078呉明益『雨の島』
あまり本についての話がないですが、ちょっとしたSFでもあり、自然の厳しさについて良く分かる作品なので、機会があれば是非読んでみてください。
呉明益という作家は本当に博学的な作家ですね。
「生憎いつもお出ししている紅茶を切らしてしまっているのですが、父が珈琲と中国茶を新年の福袋で買ってきているんですが、どちらがお好みですか?」
「お紅茶以外かあ、中国茶って烏龍茶ぐらいしか知らないけれど他にもなんかあるの?」
栞宅に押しかけて、勉強会という名の新年祝いをやっている。
まあ勉強もちょっとはしているので許して欲しい……。
いや、わたしが一方的に質問している……いやこの話は止そう……。
「ざっくりというと烏龍茶って青茶って種類なんですが、名前の通りいい奴は黄緑色なんですよね。日本で飲んでいるのは安い葉っぱを強めに焙煎して飲めるようにした物なんですが、中国人にいわせると、ちゃんとしたお茶を知って欲しいけれど、日本人は黒いお茶じゃないとあまり喜ばないので何とかしたいとかなんとか。ああ、中には十年もかけて焙煎と熟成をした幻の黒烏龍茶なんていうのもあるそうですが、流石に見たこともないですね」
「へーそんなんあるんだ」
「コンビニでも春先になると凍頂烏龍茶って出てくるじゃないですか。あれも青茶なんですが標高の高い所で栽培されたものなのですよね。台湾の阿里山連山なんてところがあってこういう高山、特に高い所で採れたものほど高級品なんです。特に福寿山、摩天嶺、大兎嶺っていう三種類が有名で、特に福寿山は台湾政府でお客さんに振る舞われるお茶として有名ですね。まあ父の行きつけのお茶屋さんの社長がいうには、福寿山と大して変わらない地域で育てられていてぐっと安いのに味は変わらないか、むしろ上なんてお買い得品仕入れてきて是非飲んでねって試飲とかさせてくれます。爽やかで清廉な味がするので烏龍茶に対するイメージ変わりますよ!」
「へー語るねえ」
「まあ中国茶の福袋はまだ開けていないので何が入っているのか分からないですが、珈琲の方はこれまたお高い豆が入っていて、母がそんな高い物をといって呆れていましたね……」
「へーこーしーね、わたし珈琲にはうるさいよ! マックスコーヒーとか大好き!」
「詩織さんは面白いこといいますねぇ」
あれ? 冗談のつもりでいった訳ではないのだけれど……。
「これは父が新年だし、珈琲も大切なお客さんには出していいよといわれているのですがどっちがお茶とどっちが飲みたいですか?」
「中国茶もよく分からないけれども珈琲もよく知らないなあ……。あ、あれバンテリンだったかマンドリンだったかそんなのが珍しい種類なんだって聞いたことあるなあ」
「バンテリン飲んだら多分お腹を壊しますし、マンドリンも飲むものではないですね……マンデリンですよ、福袋の中には入っていなかったけれど、時々激安セールをしているので口にすることはありますね」
「ふーん……あとは缶コーヒーで何とかマウンテンってついているのが何個かあるみたいなのしか知らないなあ……」
「じゃあ珈琲福袋の中から私のオススメをいってみましょうか!」
「でもお高いんでしょう?」
「値段はよく分からないですが多分結構なお値段かと……」
「栞レコメンドでなにかいいのいってみますか!」
「そうですねぇ……珍しいのだとイエメニアという最近見つかった新種の豆とかありますが、私の一押しはハイチの豆ですね」
「ブードゥー教とかゾンビ・パウダーとかのあのハイチ?」
「ふふふ、その名もハイチ・ゾンビ・デザート……」
「インパクト凄いな……」
まあ試してみましょうというので試したらちょっとおしっこ漏らすぐらい美味しかった事をお伝えします。
ゾンビ・デザートを二人でズズッと啜りながら、これお茶の方も凄いんじゃないだろうか……主に価格が……。
という疑惑が濃厚になってきた。
「そうですねえ、中国茶とはいうものの台湾産のお茶の方が軽やかで好みですね。中国本土のお茶はフルボディというか味が強力で濃厚なんですが、軽やかさという点では台湾高山茶の方が上ですね。好みの問題でもありますけれどもね。あと本省だと青茶だけでなくて白茶に紅茶、緑茶、プーアル茶、花などをブレンドしたフレーバーティー等などバラエティを楽しむという感じですかね。台湾でも紫娟という新品種を作り出してプーアル茶に挑戦していたりしますが……と長くなりましたね」
「台湾かあ……いってみたいなあ」
「私も台湾にいって大自然を体験してみたいですねぇ」
「わたしはやっぱり屋台村みたいな所にいきたいなあー」
「以前にも一度紹介したことありますが台湾の作家で呉明益……ウ・イーミンという作家がいるのですけれど、この方は台湾の自然について書かせたら大した物ですね。まだ若い方ですが、欧米だと村上春樹と比較されたりしているらしいですね。まあ芸風が少し似ている所はあるかもですが、割と雑な並べ方ではありますね」
「へーノーベル賞とるとるいわれている村上春樹と並べられてるんだぁ」
