061閻連科『黒い豚の毛、白い豚の毛』
なじみのある人は比較的すくなさそうな現代中国文学の雄、閻連科の作品です。
「村上春樹ってノーベル賞取れるのかな?」
と、唐突に栞に向かって聞いてみた。
栞は「何ですか唐突に」と笑いながら、少し困ったような顔をする。
「取ってもおかしくはないと思うんですけれども、ちょっと難しいんじゃないのかなというのが個人的な考えですね」
「へえー取ってもおかしくないんだ?」
自分で取れそうなのか聞いておいてなんだか無責任に言い放ってしまった気はするけれど、なんかテレビでは取りそう取りそうといわれているのでなんとなく不思議な気はしていた。
「取れそうという根拠は一つにチェコの文学賞のフランツ・カフカ賞を取っている事ですね。二〇〇四年のエルフリーデ・イェリネクと二〇〇五年のハロルド・ピンターがこの賞を取った年にノーベル賞受賞しているのですよね、更にいうと二〇〇九年のペーター・ハントケもノーベル賞に輝いています。更にいうと初代受賞者のフィリップ・ロスと二〇二〇年のミラン・クンデラもとんでもない文豪です。残念ながらロスは亡くなっていますし、クンデラも相当なお歳ですからどうなるかは未知数ですね。この賞を村上春樹はアジア人でははじめて二〇〇六年に取っているのです」
ほほーと唸る。
なんだ、ちゃんと評価されてんじゃないの!
春樹が評価されてわたしも鼻が高いよとか思ってニヤニヤしていたら栞が冷静に「まあだからといって受賞するとは限らないですね、それだけ受賞者待ですからね、ノーベル賞」といって来るので、スンと鼻を鳴らした。
「じゃあさ、次に取りそうな人ってどんな人がいるの?」
「そうですね、いっぱいいるんですが、アジア人枠だと中国が強いですかね」
「中国人の作家歴史の授業でやった詩人とかしか知らない……」
「高行健とかは覚えてないですか?」
と、いった名前ではいはいと膝を打つ。
「まあ華人ではあるのですが、フランスの国籍取った後なので、純粋に中国人といえる受賞者は今のところ漠言だけですかね」
へー意外と中国人あまり受賞者いないのねと思った。
「漠言なんかは受賞したときに、中国政府の言論弾圧に関する政策を肯定していたので、東欧の独裁者の下で命の危機にさらされていた、ノーベル文学賞受賞していたヘルタ・ミュラーからは、ノーベル賞の価値はなくなったなんていわれていましたね。それを言うとハントケなんかも色々と政治的に不味い感じの立場の人でしたが、まあそれはおいておきましょう。政治と宗教と野球の話はあまり人前で話すものではないらしいですからね」
とはいっても、政治の話は切り離せないのですが……。
といって栞はまたちょっと苦笑いをした。
「中国人が強いといったのは、例えば残雪、余華、閻連科といった人たちは、ブックメーカーの名前にも出ていますね。特に閻連科はフランツ・カフカ賞を取っているので期待は大ですかね。特に政治的に中国では何度も発禁処分に曝されたり、著作がもとで軍隊からおいだされたりしているので、独裁体制への反逆者という意味ではノーベル財団もニッコリですね」
へーへーへーと唸る。
「で、読んだことはありますのん?」
「ありますのん」
といって、鞄から本を取り出す。
なんとなくお洒落な装丁だ。
「今丁度読んでいたので、中国人作家の話をした訳でしたが、中々タイムリーでしたね」
「わ、難しいんでしょまた……」
面白いですよーといって本をこちらに差し出してくる。
閻連科『黒い豚の毛、白い豚の毛』という本だった。
「閻連科の自選短編集です。九本の短編がのっていますが、他の作品はかなり長大な作品なので、これは入りやすくて短いので、最初に読むには丁度いいのではないかと思います。最初から『愉楽』とかから入ると絶対につみますので……」
「へぇーどんなんなの?」
