白猫は不在中につき 1
ミリアルドが死んで、ミリアが生まれ直して、半月ほど過ぎた。
国境は不気味なほどに静かだった。
ここは争いの最前線になるかもしれないけれど、争いはここで作られるわけではない。
ミリアは争いを作る側だったので、この平穏は平穏などではなく準備期間に過ぎないような気がしている。
ミリアの死をどう扱うか、どこも決めかねている。
死んでしまってもミリアルドは皆に使われた。ミリアは小さく、自嘲する。彼女が生きていた方が国同士の関係がましであった、かもしれないけれど。
どうしても、嫌だった。
この嫌悪感は同族嫌悪なのかもしれない。
不思議なことに、ナキにはあまり感じない。白猫に至っては、一緒に寝ていても全く気がつかないほどに気を許している。ミリアはひっそり聖獣様はすごいものだと感心していた。
「こらーっ! けんかしないーっ!」
子供の喧嘩を仲裁するような声にミリアは視線を向けた。
砦は通常通りに戻ったのか兵士は以前と同じように町に訪れるようになっている。そのせいかすこしばかり喧噪と喧嘩が増えているらしい。
腰に手を当てて、若い傭兵たちに説教しているナキを見てミリアは小さく笑った。彼は夕方から夜までの短い時間、頼み込まれて知り合いの店の用心棒をしている。
用心棒と言うより、口うるさい兄ちゃんくらいの扱いをされているようだ。ああ、うるさいと言った顔で追い払われてるが、特に気にした様子もない。
ミリアが見ている間で、荒事にまでなったことは数度しかなかった。それも、ナキがあっという間に制圧したので驚いたものだ。関節技最強と言っていたが、いったいどこの武術なのだろうか。
それもあってミリアは安心して、ナキの仕事が終わるまで待たせてもらう事にしている。終わってから夕食を一緒に食べて、お互いの部屋に戻るのが日課となりつつあった。
ミリアは今日もいつもの席で、いつものように酒場兼食堂の中を観察していた。毎日顔を出していれば、常連客と顔見知りにもなる。
軽く挨拶して、世間話のひとつくらいはしているが、そのまま居座られる日もある。
「ミリーちゃん、さいきんどう?」
「あちこちでのお仕事は楽しいわよ。おじさんはどう?」
「せめてお兄さんにしといてよ。ま、かみさんに怒られるからいいけど。
そうだなぁ、ちょいと忙しいか。今まで点検は砦に行ってたが、向こうから来るのは珍しい」
「そうなの?」
今日の相手は鍛冶屋だった。赤ら顔なのは酔っぱらいなのか焼けているのかはわからない。砦御用達の鍛冶屋らしく、それなりに腕はあるようだ。
かみさんが怖いなどと言いながらも、ご機嫌に毎日酔って帰っている。そのかみさんは砦に出稼ぎ中でしばらくは不在なので、夕食を食べるという建前で飲みに来ていた。
遅くなるとかみさんの代わりに娘さんが怒って連れ帰りにくる。もう、とうちゃんたらっ! と連れて帰られているところを見ると大変平和な気がしてきた。
平和な日常が続けば良いとミリアは思う。余計なさざ波はいらない。
何かあれば、ここが前線だ。そういう設計で町は作られているようだが、中にいるものたちにとってはその覚悟がどの程度あるかは不明だ。
そんな覚悟、必要ないといい。
「だからな、ミリーちゃんもそうだけど女の子は、夜は外出しない方がいいと言ってるんだがなぁ」
鍛冶屋はちらっと雑用に駆り出されているナキに視線を向けた。あれを見ると店主は用心棒という建前で雑用を雇ったのではないかと思えてくる。
ナキ本人は嫌そうでもないので言わないが。
「それほどですか?」
「元々行儀の良い奴は少ないんだが、無理になにかすると軍規違反になるから大人しい。だが、酒が入るとなぁ。それに少し前まで出入りしてなかったストレスだろうって娘が言ってたな」
「気をつけます」
「そうしてくれよ。可愛い娘っ子に話聞いて貰うだけで、若返った気がするんだから」
