44:もう少しだけ、このままで
「ラディアス様!! 私はここです!! ここにいます!!」
一番近くを飛んでいた蝶に向かって叫ぶ。
すると、蝶たちが私の声に気づいたらしく、次から次へと私の目の前に舞い降りてきた。どんどん増えていくおかげで、私の周囲だけ昼間のように明るくなる。
「ラディアス様? ねえ、ラディアス様でしょう? 私のことが見えてますか?」
涙で滲む視界の中で、黄金の蝶たちは私の周りをくるくると飛び回った。
言葉の代わりに、大丈夫、見えていると伝えているかのようだった。
私の周りを飛び回っていた蝶たちが、急に弾けて消えた。
いや、私の周りにいた蝶たちだけではない。夜空を埋め尽くす勢いで飛んでいた全ての蝶が、一斉に弾けて消えたのだ。
直後、馬車の荷台の床に五つの光が灯った。
光は縦横無尽に駆け巡り、凄まじい速度で魔法陣を描き出す。
「――やっと見つけた」
魔法陣から強烈な光が立ち上ると同時にラディアス様が現れ、私はギョッとした。
こ、これはひょっとして空間転移魔法!?
大魔導師アルドが使ったと言われる伝説の古代魔法じゃないですか!!
唖然としている間に、ラディアス様が近づいてきた。
掛布を勢いよく引き剥がし、手足を拘束していた魔法の縄を見えない刃で切断する。
ラディアス様がどんな魔法を使ったのか見当もつかなかったけれど、とにかく身体の自由を取り戻した私は起き上がり、礼を述べた。
「ラディアス様。助けていただいて――」
「その前にこっちだ」
私の無事を目で確認したラディアス様はすげなく言って、荷台から下りた。
呆然と突っ立っている男の頭上に光の輪が出現し、男の胴体をぐるりと包んで拘束する。またしても詠唱破棄でラディアス様が魔法を使ったらしい。
「ひっ。ど、どうか、命だけはお助けを……」
男はその場にへたり込んで懇願したけれど、ラディアス様は射殺せんばかりの目で男を睨みながら言い放った。
「どうやって死にたい?」
「待ってください!!」
私は慌ててラディアス様に駆け寄り、腕を引っ張った。
「この人は私に危害を加えていません。詳しい事情も知らなかったようですし、ただの雇われです。私のために怒ってくださるお気持ちは本当に嬉しいです。でも、この人は貴重な証人です。ゾーラの悪行を証言してもらうためにも、手を出してはいけません」
震えるほど強く握られたラディアス様の左拳を両手で包み、訴える。
「私はラディアス様が誰かを傷つける姿など見たくありません。どうか落ち着いてください。私は大丈夫ですから。ね?」
微笑んでみせると、ラディアス様は息を吐いた。
私の手の中で、強く握られていた彼の拳が解けていく。
「……ユミナが失踪したと知って……胸が潰れるかと思った」
ラディアス様は私を抱きしめた。息が詰まるほどに強く――まるで、縋るように。
ちょっと苦しい。でも、それだけ私のことを心配してくれていたのだとわかって、胸が熱くなった。
「二度とおれから離れるな」
「はい。恋人役ですからね。ラディアス様が不要だと言われない限り、お傍にいますよ。ところで、どうして私の失踪を知ったんですか?」
「蝶を飛ばしたら部屋にいなかったからな。不思議に思って調べたんだ」
「ああ、なるほど。では、ラディアス様が毎晩のように魔法の蝶を飛ばしてくださったおかげで助かることができたのですね。ありがとうございます。いつも私を気にかけてくださって……あっ!」
ベル姉様のことを思い出し、私はラディアス様の身体を押しのけた。ラディアス様には悪いけれど、呑気に抱き合っている場合じゃない!
「すみません、ベル姉様が無事かどうか確認していただけませんか!? ゾーラはベル姉様を人質に取ったようなことを言っていたんです! 多分嘘だとは思うんですけど、やっぱり心配で――」
「いまベロニカはどこにいる?」
ベル姉様に聞いていたタウンハウスの住所を告げると、ラディアス様は魔法の蝶を飛ばしてくれた。
魔法の蝶は放たれた矢のようなスピードで空を飛び、遥か彼方へと消えた。
胸の前で手を組み、神に祈りながら待っていると、しばらくしてラディアス様が言った。
「――ああ。無事だ。部屋の中で友人らしき女性二人と談笑している」
ラディアス様の目は、暗闇の中でぼんやりと金色に光っている。魔法で蝶と視覚を同調しているのだろう。
「良かったぁ……!!」
気が抜けて、私はへなへなとその場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
ラディアス様は心配そうな顔で屈んだ。
「すみません。安堵のあまり腰が抜けてしまって……ひゃあっ!?」
ラディアス様に横抱きにされて持ち上げられ、私は情けない悲鳴を上げた。
「お、下ろしてください! 少ししたら立てるようになりますから! というか、何をしているんですか人前で!? いや、人前でなくてもダメですよねこれ!? 恋人役の範疇を越えていると思うんですけれど!?」
「人前といっても、あれはユミナを攫おうとした犯罪者だから人に含まなくて良いだろう」
「犯罪者であっても人です! 人ですから! とにかく下ろしてください!!」
パニックになりながら抗議すると、ラディアス様は渋々といった様子で私を解放してくれた。
――び、びっくりしたぁ……!!
予期せぬラディアス様の行動に、心臓が大暴れしている。
「なんだ。もう終わりか」
何故そこでつまらなそうな顔をするんですか、ラディアス様?
「どういう意味ですか?」
「もう少しユミナを抱きしめていたかったという意味だ。一国の王子が《空間転移》まで使って駆けつけたんだから、要望に応じてくれても良いと思うんだがな」
「う……」
そう言われると、嫌とは言えない。
「……。わかりました」
勇気を振り絞って近づくと、ラディアス様は私を腕の中に閉じ込めた。
「……無事で良かった」
ラディアス様は深い安堵の滲んだ声で言った。
「……はい。ラディアス様とまた会えて良かったです」
私はラディアス様の肩に頭を乗せ、背中に腕を回した。
肌に直接感じるラディアス様の温もりが気持ちよくて、このまま時が止まってしまえばいいとすら思った。
ゾーラには「もう二度とラディアス様には近づかない」なんて言ってしまったけれど、前言撤回だ。ラディアス様が許してくれる限り、いつまでだってお傍にいよう。
――でも、私はしょせん『恋人役』なのだ。
当たり前の事実なのに、何故か、胸が痛んだような気がした。
大丈夫、わかっている。この先、ラディアス様に想う人ができたなら、私はおとなしく『恋人役』を下りて、舞台から去ろう。
でも、それまでは、もう少しだけ……このままでいたい。