「作者自身かなり貧しい地方の出だそうで、その生活から抜け出すために小説を書き始めたそうです。魔幻現実主義とか中国ではいうそうなのですが、これはマジック・リアリズムの事ですね。まあ正確には魔術的リアリズムとはちょっと違うのではないかというのが個人的な感想ですが……」
「では! 栞お得意の魔術的リアリズム! 何度聞いても定義とか覚えられないけれど、なんかファンタジーっぽい現実みたいなのでいいんだっけ?」
栞は三度苦笑いをすると「まあそんな所ですかね」という。
栞はわたしの手を取り、本を渡してくる。
手が冷たい中にも温かみが伝わってくる。
なんだか気持ちよい……あ、なんかヤバい扉開きそう……。
「閻連科はそれまでの中国で主流だった写実主義から外れた作家なのですね。貧しい農村の現状を悲惨さとユーモアとファンタジーを合わせた不思議な空気を持った作品を書きます。表題作の「黒い豚の毛、白い豚の毛」は貧しい村で起きた、政治的リーダーの起こしたひき逃げ殺人事件の犯人の身代わりになって恩を売りたいという人たちの話です。他にも「奴児」という恵まれない少女と、仔牛の心の交流とその結末……とかまあ芸風が広いですがどれも政治的腐敗や農村の貧しさが根底に流れています。まあ発禁処分になるかなという内容ではありますね」
「難しくないの……?」
うーんといって、形のよいあごに白くて長い指を当てるいつものポーズをとる。
何度も見ているのに何度でも見とれてしまうのが不思議だった。
そうですねえと呟くと、小首を傾げてまた口を開く。
呼気がなんか甘くていい匂いがする。
ヤバいヤバい、本日二度目のなんか変な扉開きそうな空気にやられる。
「詩情……というのでしょうか、とてもポエトリーな表現をする人ですね。実際中国では詩人としての側面から閻連科を研究する人も多いそうです。とても綺麗な表現をしますし、言葉には凄い気を遣っているそうです」
「そうなの?」
「はい。日本の作家にも非常に詳しくて、芥川や太宰、川端康成だとか、現代の作家だと詩織さんが言っていた村上春樹まで幅広く愛読しているようです。そして作品には無駄な言葉一つあってはいけない。それは出来物の様な物であって一つあるだけで作品は見にくくなってしまうと、非常に厳しい見方をしています。芥川や太宰の短編を読んでは、完璧だと感嘆しているとのことですが、日本人へのリップサービスというよりは、本当に好きなんだなあという気持ちが伝わってきますね」
「えへへ、日本人として鼻が高いよ……」
何ですかそれといって栞がクスクスと笑う。
「じゃあ、ノーベル賞取る前に閻連科の作品読んで、私もよく読んでいる作家だーって自慢してみるのもいいんじゃないですか?」
今度はわたしが苦笑いをする番だった。
「そういわれると読まなくちゃなって気分になってくるかなあ、栞わたしに本読ませるのなんだか上手くなってない?」
「詩織さんはデビュー前のバンドとか売れる前の漫画家とかが有名になったときに、そういって鼻高々するのが好きなタイプとみたので……」
あーっなんか失礼!
となったものの。
「まあ合っているかなあ……」
といって二人して顔を合わせるとお互いに、ふふふっと笑いがこみ上げて来て自然と、笑い合った。
なんだかとても楽しい気分になってきたのであった。
春先の暖かい空気が図書室に満ちる。
なんだか花の香りのようなものが辺りに満ち満ちている気がしてきた。
乙女達の楽しい楽しい秘密の会合はまだまだ続くのだろうなあと思い、なんとなくいつまでもいつまでも笑い合っていたのである。
週一ペースでアップと行っていましたが早速破りました、申し訳無しです。
読みたいネタはたくさんあるのですが、上手いこと昇華できていない感じです。
お前の書くヤツ全部そうだろといわれたらそれまでなのですが。
あと第三の女こと汐里もまたどこかで使いたいなと思うのですが、これが自分では面白いのかどうかさっぱり分からないのです……。




