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095アンドルス・キヴィラフク 『蛇の言葉を話した男』

お久しぶりです。

私事ではありますが、入院まではいかなかったのですが使っていた薬に突然アレルギー反応を起こし、そこそこ重度の薬疹と診断され、割と強力なステロイドの内服と、皮膚への塗り薬を使って治療していました。

三月の末からほんのここ数日までほとんど伏せったきりで何にもできない状況でしたがようやく落ち着いてきましたと言うところです。

しかし病気はお金が飛んでいけません。

収入の収支が合わなくなりなかなかに困っています。


それはさておき、一週間に一話ペースというのが大分乱れてしまったので、連休中にでも取り返していきたいと思いますので、どのぐらいおられるかわからないですが、楽しみにしてくださっている方のご期待に添えるようにしたいと思いますので、どうぞ見捨てずにおいてくださいませ。

 いつも通り図書室でだらーんと本を読んだり読んでなかったりとぼやぼやーんとしていると、春の陽気にあてられて睡魔が襲ってくる。

 うとっうとっと頭がカクカク前後して、頬杖をついている右頬に凄い痕がついているだろうなあと何となく思う薄れ行く意識の中、涎がたらーっと垂れて、右手がベトベトになっているのが分かっていたけれど、どうしてもうつらうつらと忍び寄る微睡みには抗えずに、頭の芯にボンヤリとした火が灯っている。

 この小さな火が理性だかなんだか分からないものをジリジリと焼いているのでとにもかくにも起きていられなくなる。

 あっ! なんか深い穴に落ちる!

 と、気持ちよく体も心も深い穴に自由落下していく瞬間に、ぬるめの温泉にでも浸かっているような最高に気持ちいいあたたかさが体を包み、思わず「あーん、きもちいいー!」という言葉が脳裡にボンヤリ映し出されて、そのまますいーっと暗い底なしの穴に落ちていく瞬間だった。


「うーん……傑作!」


 と、いきなり耳元で声が上がり、全身に電流が走りビクッとなって、脳内に何かのホルモンだかなんかがびゅびゅーっと迸り、一気に穴の底から引き上げられて覚醒する。


「何事!?」


 そう反射的に声を上げると、栞がニコニコしながら「今大変長い冒険から帰ってきたのです」という。

 なんだそりゃと思い、胡乱な視線を栞に絡める。


「詩織さん。この本……んまっ!」


 栞がなんだか驚愕の表情を顔に貼り付かせる。


「ん……何? あっ!」


 右手を伝っていたと思った涎だったが、カーディガンの裾をずぶ濡れにしている上、右手の平に至ってはヌルヌルのぐちょぐちょで非常に気持ちが悪い。


「うわっ涎が凄いことに!」


「ティッシュ! あっティッシュない! これ使ってください!」


 そういうと栞は薄桃色のハンカチを手に取り、わたしの顔を無造作に拭きまくる。


「あっ! 自分でやるから! 大丈夫!」


 そういってハンカチを受け取ると手といい顔といい拭いとって、ハンカチをずぶ濡れにする。


「あちゃー……これ洗って返すよ……」


「あっ! 気にしないでください。そのままで大丈夫です」


 なんだかまだ頭がボンヤリとしたままなので、なんだか何も考えられずに「あっ、ごめん。ありがとう」といってぬちょぬちょのハンカチを返す。


「いえいえ、折角なのでこれはこれで……」


「ん……なに?」


「いえ、何でも……」


 といって大切そうにそそくさとポケットにしまい込む。

 そして自分の手を見て、くんかくんかと匂い始めると「なんでちょっと桜っぽいいい香りがするんですか……」とかいうので「お昼のデザートで桜餅食べたから……」といった後に何か引っかかるものを感じたけれど、あまり気にしないことにした。


「しかし何ですか。人が気持ちよく春の陽気に誘われて微睡んでいるときに急に大声を……」


「いや、図書室で居眠りしては駄目ですよ……。まあ大声上げたりする訳ではないですし、役得もあったのでまあいいですけれど……」


「?」


「!」


「いや、そんな大昔の文豪みたいなやりとりはよくて、何があったの?」


「ああ、去年の丁度今頃出た本なんですけれど、買ってからずっと積んでたのを一昨日から読み始めていたら、もう一気に引き込まれて、グイグイ読まされちゃったんですよ! ネットの評判も凄い高かったんですが、去年出た本の中で一番かも知れないですね。年度が替わるタイミングでこれを読めたのはよかったです。実に素晴らしい読書体験でしたよ!」


「えっ! 栞がそこまで絶賛するのも凄いね。何の本?」


「エストニア発の本格的大ファンタジー小説です!」


「ファンタジー? あーそれならちょっと読んでみたいかも。あまりお堅い本じゃなさそうだし……ってエストニアって何か聞いたことあるけれどどこだっけ?」


「バルト三国の一つですね。現代クラシックファンには有名ですけれどアルヴォ・ペルトとかの国ですね。詩織さんはクラシックはそんなに知らないでしょうからピンとこないでしょうけれど……」


