書きたい物を書く VS 読者受けを目指す
私には苦手な人がいる。
大変申し訳ないのだが、その方とはトコトン話が合わない。
その人は話好きだ。
いつも、とても楽しげに話をする。
「自分は今、とても面白い話をしてますよ!」
とでも言わんばかりの、得意気な表情で話しかけてくる。
私はとても大人気ないことに、その方に対して、自分なりに全身から「話し掛けるなオーラ」を出しているつもりだが、構わず話し掛けてくる。
そして、こっちが聞いている、聞いてないにかかわらず(ちなみに私は彼が話をしている間、常にスマホを弄っているが、お構いなしだ)自分が話したい事を話し続けている。
その時間が苦痛だ。
なぜならその人物の話を、私は一度も面白いと思った事がない、むしろ、よくコイツ毎回毎回ここまでツマラネェ話できるな、とさえ思っている。
先日、その方とは別の人と話をしている時に、秋葉原の話題になった。
そういえば、と思い出した事があり、私は一つ、人から聞いた秋葉原についてのエピソードを披露した。
秋葉原の路上には、客引きのメイドさんが沢山いる。
寒い中でも、頑張ってお仕事されている彼女たち。
そんな彼女たちに、心無い言葉をぶつける人がいるという。
メイドさんたちに「点数」を付け、それを本人に聞こえるように言うような輩もいるそうだ。
そんな話をSNSで聞き、メイドさんに同情した人物がいた。
彼は秋葉原に行き、メイドさん達に
「100点!」
と声を掛けて歩いているという。
この話で、私と話をしていた人物は『面白い人いるねー』と笑っていたのだが⋯⋯。
「えっ? 100点て何なんですかー?」
と言いながら、私が苦手とする人物が話に割り込んで来た。
彼は人が楽しげに話をしていれば、どんな状況でも話に割り込んでくるのだ。
面倒くせぇ、と思いながらも、私は上記のエピソードを再度繰り返すハメになった。
彼は話を聞いて、ははははは、と笑ったあと、とても得意気に、まるで『俺、めちゃくちゃ面白い事思い浮かびましたよ!』とでも言わんばかりの表情で、指をビシッと決めながら言った。
「俺だったら120点! って言いますね!」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はぁ?
私はせっかくのホカホカご飯を、冷や飯にされたような心境に陥った。
別の話をしていた時。
皆さんは、パンやオニギリなどの軽食を買える自販機をご存知だろうか?
街中には無く、オフィスの休憩室などに設置されているので、もしかしたらあまり馴染みの無い人もいるかも知れない。
ある日、私が御手洗いに行こうとその自販機の前を通り過ぎた時、ちょうど作業員の方が商品の補充をしていた。
そのまま私が用を足してると、補充作業を行っていた方が、後を追うようにトイレへと入ってきた。
先に用を足し終えた私が手を洗っていると、なんとその人物は、手を洗わずに出て行った。
そして、皆さんの予想通り、洗われなかった手で、商品の補充作業を再開していたのである。
「ははは、ありえないですね」
「ですよねー。見てる人がいてもそれって、かなりなめられてますよね」
「間違いないですね」
と、私が知人と話していると、「何の話ですかー?」と、また件の人物と、もう一人がやってきた。
登場人物が増えたので、件の人物をA、もう一人をBとしよう。
ぶっちゃけて言えば、私はこのB氏もやや苦手だ。
B氏はネットの陰謀論などを真に受けるタイプの人物で、二人で並んで歩いている時に、私に対して
「コロナワクチンは打つべきではない」
という事を力説して来た。
力説しながら私にグイグイ近寄って来たため、私はやや距離を取ろうとしたのだが、こちらが離れた分、相手も間合いを詰めて来た。
そして、私の左半身が、植え込みの植物にバッサバッサと当たっていても、お構いなしに、まだグイグイ詰めようとしてきた。
この距離感の人物は、誰よりも早くワクチンを打つべきじゃないかな? という感想を抱きつつ、私は諦めて後ろを歩いた。
という人物が、Bだ。
このA、Bが揃い、私が『面倒くせぇコトになったな』と感じながらも、仕方なく、再度自販機の話をした。
二人は最初「ははははは」と笑っていたのだが⋯⋯。
「それさぁ⋯⋯電話して言った方が良くない?」
などと、B氏が急に『正義モード』に覚醒した。
いや、ならお前が勝手にやれ、と思いながら、私と知人があまり取り合わないようにしていると、ここでAが動いた。
彼はいつも通り、『今から普通の人だとできない発想で、めちゃくちゃ面白い事言いますよ!』とでも言わんばかりの顔をして言った。
「俺がそんなクレーム受けたら、『袋の中に手を入れた訳じゃないんだから良いだろ!』って返しますね!」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯うん、安定して今日もツマらないな、と私は心の中で思った。
