046トーベ・ヤンソン『フェアプレイ』
トーベ・ヤンソンというと『ムーミン』のイメージが強いと思いますが、このような小説も出しております。
本書は本文が120頁程度ですので何かの待ち時間にでもゆっくりと読めるのがいい所だと思います。
一気に読んでもゆっくり読んでも独特の時間感覚がある作品です。
ここら辺では珍しいことに雪が降り始めている。
寒い寒いといっても暖かくなるわけでもないのは分かるのだけれど、ついつい寒い寒いとばかりいってしまう。
雪混じりの強い風が顔にバシバシと当たって痛い。
目を閉じても鼻から吸い込んだ空気が肺に刺さるので、マフラーで口を覆う。吐息の中の水分で口元がグズグズになってくる。
「栞。大丈夫?」
といって横を向くと、栞の眼鏡が真っ白に曇っている。
「何その凄い……」
「冬場は眼鏡が曇っていけませんね……」
そういって眼鏡を外すとキュッキュと布で丁寧にレンズを拭う。
今気づいたけれど栞が眼鏡を外したところは初めて見たかもしれない。
なんか思ってたより可愛いかも……。
「ん、何ですか?」
わたしの視線に気づいて、眼鏡をかけながら小首を傾げる。
「あのさ、栞。たまにはコンタクトレ……」
「駄目です。それだけは駄目です」
食い気味に否定された……。
「まだ何もいってないですよ?」
藪睨みになりながら栞がこちらの顔を覗き込んでくる。
「眼鏡は必要だとアジモフもいっています」
「アジ……だれ?」
「まあいいです。目に異物を入れるとかちょっと信じられないですよ!」
眼鏡を指定席に置いていつもの栞に戻る。
「詩織さんはコンタクトしているんですか?」
「いやあ目はいい方なので……」
「いいことです」
栞が天を仰ぎながら、また歩みを戻す。
顔にパシパシと雪を受けながら白い吐息を吐き出している。
なんとなく甘い香りがする。
「こんな日に読みたい本があって、詩織さんにも読んで欲しいなと持ってきたのですか……」
「ブラッドベリって人?」
「いえ、トーベ・ヤンソンです」
「トーベ・ヤンソンって『ムーミン』の?」
栞はニッコリと笑い、こくこくと頷く。
「よくご存じで!」
わたしは髪をスタイリッシュに掻き上げて「女子力たかいからですよ、はっはっは」などといって見せた。
「んで、ムーミンの絵本なの? わたしアニメの再放送しか見たことないんだけれど」
「いえ、これは掌編小説が集まって出来た短編です」
鞄から薄い本を取り出す。
本の厚さをどうにも最初に確認してしまう……。
「トーベ・ヤンソン『フェアプレイ』です」
「ほう、どんな話なんです?」
「ヨンナとマリという七十歳代の二人の芸術家のお話です」
「げーじゅつですか」
「一人は挿絵画家で一人は作家という理想的な二人組なのですが、これにはトーベの体験がよく現れています。ご存じないかと思うのですが、トーベはレズだったのです」
「レズってあの女の人同士でカップルになるあのレズですか?」
栞が頷く。
「あのレズです。ただ彼女自身は『私は完全にはレズではない』と手紙を書き残しているのですが、真相は分かりません。意外でした?」
「意外でした」
二人してなんとなく見つめ合ってしまう。
栞は誰にともなく頷くと、また語り出す。
「フィンランドの孤島に住むヨンナとマリの日常なのですが、二人とも中々苛烈な性格をしていてしょっちゅうぶつかり合いながらもまた元の鞘に戻るというような事を繰り返しています。場所はイタリアだったりアメリカだったり色んな所を時間や場所に囚われず行き来します。そんな二人の日常を切り取った短編集です」
「そっかあフィンランドだからこんな天気の日にいい感じということですか」
栞はニッコリと笑うと「そうなんです」といってまた頷く。
「登場人物はそんなベトベトした関係ではないのですが、精神的に凄い強い繋がりを覚えているのですよね」
「強い繋がりですか……」
栞が頭に積もりかけた雪をパラパラと払う。
わたしはなんとなく栞の首元が寂しいことに気づく。
あっそうか。
「マフラー忘れたのね」
栞は、ちょっとバツが悪そうにして「いやあ今日はどうやって『フェアプレイ』をお勧めしようかと考えていたら、学校に置き忘れてしまいまして……」と、珍しくおっちょこちょいな所を見せる。
「でも外出たときに気付かなかったの?」
「詩織さんを待たせてマフラーを取りに行くのも何だかなぁってちょっと思っちゃいまして……」
「そんなこと気にする必要ないのになあ」
といってマフラーを解く。
「あ、あれっ! 突然なんですか!」
「うへへ、まあまあいいからいいから」
そういって、自分の首に巻き付けていたマフラーを端っこの方を使って巻き直して、栞の首にかける。
長いマフラーにしておいて正解だった。
「にひひ、どう? 暖かいでしょ!」
「あわわわ」
栞が一気に紅潮する。
栞の片に頭を預けて「これでカップルの成立です!」なんていってみる。
いやいや、わたし何しているんだ!
からかい半分だったはずなのに、滅茶苦茶カップルみたいになっている!
彼氏にもこんな事したことないのに!
ごめんなさい。
実際の所、彼氏とか今までいませんでした……。
「詩織さんは、男の人にも女の人にもいつもこんな事しているんですか……?」
「いやいやいや、今が初めてです。生まれて初めてです!」
「ふふふ、詩織さんの生まれて初めて頂きましたね……」
何か話の方向性がおかしい気がする。
そうこうしているうちに栞がわたしに『フェアプレイ』を差し出してくる。
これはなんだかフェアプレイではないぞ!
何がどうフェアなんだかプレイなんだか分からなくなってきたけど!
栞がわたしのポケットに突然手を突っ込んでくる。
「詩織さんの中暖かいです……」
「はいはい……?」
なんだか栞と二人して密着している。
吹きすさぶ雪が滅茶苦茶に寒いはずなのに、なんだかカッカと熱くなってくる。
栞の手に血液が流れ込み、ぽっぽと暖かくなってくるのが分かる。
「私がこうしないと、詩織さんばかり攻めてきて、フェアじゃないですよ!」
「えーとえーと、あああ!」
わたしたちは繋がったままふらふらと不安定まま歩き、分かれ道でお互いの家まで送っていくと喧嘩になったけれど、こういう時の栞には絶対勝てないというのが分かっていたので、結局彼女を家に招き入れて暖めてあげることになった。
栞の家から車で迎えが来るまでなんとなく、二人してお互いにもたれ掛け合ってたけれど何だろう……何なんだこの状況は!
栞……恐ろしい娘……!
イラスト提供:
赤井きつね/QZO。様
https://twitter.com/QZO_
今年の更新はこれにて終わりです。
ありがとうございました、良いお年を!
次回未定




