一方その頃 帝国では 2
こんなはずではなかった。
皇子の近くにいたものでこの思いを抱かぬものはいないだろう。
ディートリヒは止めるべきであったと今更思う。彼の主をいらぬと言う者など存在すると思わなかったのだ。
一人の赤毛の娘は、突っぱねるどころか毒すら煽って見せた。
白の接吻と呼ばれる毒は、高貴な女性がもつある種の特権だった。己の矜持を守るための、最後の手段として広く知られたもので取り上げるようなことは大変な不名誉である。
そんなものを使うほどに拒みたいなどと誰も思わなかった。
根底にあるのは皇子を拒む誰かがいるなどと本気で取り合っていなかったこと。
次期皇帝であり、平等ではあるが誰にも興味を持たないと言われていた皇子の心を奪ったのだから。喜んでその身を任せるであろうと思っていた。
彼女は一時の混乱で、断ったのだという判断は甘過ぎた。
不名誉とそしられても取り上げるべきだった。末代まで言われても、このような主を見るくらいならばその程度と笑うべき事だった。
今となっては遅い。
ディートリヒはその部屋の戸を叩いた。
「殿下、お時間です」
「無粋だな。
また来るよ。愛しい人」
誰にも見せぬようにバタリとすぐ閉じてしまった部屋の中にいるのは赤毛の娘。最初は、陛下が探した娘だった。
今は何人目だっただろうか。短いと一日も保たない。ミリアルドと同じものを求めてもそれはもういない。
今、どこかで同じようになるように仕込まれた娘が用意されているのだろう。それまでの時間稼ぎで誰かを浪費する。
まねた偽物に皇子が慈悲をみせることはない。一方的に連れてきたことがあっても、だ。
死人がいないのは、赤毛の死体を見たくないだけのこと。
皇子は先だって歩く。出入り口が一つしかない塔は、高貴な罪人のために用意されたものだ。
「姫様が出立前にお会いしたいと」
「ルーがそんな殊勝なことを言うとも思えないが、陛下の差し金か?」
「いいえ。一言くらい文句を言いたいそうです」
「そうか。あれはミリアとも親しかった。会わせないのは不満だろうな」
皇子は機嫌良く言う。
彼女はもういないと指摘してはいけない。彼には理解しているときと、していないときがある。夢と現実の境界は薄い。
おそらく、今は部屋にいる誰かが彼女だと思い込んでいるのだ。そして、たぶん、数日のうちに気がつく。
違うのだと。
その後の反応は日により異なる。
逃げたと思って探させるのはまだいいほうだ。自らがどこかへと消えてしまうよりは、よっぽど。
そして、代わりの娘が用意される。
赤毛のというのは珍しく王都といえどそれほど数はいない。東方の血を引く証として出てくる色で、物理的な距離のせいかこの地方にはあまりいない。
そろそろ王都外でも探させているだろう。
幸か不幸か彼女に面差しが似た娘が多かった。それほど東方の血は強いということだろう。この地方の人々とは少し違った顔だちは美人の条件を揃えていなかったが、美しかった。
可憐で儚げとは違う凛とした強さを秘めたまなざしが、皇子は気に入っていたのだ。その宵闇のような瞳が柔らかに笑むのをディートリヒはよく見ていた。
そして、ディートリヒを見るときに少々嫌悪を示すことも。そのたびにいいわけをしたくなる気持ちになったことまで苦く思い出す。
「詫びに国境まで送ってやっても良いな」
「国境には魔物の大量発生の兆候があります。お控えください」
「ルーは行くのであろう?」
「近衛からも精鋭がつきます。現地でも雇用するでしょう」
「ならば、私が行っても構わないじゃないか。そうだ、ルーの護衛を務めれば良いのだな」
皇子を見ればやはり上機嫌ではあるらしい。確かに王国では羽目を外して、ひっそり城下や国内を巡ったことはある。帝国内でも頻度は少ないが以前にもあったこと。
止めてもきかないことを知っている。
強固に止めれば置いて行かれる。
「お控えください」
ディートリヒに言えたのはこれだけだった。
「……兄様。兄様は次の皇帝となられるお方ですので、気軽な行動はお控えください」
ルーは迷惑という表情を隠さなかった。それでも許される立場にいるし、なんなら父である皇帝にひどい事言われたのだと泣きついても良い。
きっと、今なら許される。
あの父が、がらにもなく娘がどこかにいく寂しさをかみしめているらしい。なにかと気遣ってくるのが少しめんどくさい。
母も困り顔だったのだ。
若いのだからもう一人くらい、といわれてもねぇ? と。そんな話は寝室の中で終了して欲しい。少なくとも娘の前でしないでいただきたい。
その上、今、正気ではない兄に付いてこられるというのは重荷でしかない。
ルーは腰巾着が役立たずと後ろに控えている男を睨む。
兄がミリアルドを好ましく思っていることは知っていた。女性の話題など、ほとんどしない兄が言うのだからよほど気に入っているのだろうなと。
色々なものを生まれながらに手にしている兄が欲しがった女性が、他人の婚約者ということにルーは思う所はあった。
絶対に手に入らないものを求めるのは、なんでも簡単に手に入ってきたせいだろうかと。
ルーは知っていた。ミリアルドの知識は、兄に及ぶ。それは、女性では珍しいどころではない。彼女から手紙で軽く手ほどきをうけたルーですら、教育係に驚かれたのだ。
婚約の件がなくなったと仮定しても彼女は国内の要職につくだろう。そんな風に鍛えられている。
皇帝となる兄が手にすることはない。
あったとしても、彼女は拒否するだろう。己がどのような知識を持っているか知っている。既に婚姻も半年後と迫っていたのならば、国外に出せないような情報すら持っていたはず。
それを兄は知らない。ただの賢い女性としか認識していなかった。ルーもわざわざ指摘しなかった。より欲しいと思わせるだけでよいことはない。
今となっては、どれを選んでも失敗だったと思うが。
もっと穏便に振られて来れば良かったのにとしか思えない。
「私の代わりはいる」
「やめてください。何かあったら、ルーが責められます。兄様に直接言う人はいないでしょうけどね。立場が弱いほうが、責められやすいのですよ?」
「気にしないだろう?」
気にする。
こちらは立場が微妙になりつつある母を抱えている。盤石な王妃の子である兄には理解出来まい。
これだから、生まれながらの皇子様は。
苦々しい表情にならないように気をつける。もっとも兄は、女の顔はあまり確認しない。くだらないもの、弱きもの、守るべきもの。
決して対等ではない。
だから、拒否されるのだ。
ルーには当たり前の結末。
姉様も無念でしたでしょうに。
と思うものの実際はそんなに心配していない。ルーは知っている。
ミリアルドは、元気にやっているらしい。詳細は教えられないのだけどと母が教えてくれた。あまりにも嘆く娘が可哀想で嘘をついた、というわけではない。
母は、かつて聖女だった。西方のお方の器として教会にいたことがある。そこで皇帝に見初められてという話ではあったが、母曰く、待遇が良い方に移動しただけらしい。
西方のお方から伝えられたのだと。そのことについては嘘はつけない。
だから、彼女は元気にやっている。それだけが救いだ。
問題は救われぬ身代わりの娘たち。
「わかりました。父様が良いといえば、認めます」
少しは引き離した方が良いのだろうか。それとも、他の場所でも見つけてしまうのだろうか。
ルーに出来る抵抗などこの程度だ。
機嫌良い兄の顔を見ながら、ため息を堪えるのに苦労した。