ちなみにその発言に、B氏が
「いや、これはそう言う問題じゃないよ!」
と、マジで返してたのには笑いそうになった。
バカバカし過ぎて。
さて。
『いやお前、さっきから何の話書いてんの?』
と思われそうなので、本題に入る。
書きたい物を書く。
それはつまり、A氏やB氏がやっている事だ。
「自分が喋りたい事を、相手の反応などお構いなしに、思い付くままに発言する」
本人は楽しいのかも知れない。
もしA氏B氏が、話術や発想のセンスが飛び抜けていれば、好き勝手話をしても、相手を楽しませる事ができるのかも知れない。
いや、私が違うというだけで、両氏の発言を『面白れぇー』と思う人がいるのかも知れない。
会話で人を楽しませる、それは一つの技術だ。
話をどう組み立てれば、相手にスッと理解して貰えて、さらに興味を引けるのか、という事を考えなければならない。
日本人初のプロゲーマー、梅原大吾氏は
「もちろんゲームをする時に、勝とうとするのは第一で、その為に全力を出す。でも、それと同じくらい、プレイにおいて『客受け』は意識する必要がある。プロ活動をする上で、自分がプレイするにあたり、客受けというのは妥協ではなく、課題だ。なぜなら、その方がより難しい事を目指す必要があるからだ」
と仰っている。
別に小説において、「自分が楽しむ為に、好き勝手書く」という事は否定しない。
それは創作において大事な事だ。
「楽しんで作品を書く」
これは得難い資質だし、プロでもなければそんなのはそれぞれの勝手だ。
だが、一部の人は「読者受け」というものを、妥協だと考える節がある。
違う。
一人でも多くの人に読ませよう、読まれたい、と思うならば、読者受けというのは『達成すべき課題』なのだ。
自分勝手に、自分が思い付くままに作品を書き、投稿するなんて、ハッキリ言えばだれでもできる。
むしろ、読者受け、をそこから排除することこそ『妥協』なのだ。
なぜか?
それは小説家になろうという場が、人に作品を読んで貰うため、読ませる為に、作品を投稿する場だからだ。
こう言うと、『別にそれだけが目的じゃない』と反論したくなる人もいるだろう。
でも、本当に自分が楽しむ為だけなら、投稿する必要なんてない。
一昨年前のM-1のネタで、
『人と会話する気が無いんだったら、壁に向かって歌えー!』
というツッコミがあった。
そう、人を楽しませる気が無いんだったら、スマホやパソコンにそのまま保存しとけー、なのである。
もし、アナタが書いている小説が、タイトルやあらすじをちょっと工夫するだけで、今の数倍、数十倍の読者からのアクセス、そしてポイントを得られる、としよう。
なら、タイトルやあらすじを、読者にわかりやすく工夫する事は、果たして『妥協』なのだろうか?
書いた中身に自信があり、これを読めば全員とは言わないものの、多くの人を楽しませる事ができるぞ、と思うならば、それは妥協でも何でもないのではないか?
むしろ、その一手間を惜しむ事こそ妥協ではないだろうか?
もちろん、それは程度の問題でもある。
私自身、ランキングやら客受けなんて度外視して、ブックマークや評価なんてつかないだろうという前提で、複数の作品を投稿している。
私の作品一覧を見て貰えればわかるが、死屍累々だ。
ただ、少なくともどの作品も、読んだ人には『面白い』と思って貰う、そんな気持ちで書いている。
そして、できれば読まれたい、と思っている。
私の作品に
『転生したらKen(英語教科書の登場人物)だった』
という作品がある。
自分勝手に書いた作品だ。
だからそれほど人気は出なかった。
コメディの日間最高三位。
これがこの作品の評価。
ただ、せめて読んだ人、刺さる人には刺さるようにしようとした。
先日Twitterでこの作品への感想を発見した。
その方は書き手で、日間一位を取ったこともあるらしかったが、上の作品に対して
『コメディは発想が大事だと痛感した』
と書かれていた。
私はこのような『反応』が欲しくて、もっと言えば『読者の反応』がある事こそが、小説を書く醍醐味だと思っている。
だから
『俺は読者の為に妥協なんてしない、好き勝手書く』
と本当に思っているなら、良い。
ただ、本当は読まれたくて堪らないくせに、強がりで言っているのなら、それは、間違いなく妥協だし、『120点!』と、つまらない事を意気揚々と言っているのと同じだ、という事だ。
自分が好き勝手に、思うがままに発言するのと、周りを楽しませようと、話し方や順序を工夫し、伝えようとする事。
どちらがより高度な能力を求められるか、それは一目瞭然だろう。
つまり、難しい事に挑戦している人に向けて、『アイツは妥協してる』なんて指摘は的外れだ、というお話し。
まあ、好き勝手書いても受ける、そんな天才もいますがね。
だから、自分は好き勝手書く!
でも読者には読まれまくりたい!
と思うならば、自分は天才だと信じましょう。
では。