「うん。人名なのかもよく分からない……」


「まぁまぁそれは置いておくとしてですね。今までこんな本読まずにずっと積んでいた自分の不明を恥じたいですね……」


「そこまで仰る?」


「仰ります。まず帯の惹句が凄いんですよ」


「じゃっ……うん何?」


「これがどんな本かって? トールキン、ベケット、トウェイン、宮崎駿が世界の終わりに一緒に酒を飲みながら、最後の焚き火を囲んで語っている、そんな話さ。フランスでイマジネール賞をケン・リュウ、ニール・ゲイマン、ケリー・リンク等に続き受賞、『モヒカン族の最後』と『百年の孤独』を『バトル・ロワイアル』な語りで創造したエストニア発エピックファンタジー大作!」


「ごめん……何? もう一回……いや、いいや。宮崎駿しかわかんない……」


「そうですね。ベケットは前に『ゴドーを待ちながら』読みましたよね? ほら。あの登場人物が最後いきなり自殺しようとする全く意味分からないヤツ。『百年の孤独』はガルシア=マルケスの……」


「あー、はいはい思い出しましたよ詩織さんは。あのマジで意味不明っていって笑ったヤツと、なんか難しいけれど面白かったようなよく分からなかったような分厚い本ね!」


「それですそれ! 『バトル・ロワイアル』は映画にもなってる昔爆発的に流行ったデス・ゲームもののはしりみたいな感じの日本の本です」


「あー……タイトルは聞いたことある。なんかビートたけしがいきなり高校生に殺し合いして貰いますとか言い出すシーンしか知らないけれどあれでしょ?」


「あれですあれ!」


「んで、それが分かった所で何一つ意味が分からない……」


 栞は哀しそうに首を振り「私も最初にこの宣伝文句ネットで見たときに、意味分からなさすぎて凄い引き込まれたんですが、検索してみるとやっぱり意味分からないって人だらけでしたね……しかし! 読み終わった今、何にも分かっていないのになんだか理解したような気になっています!」


「しょうなのぉー?」


「しょうなんですぅー」


 栞がバーンと掲げた本は分厚いハードカバーだった。


「アンドルス・キヴィラフク『蛇の言葉を話した男』?」


「です!」


 受け取ってしげしげと眺めるが、まあ分厚い……。

 ぺらぺらめくってみるとなんと二段組みじゃありませんか……。


「ごめん。これわたし読むのに四年はかかる……」


「いや、解説まで含めて四〇〇頁ないですから、一日一頁でも一年ぐらいで読み終わりますよ。まあ本の裏見てください。帯に「本の厚さにたじろがないで! とびきり面白くて、読み始めたら止まらないから」って書いてあるじゃないですか」


「あ、ホントだ。でも分厚いなあ……」


 栞はくっくっくっと不敵な笑い声を漏らし、眼鏡をくいっとあげる。

 窓の光が逆光になって表情が読み取れない。

 ……怖い。


「私も最初、暫く時間をかけて読まないといけないかなと思ったのですけれど、二〇〇頁目ぐらいに主人公のお祖父さんが登場した辺りから話が急に加速し始めて、あっこれ一気に読まないともったいないヤツだってなって、授業中も気になって仕方なかったんですよ!」


「そんなに」


「そんなに……です……!」


 栞のオススメはいつも結構圧が強めだけれど今回はかなり熱が入っている。

 そんなに激アツな本なんだろうか……。


「そんなに激アツな本です! だから休み時間も我慢して詩織さんと一緒にいるときに読み終わらせたかったんですよ。物語の絶頂の体験を共有したいというヤツです」


「はあ……だいぶ入れ込むね……あれ? わたし今激アツとか……」


「そんなことよりですね、ネタバレになると本当にもったいないので軽くだけ内容に触れるとですね、森に住む伝統的なエストニアの原始的な暮らしをして、蛇の喋る言葉をおじさんに叩き込まれた主人公が出てきます。蛇の言葉は文字通り蛇と会話することが出来るんですが、これが凄い便利で、色んな動物にも通じて、毎日の食事は鹿をこの言葉で呼び寄せて、大人しくなった所を喉を切って肉にしてしまうという、便利すぎる言葉なんですね。他にも熊だとか狼だとかもこの言葉で一瞬にして寝付かせたり出来るんですが、昔はこの言葉を皆使えたのに今ではほんの少しだけ使える人以外にちゃんと話せるのはおじさんに叩き込まれた主人公だけになってしまうのです。時代はキリスト教が広まり始めたばかりで鉄の男と呼ばれる海外からやってきた騎士や修道士たちがいる時代です。森に住んでいた人たちもキリスト教化されてやがて平地に村や修道院を建ててエストニアの伝統が消えていくのですね」