ミリアは愛想笑いで誤魔化した。こんな調子で、日に何人も話し相手をすることがある。暇つぶしもあるが、酒場での情報収集というのは思ったより面白い。
実のところミリアは酔っぱらいの相手になれている。夜会で酒が出ないことはない。度を超して飲み、ミリアに絡んでくる相手というのもそれなりにいる。嫌な事も多かったが貴重な情報を引き出すには酔っぱらいは最適だ。口が軽く、場合によっては言ったことすら憶えていない。
機嫌良くさせて良く囀らせばよい。と最初は思っていたが、今は半分くらいは楽しんでいる。
最初ははらはらしたような表情でこちらをちらちら見ていたナキも二日もたてば、ほどほどにしなよと諦め顔で忠告してくるほどだった。
色々聞いた話をまとめてみれば、国境の閉鎖に近いものはまだしばらく続くようだという結論が出た。商人たちの出入りは緩和されたものの傭兵、冒険者の出入りはほぼ出来ない。通常の旅人も同様だ。
国境の森で魔物の大量発生の兆候が見られるというのが表立っての理由だった。今まで理由を言わず閉鎖していたのは、調査中であったからという話になっている。
それを聞いてミリアは帝国内でいくつかそんな兆候があると聞いたなと思いだした。どことは聞かなかったが、国土が広い分、年に一つ、二つとあるらしい。国境を閉鎖する理由としては納得がいくものであり、不審ではない。
故郷では、数年に一回のそれは戦力を集め、送り込むことに苦労したとも思い出した。常備の戦力を消耗したくないが、代わりの戦力は金がかかる。
それに相性の問題もあり、誰を送り込むことにするかについては紛糾した。
もう、それも遠い昔のことに思える。
本当に兆候があるのかはわからないが、実際、商人たちはある程度の人数をまとめて砦の兵士が護衛して国境を越えた町まで移動している。
その程度であれば、王都に報告はあっても重要視はされていないだろう。
途中で兵士がいなくなっていなければ、入れ替わったりしていなければよいのだけど。
あるいは商人に偽装した密偵などでなければ。
ミリアは悪い癖だとそれを思考の隅に追いやる。鍛冶屋はそれからほどなく、いつものように娘さんに連れて帰られた。今日はちょっと早い。それをミリアは見送ってからも入れ替わりのように別の常連に話かけられた。
そうして、時間を潰しているうちにナキは仕事から解放されたようだった。
「ミリーお待たせ。ほら、僕の可愛い人、返して」
そういってナキは同じテーブルにいる酔っぱらいを追っ払った。もっとも追っ払うまでもなく、だいたいは素直に去って行く。からかいの言葉を投げることはお決まりのようなので、ミリアは気にしない事にしていた。
いちいち狼狽えるものでもない。
最初の二日ほどは、素直に去って行かない方が多く、手を焼いた。ナキが無表情で、用心棒しないといいだしてようやく落ち着いたようなものだ。
あれは、とても怒っていた。白猫すら恐れおののいて、しばらく近寄らなかったほどだ。ミリアは大丈夫だからと宥めるのに苦労した。
「はぁ、今日もお疲れさま」
「そうね。お疲れ様」
以前なら続いてみゃあと鳴いた白猫がいた。彼はこの三日ほど不在だ。
あまりにも動きがない不気味さから、王都へと情報収集するために送られてしまった。子猫に旅? とミリアは思ったが、ただの猫ではなかった。いつもは忘れがちだが、聖獣なのだから二日もあれば余裕でつくらしい。
世界の果ての守護者。名を呼ぶことを許されない方々。西方のお方の聖獣、らしい。確かに普通の猫ではない。
本体は美しい毛並みの獣だった。なにも事前に知らねば感動さえしたかもしれない。
今は色々台無しな気がしている。本人には決して言えない。
そして、いない分、ちょっと困った事になっている。ミリアはちらっとナキに視線を向けてすぐに逸らした。
「……考えごとしてるでしょ?」
少し不満そうな声に、ミリアは視線を向けた。