「割と真面目な話、このままキャリアを積んでいったら候補になっても全くおかしくないと思いますよ、呉明益という作家は」
「前に教えて貰ったのが、台湾のスラム街みたいな所で不思議な話が起きるってヤツだったよね」
「『歩道橋の魔術師』ですね。あれは凄いクオリティでドラマ化した上に、コミカライズも日本で賞とっていましたね……傑作です。翻訳者の天野健太郎先生の翻訳が中華文学者の間でも鬼気迫る物があるとかなりの話題になったそうです。作者を質問攻めにして細かいディティールを原作を越える勢いでビルドアップしていくという人だったそうですが、残念ながら四十七という若さで膵臓癌のため亡くなっていますね。最後に呉明益に送ったメールが「分からないことが無数にあるのですが、私には時間がない」というものだったそうです」
「命かけてたんだね……」
「そうなんですよね。そんな詩織さんにお勧めの一冊が『雨の島』です。六編の短編が少しだけ関連しつつ、台湾の大自然や、原住民族、テクノロジーについて書かれています。博物学者の側面を持つ作者の面目躍如ですね」
「へー短編集ならわたしでも読めそう」
「こういう自然をメインに据えて自然保護や自然環境に関する科学なんかをメインに据えた作品を「ネイチャーライティング」というそうです。私も恥ずかしながらこの作品で初めて知りました。同作者の『複眼人』もその系譜みたいですね。リチャード・パワーズという人の『Over Story』という作品も設定が頭狂っているんですが、ネイチャーライティングの作品で台湾版の帯は呉明益が書いているそうです。パワーズのこの本も所有はしているのですが何せ長い作品なのでお恥ずかしながらまだ読めていません……」
「ネイチャーライティングねぇ……博物学者って何やっている人なのが分からないけれど、大自然に身を任せるーって感じなの?」
「うーん、虫から動物まで何でも取り扱っていますね。特に台湾の蝶々に対しては並々ならぬ関心を寄せているそうですが、日本人の昆虫学者の書いた図鑑を持ってあちこち走り回ったり、漫画家の谷口ジローさんとか矢口高雄さんとかの自然描写に影響をうけているそうです。もともと貧民出身で文芸なんて関係ない生活だったのが、芥川龍之介や志賀直哉なんかの海賊版翻訳書が凄い安値で売られていて、それで文学に興味持ったそうですよ。事実高校生の頃にちょっとした文芸賞をとっていたりしたそうです」
「高校生で認められていたのか……わたしも認められたい……なんかの分野で……」
「まあそんな呉明益ですが、今は母親の介護や娘さんの世話に大学での講義があって週に二時間程度しか書く時間がないそうですが、死ぬほど複雑な話を書いているそうです。まあしばらくは読めないんだろうなという感じですね」
「何か難しそうだけれど『雨の島』っていうのは、わたしでも読めそう?」
「寓話的であったり、神話的であったり、SFであったりと、読者を飽きさせないストーリーです。あとネイチャーライティングという性質が思いっきり前に出ていますね!」
ネイチャーライティングが今ひとつなんなのか分からなかったけれど、まあそれはそれで読んでみれば分かるだろうとていうことで、渡された青い本をペラペラとめくってみると虫とか動物のイラストが描かれている。
作者が描いた絵が中心だと聞いて、多芸な人もいるもんだと感心する。
というか栞によれば、作者の描いたイラストや撮った写真が本で使われていることが割とあるらしくて、なるほど、活動的でいらっしゃると思った。
「そうですねぇー六編の話なので、一つの話が三十頁から四十頁ぐらいと比較的短いので、一日一話読んでいけば一週間で読み終わりますよ。私はこの作家が好きなので一日で読んでしまいましたけれど、ゆっくりと味わって読んでもいい本だと思います」
「台湾の作家かあ、なんだか珍しい珈琲飲む感覚に似ているなあ」
栞が、あははと軽く笑い「辺境文学というほどではないですが、比較的マイナー寄りの地域ではありますよね。そういう異質な文化とか読み取れると面白いです。あ、そうそう。珈琲の福袋の中に台湾の珈琲入ってましたよ」
「え、台湾って珈琲も採れるの?」
「コーヒーベルトといって赤道を中心にここからここまでの範囲ならコーヒーが育ちますよっていう地域があるそうなんですが、台湾の先ほど話した阿里山とかでも採れるとか何とかうろ覚えですが……皇室に献上されたことがあるみたいな話もあったような……」
「台湾の作家の本読むなら、台湾の珈琲で気分出してみようか」
「いいですね! 早速淹れてみましょう」
そんなこんなで珈琲をがぶ飲みしてきたら、なんか体臭が珈琲フレーバーになって親に、どれだけ飲んできたんだと呆れられたけれど、台湾の珈琲も美味しかった。
尾籠な話だがおトイレも珈琲の香りが凄いことになっている。
その夜、栞から「台湾ユアン・フ飲み尽くしたといったら親に泣かれた」とメッセージが入ってきた。
そんなに、と思ったけれどなんか詳しい話聞くのが怖いから、そのメッセージは気にしないことにした。
台湾ユアン・フは一度賞味してみたいコーヒーではありますね。




