。
白い肌とペンだこが残る柔らかい手。
照れたようにうつむいたり、恥ずかしそうに笑うところ。
少し、甘えたように名を呼んでくれる。
そんなものがぐさぐさ刺さっている。こんなチョロいの俺って……。とナキはひっそり落ち込んでいたりもする。
「……ほんと、頭の中、煮えてるなぁ……」
ナキは足を町の方へ向けた。少々、頭が冷えたような気もするが、この程度ではなんの役にもたたないと知っただけのような気もする。