ナキのやっとこっちを見たと言いたげな表情にざわりとする。すこしばかり、彼を避けていた。
白猫が不在だとこうも意識させられるのかと思うようなことがあった。近寄りすぎないように監視されていたのかもしれない。
嘘は、嘘のままがいい。
ミリアも十分承知している。
承知していたのだが、彼女は異性への免疫が全くなかった。これまで自覚したことはない。男をあしらうなど簡単だと思っていたところさえある。王子の婚約者、次の王妃としての振るまいとしては可能であったのだろう。
なんなら、思わせぶりに振る舞うのも可能であろう。
それは、王太子の婚約者たるミリアルドなら、である。
それでもなにもないただのミリアでも出来ると思っていた。
しかし、現実的に、恋人のように扱われると少しもまともに対応できていない。これまでの教育の成果として態度にはそれほど出ていないのが幸いだ。ナキには戸惑ったり、困ったような態度と受け取られているようだ。
なぜだとミリアは愕然とし、落ち込んでもいたがよく考えたら理由はあった。
こうも近くに年頃の男の人が居たことがない。親しく個人的な話をしたこともなかった。
それは婚約者がいた身の上としては異様な気がするが、その婚約者は他の人に夢中でミリアに興味はなかった。
そして、婚約者が王子であるが故に手出ししようなどという猛者は不在。例外的にちょっかいをかけてきたのは他国の皇子。恋愛的な何かよりも警戒心ばかりが先立ち、外交対応しかしていない。
護衛も仕事上つきあう文官も会議であうような男も最低十は年上で、お互い対象外であった。
今から思い返せば、慎重に年頃の男を排除していたようにも思えた。しかし、仕事の質を思えば若い者が入る隙もなかったようにも思う。
これまでは白猫が緩衝材になってそこまでひどくはなかった。
ナキはそれに気がついていない。なにか、ちょっと、避けられているとは察しているようだが、なにか悪い事した? と聞いてくる程度。
彼に悪いところはない。
強いて言えば、自己認識と周囲との認識にズレがあるくらいだろうか。ナキは自分が普通かちょっと悪いくらいの認識でいるらしい。
それで実際ちょっと大変だった一週間があったのだが、その件については黙っているつもりである。色んなお店のお姉さんに気に入られていたなんて、知らない振りをしている。少々、喧嘩を売られたけれど、その話もする気もない。
ナキのもの言いたげな視線を避けて、残っていた串焼きを手にとった。話込んでいるうちに冷めてしまっている。
「今日もいつもと同じかい?」
「同じで。定食と果実水でよろしく」
注文をとりにきた店員にナキはそう返す。彼はお酒に弱いらしい。白猫がいたときはたまに飲むこともあったが今は全く飲まない。
「あいよ。なんだい、喧嘩かい?」
「違うよ」
ナキは軽くそういって、でも、どこか拗ねたように見えた。どこまで、彼は演技なんだろうか。
ミリアは、そう推し量ってしまう自分が嫌になりつつある。
なにかしらの利害の一致でここにいるだけだ。国境が開けば、別れるような人。多少、どこかに身を落ち着かせるまではつきあってはくれるかもしれないが、定住もミリアを連れてどこかに行くこともない。
今だけの、嘘の恋人。
お互いになにも知らない、遠い人。
「また、なんか難しい事、考えてる」
「クリス様、どうしてるかなって」
「もうちょっとかかると思うよ。あ、そうそう、明日ギルドから招集がかかった」
「そう。討伐でもするのかしら」
「大丈夫だって。そんな心配そうな顔しなくても、僕って案外強い方だし」
「それでも気をつけて」
「それなら」
ナキはなにかを言いかけて、やめた。ちょうど頼んだものがきたらしい。
「なんでもない。早くクリス様、帰ってこないかな。そうしたら安心するのに」
「そうね」
思ったよりそれは切実だった。