「なるほど、キリスト教がこうなんか征服している感じで、主人公は伝統を守るというこう対立構造があってあーしてこうしてというワケだね栞クン!」


 栞は苦笑いをしながら続ける。


「まあそういう対立がない訳ではないのですが、主人公一家はただ伝統を守っている訳でもなくて、村の頑迷に精霊や呪いを信じる聖人なんかとも対立するんです。キリストの神なんて見たこともないというのと同時に、精霊なんかも見たことがないと。伝統的な森の暮らしをしている割には現代的な考え方なんですよね。信じているお伽噺は、昔、鉄の男達が攻めてきたときに森の住民が総出で蛇の言葉で呼び寄せ、侵略者を片っ端から倒して回った空を飛ぶ巨大な蛇、サラマンドルだけです。蛇の言葉を使う人たちは少なくなりすぎて、サラマンドルは悠久の時をどこか人の知らない場所でずっと寝たまま過ごしていると……そんな話です」


「はぁータイトル通り蛇がキーワードなのね?」


 かくんかくんと妙な首の振り方をして「そーですそーです」と頷く。


「で、どうなるんです?」


「うーん。これ以上はネタバレになるので本当に読む前に聞いちゃうのはもったいなさ過ぎるので、細かく章分けというか話が刻まれているので、二挿話ずつぐらい読んでみてください。一挿話あたりし一〇分もかからないぐらいですし……その内読むのが止まらなくなるのはこの東風栞が自信を持って保証しますよ!」


 このわたしがこんな分厚い本を読むの止まらなくなるとかいうのは、なかなか信じがたいけれど、栞先生がそこまで言うんなら挑戦してみようと、ちょっとした対抗心にも似た意地というかそんな感情が湧いてきた。


「うん……あたい読んでみる」


「是非是非! 一緒に面白い本について仲のいい友人と語り合うという事ほど楽しいことはないですからね! まあネタバレにならない程度の話を付け足すと、エストニアを取り巻く政治や歴史。過度な田園主義や近代化の流れなんかを風刺しているそうなのですが、そんなことはどうでもいいので本に耽溺するという快楽を味わってください! そして最後まで読んだときに「ああ、確かにこの本は『百年の孤独』的だな……」と帯の意味不明な言葉が魂で理解出来ます。まあ意味不明なのは今でも意味不明ですが……」


「ふーん……なるほど。難しい話でなくて単純にエンタメしている感じならわたし読むよ! なにせ仲のいい親友と楽しい本の体験を共有することほど楽しいことはないんでしょ?」


「……親友。そうですね! 親友ですからね! ユウジョーです! 是非楽しんできてください! 読み終わったときに一つの長い冒険をくぐり抜けたような清々しさがありますよ!」


 そういって栞はスカートの端をバタバタとさせて興奮している。

 珍しく、お下品な感じでスカートのポケットに手を突っ込んで何やら激しくにぎにぎとした動きをしているけれど、なにか栞流の喜びの表れなのかも知れない。


「よーし! 読むぞー!」


「いえーい!」


 と、普段では絶対にあり得ないテンションで栞とハイタッチした。

 ……なんかてがベトベトする。

 鼻を掻くふりをしてこっそり掌を匂ってみると、桜餅の甘い香りがした……。

 どっちが道明寺で、どっちが長命寺だったけ?

 そんなことをボンヤリと頭の隅っこで考えながら、やたらとハイテンションで興奮している様子の栞をただ何かがおかしいと思いつつもなんだか思考が纏まらないままただニコニコとした表情を顔に貼り付けて眺めていた。

実際のところ書評だとかツイッターなんかでかるく検索書けてみただけでも『蛇の言葉を話す男』は2021年No.1に推す人も結構いるようです。

エストニアの文学という日本からしたらものすごくマイナーな本ではありますが、その面白さは無類です。

本自体はエストニア語からの一時翻訳ではなく、フランス語からの二重翻訳なのですが、翻訳者の解説によれば、最初の翻訳者がかなり丁寧な仕事をしていたようで、二重翻訳にあっても、突っかかるところがなかったとのことです。

ちょっとお高い本ですので、簡単にホイホイ買うのはガイブン・マニアぐらいだとは思うので、まず図書館なんかでお探しになるといいと思います。

実際のところ二〇〇頁を越えた辺りから一気に話が加速し、これは止まらずに読まないともったいないと思わせるだけの腕力があります。

キャラの造形も以上に立ってて、まあ本当に王道ではないけれども大作ファンタジーが味わえます。


末尾になりますがいつも通り、感想や突っ込み、こんな本あるよという方がおられれば感想いただけると励みになりますのでお気軽に。

感想までは面倒くさいけれど、まぁいいんじゃないのー?

と思った方は「いいね」していただけると、見たとき私がフフッてなりますのでよろしくお願いいたします。

それではネタ自体はあるので今度こそ近いうちに……。

あと昔いただいたイラスト再掲したいですね、今ひとつなろうのシステム理解してなくてどうやったもんだか思い出せない……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今回は栞の方がいろいろと凄かったですね、本を紹介する時の勢いもさることながら。 詩織の涎を拭いてグチョグチョになったハンカチをそのまま受け取ったり、手に残った匂いを嗅いだり役得を言ったり、ポ…
感想一覧
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