45:恋人『役』が終わった日
学園は一か月以上にわたる夏の長期休暇に入った。
とはいえ、完全に門が閉じられているわけではない。
赤点補習や自主学習など、様々な理由で複数の生徒たちが出入りしている。
私が学園に残ったのは居残り補習ではなく、王宮から派遣されてきた取調官の事情聴取を受けるためという理由だった。
私は事件の被害者であって、怯える必要はない。
ただ正直に、ありのままを話せばいいとラディアス様に言われたけれど、取調官の鋭い目で睨まれるのは、やっぱり怖かった。
そして、事情聴取を受けた日から一週間後。
私はラディアス様に呼ばれて、蒼星館のサロンにいた。
紅茶が用意されたテーブルを挟み、向かいのソファにはラディアス様が座っている。セルジュ様は一足先に王宮に戻り、王子としての公務に励んでいるそうだ。
「ユミナに危害を加えた後、ゾーラは家族と共に馬車で逃げようとした。だが、おれが魔法で行方を突き止め、王都を出る前に騎士団に捕らえさせた。ゾーラは修道院送り、ロースター子爵家は取り潰しが決まった。子爵家が管理していた違法な薬草園も、騎士団が適切に処理している」
ラディアス様は右手に持っていた書類をテーブルに置いた。どうやらそれは王宮から届いた報告書だったらしい。
「噂通り、ロースター子爵は不正を働いていたんですね」
「ああ。取り締まり対象の薬草を裏で何種類も栽培していた。おれがロザリアにイルセリ茶を飲まされたとき、イルセリの匂い消しとして混ぜた『シェラフ』という薬草はゾーラが渡したものだったらしい。シェラフは常用すると精神に異常をきたす危険な薬草だ」
「えっ。ラディアス様はそれを飲まされたんですよね? 大丈夫なんですか?」
私は思わず腰を浮かせた。
「大丈夫だ。飲んだのはあれきりだし、あの程度の摂取量なら問題ない。それとも、ユミナの目にはおれの頭がおかしくなったように見えるか?」
ラディアス様は立ち上がり、私の隣に腰を下ろして私の右手を取った。
それから、私の右手を自分の頬に押し当て、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「……いいえ。至ってお元気そうです」
それは良かったんですが、一体何をしてるんですかね、ラディアス様は。
心臓にとんでもない負荷がかかっているので、壊れる前に手を離してほしいんですけど。
「ゾーラ様が入ることになった修道院って、ロザリア様がいるところではありませんよね?」
ラディアス様の頬の柔らかさと温度を手から感じ、どぎまぎしてしまう。
「もちろんだ。ロザリアは北の果て、ゾーラは南の果て。間違っても再会することはない」
「良かったです。あの二人が再会してしまったら、なんといいますか、ろくなことにならない気がするので」
「おれもそう思う。もう二度と表舞台には出てきてほしくないな。自分の行いを反省して、一生を修道院で過ごしてほしい」
ラディアス様はため息をつき、手を下ろした。
「……お疲れのご様子ですね」
「まあな。入学して半年も経たないうちに、二人の貴族令嬢が問題を起こして修道院送りになったんだ。王宮の中では、おれが全ての元凶だと囁く者もいるらしい」
「どうしてですか。事件を起こしたのは二人の勝手です。ラディアス様は何も悪くないではありませんか」
「ロザリアはおれに十年以上仕えていた聖女だ。そして、ゾーラがおれに好意を寄せていたのは周知の事実。二人を狂わせたのはおれだと邪推する者が出ても仕方ないところだろう。そんな噂を流した人間は予想がつく。アイザック兄上だ。アイザック兄上は露骨におれを嫌っているからな」
「どうしてですか」
私はさっきと同じ言葉を繰り返した。
「姉上の言葉を借りると、『魔力過多症』のおれはいつ爆発するかわからない爆弾のようなものだ。そんな危険極まりない人間に生きていてほしいわけがない」
ラディアス様は俯き、自嘲するような笑みを浮かべた。
――恐ろしいことに、死を与える話も出たのだよ。
セルジュ様に言われた言葉が、重く肩にのしかかる。
「……そんな……」
爆弾だなんて、あんまりだ。ラディアス様は十も年の離れた姉君にそんな残酷な言葉を浴びせられたのか。幼いラディアス様の心境を考えると悲しくて、泣きそうになった。
「おれがどれほど規格外かは、もう十分にわかっただろう。《魔力譲渡》も《空間転移》も、遠い昔に失われた古代の魔法だ。たとえ文献から探し当てたとしても莫大な魔力を消費するから、実際に使えるのは国中を探してもおれ一人だろう。全く、我ながらとんでもない怪物だ。生まれてきたのが間違いだと言いたくなるのもわかる……」
とうとう耐えられなくなった私は両手を伸ばしてラディアス様の頬を掴み、強引に上を向かせた。
驚いたように、ラディアス様はダークブルーの瞳を大きくした。
「止めてください。ラディアス様を悪く言うのは許しません。たとえそれがラディアス様自身であろうと」
真正面から、ダークブルーの瞳を睨みつける。
「私の大切なお方を、侮辱しないでください」
「…………」
ラディアス様は――私が恐れ多くも恋人役を務めている、大切なお方は。
形の良い唇を引き結び、なんだか泣き出しそうな顔で、笑った。
「大切ということは、ユミナはおれに好意を寄せてくれていると思っていいのか?」
ラディアス様は私の両手に自分の両手をそっと重ね、掴んで下ろさせた。
「えっ。それは……その」
目を泳がせていると、ラディアス様が私の手をより強く握った。
――これは、逃げるわけにはいかないわ。
だって、ラディアス様が私の言葉を待っているのだ。
私は思い切って目線を上げ、再びラディアス様を見つめた。
「はい。好きです」
深く澄んだダークブルーの瞳に私が映っている。
サロンには私たち以外に誰もいない。使用人や護衛たちはラディアス様が下がらせたから、二人きりだ。そのことを、妙に意識してしまう。
「それは、どういう意味で? ただの友人として? それとも、異性として?」
「………」
追及されるとは思わず、頬が急激に熱くなった。
「……それは……そ、そういうラディアス様はどうなんですか?」
ずるい逃げ方をしてしまった。
「おれは、ユミナのことが好きだ。恋人役ではなく、正式な恋人になってほしいと思っている」
「!?」
あまりのことに絶句してしまう。
だって、まさか即答されるとは思わなかったんだもの。
「ほ、本当……ですか?」
「ああ。多分、ずっと前から惹かれていたんだ。おれがユミナのことを話していたから、兄上は恋人役を依頼したんだろう。きっと兄上は医務室でのやり取りを見ただけで、おれの気持ちを見抜いたんだ。おれ自身でさえ気づいてなかったのにな。兄上には敵わない」
そう言って、ラディアス様は笑った。




